またまた今年も恒例の春のツアーが始まります。今回の日程は以下の通りです。

 3月2日-3日:名古屋で事前準備、夜福岡へ移動
 3月4日-5日:福岡で事前準備、夜東京へ移動
 3月7日-8日:東京で本番、終了後名古屋へ移動、リハーサル
 3月9日:名古屋で本番、終了後福岡へ移動、リハーサル
 3月10日:福岡で本番
 3月11日-13日:大阪へ移動、事前準備
 3月14日-15日:大阪で本番
 3月16日:東京へ移動

ここで半月ほど間が空いて、続いて4月のツアー。

 4月4日-5日:名古屋で事前準備
 4月6日-8日:福岡へ移動、事前準備、夜東京へ移動
 4月10日-11日:東京で本番、終了後名古屋へ移動
 4月12日:名古屋で事前準備
 4月13日-14日:名古屋で本番、終了後福岡へ移動、リハーサル
 4月15日:福岡で本番、終了後大阪へ移動
 4月16日-17日:大阪で事前準備、夕方京都へ移動、仕込みとリハーサル
 4月18日:京都で本番、終了後大阪へ移動
 4月19日-20日:大阪で本番
 4月21日:東京へ移動

普通ならここで終りなのですが、この仕事とは全く関係なく、自分の趣味だけでブライアン・アダムスの国内公演を全部観て来ました。日程は

 4月23日:武道館で東京公演
 4月25日:Zepp Osakaで大阪公演
 4月26日:大阪厚生年金会館で大阪公演
 4月27日:武道館で東京公演

となります。こちらもこのページで一緒に紹介します。

3月2日、まずは名古屋へ移動。東海道新幹線ホームへ向かう途中、寝台列車の発着ホームである9/10番線の看板を見たら、つい2日前に廃止された「さくら」と「あさかぜ」の所だけシールで覆われていました。

移動は365A「ひかり365号」。いつもと同じく、混んでいる「のぞみ」を避けて比較的空いている「ひかり」を選びました。「のぞみ」専用車両としてデビューした300系ではありますが、最近では滅多に「のぞみ」に使われる事は少なくなって専ら「ひかり」と「こだま」に使われています。700系と比べると乗り心地は落ちますが、窓が広いのが良いです。既に試作車が出来上がっているN700系が配備されると引退するとの噂も聞くので、早ければあと数年で東海道新幹線では見られなくなるかも知れません。

名古屋から地下鉄東山線に乗り換え、栄まで行きます。いつもテレビ塔近くの出口から地上に出るのですが、少し歩いたら妙な建物が出来ていました。なんだろうと思って前を通り掛かると、どうもパチンコ屋のようでした。日本人の観覧車好きも病理レベルまで達した感があります。

毎回毎回紹介しているので写真は載せませんが、この日の夜はいつも通り風来坊住吉店で手羽先でした。RainbowやらDeep PurpleやらYngwie Malmsteen's Rising Forceやらの色々なバンドに出たり入ったりしていたジョー・リン・ターナーの大好物が手羽先だそうで、これはもうこの惑星の食べ物じゃないとか言いながら物凄い勢いで食べまくるそうです。でも彼が好きなのは山ちゃんで、風来坊派の僕とは少し違います。

3月3日、この日の昼食は知られざる名古屋名物のあんかけスパゲティを食べました。東京から名古屋に転勤した人からそういう物があると聞いたので別の人にせがんで連れて行ってもらいましたが、その人は産まれも育ちも名古屋で、あんかけスパゲティは全国にあるどころかイタリアから入って来た物だと思っていたと言っていました。きっと、地元では当たり前過ぎて全国区の物だと思ってしまって埋もれたままになっている隠れた名物は全国各地にあるのでしょう。

味ですが、極太のスパゲティにかなり強めにコショウが効いたあんかけトマトソースが掛かっていて、なんとも不思議な味でした。これは海老ネーズという名のメニューで、ベーコン、ハム、ウインナー、マッシュルームが乗ったミラネーズ+海老フライでそういう名前になっています。上に乗る具によってピカタ、サンジェルマン、ボンゴリ、メキシカン等々名前が変わりますが、スパゲティにあんかけソースを掛けて具を乗せるという構造自体は変わらないようでした。分量は1と1.5がメニューにありましたが、1.2というのも頼めば出て来て、これはその1.2です。他の人が1.5を食べているのを見ましたが、とんでもない分量でした。

福岡への移動のため、21時頃に名古屋駅へと行きます。時間があるので駅ビルの山本屋で夕食。今度は有名な名古屋名物です。そういえばここも風来坊も、名古屋に全く行った事がなかった頃に仕事で一緒になったNHK名古屋のアナウンサーさんに教えてもらった店でした。今どうしているのかなと調べてみたら、どうも今はNHK名古屋にはいないようで、多分結婚でもして引退したのでしょう。

まだ時間があり、まだ呑み足りないので同じく駅ビル内のライオンへとハシゴします。右上の鶏皮揚げが美味しかったです。

飛行機や新幹線で移動してホテルに泊まるという手もありましたが、「さくら」と「あさかぜ」の廃止が現実となった今、乗れる時には乗っておこうという事で福岡への移動は1レ「はやぶさ・富士」にしました。この2列車が一緒に走るようになってまだ3日目という事で、かなり妙な感じを受けます。

個室B寝台が売り切れなのは普通ですが、意外な事に喫煙の開放B寝台も満席でした。仕方なく禁煙の切符を買い、検札に来た車掌さんにもしかしてこの間の廃止騒ぎの余波が残っているのですか、と訊くと、いや、ただ単に団体さんが乗っているだけですと苦笑しながら言っていました。禁煙車はガラガラで、大阪辺りで僕の向かいに誰かが乗って来た時にも、車掌さんが別の空いた所へ誘導している声がカーテン越しに聞こえました。

その2列車の連結部。最長走行区間を競い合っていたこの2列車がこんな姿で走る日が来るとは夢にも思いませんでした。

この改正まで「はやぶさ」が24系、「さくら」が14系を使い、その混結編成を丸ごと「富士」も使うという形で運用されていましたが、今回24系が編成から離脱、個室A寝台車1両+個室B寝台車1両+開放B寝台車4両の14系6両編成が2つ繋がるという形に替わりました。個人的には専用の電源車を持つ24系が一級の車両で、客車の床下にディーゼル発電機を持つ14系は格落ちという風に感じてしまいます。

また、ロビーカーが編成から外れたのも非常に残念で、いよいよJRが本腰を入れてブルートレインを安楽死させようとしているのが解ります。冷静に考えれば、今この時代になってなお走り続けている事の方が驚異的ではあるのですが、寂しい事には変わりありません。

3月4日朝、何故かは解りませんが、ブルートレインに乗ると早起きになります。この日も岩国辺りで目が覚め、車窓に広がる朝の瀬戸内海を眺めていました。6時52分着の徳山で車内販売が乗り込んだので朝食。以前「はやぶさ」に乗った時に食べたあなごめしがとても美味しかったので今回もそれを期待していましたが、残念ながら幕の内しかありませんでした。

7時33分着の新山口、少し前までの小郡の手前では車両区の横を通ります。

左上:荷物車のような窓配置の事業用車。DD51の向こうには青地に黄色2本線の試験車らしい車両もいます。
右上:左は蒸気機関車用のターンテーブル。右端のディーゼルカーはどうも観光用に改造されているようでした。
左下:突然出て来たEF65+12系客車の編成。いかにも国鉄客車列車、という取り合わせです。
右下:その後端。テールランプがあるのに、何故かその近くに赤い反射板が付いています。

この駅の山口線ホームには木製の駅名標があり、駅名が変わってどうなったかなと思っていたら、変わらず右書きで「りほごお」となっていました。

8時33分、下関着。EF66はここでお役御免です。右に写っているカップルをはじめ、僕以外にも6-7人の人達が機関車付け替えを見学しにわらわらと降りて来ます。

関門間を牽くのはEF81の411番機。よく顔を合わせる機関車で、'03年3月に乗った下り「さくら・はやぶさ」、同年12月の上り「富士」でも牽いていました。

写真を見ていて気付きましたが、このホームには視覚障害者用の黄色いプレートが埋め込まれていません。バリアフリーの観点からすると良い事ではありませんが、懐かしい感じではあります。

下関にも車両区があり、「あさかぜ」廃止で運用から外れた電源車兼用のパンタグラフ付きラウンジカー、スハ25が2両入った編成がいました。なんでこんな事になっているのかな、と思ったら、この少し後に昼行の臨時列車に使われたそうです。国鉄時代には車両が足りなくてたまにあったらしいのですが、昼行列車に寝台車が使われるというのはかなり珍しいのではないかと思います。また、同時に廃止された「いそかぜ」用の国鉄色キハ181系3両編成も停められていました。

門司に着き、「はやぶさ」編成と「富士」編成の解結作業が始まります。作業員の人達が連結部に取り付き、あっと言う間に各種ホースが外されて貫通幌が畳まれます。ちょうどホームが狭くなっている所で作業をしているので、車掌さんや駅員さん、下関と同じ面子の見学者でちょっとした人だかりになっています。

機関車の方を見に行くと、下関の写真とは別のカップルが見守っていました。やって来たのはED76の94番機で、上りの最終「さくら」を牽いた機関車です。つい最近オーバーホールを受けたばかりだそうで、まるで新車のように綺麗になっていました。ヘッドマークは新品で、久々に「はやぶさ」のみの物が作られました。

門司発は8時58分。離れて行く「富士」を連写モードで撮りました。「富士」の発車は9時10分になります。

またもフォーカスが全く合っていませんでしたが、解像度を撮影時の1600Pixel*1200Pixelから400Pixel*300Pixelへ、面積にして1/16まで縮小し、シャープフィルタを掛けたら意外と見られるようになりました。こういう小ずるい手を使えるのもデジタルカメラの良さです。

撮っていたらカップルがやって来たので場所を譲り、自分の席に戻ります。向かいの席には誰もいなかったので足を乗せてゆったりと博多まで過ごしました。

10時10分、関門海峡辺りとはうって変わって快晴の博多着。下関、門司と車外に出て見学をしていた人達も何人か降りて、ED76の所にやって来ます。

熊本へと向かう「はやぶさ」を見送ります。前回ここでこの列車を見送った時には後端部に「さくら」のマークが掲げられていたので不思議な気分です。

3月4日は取り立てて書くほどの事もなく、翌5日の福岡空港。東京に帰る便を待つ間に長崎発祥ですが、一応御当地物という事でトルコライスを食べました。ドライカレー、トンカツ、スパゲティ、デミグラスソースが一緒になっているのですが、要するに大人が頼んでも恥ずかしくないお子様ランチと言って良いのではないでしょうか。それにしても、イスラム圏であるトルコが名前に入っているのに豚肉というのは不思議です。

JL1736便で羽田へ。いつも通り¥1,000自己負担してクラスJです。機材更新が間に合っていない一部の機体で旧スーパーシートの物があり、そちらの方が格段に座り心地は良いのですが、なかなか巡り合わせがありません。飛行機に乗らざるを得ない時はクラスJがあるのでJALばかり使っていますが、シンガポール航空がスター・アライアンスに参加しているのでこの間のシンガポール行きでANAのマイレージが一気に伸びてしまい、今後どちらをメインにするか迷う所です。

羽田の案内表示はいつの間にか液晶らしき物になっていて、あまりの綺麗さに驚きました。

3月6日は自宅作業。翌3月7日、仕込みとリハーサルのため舞浜のホテルへ。平日なので舞浜駅からのバスがなく、例の浮かれたモノレールで移動します。やはりこの線は仕事で乗る物ではありません。

翌3月8日、名古屋は今日が仕込みとリハーサルなので、2部構成になっている本番の1部終わりで即退出し、急いで東京駅へ。京葉線の車内ではマリーンズの諸積兼司外野手がすぐ隣に立っていました。うちのすぐ近くに住んでいるのは知っていましたが、顔を合わせるのは初めてです。

何故かよく立ち寄ってしまう東京駅構内のおにぎり屋で昼食。名古屋への移動は300系の415A「ひかり415号」に乗りました。空いてはいましたが、何故か僕の横にはおばさん2人組が座って来てあまり楽ではなかったです。

明けて3月9日、名古屋の会場になったホテルから見た鯱のない名古屋城。この部屋は以前プロ野球関係の仕事で来た時に、現ニューヨーク・メッツの松井稼頭央内野手と眼が合ってしばらく見詰め合ってしまった場所でもあります。

この日も福岡の仕込みとリハーサルが平行して動いているので、1部終りで会場を出ます。タクシーで金山まで行き、中部国際空港行きの名鉄特急に飛び乗ります。後側の普通車はとても混んでいましたが、前側2両の特別車はガラガラだったので次の駅でそちらへ移動し、指定券を持っていないけど切符買えますかと車掌さんに訊きます。

お好きな席に座って待っていて下さいとの車掌さんの言葉に従って席に着きます。セミクロスシートの普通車と違い、特別車はリクライニングシートになっていて、ドアの上には色々な情報が流れる液晶画面がありました。その中でも面白かったのがこの前面展望カメラの映像。スピードメーターまで表示されます。これでたったの¥350なら安いものです。

「はやぶさ」を除くとここまでこのツアーでは「移動させられている」と感じるだけであまり旅情のような物を感じませんでしたが、やはりこうやって列車に揺られているとそういう気分にもなって来ます。

しばらくの後に長い橋が見え、左窓に中部国際空港、通称セントレアが見えて来ます。金山からの所要時間は35分程度、速い列車だと25分程度で着くそうです。バスも走ってはいますが、倍程度の時間が掛かるそうです。

中部国際空港に着くと、もう一方のホームに似たような編成がいました。井の頭線のように同じ形式の色違いなのかとも思いましたが、よくよく見ると正面の貫通扉をはじめとして細かい違いがあります。僕は車両にはあまり詳しい方ではなく、興味があるのは基本的に国鉄の物だけなので何が違うかはよく判りません。

金山まで乗ったタクシーの運転手さんに聞いた通り、セントレアは飛行機に乗らない人でごった返していました。レストラン街もあったものの、あまりの混雑に辟易としてさっさと手荷物検査を受けて中に入りました。中はガラガラで、運転手さん曰くセントレア開港以来の旅客数は前年比で減っているとの事でした。一方、観光地としては近隣の各県、果ては北陸地方からもバスツアーで人が押し寄せているそうで、少なくとも万博が終るまではどうしようもないでしょうな、と言っていました。

中に入ると空いているのはいいのですが、食事を出す所も一気に貧弱になります。一応御当地物をという事で、きしめんを食べましたが、なんとなく情けない気分になってしまいました。

去年のツアーで名古屋から福岡へ移動した時は小牧空港からで、空港は変わりましたが飛行機は相変わらずこの小さいのです。多分B737だと思いますが、とにかく座席が窮屈で窮屈で仕方がなく、もう少し何とかならないものかと乗る度に毎回思います。

リハーサルに間に合うかギリギリの時間だったので、福岡空港から会場のシーホークまではタクシーで移動します。その甲斐あって寸前で間に合い、リハーサル終りでシーホークに投宿します。こういう高級なホテルが会場の場合、別の安い所に宿が取られるのが普通ですが、そのまま泊まらせてもらえるのはありがたいです(シーホークがえらく辺鄙な場所にあるのも理由かも知れません)。

部屋へ案内してくれた20代中盤の男のポーターさんがシーホークは初めてですかと訊くので、去年泊まったと言うと、ではJALになってからは初めてですねと言われて初めて資本が代わった事に気付きました。彼は部屋までの間、僕はこないだまで海賊の格好をしていたのですがこの制服はまだ着慣れませんね等々、自分の喋り方で話していましたが、部屋に入って規定の説明に入った途端にマニュアル通りの喋りになったのには笑ってしまいそうになりました。

その後師匠に連れられて西新の商店街に食事を摂りに出ましたが、なかなか開いている店がなく、結局とんこつラーメンに落ち着きました。

3月10日、この日は移動しないので、2部は傍観者として観ていました。この日はホークス対スワローズのオープン戦があり、スワローズの八重樫幸雄打撃コーチとエレベーターで2人きりになったりしつつも一旦部屋に引き揚げると、ちょうど福岡タワーと太陽が被さっていました。

夜はKenzoという屋台に行き、師匠他5名で呑みます。一番目立っていたのがこの焼きラーメン。しっかり博多ラーメンの麺でした。一番美味しかったのはマル腸というホルモンの鉄板焼きでした。

3月11日、ほぼ大阪へ移動のみの日なので、チェックアウト時間の11時まで部屋でゆっくりしてから出発します。シーホークから博多駅への路線バスは都市高速を通りますが、何度乗っても違和感が消えません。

今年は山陽新幹線が博多まで開通して30周年なので、JR西日本は0系の鼻に記念マークを入れて走らせたり色々やっているようです。その一環として博多駅構内にはパネル展示があり、早くもN700系のパネルもありました。

構内のそば屋でおろしそばを食べ、いつの間にか自動改札になった改札を通ってホームへと向かいます。乗ったのは12時59分発の462A「ひかりレールスター462号」。もう1本早い列車に間に合う時間に駅にいましたが、指定が取れなかったのでこの列車になりました。

14時35分発の福山にて。駅から城が見える駅と言えば姫路ですが、福山は更に近く、目の前にありました(と言っても、昔の建物がそのまま残っている姫路城と違い、こちらは'66年に復元された物です)。大阪の仕事先に姫路の実家から通っている子がいて、城は駅から見える物だとずっと思っていて、初めて名古屋に行った時にホームから名古屋城を探してがっかりしたと言っていました。あんかけスパゲティの件といい、世の中には色々な地域に起因する思い込みがあるものだと思います。

大阪の仕事先は四ツ橋なので、新大阪からは御堂筋線で心斎橋へ。御堂筋線はトンネルが大きく掘り抜かれた駅が多く、子供の頃に学研の図鑑で見たモスクワの地下鉄を連想させてくれて好きな路線です。

宿はオリックスがやっているブルーウェーブイン四ツ橋。この日から3泊します。よく泊まるホテルですが、珍しく高い階に通されました。最近では窓が開かないホテルも増えていますが、ここは大きな窓を全開に出来る上に外には緊急避難用のキャットウォークがあり、表に出られるようになっています。とは言え、ほんのちょっとの間違いで転落死してしまうので恐る恐るキャットウォークに出て写真を撮りました。横には阪神高速が走り、左奥には道頓堀に最近出来た観覧車付きドン・キホーテも見えます。やはりここでも観覧車。そんなに良い物でしょうか。

ふと思いましたが、このホテルの名前の由来になったオリックス・ブルーウェーブは大阪近鉄バファローズとの併合の結果、オリックス・バファローズにその名を変えています。ならばここも名前を変えないとならないのじゃないかな、とも思いますが、買収後たった2年でブレーブスの名前を変えたオリックスなので、もしかしたらまたすぐに名前を変えるのかも知れないとも思います。

3月12日、仕事先の周囲は暫く来ない内にかなり変わっていました。大きなマンションがいくつも建ち、小さな知らない店もあちこちに出来ています。表に掲げられた「しょっつるらーめん」の貼り紙に誘われてその新しい店の中の一軒で昼食。油揚げが入っているのが嬉しかったですが、もう少しあの臭みがあった方がしょっつるらしくて良いかな、と思います。

夜は呑み友達その1ならびにその2と3人でいつも行く鰻谷の寿司屋じねんへ。安くて美味しくて明け方まで開いているという文句の付け所のない店で、普通の寿司以外にも絶妙な食感の子持ちこんにゃくや豚肉を使った美豚巻(びとんまき)等々、面白い物が色々あります。

写真はかぶらの握りを呑み友達のどちらかが頼んだら出て来た顔付き握り。この他にも色々と即興で凝った盛り付けをやってくれて楽しいのですが、おっさんが頼んでも同じように可愛く作ってあげるのですか、と訊いたら板さんはただ苦笑するのみでした。

翌3月13日は仕事先に行って作業ですが、それよりも重要な洗濯の日でもあります。この日に洗濯出来るかどうかで荷物の大きさが全然変わってしまうので死活問題でした。

夜は呑み友達その1に連れられて心斎橋へ。The Apple Store, Shinsaibashiの前を通り掛かりました。記憶が確かなら、ここは以前お米ギャラリーだったはずです。

連れられて行った先は御堂筋から小路に入った所にある石鍋亭。屋号と違って金属製の鍋ですがモツ鍋専門店で、と言うよりモツ鍋以外にはキムチとチャンジャしかないというかなり先鋭化した店でした。ほとんど装飾がない店内に入るとまず鍋を何人分、という風に頼み、更に追加したい具材(モツや野菜の他にもトック - 韓国の細長い餅 - 等があります)があればそれも入れてもらうという形になっています。おかわりも具材の追加という形で可能で、博多のモツ鍋のようにふんわりとしたモツが美味しく、結局2人で写真の量を2杯平らげてしまいました。

呑み友達その1は住吉大社の方に住んでいるので、散歩がてら難波の駅まで送ります。その途中に道頓堀に差し掛かると、去年までとは全然変わっていて驚きました。

3月14日、この日から現場に入り、宿も変わります。仕事が終って福島駅前まで夕食に。無論呑むつもりなのですが、まずは空腹を満たしにラーメン屋に入りました。

腹がくちくなったので、どこもいまいち決め手に欠けるな、と思いつつも居酒屋を探します。何件目かに覗き込んだ松崎屋と書かれた暖簾の店がおっさんだらけで良い感じだったので入りました。

カウンターに並べられた惣菜もいかにも家族経営の居酒屋という感じで、おっさん達の関西弁を聞きながら菜の花の胡麻和えやレバ刺しをつついてディープな大阪に浸っていると、おかみさんがやって来て奈良のハシモトさんですかと訊いてきます。無論僕は奈良のハシモトさんではなく、奈良自体子供の頃に祖母と一緒に20系(もしかしたら10系だったのかも)夜行のA寝台で行って以来足を踏み入れていないので、面喰らって違いますよと答えると、あらごめんなさい、とても似ていたからと言いながらマスターの所へ行き、ハシモトさんじゃないってと知らせています。という事は、この夫婦は僕の顔を見ながらひそひそ話していたのだな、と思うと不思議な気分でした。

大阪の会場は大阪国際会議場、通称グランキューブで、宿は隣接するリーガロイヤルホテルです。また高級ホテルに泊まらせてもらうのですが、今回は更に1泊多く取ってくれました。恐縮至極です。

3月15日、本番終了後に呑み友達その2と梅田で呑もうという事になり、ホテルを出ます。待ち合わせの時間まで少しあったので、阪急梅田駅を見物しに行きます。

僕は都市圏の私鉄には本当に興味がなく、東京の会社ですら用がない路線はどこを走っているかよく知らないという体たらくではありますが、阪急梅田駅が凄いという話は聞いていました。歴史を感じさせる建物の中を通り、長いエスカレータを昇った先にそのホームはありました。想像以上の大きさで、数えてみると頭端式のホームが9番線まであります。しかも両面ホームで、到着した電車の両側のドアが開いて効率良く捌いています。あまりに広いので改札も間口の半分しか写真に収まりませんでした。電車はどれも独特な小豆色一色で、全く見分けが付きませんが、その内ゆっくりと見て回りたいと思わせられる立派な駅です。

この日はまず立ち呑み屋で串揚げとビールを1杯、河岸を変えて鶏料理屋で彼女の終電近くまで呑んでいました。僕はまだ電車がありましたが、なんだかもう面倒臭くなってしまってタクシーでホテルに戻りました。考えてみると、丸4日間ほぼ寝られなかった去年と比べて今年は随分と優雅です。

翌16日は京都へ遊びに行きましたが、それに関しては別建てで書きたいと思います。また、3月分だけでかなりの枚数になってしまったので、今年は前後編に分ける事にします。

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