普段撮った写真の201枚目から250枚目です。

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#0250 : 2007/11/21
徳山で乗って来た車内販売からいつも通りあなご飯を買って朝食。この日は作り置きだったようで、身が硬くていまいちでした。いつもながら作り立ての日との差が大きいです。

新山口の手前の車両区で見たのは試験車のキヤ141、通称「ドクターWest」。どこにでも行けるように電車ではなくディーゼルカーです。JR西日本エリアのみならず、JR四国、JR九州、西日本各地の国鉄転換第3セクターや富山地方鉄道までも出張するそうです。

#0249 : 2007/11/20
運転停車をした米原にて。すぐ横に近江鉄道のホームがあり、明日の始発列車が留まっています。

#0248 : 2007/11/20
仕事で福岡へ。乗るのは当然1レ「はやぶさ」。

つい2日前の18日の朝日新聞に「なは」「あかつき」「銀河」の廃止、「北斗星」「日本海」の減便が来年3月の改正で行われるとの記事が載りました。同じ記事には「はやぶさ」「富士」も'09年春の改正で廃止の見通しとも。ついに来る時が来たようです。あと何回乗れるか判りませんが、乗れる内に乗れるだけ乗っておこうと思います。

#0247 : 2007/11/12
父親経由でカメラマンの叔父からレフ板を借りたので、麹町の父親の仕事場まで受け取りに。何かのラッピングなのか、それともこれ自体が何かの機能を持つのかは判りませんが、旧型のロンドンバスがいました。ロンドンではこのタイプのバスはもう走っていないそうで、今は角張ったタイプのバスが走っているようです。

ロンドンにはその昔、2回行った事があり、地下鉄と共通の乗り放題パスを使ってこのバスにはよく乗りました。バス停もありますが、それ以外の好きな所でも乗り降り出来てとても便利です。

#0246 : 2007/11/08
科学技術館での現場を終えてから渋谷のO-Eastへ。この日はWingerとRattのジョイントコンサートです。

最初にステージに上がったのはWinger。3枚目のアルバム「Pull」のツアー後に解散し、少し前に再結成、昨年13年ぶりのアルバム「IV」を出しての来日です。メンバーはキップ・ウインガー(Vo./Ba./AG/Key)、レブ・ビーチ(Gt.)、ロッド・モーガンスタイン(Dr.)までがオリジナル。2枚目のアルバム「In the Heart of the Young」ツアー終了後に脱退したポール・テイラー(Key/Gt.)の後釜として「Pull」ツアーで加入したジョン・ロス(Gt.)は来ていましたが、「IV」に参加していたセンク・イログル(Key/Gt.)の姿はありませんでした。

ショウのキックオフは「Pull」から「Blind Revolution Mad」。そして2曲目に「In the Heart of the Young」からの「Easy Come Easy Go」。僕はかなり重症なWingerファンで、全アルバムはもちろん、キップとレブの全ソロ作品、果てはデモ版を集めた「Demo Anthology」に至るまで全部買って聴き込んでいるのでどのアルバムからの曲でもとても楽しく聴けますが、観客の大半は黄金期だった最初の2枚のアルバムからの曲には敏感に反応し、「Pull」以降の曲には比較的静か、という状態でした。

メンバーはとても楽しそうで、Whitesnakeのメンバーとして来た時にはダグ・アルドリッジに遠慮して引き気味だったらしいレブ(他にもDokkenに以前在籍し、現在はNight Rangerとの掛け持ちで完全に便利屋と化しています)もぐりぐりと前に出て来て弾きまくっています。「IV」で一番疾走感がある「Your Great Escape」、レブがギターではなくブルース・ハープでソロを取る「Down Incognito」、イントロの弦楽四重奏が印象的な「Hungry」、元々はポールの個人的な曲だったのがバンド最大のヒット曲となった「Miles Away」と演奏は続き、所々にソロタイムが挟み込まれます。その中で印象的だったのがジョンのカントリー・ソロ。非常に高い演奏力が売りの一つであるWingerに入った人なのでかなり上手いのだろうと思っていましたが、速くて複雑なフレーズを難なく弾きこなしていました。ジョンはリズムギタリスト扱いではなく、曲の中でもしっかりと音が出ていて、時々ソロも弾いていました。PAの状態も非常に良く、全員が何をやっているかはっきりと聴き取れます。

キップがキーボードを弾きながらの「Rainbow in the Rose」、あのサビをよくライヴで歌い切れるなと感心する「Generica」に続いてレブのソロタイム。圧巻だったのが、続いての「You are the Saint, I am the Sinner」の最後に付け加えられたソロの応酬。練りに練られた複雑な構成とそれをしっかりと音にする演奏力は感動的ですらありました。

ロッドのソロが終り、最後は「Headed for a Heartbreak」「Can't Get Enuff」「Madalaine」「Seventeen」と盛り上がる曲で畳み掛けて終了。あっと言う間の13曲でした。本当は聴きたい曲がもっともっと沢山ありましたが、2バンド出るのでアンコールもなくステージは転換に入ります。相応に年齢層が高い観客でぎっしりと埋まった会場はオールスタンディングなので、もたれ掛かった柱から動く事も出来ずにRattのステージを待ちます。

こちらもやはり最近再結成したRattのメンバーはスティーヴン・パーシー(Vo.)、ウォーレン・デ・マルティーニ(Gt.)、ボビー・ブロッツァー(Dr.)がオリジナル。ヴィンス・ニールが脱退した後のMotley Crueにヴォーカルとして入っていた事があるジョン・コラビ(Gt.)とそのヴィンス・ニールのソロバンドにいたロビー・クレーン(Ba.)がサポート的に入っています。AIDSとドラッグで死んでしまったロビン・クロスビー(Gt.)がいないのは仕方ありませんが、フォアン・クルーシェ(Ba.)がいないのは何故だろうとも思います。

LAメタルムーヴメントを入口から出口まで通り抜けた僕は当然Rattも聴いてはいますが、ちゃんと聴いていたのは1枚目の「Out of the Cellar」のみ、2-3枚目の「Invasion of Your Privacy」「Dancing Undercover」は聴いてはいたけど全曲を知り尽くす所までは行かず、4枚目の「Reach for the Sky」から先はほとんど知らないという状況でした。なので、1曲目からしばらくはああ、これはあの曲なんだな、程度の感慨で観ていました。とは言うものの、僕の眼は昔と変わらぬウォーレンに釘付けで、あのスネイクスキンのCharvelをまだ使ってるのか、とか、右手を突っ張るように開く「ウォーレン弾き」をやらなくなったのか、とか色々と観察しています。が、何が悪かったのか、PAはWingerの時の非常にクリアな分離がなくなり、特にギターは何をやっているかよく判りません。それでも観客の反応は明らかにWingerの時より良く、やはりLAメタルの中心的存在だったバンドだけの事はあります。

始まってしばらくの後、「I'm Insane」でようやく「Out of the Cellar」からの曲が出て来ますが、またしばらくはあまり知らない曲。元々上手いバンドではないのですが、体形は昔のままを保っているスティーヴンは相変わらずメロディラインがよく解らない上に所々で声が出なくて1オクターブ下を歌ったりしています。一時期は大工として働いていたというボビーも大体は問題ありませんが、時々危なっかしさを見せてくれて、ああ、やはりRattはRattだと変な意味で納得したりしていました。

そしてついにお待ちかねの「Wanted Man」。ここで僕は火が点きました。また少し知らない曲が続きますが、それなりに楽しんでいる内に「Back for More」「Lack of Communication」「Lay it Down」「You're in Love」と思い入れのある曲が演奏されます。「Body Talk」で一旦終了、メンバーが下がります。アンコールは当然「Round and Round」。さすがにこの曲を演られると、こちらは諸手を挙げて盛り上がるしかありません。ソロ前半ではウォーレンのジャックオフ・ヴィブラートが飛び出し、後半ではジョンとのハモりが決まります。ここでショウは終了。本当は「The Morning After」「Dance」辺りも聴きたかったのですが、やはりこれもジョイントコンサートの弊害でしょう。

予想していたよりもRattで楽しみましたが、やはり僕としては楽曲や演奏力、ミュージシャンシップの高さでWingerが最高でした。近々ライヴ盤のCDとDVDが出るのでどちらも買うのは当然として、次はぜひ単独公演で日本に来て長時間のステージを演ってくれないかなと思います。現在はTVドラマや映画のサントラで大成功を収めているポールはバンドを辞めてはいますが、「IV」のレコーディングには忙し過ぎて参加出来なかっただけという話もあるし、センクも別にバンドを辞めた訳ではなく、キップとレブが参加してソロ・アルバムを作ったりもしているので、次回はぜひどちらか1人だけでも一緒に来てキーボードを弾いて欲しいと思います。

#0245 : 2007/10/28
20日の夕方から幕張と南船橋で合わせて8連泊。この日目覚めたのは幕張のアパホテル、元幕張プリンスの33階の角部屋。最初は普通のシングルに泊まっていましたが、旅行会社の考えられない大ポカやホテルの配慮があっていい部屋に回されました。

前日は接近する台風20号の影響でまともに外が見えませんでしたが、台風一過のこの日はマリンスタジアムが綺麗に見えています。

#0244 : 2007/10/19
この夏、Appleと日本コカ・コーラがタイアップしてやっていたキャンペーンで10曲ダウンロード可能になるiTSのカードが当たりました。商品に付いているシールの裏にある番号をキャンペーンサイトで入力した所でまず1曲が当たる抽選、3回抽選すると今度はこのカードの抽選という物でした。ちょうど期間中にコカ・コーラがタイアップしたイベントがあり、そこでシールを50枚もらったりしていた甲斐あってこのカードの分を含めて23曲分が当たりました。

アメリカのiTSでは250曲近く購入し、アカウントにはまだ$200以上のクレジットが残っていますが、日本のiTSを利用するのは初めてです。まずは稲垣潤一と来生たかおを購入しました。

#0243 : 2007/10/04(26.2MB / 103秒間)
Asimoの動きが一段落したところで切っていたので音声がぶつ切りになってしまっていますが、やはりこの手の物はムービーでという事で撮りました。Asimo 2005の一番の売りである時速6Kmでの走行も入っています。

ステージ終了後は記念撮影が出来ます。隣の3人組も案内役の人達と一緒に撮っていましたが、写真を撮るかと訊かれた時に、世話役の女の子と撮るの? と訊き返していたのがおかしかったです。

#0242 : 2007/10/04
仕事で青山へ。用事が済むと、ちょうどAsimoのステージが始まる少し前だったので観て行く事にしました。ステージの前にはテーブルと椅子が置かれていて、隣のテーブルには仕事で来たらしき白人のおじさん3人組が案内役のHondaの人に連れられて来て座っています。「ちょうど時間なので、うちのロボットを観て行きませんか」と言える会社なんてまずありません。

■左上:ステージ上手からAsimo登場。ドアが開くとAsimoがこちらに手を振ります。一緒に観ている人達がいた事もあって、僕も思わず手を振り返しました。
■左下:進行は完パケの映像と音声に合わせてAsimoが自分自身のプレゼンテーションをするという形で、その中には名前の由来もあります。が、外野から見ていると間違いなく本当の由来だと思える「ロボット三原則」を創ったアイザック・アシモフに関しては言及されません。
■右:一言でAsimoと言ってもモデルチェンジを繰り返していて、これは5代目にあたるAsimo 2005。初代と比べると関節やセンサーが増えて格段に性能が上がっています。

やはりこんな物がステージにいると、後の映像に全く眼が行かなくなってAsimoに釘付けになります。隣の3人組も楽しそうに観ていて、案内役の人にこれはどこかで誰かが操縦してるの? え、プログラムで動いてるの? 等々質問を浴びせ掛けています。

#0241 : 2007/10/01
友人が呑みに行こうと言うので船橋へ。店を探しながら歩いているとY字路がありました。小さいながらも分岐点の建物の両面が見えていてなかなか良いです。

#0240 : 2007/09/23
後から見ると、ラジエータからの空気を逃がす為のスリットがまるで鮫のエラのようで迫力があります。見慣れた日常空間にこんな非日常的な物が置いてあるのはやはりインパクトがあるようで、写真を撮る人が絶える事はありませんでした。

#0239 : 2007/09/23
仕事帰りに東京駅の丸の内口地下を歩いていたら、ルノーR27が展示されていました。ゼッケンナンバーが3なのでジャンカルロ・フィジケラのマシンという事になりますが、シートの後にはヘイッキ・コバライネンの名前も入っています。

#0238 : 2007/09/15
師匠宅のすぐ近くには途中からばっさりと裁ち落とされたビルがありました。ここの地権者は3人いるそうで、どうもそれがこういう結果を生んだようです。

#0237 : 2007/09/15
今は福岡にいる師匠のお母さんが亡くなり、東京の実家でもお別れ会をする事に。師匠の家は自転車屋だったので、家にはなんとも良い感じのマークがあります。

#0236 : 2007/08/21
サンシャインのスポンサーの所で打ち合せ。すぐ近くを飛行船が通り掛かり、元同僚が大喜びで僕を窓際に呼びました。機種はZeppelin NT。最新技術で造られたドイツ製の硬式飛行船で、世界に3機ある内の1機が日本にいるそうです。

#0235 : 2007/08/08
歩いている途中に妙なマンションか何かを見掛けました。その昔バルセロナで見たアントニオ・ガウディの建物ほどではないにしろ、かなり異様な建物でした。

#0234 : 2007/08/08
三ノ輪橋からは早稲田まで一気に乗ります。所要時間は50分少々。ここからは少し歩きますが、地下鉄の駅へと向かいます。

#0233 : 2007/08/08
ぶらっと一周してから都電の降車ホームの真横にある旦八という居酒屋へ。手羽先の唐揚げに惹かれました。手羽先は名古屋の物とは違っていましたが、塩サラダというのがとても美味しかったです。

右にあるのは都電の1日乗車券。都電はどういう乗り方をしても1回160円なので、こういう乗り方をする場合、400円のこの乗車券はかなり安上がりになります。

#0232 : 2007/08/08
時間が遅かったのか、商店街は閉まっている店が多かったのですが、地方都市によくある死んだ商店街という感じは受けませんでした。今は福岡にいる師匠が以前、大阪の住吉大社の近くに住んでいたのですが、その家の近くの粉浜商店街を思わせる雰囲気もあります。

#0231 : 2007/08/08
三ノ輪橋は最近作られた作為的なレトロと本当に昔のままのレトロが混然一体となった不思議な街でした。その中で一番印象に残ったのは、木造の果物屋の軒先で眼を見開いて通りを見つめていた親父さんの顔でした。

#0230 : 2007/08/08
梶原の1駅三ノ輪橋寄りの荒川車庫前から20分強乗って三ノ輪橋へ。「ピーポくん号」と書かれたヘッドマークを掲げた車両は乗客を降ろすとすぐに乗車ホームへ移動します。折り返しは早稲田行きではなく途中の大塚駅前行きでした。

#0229 : 2007/08/08
都電おもいで広場の開放時間は既に終わっていたので、もう1両は敷地の外から柵越しにしか顔が見えません。こちらは'62年製の7500形7504。'98年に引退する間際の数年間は朝のラッシュ時に大塚駅前ー町屋駅前で走っていて、「学園号」呼ばれていたそうです。

そういえば梶原まで乗ったのも7500形だったと調べてみると、全部で20両造られた内の13両は新しい車体に載せ代えられて今でも現役で走っているとの事でした。

#0228 : 2007/08/08
荒川車庫の前には都電おもいで広場と銘打たれた小さな公園があり、綺麗に保存された車両が2両います。この足許までカバーで覆われたモダンな車両は'54年製の5500形5501。当時アメリカで普及していたPCCカーの技術を導入して造られ、上野ー銀座ー品川で走っていたそうです。

#0227 : 2007/08/08
線路の北側を尾久駅の所まで歩き、北に折れて都電の線路まで。ここには荒川車庫があります。地図を見ると、敷地に入って来た線路が車庫に入り、その先に短い線路が何本も平行に並んでいるので、車両を平行移動させるトラバーサがあるようです。

#0226 : 2007/08/08
帰りは跨線橋と同じ所にある踏切から撮りました。右側にいるのは「カシオペア」に使われているE26系の予備用電源車、カヤ27 501。24系のカニ24から改造された車両です。E26系は1編成しかないので、カハフE26 1が故障した時の為に電源車だけは予備車があります。

#0225 : 2007/08/08
少しうろうろしてみましたが、ちゃんと中が見える所はないようなので引き返します。すると、来る時には気付かなかったY字路がありました。'03年3月に小郡(今の新山口)駅近くで見掛けて以来、Y字路の魅力にハマっていますが、横尾忠則も同じくその魅力に取り憑かれてY字路の絵ばかり描いていると何かで見ました。

#0224 : 2007/08/08
ようやくDE10が見える所を見付けました。どうもここが尾久客車区の入口のようです。この少し右には転車台が建物の隙間からちょっとだけ見えます。

僕にとっては思い入れがある名前なので尾久客車区と書いてはいますが、'04年6月に尾久車両センターに改称されたようです。

#0223 : 2007/08/08
跨線橋からでは遠過ぎてよく見えないという事もあり、客車がいる方に線路沿いを歩きます。その途中で幅が1mもない恐ろしく細い道を見付けました。試しに通ってみましたが、肩幅ギリギリという感じでした。

#0222 : 2007/08/08
跨線橋は両端にエレベーターがある屋根付きの物で、開けられない窓が付いています。しかもその窓には補強用のワイアーが入っていて、ワイド端まで引くと写り込んでしまいます。

#0221 : 2007/08/08
前日、都電に乗るに該って地図で下調べをしていたら、東北本線の尾久駅のすぐ近くを通っている事が判りました。尾久と言えば尾久客車区があります。しかも跨線橋があるので、そこから客車区を眺められそうだという事で行ってみます。

梶原から真っ直ぐ南に向かい、線路にぶつかってからは線路沿いに東に歩くと、確かに跨線橋がありました。が、想像と違って何やら妙に立派です。

#0220 : 2007/08/08
腹がくちくなったところでまた三ノ輪橋行きに乗り、梶原で下車。乗っていたのは20分弱です。途中でおばあさんが乗って来ると、それまで互いにもたれ合って寝ていた今風のカップルが眼を覚まして席を譲っていました。そう言えば、他の乗客もなんとなく東京の普通の電車と雰囲気が違う気がします。

#0219 : 2007/08/08
ホープ軒と言えば千駄ヶ谷の店が有名ですが、僕が中学生の頃から通っていたのは吉祥寺の店。元は同じ系列だったのが喧嘩別れしたらしく、今では同じ屋号を使いつつも千駄ヶ谷系と吉祥寺系に別れています。この大塚の店は吉祥寺系です。

吉祥寺の店がじわじわとダメになっていくのを為す術も無く見守っていた僕としては、正直なところ味には期待していません。ここに来たのはただ単に久し振りにホープ軒ブランドのラーメンが食べたかったのと、横を都電が往来しているというシチュエーションが理由でした。実際に出て来たラーメンの味は、その低い期待値の更に少し下を行っていました。後で駅前を歩いていたら、僕が大好きな喜多方ラーメンチェーンの坂内を見付け、あっちにしておけば良かったかなと少し後悔しました。

#0218 : 2007/08/08
この仕事に僕を引きずり込んだ元同僚は元々は十三の暴走族で、今でもAE86レビンに乗っているような男なのですが、同時に電車好きでもあります。その彼に数日前に僕が都電荒川線に乗った事がないと言ったら、えらい剣幕でそれはおかしいとまくし立てられてしまったので、打ち合せ終了後に乗りに行く事にします。

東池袋四丁目から三ノ輪橋行きに乗り、グオオオと響くモーター音を聴きながら駅前広場で物凄い急カーブを曲がって大塚駅前で下車。その間5分強。ここの線路端にはそれなりに有名なラーメン屋、ホープ軒があります。

#0217 : 2007/08/08
青山にあるものだとばかり思っていたのが、なぜかサンシャインにあるスポンサーの事務所で打ち合せ。入口の所には身長3m位のウルトラマンがいました。

#0216 : 2007/08/06
7月末、元同僚に突如巻き込まれてしまった仕事の打ち合せで汐留の某広告代理店、と隠したところで電通なのは明白なのですが、そこへ。

打ち合せ終了後、1872年の鉄道開業当初の新橋駅、後の汐留貨物駅の跡地にある旧新橋停車場へ。当時の駅舎やホームの一部が再現されていて、実物が穴の中にほんの少しだけ見えたり、ホームの片側には1873年製のレールも敷かれています。このレールは上下が同じ形の双頭レールと呼ばれる物で、片面が傷んだらひっくり返してまた使えるという事で鉄道草創期にはわりと一般的だったそうです。奥の方はレールの踏面以外がバラストで覆われていますが、当時はこうやって線路を風雨から守っていたそうです。

本当は駅舎の中の鉄道歴史展示室に行きたかったのですが、この日は月曜日でお休みでした。

#0215 : 2007/08/01
なんとなく行き詰まりを感じつつ、今年の花火大会は終了。やはりまともに撮るなら一眼レフなのかとも思いますが、もう少し手がないものか探ってみたいとも思います。

最後に首都高を撮ったら、僕の後にいたおじいさんの自転車がいい感じで入りました。

#0214 : 2007/08/01
今度はテレ端で星空モードの30秒開放を使ってみます。意外と良いと思いますが、説明しないと何の写真なのか解らないというのは欠点として大き過ぎます。

#0213 : 2007/08/01
どうも意図通りの写真が撮れず、半ばヤケクソ気味になってテレ端までズームをしてみます。夜景モード0.8秒、-2EV。ここまでの写真は全てワイド端で撮っていたのでF値は2.8でしたが、これはテレ端なので5.6です。

#0212 : 2007/08/01
今度は横位置の写真を。星空モードであまり上手く撮れなかったので夜景モードも使い始めています。夜景モードでは露光補正が使えるので、マイナス補正を掛けました。

■左上:星空モード15秒。海からの風が強く、あまり長く露光すると花火の形が崩れてしまいます。
■右上:星空モード15秒。やはり露光のタイミングが早過ぎるようです。
■左下:夜景モード3.2秒、-2EV。良い感じにコントラストが出ていますが、レリーズがないのでセルフタイマーを使う関係もあって、ちょうど花火が綺麗な所でシャッターが開くかは運も関係します。また、風でハート型の花火が崩れています。
■右下:夜景モード1/10秒、-1EV。運任せですが、これはこれで良いのかもと思います。

#0211 : 2007/08/01
19時半、対岸で関係者の挨拶が始まりました。結構な人数が代わる代わる挨拶をして充分に間延びした所でようやく打ち上げのカウントダウン。10から数え始め、0のタイミングで「点火!」とみんなで合わせた声が風に乗って聞こえてきましたが、肝心の花火は無反応。何やら問題があったらしく、数分間の中断の後に再度カウントダウン、ようやく花火が上がり始めました。

去年のこの花火大会の時はFX8を使っていて、花火モードと夜景モードで写真を撮っていましたが、その後買い足したFX01にはシャッター強制開放の星空モードがあります。今回はその星空モードを使ってシャッターを開放したまま真っ黒なマウスパッドでレンズを覆い、花火が開いた瞬間だけマウスパッドをどかして露光させて複数の花火を1枚の写真に収めるという手法を使ってみます。

■左上:15秒。露光の時間が長過ぎたようです。
■右上:15秒。少し良くなったようですがまだ空が明る過ぎ。
■左下:15秒。今度は短いかも。
■右下:30秒。花火が開く瞬間からではなく、広がり始めてから露光。どうもこのやり方が良さそうです。

もう少し簡単かと思っていましたが、やってみるとタイミングの取り方がなかなか難しいです。星空モードではISOが80固定なのは問題ないのですが、露光補正をいじれなくなってしまうのも厳しいところです。

#0210 : 2007/08/01
葛西橋の細い歩道は人で溢れていますが、それでも対岸の江東区側に比べれば全然少なく、中洲の少し南へ行けばほとんど誰もいなくなります。

空は物凄い夕焼け。映像業界では朝焼けと夕焼けの時間帯をマジックアワーと呼んでよく撮影をやるそうですが、夕焼け時は古くから逢魔ヶ刻とも呼ばれ、魑魅魍魎が蠢き始める時間帯でもあります。

#0209 : 2007/08/01
今日は年間で一番失敗写真を量産する日、江東花火大会です。目指すは首都高中央環状線下の中洲、荒川の左岸、江戸川区側です。

#0208 : 2007/07/20
今回の福岡行きは帰着日未定で、着替えも少し多めに持って出ていました。結局5日間も掛かり、20日にようやく作業終了。いつ帰れるか判らないので帰りの切符は乗車券以外持っていませんでしたが、どうせ「はやぶさ」は空いているから直前に切符を買えばいいだろうと高を括っていました。

ところがこの日の夕方、みどりの窓口で訊いてみると個室はもとより開放の下段もないとの事。それでは「富士」はと訊くと、こちらも同じ。狐につままれたような気分でしたが、仕方がないので新幹線で帰る事にします。5列シートの「のぞみ」で5時間、というのには到底耐えられそうにもなかったので、新大阪までは476A「ひかりレールスター476号」、新大阪で48A「のぞみ48号」に乗り換えという形にしました。

この2つの列車は妙な関係になっていて、17時45分に「ひかりレールスター476号」、17時49分に「のぞみ48号」と4分差で博多を出発しますが、途中の追い抜きはなく、それどころか新大阪着は20時20分と20時28分、差が8分に開きます。速達型の「レールスター」が出来たのでこういう逆転現象が起きていますが、こうなると遅くて値段が高くて座席が窮屈と「のぞみ」の存在価値をどこに求めればいいのか解りません。

23時過ぎ、東京に着いてふと見ると、車番が9001でした。という事はこの700系は先行試作車で、同時に最古の700系という事にもなります。

#0207 : 2007/07/17
この日は、以前師匠の秘書のような事をしていた子と夕食。最近水炊きを食べていなかったので長野という結構有名らしい店へ。やはりこのスープは絶品です。鍋の進行は店のお姉さんまたはおばさんがやってくれる、というか勝手に手を出すとこっぴどく叱られるのだそうですが、まずは最初から入っている肉、次にミンチで鶏団子、最後に野菜という順番でした。僕はと言うと、減ってくると足してくれる事に味を占めてスープをガブガブ飲んでいました。

その後東京に出張していた師匠が帰って来たので合流し、値段が不自然に安い焼鳥屋へ行きました。

#0206 : 2007/07/17
新幹線最古の形式である0系が通った少し後に、今月営業運転に入ったばかりの最新型N700系も顔を出します。横浜に行く時に東海道本線の普通列車から東京駅のホームにいるのを見ましたが、しかと見るのは初めてです。

ざっと見た印象としては窓が小さくて嫌な感じ、とまず感じます。飛行機ですらボーイングは最新型787の窓を従来よりかなり大きくしたというのに新幹線がこの調子で窓を小さくしていくと、そのうち窓の大きさが逆転するのではとも思います。

#0205 : 2007/07/17
宿は今回も博多駅前の西鉄イン。仕事先からは少し遠いのですが、新しく清潔で高速回線が入っていて、運が良いと窓から線路が見える部屋に当たるので他のホテルに泊まる気が起きません。変な色に塗られているのが残念ですが、今や風前の灯火と化している0系がするすると走っていました。

#0204 : 2007/07/16
10時10分、定刻に博多着。雨の駅前でタクシーに乗ると、10時13分にまたも新潟で大地震があったとラジオが言っています。

この日は博多駅の筑紫口側の焼鳥屋へ。カウンターで隣に座っていた外国人のおじさんと話しながら呑んでいました。パリ出身のフランス人で、今は釜山で潜水艇を造っているとか。この後コンゴに行くんだと言っていて、なんとなくクアラ・ルンプールの道端中華料理屋で出会ったオーストラリア人を思い出しました。おじさんが先に店を出、少しの後に僕も出ようとしたら、店員さんにあの人はどこの国の人だったのですかと口々に訊かれました。

#0203 : 2007/07/16
門司を出るとJR貨物の車両区の脇を通ります。ここも古いのから最新型まで色々な機関車がいて楽しいです。派手な色に塗られてJR貨物のロゴが入れられた車掌車が眼を惹きました。

#0202 : 2007/07/16
門司でまた機関車交換。同時に「はやぶさ」と「富士」が分かれ、ここからは「はやぶさ」の列車番号が41レに変わります。なんとなくこの人にも見覚えがあります。こうなると、もうどの人を見ても知っているような気がします。

#0201 : 2007/07/16
車両区を横目に見ながら関門トンネルへ。詳しくは知りませんが、この赤いのは「旅路」という名の和式列車で、12系客車からの改造車だそうです。

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