■ 第2日 / 11月3日 ■
9時38分の次は12時30分と13時27分、その後は16時23分までないという列車の都合もあり、この日の午前中は夕張で過ごします。
駅 名
時 刻
列 車
線区名
夕張
13:27発
2634D
石勝線
追分
14:29着
15:50発
38D
とかち8号
南千歳
16:03着
16:03発
千歳線
白石
通過
函館本線
札幌
16:36着
札幌ーさっぽろ間徒歩移動
さっぽろ
16:55発
札幌市営地下鉄
東豊線
福住
17:08着
この日の夜から仕事で、札幌ドームでの集合は17時半頃。時間が余るので、以前から行きたいと思っていた店に行きました。
バイキング形式の朝食を摂り、チェックアウトと同時に荷物をフロントで預かってもらって9時過ぎに出掛けます。
向かう先は石炭の歴史村。知識としては知っていましたが、歩いてみると夕張は三方を山に囲まれた谷間にあるのが皮膚感覚としてよく解り、一歩進む度にその分行き止まりが近付いて来るような感じです。
しばらく歩くと、だだっ広い駐車場の脇にプラットホームと駅舎らしき建物があるのが見えます。
現在は観光施設の管理棟として使われているこの建物はやはり初代の夕張駅で、1892年の夕張線開業から国鉄末期の'85年まで使われていました。当時はホームに来ている線路以外に石炭を積み出す為の引き込み線が密集していましたが、今は駐車場となっています。
宮脇俊三氏の「駅は見ている」によると、末端の1.3Kmを廃線にして'85年に移転した2代目の夕張駅は、廃車になった貨車を置いただけの簡単な物ではありましたが、市街地中心部に近くて便利だったそうです。しかし、その後に開業したレースイスキー場の前に駅を新設するに該って、わずか0.8Kmとなる駅間距離をJR北海道がよしとしなかった事から、地元との折衝を経て'90年にその0.8Kmを廃線にして現在の3代目駅舎に移転しました。
駐車場を抜けて奥へと進むと、小さなトンネル状のアーチがあります。その手前に券売所があり、そこから先が石炭の歴史村本体のようです。
アーチを抜けると、フードコートと物販店が向かい合った場所に出ました。しかし店は閉まっていて、人影もありません。
その先には園内の移動とアトラクションを兼ねた軽便鉄道の駅があります。しかしこれも運休中。改札に出された看板で、10月31日までで夏季営業が終了した事をようやく知りました。
それでもここの中心である石炭博物館はやっているようなので、そちらへと向かいます。丘の斜面では、誰に観られる事もなくモミジが真っ赤に色付いていました。
石炭博物館の入口でチケットを買いながら訪ねると、全部で8つある施設の内、ここと炭鉱生活館のみが冬季には開いているとの事。SL館に惹かれていましたが、わずか3日間遅くて入れませんでした。施設パスポートというチケットも、ゴールデンウイークから10月末までの夏季営業期間の¥2,000から冬季は¥900と大幅値引きされています。
石炭が出来るまでの説明や炭鉱で使われていた道具等、色々と興味深い展示がありましたが、最も眼を惹かれたのが炭鉱で働く人達や町の様子を写した写真展でした。その中でも、炭坑夫が風呂に入って真っ黒になった身体を洗い流している写真には、炭坑夫の横に昔見た覚えのあるサンスターのトニックシャンプーが写っていて、一気に自分との距離が短絡したような感覚を覚えました。
館内の見学が終ると、今度はエレベーターで地下へと降りて行きます。ここから先は実際の炭鉱跡の見学です。足尾銅山や細倉マインパーク等、旅行に出ては地下に潜ってばかりの気もしますが、鉄道の生い立ちと炭鉱/鉱山は切っても切れない深い縁があるので当然のなりゆきではあります。
エレベーターを降りると、時代毎の炭坑夫の服装や装備の変遷が展示されています。この間の細倉マインパークと違って館内でも何人か他の見物客を見ましたが、ここでも熟年夫婦が僕を追い越して行きました。
ここの展示で眼が行ったのはこの水銀整流器。館内にも小型の物がありましたが、ここのはかなり大きく、複雑な形をしています。何故これで電気を整えられるのかは理解出来ませんが、なくてはならない物だったようです。
大型掘削機等の展示を見ながら進むと、係のおじさんがいてライト付きのヘルメットとバッテリーを手渡されます。ここからが炭鉱見学の本番です。入口にこの先撮影禁止とあったので、中に入る前に1枚撮って階段を降ります。
この炭鉱見学には、まっくら体験というサブタイトルが付いていて、実際にかなり坑内は暗いのですが、歩くと対人センサーが働いて薄明かりを付けてくれるので、ヘルメットのライトがないと歩けないという程ではありませんでした。
意外に長い距離を歩き、最後に傾斜が緩くて長い階段を上がると地上です。実際に使われていた機械やマネキンで掘削風景が再現されていて興味深い展示でした。
出口のすぐ脇には石炭の大露頭があります。1888年にこれが発見されたのが夕張炭鉱の始まりで、これだけの規模の大露頭は地質学的にも貴重なのだそうです。
出口からは出ましたが、まだ手にはヘルメットと大きなバッテリーを持っています。その返却場所はすぐ近くの炭鉱生活館で、入口に回収用の入れ物がありました。奥に石炭博物館の塔が見え、結構な距離を歩いたのが解ります。
炭鉱生活館の前に停まっているクレーン付きのトラックは公衆電話ボックスの回収に来ていたようでした。
炭鉱生活館はその名の通り、実物大のセットとマネキンで炭鉱の人々の生活を再現している施設で、これは売店です。他にも長屋があったりと面白かったのですが、中にはドスを持って殴り込みをするやくざ者というのもありました。
炭鉱災害年表。物凄い数の死傷者です。93人が亡くなった'81年の北炭夕張新炭鉱でのガス突出事故は僕もよく覚えています。まだ小学生だった頃で、ちょうど友人の家に泊まりに行った日でした。友人の父親と3人で事故現場からのTV中継を見ていました。
結構時間を掛けて見て回りましたが、まだ12時前。営業休止中の遊園地の方に行ってみます。なだらかなスロープはまたも紅葉真っ盛りで、誰もこれを見ないのは勿体ないと思います。
この先に入場門があり、そこから遊園地になっています。D51 101のプレートを掲げたSL館の建物も見えます。
入場門の辺りを歩いていた時に、車が停まって管理人らしき人が降りて来ましたが、何も言わず、それ以前にこちらも見ずにどこかに行ってしまいました。
無人の入場門をくぐると、志幌加別川を渡る橋があります。この時、何故か僕にはこの川が三途の川に見えてしまい、この橋を渡ったら二度と此岸に戻って来られなくなるような気がして、ここで引き返しました。
帰りは行きと少し違う道を通る事にしました。初代夕張駅舎の裏を通ると、駐車場が見渡せます。石炭博物館でここにびっしりと貨車が並んだ写真を見た後なので、しばらくその写真と眼の前の風景を脳内で重ね合わせて眺めていました。
そのすぐ近くには炭坑の人々の心の拠り所であったであろう夕張神社があります。ハンディカムでビデオを撮っている人がいました。
廃線跡を辿ろうと思い、それらしき道を歩くと白い壁が何枚も立っていました。アニメーションウォールと書かれたこの壁には、それぞれ童話が挿絵付きで描かれていて、表と裏が別の話になっていました。
この先の橋の手前で工事が行われていて、廃線跡を歩けるのはそこまででした。
町中の建物は総じて新しいのですが、所々に炭鉱時代から変わっていないと思われる物もあります。その中の1軒には入居者募集の貼り紙がありました。
夕張市の人口は'05年3月末時点で13,615人。最大人口記録が'60年の116,908人なので、1割少々しか残っていません。閑散とした印象になるのは当然ですが、逆にこの狭い谷あいの集落に11万人以上の人がいたというのもとんでもない人口密度だと思います。
ホテルで荷物を受け取り、また歩き出します。昨日はタクシーでしたが、今日は時間もあるので駅まで歩きます。
昨日下をくぐった鳥居の上にはもう1つ鳥居がありました。ここは石切夕張神社だそうで、更に隣接する土地には大法寺、本源寺、実相寺、万行寺、浄土寺と5つもお寺があります。
駅までの道すがら、町中のあちこちに掲げられた看板を見て回ります。
左上:郷土料理屋の「マイ・フェア・レディ」と仏壇屋の「誰が為に鐘は鳴る」。
右上:国際映画祭事務局には「ダーティハリー2」と「ゴッド・ファーザー」。
左下:精肉店の「007 黄金銃を持つ男」。
右下:元は商店だったらしき建物の「次郎長富士」と「瞼の母」。写真の「まぶた」の字はUnicodeにしかありませんでした。
左上:商工会議所に「君の名は」、文房具店に「唐獅子牡丹」と「惡名波止場」。
右上:建設業協会の「七人の侍」。
左下:生花店の「ダイ・ハード」と「南太平洋」。
右下:市民会館には「サウンド・オブ・ミュージック」。
駅までは結構歩くのですが、看板を見ているだけでも結構楽しく、飽きませんでした。映画に詳しい人だったらもっと楽しめると思います。
駅までもう少しという所に小学校と中学校があり、その先に川の流れに沿った形の野球場がありました。フェンスオーバーすると打球が川に飛び込みます。隣が中学校なのでそこの物かと思ったら、どうも違うようです。
ホテルから20分少々歩いて夕張駅に到着。この大きな建物は駅移転の原因となったホテルMt.レースイです。こうやって見ると駅舎の小ささが際立ち、まるで公衆便所のようです。
喉が渇いたので、ホテルでこれも北海道では欠かせないキリンメッツのガラナ味を買い、駅で列車を待ちます。新夕張始発の2637Dがやって来たのは13時19分。何故かホームが駅舎から少し離れています。
折り返しで13時27分夕張発追分行き2634Dとなった単行のキハ40系には、僕以外におっさんが2人乗っているだけでした。
昨日は暗くて見えなかった紅葉を眺めていると、右窓に「三塁側」と書かれた看板が見え、ハッとしてシャッターを切りました。写真はスコアボードらしき物が写っただけでしたが、調べてみると夕張市平和運動公園野球場という内外野総天然芝、両翼98m、センター122m、収容観客数5,300人の恐ろしく立派な球場があり、プロ野球OB会のイベントが行われた事もあるそうです。他にもJリーグのチームが合宿を張った事もある球技場が2つ、陸上競技場、多目的広場が併設されています。
13時37分発の清水沢は、ホームと駅舎の間が大きく空いています。この隙間には何本もの線路が走っていたはずです。'87年に廃止されましたが、この駅からは三菱石炭鉱業大夕張鉄道線という路線が分岐していて、南大夕張という駅の跡地には今でもその車両が保存されています。
13時48分、新夕張着。発車は14時ちょうどで、その間に札幌から来た35D「とかち5号」と行き違います。
終着の追分には14時29分に到着。あと1駅走って南千歳まで行けばもう少し便利なのに、何故かここで終りです。昨日は暗くて見えませんでしたが、追分の構内も線路を剥がした広大な土地があります。ここは室蘭本線と夕張線(現在は石勝線)が十字形に接続する駅なので、石炭を積んだ貨車の為に沢山の線路が必要だったのでしょう。更に、ここには追分機関区もありました。
運良く駅前に停まっていたタクシーを拾い、昼食を摂る店へと向かいます。タクシーのラジオからはHeartのヒット曲「These Dreams」が流れていました。
「These Dreams Go on, When I Close My Eyes.....」ナンシー・ウイルソンの歌声をバックに、曲調に似合わない風景の中をタクシーは進みます。
途中の交差点で停まった時、妙な物が眼に入りました。最初は爆弾かと思いましたが、後のフィンの形からすると戦闘機の燃料タンクのようです。航空自衛隊の千歳基地が近いので、払い下げの物かも知れません。
目的地はここ、東千歳バーベキュー。今となってはインターネット上のどこで見付けたのか思い出せませんが、知る人ぞ知る名店なのだそうです。
運転手さんと迎えの約束をして、店に入ります。
中に入ると、噂通りの店でした。なんでもここを切り盛りしているおばあさんが開店以来掃除なぞした事がないと言っていたそうで、壁一面にタール状の油がべったりと貼り付いています。
天井もこの通り。運が悪いと、この油が落ちて来て直撃を喰らいます。
テーブルと言うか焼き場は2列あり、火は炭火です。おばあさん以外にも男女2人いる店員さんがこの炭火を強くする為にひっくり返してくれるのですが、その時にも灰が舞い上がります。
まるでわざわざタクシーを飛ばして悪条件を楽しみに来たような感じですが、評判通り料理は絶品でした。バーベキューを名乗っていてもあるのは鳥だけで、半身が2つで1人前。これを自分でひっくり返して焼き、手を油まみれにしながら食べます。炭火焼きなのも相まってこの鳥がとても美味しく、これまた絶品の野菜と共にごはんとビールがどんどん進みます。
満腹になって店を出ると、裏手で仔犬が2匹ぴょんぴょん飛び跳ねながら遊んでいます。
2匹ともむくむくもふもふで物凄く可愛い仔犬でした。ちょっかいを出しに行くと、少しの間は手にじゃれついていましたが、すぐに犬同士で遊び始めてしまい、あまり相手をしてくれませんでした。
またタクシーに乗って追分に戻ります。追分は駅員がいる駅ですが、日曜日と祝日は窓口が休みになるそうで、祝日の今日は誰も改札にいませんでした。
駅で見掛けた鉄道資料館の案内看板。小規模な資料館なのだと思いますが、このレベルの物まで含めると相当な数の資料館が全国にあるはずです。
15時50分発の38D「とかち8号」が入って来ました。早くも空は夕暮れの雰囲気になっています。
16時36分、札幌着。「とかち8号」は前後で顔が違いました。
札幌ドームで他の人達と合流する為、市営地下鉄の東豊線に乗り換えます。
席に座る時に、荷物を網棚に乗せようとして驚きました。この車両には網棚がありません。枠はあるので網なり棒なりを渡せば作れそうでしたが、何故そうしなかったのか不思議です。
17時8分、終点の福住着。札幌ドームはここから少し歩いた所にあります。
北海道日本ハムファイターズのバナーが下がった地下道を出て少し行くと、白い恋人の大きな看板が眼に入ります。コンサドーレ札幌のユニフォームが半立体なのが何故か妙に生々しいです。
札幌ドームは妙な形をしていました。この角度からだとなんとなくカエルの横顔のようにも見えます。
今回は外野の左中間辺りが僕の持ち場です。待ち時間の間、人工芝に寝転がったりして久々のプロ野球のグラウンドを楽しみました。
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