■ 第2日 / 7月2日 ■

この日は磐越西線や米坂線といった未乗線を黙々と乗り潰すのみで、至って地味な旅程となりました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
喜多方
07:21発
223D
磐越西線
新津
09:26着
09:33発
433M
信越本線
新潟
09:53着
12:35発
2005M
いなほ5号
白新線
新発田
12:56着
12:57発
羽越本線
坂町
13:13着
13:33発
1128D
米坂線
米沢
15:44着
15:55発
447M
奥羽本線
山形
16:42着
16:44発
1439M
新庄
17:49着

実はこの日と翌日の旅程は、どんどん列車を乗り継いでストレートに秋田まで行けば1日で行けてしまうのですが、あまりに余裕がなくて面白くないので新庄で泊まる事にし、翌日は由利高原鉄道と男鹿線に寄り道をする事にしました。

7時頃にホテルを出て駅へ行き、ホームにある坂内食堂の看板を恨めしい思いで見ながら今日の最初の列車、7時21分発の223D新津行きに乗ります。車内は空いていました。

列車は左窓に阿賀川を見ながら進みます。7時40分発の荻野のホームには恐竜が描いてあって何だろうと調べてみたら、この荻野がある高郷村一帯は約800万年前までは海の底で、狭いエリアの中で古い順に約1,500万年前の利田(かがた)から荻野、漆窪、塩坪、約400万年前の藤峠までの各時代の地層、更に約5,000年前の段丘堆積物までもが見られる珍しい場所なのだそうです。多数の化石が発掘されていますが、出土したのはクジラ、アシカ、魚類、貝類といった海の生物が主でホームに描かれた恐竜は見付かっていません。

'73年に福島県立若松女子高校地学部の生徒がクジラの背骨の化石を見付けた事が一帯での化石発掘の発端となり、中でも約800万年前の塩坪層でここでしか見付かっていない体長3.7mの「アイヅタカサトカイギュウ(ジュゴンやマナティの仲間で、新種発見から僅か27年後の1768年に人間の手で滅ぼされたステラーカイギュウの祖先)」の化石が'80年に発掘されたのが最大の発見でした。

福島県教育委員会のサイトにある詳細な資料によると、'71年に大学の考古学研究室や地学研究会との合同で行われた塩坪遺跡の調査の際に発掘された旧石器時代の遺物を全て大学に持ち去られ、協力した村には手書きの中間報告書1通が届いたのみで、何が出土したのかすら他で発表された資料によって知るという事が起きたそうです。その苦い過去を踏まえてアイヅタカサトカイギュウの発掘は地元の人の手によって行われ、その甲斐あってこの化石は現在、荻野駅から徒歩5分の所にある高郷村郷土資料館で他の発掘物と共に展示されているそうです。

教育委員会の資料というと非常に退屈な物を連想しがちですが、この資料は会津化石研究グループが発行した「高郷の地質と化石」という本をHTML化した物で、学術的な話を軸としながらも関係した人々の働きや気持ち、郷土資料館の今後に向けての課題や危惧までもが解り易い言葉で記録されていて(中には中学校野球部員の怪力で巨石を運んだというような箇所もありました)、とても興味深く読めました。

荻野の先で右窓に場所を移した阿賀川は徳沢の先で再び左窓に戻り、東北電力の豊実水力発電所の近辺で阿賀野川に名前を変え、その後も磐越西線に寄り添いつつも位置を左右に目まぐるしく変え続けます。付かず離れずの位置関係は馬下(まおろし)の手前まで続き、その後は少し離れたまま新津へ至ります。

新津着は9時36分。ここまで乗って来た223Dの2両のキハ40系は各々違う色でした。

ふと別のホームを見ると、和太鼓が並べられていて何かの準備をしています。

次の列車は9時33分発の新潟行き433M。115系がやけに長い編成で来ました。

僕は右側の席に座っていたのですが、途中でC57が牽く編成がシュッという音と共に擦れ違って行きました。「SLばんえつ物語号」が走る日だというのは朧げに知っていましたが、新潟発が9時26分でこの列車と擦れ違う事には考えが至っていなく、ただ客車を見送るのみでした。新津の和太鼓もその歓迎用だったのでしょう。

9時53分、新潟着。降りたホームの逆側を見ると、普段見られない列車がずらっと並んでいます。

跨線橋を歩いているとまた見慣れない列車がいます。10時17分に新潟を発って象潟まで行く全車指定席の快速「きらきらうえつ」のようで、外見からは全く判りませんが、485系の改造車なのだそうです。4両編成の内の1両はミニビュッフェとラウンジスペースがあるラウンジカーになっている等、色々と趣向を凝らした改造を受けているようです。

新潟では約2時間半の時間があるので、まずはコインロッカーに荷物を入れて街を歩きます。今日はまだ朝食を摂っていません。

30分程駅近くをふらふらと歩きましたが、結局良さそうな店が見付からず、駅ビルの地下の食堂街のうどん屋に入りました。ところがこの店が当たりで、コシのある麺がとても美味しかったです。

腹もくちくなったので、今度は駅の逆側に出てみます。

もう何年前の事だったか思い出せませんが、正月に行きは新潟経由、帰りは盛岡経由で能代の父親の実家へ行った事があり、その時にうろうろしたのはこちら側でした。当時はまだ「白鳥」が大阪から青森まで走っていて、降り続ける雪の向こうから国鉄色のボンネット型485系がやって来たのが非常に印象的でした。

同じ場所で振り向くと商業ビルが3つ見えます。ファミリーレストランやゲームセンターが入っていますが、あまり人は入っていないようです。

使える時間が中途半端だった事もあり、結局また駅ビルへ。この先は新庄に着くまで時間のない乗り継ぎばかりなので回転寿司屋へ。鯛のような白身の握りの写真が残っていたので多分地物の馴染みがない魚を食べたのだと思いますが、随分時間が経ってから書いているのでそれが何だったのか既に思い出せなくなっています。

ホームに降りて次の列車を待ちます。駅弁の立ち売りは少数ながら今でも見掛けますが、駅弁売りのおじさんの背後にある蛇口付きのワゴンは懐かしい感じを受けます。

新潟から坂町までは12時35分発の2005M「いなほ5号」で移動します。回送の表示のまま入って来るのは珍しいのではないかと思います。始発なので自由席に座りましたが、乗車率は結構高めでした。

新潟を出てすぐに車掌さんが検札に来て、僕の切符を見た瞬間に「!?」という顔になり、一瞬の後に経由の紙を指先でなぞって確認をしていました。

13時13分、坂町着。ホームに降りて驚きました。これから乗る米坂線にはキハ52という古い型のディーゼルカーが走っているのでそれも楽しみにしていたのですが、乗客を待っていたのは国鉄急行色のキハ58系でした。最近塗り替えられたばかりのようで、まるで新車のように綺麗です。

キハ58系に見とれていると、「いなほ5号」が発車して行きました。トレインマークの右下に黒い四角がありますが、元々ここにはL特急マークがあり、JR東日本がL特急という呼称を廃止した際に加工されたようです。

米坂線の1128Dは2両編成で、前寄りのこちら側がエンジンを2基積んだキハ58、後がエンジン1基のキハ28でした。見た目はほぼ同じで、台車の前に付いているスノープラウ(雪かき)の形が違っていましたが、これは形式による違いではなく個体差レベルの違いです。

定刻通り坂町を発車。構内を出てすぐに羽越本線と別れてぐいっと右に90度曲がり、米坂線へと入って行きます。

13時48分発の越後下関にて。駅舎の窓に映り込んだクリーム色と朱色の車体が国鉄時代に戻って急行列車に乗っているような気分にさせてくれます。

車体の塗装だけでなく、内装もとても綺麗です。座席自体は113系等の国鉄型クロスシートと同じなのですが、急行型という事で窓側にも肘掛けが付いていて、これで随分と座り心地が違います。

14時15分、小国着。発車は21分で、別に列車の行き合いがある訳でもないのに小休止が入ったのでホームに降りてみます。

ホームには黄色いタイルがなくて白線だけなのもあって、また昔に戻った気分になります。

14時34分発の伊佐領にて。停車中に少し窓を開けてみます。

以前、'03年8月に宮脇俊三氏の足跡辿りで来た今泉には15時13分着。その時に乗った元国鉄長井線の山形鉄道の列車が隣のホームにいました。山形鉄道は最近、映画「スウィングガールズ」に登場したのでそれにあやかったラッピングを施されています。「スウィングガールズ」は抜粋されたビデオを仕事で何十回となく見せられていて、なかなか面白そうなのでその内観てみたいと思っている映画です。

ドアの上に「Netトレイン」と書いてありますが、山形鉄道では'03年6月から車内ではIEEE802.11b接続、車両からIP網へはAirH"を使った128KbpsのPHS接続という無料公衆無線LANサービス、フリースポットを提供していて、導入の発端は長井駅前にある和泉屋というホテルの代表のひらめきだったそうです。更に元を辿ると長井には町おこし活動をしている長井村塾という団体があり、町中の商店街一帯をフリースポットエリアにするという事業を進めていて、その一環として和泉屋にフリースポットを導入したのがそもそもの始まりなのだそうです。

山形鉄道に導入するに該っては会社が赤字経営であるという事もあってお金は掛けられず、パソコン周辺機器メーカーのBuffaloにルータを提供してもらったのを始めとしてあちこちに協力を仰ぎ、見返りに「Netトレイン」の文字の下に広告を出すという形でビジネスとして成立させていて、ルータ他の機器を収める箱は地元の工業高校の生徒の手作りだそうです。

今泉を発車すると山形鉄道は左に別れて行きます。上に架かっているのは国道113号線で、前回来た時にはここから線路を眺めました。

米沢着は15時44分。側線には本来乗るつもりだったキハ52がいます。今日は幸運にもキハ58系だったのでお預けになりましたが、その内乗りたいと思います。

山形までは左の15時55分発447Mで行きます。右に見える115M「つばさ115号」に乗っても山形止まりで新庄まで行かず、しかも20分しか早く着かなくて同じ列車に接続する事になるので普通列車にします。

席に座って発車を待っていると、ホームに置かれた「スウィングガールズ」ロケ地の案内看板が目に入りました。看板だけでなく、ロケ地ツアーなども組まれているようです。

さすがに新幹線を名乗る車両を通しているだけあって、普通列車でも結構なスピードで走ります。

山形には16時42に着き、2分間の接続で1439M新庄行きに乗り継ぎます。1439Mはオールロングシートのつまらない車両で、学生もたくさん乗っていたので写真も撮らずに大人しく座っていましたが、この列車もスピードはなかなかで車窓を眺めるのは楽しかったです。

17時49分、新庄着。新庄は奥羽本線、陸羽西線、陸羽東線が十字型に交わる鉄道の要衝で、交流電化標準軌の奥羽本線山形側、交流電化狭軌の奥羽本線横手側、非電化狭軌の陸羽東西線をH型のホームで繋ぐという複雑な事になっています。

'99年12月の山形新幹線新庄延伸に合わせて建て直されたらしい駅舎は真新しく、観光案内所やコンビニも併設されています。改札前のスペースには手の込んだ装飾をされた山車が飾られていました。

駅前も整備されていて、オブジェが銀色の光を放っています。

この日の宿は線路沿いを山形方面に向けて5分程歩いた所にあるニューグランドホテルという所。部屋の窓から駅が見えます。

早速散歩がてら呑み屋を探します。この日の新庄ではお祭りがあるらしく、高校生らしき浴衣姿の女の子達の集団をいくつも見掛けましたが、会場がどこなのかは見当が付きませんでした。

キャバレーの呼び込みに声を掛けられたりもしつつ歩いていると、「あけぼの町飲食店街」と書かれたどの方向に向けて建てられたのかよく判らないアーチがある一角に出て、その中の1軒に入る事にしました。

三陸産生ガキ入荷という札に釣られて入った台所屋というこの店は料理が美味く、30代前半の人の良さそうなマスターが常連客の相手をしつつもうるさ過ぎずほっとき過ぎずの適度な頻度で話し掛けて来るという感じで当たりでした。

カウンターに乗った瓶の中のらっきょうが美味しそうだったので頼んだら、これは今日漬けたばかりなんですよと一度は断られましたが、しばらくしてから試しに食べてみますかと皿に盛ってくれました。浅漬けのらっきょうというのは初めてでしたが、適度な辛味とシャキシャキとした歯触り、鼻に抜ける新鮮ならっきょうの香りが美味しかったです。

結局生ビールの後に大山の純米を3合位呑み、いい塩梅で酔ってまた来ますと言い残してホテルへと戻りました。

第3日 / 7月3日へ

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