■ 第1日 / 10月29日 ■

今回の泊地は7月に泊まったばかりの新庄です。前回は八高線から上越新幹線経由で只見線に抜けるという形で東京を出ましたが、今回はまた違うルート、長野新幹線から飯山線という形にしました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
東京
06:24発
501E
あさま501号
東北新幹線
大宮
06:50発
上越新幹線
高崎
07:16着
07:17発
北陸新幹線
長野
08:04着
08:31発
129D
信越本線
豊野
08:48発
飯山線
戸狩野沢温泉
09:36着
11:06発
131D
越後川口
12:51着
13:13発
1735M
上越線
宮内
13:33発
信越本線
長岡
13:37着
13:40発
443M
新潟
14:55着
15:42発
2007M
いなほ7号
白新線
新発田
16:06着
16:07発
羽越本線
余目
17:50着
18:13発
162D
陸羽西線
新庄
19:01着

飯山線の戸狩野沢温泉から先は運転本数が少なく、東京からだと始発の「あさま501号」から4本目の「あさま553号」のどれに乗っても同じ列車に乗る事になりますが、ならば戸狩野沢温泉で時間を潰すのも良いだろうという事でこの旅程となりました。

「あさま501号」の車内でおにぎりの朝食を食べて8時4分、長野着。始発に乗るとこんなに早い時間に長野に来られます。

乗り継ぎには少し時間があるので構内を見て回ります。まず見付けたのがしなの鉄道の169系。急行用の165系に碓氷峠通過用の装備をした形式で、「妙高」「信州」といった列車に使われていました。既にJR各社には基になった165系共々いませんが、しなの鉄道では115系と共に国鉄から受け継がれて今でも走っています。しかし、近い内に置き換えが始まるそうです。

他のホームに眼を転じると、3321M快速「妙高1号」直江津行きと1004M「ワイドビューしなの4号」名古屋行きが出て行く所でした。

次に乗る飯山線の8時31分発戸狩野沢温泉行き129Dは4番線にいるのでそちらへ向かいます。4番線は3番線と同じホームにあり、間に置かれた車止めで2つに分けられています。

小一時間ほど揺られて9時24分、飯山着。ここに来るのは小学生だった頃以来なので本当に久し振りで、近くの斑尾高原にスキーをしに来た事がありました。2回来た内の最初の1回は生涯初スキーでしたが、板を履いたらもういきなり滑れてしまい、全く苦労しませんでした。

その時に乗ったのは多分キハ20系あたりだったと思いますが、2回目の時には運転士さんと車掌さんと話をしながら前面展望を眺めていた覚えがあります。その頃からこの駅は何も変わっていないように見えます。

北アルプス山脈を迂回する関係で飯山は北陸新幹線のルートになっている事もあり、左側に見える看板には北陸新幹線早期開通を訴える看板がありました。前述の時には時代が国鉄末期でローカル線の廃止が相次いでいた事もあり、飯山線廃止絶対反対という看板だった事を考えると随分と書かれている内容も変わったものだと思います。

ただ、北陸新幹線のルートは長野ー飯山ー上越(現在の信越本線脇野田駅)ー糸魚川となっており、開通と同時にJR東日本が飯山線を切り捨てる可能性もあるのではと思います。

この様子からするともう使わなくなって久しいようですが、飯山駅構内には転車台もありました。

9時36分に戸狩野沢温泉着。ここで1時間半の乗り継ぎ待ちがあります。

一緒に降りた人達はタクシーやバスで蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、あっと言う間に僕1人が取り残されました。そのバスに「せとうちバス」とあったので、どこから来たのだろうとナンバープレートを見ると、広島ナンバーでした。

上:タクシーの営業所にいた大人しい犬。後にあるのは給油機。
下:駅前にたむろする猫達。呼んでも寄って来ませんでした。

とりあえず駅前をぶらぶらと歩きます。時間が早過ぎたようで、小さな商店街はほとんどが閉まっていて、喫茶店のように中にいられる店は開いていませんでした。仕方がないので駅舎の横のベンチに腰掛けてPowerBookを開き、オフラインでメールの返事を書いたりして時間を潰します。

駅の東側には跨線橋があります。ヒマを持て余している僕は当然こちらにも昇ってみました。何故か同じタイミングで昇って来て写真を撮っているおじさんがいます。

次の列車の131D越後川口行きがやっと来ました。10時58分着ですが11時6分発です。確かここで後の1両を切り離したのではないかと思います。

11時42分着の森宮野原で。ここは7.85mという国鉄線としての最高積雪記録を持つ場所です。記念柱の上に赤い線が引いてありますが、あそこまで雪が積もったとはちょっと信じ難い気がします。この記録は未だに破られていないようです。

12時51分、越後川口着。次までは20分ほどの空き時間があるので駅前の散歩に出ます。

越後川口駅は不思議な作りで、線路とホームは土手の上にあり、そこからは階段を降りて地下道のような通路を通って駅舎へと抜けます。駅舎自体は普通の地上駅ですが、ホームから見ると一方は普通の地上駅、逆は高架駅のような雰囲気になっています。

小雨がぱらつく中、駅前の通りをなんとなく歩くと河原に出ました。駅はこの奥です。僕の背後には魚野川が流れていますが、この位置からほんの数百m左に行くと魚野川は信濃川に呑み込まれます。当然ながらそれは後で地図を調べて判った事で、この時はただ単に河原だとしか思っていませんでした。

雨足が少し強くなったので駅に戻り、13時13分発の1735M長岡行きを待ちます。入って来たのは4両編成の115系でした。

長岡の1駅手前、宮内と長岡の間には大きな車両区があります。色々な車両が留まっていて楽しいのですが、その中で一番眼を惹いたのが除雪用ディーゼル機関車のDD14。北海道では博物館入りしていたりで旧型ですが、この辺り特有のベタ雪対策もあって新潟地区にはまだ残っています。

長岡では3分間の乗り継ぎ。443M新潟行きに乗り換えて2駅目の押切の駅名標。最近、自治体の合併が非常に多くて駅名標の自治体名が消されているのをよく見掛けますが、ここも白ペンキで塗り潰されています。

押切駅がある中之島町が長岡市に入り、栄町と下田村も三条市になった結果、南蒲原郡には田上町しか残っていないそうです。

14時55分、新潟着。いきなり大都会に来たような気分です。「あさま501号」で食べたおにぎり以来何も食べていないので食事に行きます。

それほど時間がある訳でもないので、7月に入って当たりだった駅ビル地下のうどん屋へ行くとサービスで大盛にしてくれました。

次の列車は15時42分発の2007M「いなほ7号」で、7往復走っている「いなほ」の中で7/8号の1往復のみが青森まで行きます。「いなほ7号」の青森着は22時2分で所要時間は6時間20分。上野から青森まで走り、食堂車まで繋がっていた「いなほ」に乗った事がある身としてはこれでも短く感じますが、今ではかなり長距離を走る列車部類に入ります。

16時23分着の坂町にて。米坂線のキハ52が乗客を待っています。この間はここから米坂線に入り、米沢から奥羽本線を北上して新庄に行きました。

村上を過ぎた所で直流から交流に電源を切り替えるデッドセクションに差し掛かります。その間は車内が暗くなり、非常灯に薄ぼんやりと照らされる事になりますが、最近の車両はデッドセクションの間も車内は明るいままなので、これももう少ししたら昔語りになるのだと思います。

17時50分着の余目で降り、次の列車を待ちます。辺りは真っ暗で、しん、とした湿度の高い空気が身体にまとわり付きます。

今日の最後は18時13分発の162D新庄行き。空いていたので一番前の席に座って前を見ていましたが、車内が明るいのと沿線にほとんど明かりがないのとで何も見えませんでした。

前回泊まったホテルは満室だったので、今回は更に駅に近いポストホテルという所に宿を取りました。荷物を部屋に置き、フロントで番頭さんという呼び名が似合いそうな年配のホテルマンから傘を借りて出掛けます。

行先はもちろんここ、台所屋。この間店を出る時にまた来ますと言ったのを実行します。

やはり流行っている店のようで、この日も結構な盛況でした。ハタハタがあったので早速注文。しっかりブリコも入った立派なのが出て来ました。秋田と東京のハーフである僕はハタハタをメニューに見付けると、どうしても頼まずにはいられません。

実はこの日、僕は少し熱っぽくてあまり体調が良くなく、あまり長居出来ませんでしたが、相変わらず人の良さそうな笑顔のマスターが勧めてくれた弥平治という純米酒はかなり引き締まった味で非常に美味しかったです。なんでもまだほとんど流通に乗っていないそうで、友人のつてで仕入れているとの事。調べてみると山形のあべ酒店という所が扱っていて、通販なら買えるようです。今度体調が万全な時にまた呑みたい酒です。

今回の切符。土・日きっぷは陸羽東西線、石巻線以南の全JR東日本エリアと余目ー酒田間、新庄ー横手間が乗り放題で4枚まで指定券も取れるというかなり使いでのある切符です。今回の旅程では指定席の設定がある列車がちょうど4本だったので、指定券の枚数もぴったりでした。

ポストホテルには大浴場があり、ゆったりお湯に浸かって早めに寝ました。

第2日 / 10月30日へ

戻る