3月16日に終ったツアー前半戦から半月ちょっとの空きがあり、後半戦は4月4日から始まりました。

4月4日、名古屋への移動は407A「ひかり407号」で。本当は1時間早い405A「ひかり405号」の指定を取ってもらっていたのですが、東京駅へ向かうぎゅうぎゅう詰めの地下鉄の中でPowerBook G4のACアダプタとマウスを忘れた事に気付き、途中で引き返したのでこの列車の自由席になりました。まあ、名古屋にはちゃんと到着時間を伝えていないからいいかと思いつつも(切符の手配は福岡でしてもらっています)、何やってるんだろうなと反省します。

名古屋駅は正に万博一色という感じで、コンコースにはインフォメーションコーナーも出来ていました。

夜は無論手羽先。仕事先の元ギタリストの人と'80年代ハードロックや楽器のかなりマニアックな話で結構遅くまで盛り上がりました。

4月5日、今回の会場になる愛知厚生年金会館での打ち合せの帰りにルイ・ヴィトンとテレビ塔を。万博に合わせて栄もどんどん変わっているそうで、色々なブランドショップや大きなバスターミナルが立ち並んでいます。

この日の夕食はちょっと大人しく大阪名物と銘打たれた餃子。普通の店なのかと思ったらチェーン店らしく、若いアルバイト2人がパチスロの話をしながら店を回していました。

4月6日。改札を出なければ「のぞみ」と「ひかり」「こだま」を格安で乗り継げるという制度を利用して取ってもらった切符は名古屋8時11分発の9171A「のぞみ171号」で新大阪まで行き、453A「ひかりレールスター453号」で博多までという形でした。が、何をどう勘違いしたのか8時11分の列車に乗るのに8時10分に目覚ましをセットしていて万時休す。「レールスター」でゆったり行こうという計画が御破算となり、仕方がないので栄のホテルからタクシーで名古屋駅まで出て、次の「のぞみ」が来るまでの間を利用してきしめんで腹ごしらえします。

結局、乗ったのは8時57分発の2005A「のぞみ5号」博多行き。自由席は混んでいて、京都までの30分強をデッキで立っていなければなりませんでした。京都からは席が空き、新神戸でPowerBookを開いて長文メールの返事を通過駅や停車駅を織り込みつつ書きました。終った頃には既に広島まで列車は進んでいました。

福岡の仕事先で見掛けた自動販売機。ホークスの秋山幸二2軍監督がキャラクターとして使われていました。地元球団の元スター選手で、出身も熊本なので人気があるのでしょう。'03年にプロ野球関係の仕事で福岡ドームへ行った際に一角をスタッフ控室として使っていた関係者用食堂で見掛けた時、秋山氏と同じテーブルには「神様、仏様、稲尾様」の稲尾和久氏もいて、スタッフの1人が「すぐそこで稲尾が普通に丼物喰ってるよ。凄い現場だ」と言っているのを聞いて、そうだよ、ライオンズファンだった頃に秋山は一番好きな選手だったじゃないか(彼を放出した事がファンでなくなるきっかけでした)、その選手が近くにいるのにいつからそんな無感動な人間になったんだ、と自問した覚えがあります。

夜は地元の映像会社の人の馴染みのモツ鍋屋へ。5月中旬で退社して会社を興すのだそうで、その辺りの事をしんみりと話しつつ、鍋をつつきました。

4月7日、桜は満開寸前。仕事で桜の写真が必要で、今までは「その他」の所に載せている写真を使っていたのですが、そろそろ代えようかと手頃な木を撮ります。しかし20枚以上撮ったのに満足が行く物はなく、結局今までの写真を使う事にしました。

仕事先で今後の分の切符をどっさり渡されました。これ本当に全部乗るのかなと他人事のように考えてしまいます。

翌4月8日、先月と同じくJL1736便で羽田へ。出発前に空港で食べたのは瓦そば。山口県の川棚温泉名物だそうで、熱せられた瓦にそばや牛肉が乗っています。これがスタンダードな瓦そばらしく、他にもウナギが乗っている物をはじめとして数種類ありました。面白い食べ物ではありますが、やはりそばを焼いてはいけないと思います。

4月9日は東京の仕事先でリハーサル、10日は現場となる東京国際フォーラムのホールAで仕込みとリハーサル、11日の本番終りで名古屋へ移動します。栄の駅を出たら観覧車付きのパチンコ屋がライトアップされていました。

少し歩くとThe Apple Store, Nagoya Sakaeがあります。ここもこの辺りに急増しているブランドショップの1つに数えて良いのでしょうか。国内のApple Storeはここが3軒目で、今まではGinzaとかShinsaibashiとか都市名なしで地名が付けられていましたが、ここだけ都市名が入っています。Sakaeだけではあちこちにある地名なので都市をはっきりとさせたかったのか、それとも名古屋地区にはもう作らないつもりなのか。実は理由なんかないのかも知れませんが、気になります。

この日は呑み友達その1が大阪から応援に来ていたので、「赤から鍋」という物を出す店に行きました。その名の通り真っ赤で辛い鍋ですが、10段階から辛さを選べるので辛い物に弱い僕でも美味しく食べられました。

栄のダイエーの食料品フロアは24時間営業なので、ホテルに戻る前に寄ります。すると味噌煮込みうどんのカップ麺やしるこサンド、コーチンまんじゅう等々の名古屋の名産品が1つの棚に満載されていました。また、チョコレートだけで大きな棚を全部占拠していたりリンゴ酢だけで9種類あったりと妙に品揃えが良いのも面白く、2人ではしゃぎながらしばらく見て回りました。

4月13日の仕込みとリハーサル(夜は手羽先)、14日の本番共につつがなく終り、そのまま福岡へ移動。今回は飛行機ではなく、名古屋発16時34分の23A「のぞみ23号」です。他に2人一緒でしたが、僕だけ違う号車だったのでホームで別れてまたきしめんです。

新大阪を出たすぐの所で左側に車両区が見えます。ここには前々から気になっていた旧型客車がいるのですが、まともに手入れがされていないらしく、近付くとかなりボロボロなのだそうです。使う気がないのなら旧型客車をきちんと手入れして頻繁に走らせているJR東日本に譲って欲しいと思います。

博多に着き、大急ぎで会場である福岡国際センターへ。既にリハーサルの主要な部分は終っていて、結局翌15日の本番も福岡の仕事先で映像編集をやっているアルバイトの子におんぶにだっこで終りました。

本番終りで大阪へ移動。乗ったのは480A「ひかりレールスター480号」で、ようやくレールスターに乗れました。福岡にも応援で行っていた呑み友達その1と一緒で、別の号車になったので新大阪に着いてから合流しようとホームで探しますが、どこにもその姿がなくておかしいなと思いながら窓から車内を覗き込んだら、清掃のおじさんに叩き起こされて大慌てで荷物をまとめている所でした。

4月16日は大阪で準備、そしてまた洗濯。17日は20時から京都の仕込みなので御堂筋線で梅田に出て、大阪から15時40分発788T米原行きで京都へ向かいます。ふと別のホームを見ると「雷鳥」から撤退してこの辺りでは見られなくなったはずのボンネット型485系が停まっていました。遠かったのでトレインマークが何なのか判りませんでしたが、最大望遠で撮って液晶モニタで拡大したら「臨時」でした。

京都の現場は駅舎内にあるホテルグランヴィア京都ですが、まずは今晩泊まる新都ホテルに行きます。線路を跨ぐ自由通路を歩いているとEF66に牽かれた貨物列車が足許を通り過ぎて行きました。普段見られない分、貨物列車を見掛けると嬉しくなってしまいます。

駅に行けば案内があるだろうと甘く見ていましたが、新都ホテルは新しい駅舎側ではなくて近鉄側にあって少し探してしまいました。ここも高級ホテルで、部屋はツイン。嬉しさと申し訳なさがないまぜになった気分ですが、せっかく泊まらせてもらうのだから、と早めに京都入りしました。20時までまだ3時間ほどあるので、散歩にでも出ようかとも思いましたが、結局部屋でごろごろして過ごしました。

出発前に撮った窓からの景色。上本町にある都ホテルのサンドイッチが忘れられないので系列であるここで食べようと思っていましたが、ルームサービスの時間が合わなくて断念しました。

ここまで国際フォーラムホールA、愛知厚生年金会館、福岡国際センターと来ましたが、京都の会場になったのはグランヴィアの中くらいの宴会場で、いきなり規模が小さくなります。しかも大阪の会場は大阪城ホールなのでまた物凄く大きくなります。師匠はこれをアリーナクラスのツアーで途中にライブハウスが入っているようなもの、と評していましたが、確かにその通りで調子が狂う事甚だしいです。

4月18日、規模は小さいものの時間に余裕がなくて結構厳しかった京都の現場を終らせて大阪へ移動。駅員さんがバナーを貼り付けていてなんだろうなと思ったら、特急「サンダーバード」10周年記念キャンペーンの物でした。「雷鳥」の車両置き換えで誕生した「サンダーバード」ですが、実は雷鳥を英語にしてもサンダーバードにはならず、GrouseまたはPtarmigan(日本産はRock Ptarmigan)となります。解り易さを優先したのでしょうが、恥ずかしい訳だとも思います。

4月19日、大阪城ホールでの仕込みとリハーサル。相変わらずだだっ広い小屋です。

19日から2泊するのは大坂城ホールからお堀を渡ったすぐの所にあるホテルニューオータニ大阪。こんな至れり尽くせりの所ばかりに泊まっていると後に悪影響がありそうで恐ろしいです。この晩は師匠と2人で近くの居酒屋へと流れました。

4月20日の本番も無事終り、今年のツアーも大過なく終了。その日に帰る事も可能でしたが、1泊余分に取ってもらえたので師匠、呑み友達その1&2と一緒に鰻谷のじねんで打ち上がりました。

明けて21日、1時間位掛けて朝食ビュッフェを食べ、チェックアウト時間まで部屋でゆっくりしてから出発します。京橋駅まで歩き、ホームにやって来たのは大和路快速と書かれた列車。でも行先は奈良の先の加茂となっています。僕はここで全く訳が解らなくなってしまいました。

話を整理すると、大阪環状線があって、僕が今いる京橋がその右上に位置し、今から行こうとしている大阪は左上、でも奈良や加茂は大阪環状線をずっと右に外れた先にあり、最短で行こうとすると片町線になるでしょう。しかし僕が立っているホームは大阪環状線の大阪方面行き。頭の中にぎっしり生えた疑問符を抱えたままですが、とりあえず乗りました。果たして列車は無事大阪に着き、偶然乗った先頭車同士の連結部からの展望も楽しめました。

帰ってから調べてみると、この大和路快速は大阪環状線の下に位置する天王寺から反時計方向に出発し、京橋、大阪と通ってまた天王寺に着き、そこから関西本線に入って奈良方面へ向かうというちょうどPの字を90度左に倒した形の経路を通るようで、事情を知らずに乗ると混乱させられる列車でした。

新大阪駅構内で昼食。1つの店に3軒のラーメン屋が入っている店で尾道ラーメン。ちょっと残念な味でした。

帰りに乗ったのは新大阪始発の414A「ひかり414号」。東海道/山陽新幹線は3人掛けの真中、B席が空席になる事が多いので指定を取る時はいつも海側窓際のA席にするのですが、今回は自由席なので山側窓際のE席に陣取ると、私鉄らしき単線電化の線路がしばらく並走したり、北陸本線が琵琶湖東岸に入って行ったり、去年のツアーで乗る列車を間違えてホームで呆然とした枇杷島の駅があったりと色々楽しい物が見えます。写真は名古屋の直前で並走していた東海道本線の列車です。

名古屋を出ると全身真っ赤な名鉄の列車が並走していました。名鉄も興味の範疇から外れる会社で、どこに路線があってどんな車両が走っているか全く知りませんが、唯一パノラマカーだけは乗ってみたいと思っています。

ともあれ、今年もなんとか恒例のツアーを終えられました。今年から京都が増え、'07年辺りからは仙台も日程に入って来るという噂もありますが、こちらは毎年確実に歳を取っています。どこまで付き合えるか判りませんが、こうなったら行ける所まで行ってやろうと思っています。

ここから先は完全におまけで、ブライアン・アダムスを知らない人は何が何やらだと思います。僕が20年以上追い掛け続けているカナダ人ロック・ミュージシャンのブライアン・アダムス(以下BA)が5年ぶりにやって来ました。前回'00年の日本公演まではお金がなくて首都圏の全公演までしか行けませんでしたが、今回は全部で4公演しかない(元々は名古屋、仙台、金沢も予定にありましたが、中止になって東京と大阪各々2回づつになりました)事もあって全て行きます。

まずは4月23日、武道館での東京公演。他3回は1人で観ますが、この日のみ高校時代のバンド(種まきBoysというどうしようもないバンド名でした)仲間で矢井田瞳の元プロデューサーの片岡が一緒です。

僕が初めてBAのコンサートを観たのはこの武道館で、'85年10月〜11月のRecklessツアーの多分10月30日、雨の日でした。それまでも家族でエリック・クラプトンを観たりはしていましたが、初めて自分でお金を払って当時のバンドのメンバー(ひんけつBandというこれまたどうしようもないバンド名で、その中には後にMary Go Roundというユニット - 僕もアマチュア時代に一時期参加していました - でデビューする鶴谷もいました)で行ったコンサートでもありました。まだ知り合う前でしたがその時のツアーの最終日、11月1日に片岡も観ていて、なんと飛び入りでティナ・ターナーが出て来て「It's Only Love」を一緒に歌ったそうです。僕はBAのコンサートを観るのは多分これで19回目か20回目位(記憶が一部曖昧で正確に判りません)ですが、そういう事には当たっていないのでなんと運がいい男だろうと思います。

コンサートは5人編成に戻った事もあり、久々に本領発揮のステージを観られて大満足でした。片岡とは家も近いので地元に戻り、よく一緒に行く居酒屋へ。以前、呑み友達その2が片岡のファンだとマニアックな事を言うので片岡に電話を掛けて喋らせ、その慌て振りを楽しみましたが、今回は呑み友達その2に繋がった僕の電話を片岡に渡してトイレに行き、戻ったら電波が悪かったからと片岡が自分の電話で掛け直していました。

4月25日、福知山線事故のニュースを見て呆然としつつ東京駅へ。373A「ひかり373号」で大阪へと向かいます。

BAはソロ名義で活動していますが、バンドはパーマネントなメンバーで固め、レコーディングもコンサートも同じメンバーでやっています。元々はキース・スコット(Gt.)、デイヴ・テイラー(Ba.)、ミッキー・カーリー(Dr.)、トミー・マンデル(Key.)というメンバーでずっとやっていたのですが(BAはミッキーとトミーとは21歳の時に知り合い、キースとデイヴに至っては16-7歳の頃に出会っています)、'97年の「MTV Unplugged」まででトミーが、'98年の「On a Day Like Today」のレコーディングまででデイヴがバンドを離れ、その後のツアーではBAがベースを弾いてキースとミッキーとのトリオ編成で演奏していました。

正直な所、このトリオ編成は僕としてはとても不満でした。デイヴが上手過ぎたのもありますが、BAのベースの腕は必要な水準に満たず、ギター1本とキーボードが減って薄くなった音を埋める為にキースがU2のエッジやPoliceのアンディ・サマーズのようなスタイルに変えざるを得なくなり、本来の持ち味を失っていました。もっと根本的な事を言うと、BAの曲は5人編成で演奏する事を大前提として書かれているので、楽曲自体の魅力も大きく削がれていました(それでもコンサートのDVDを観ていると格好良く思えてしまうのですが)。

多分その反省もあったのでしょう、今回のツアーでは'04年に出したばかりのアルバム「Room Service」にも参加したノーム・フィッシャー(Ba.)、ギャリー・ブライト(Key.)をバンドに加え、待望の5人編成で回っています。その効果はてきめんで、トリオ編成の呪縛から放たれたキースは元のスタイル通り弾きまくり、ギターはちゃんと弾けるBAも負担が軽くなって楽にやっていました。反面、残念な点もあります。以前、トミーとメールのやり取りを密にしていた時期があり、その中での話からデイヴとトミーの復帰はまずないだろうなと思ってはいましたが、これで遂に決定打が出てしまった形になりました。

今回は自由席の切符を買ったので山側窓際のE席に座ります。手前に見える橋桁は第2東名の物でしょうか。その建設の是非は色々とありますが、個人的には技術としては既に実用段階に入っているリニア新幹線の方を早く造ってくれないかな、と思います。

BAバンドに新メンバーが入ったのはバンドとしては良かったのですが、ボトムをしっかり支えつつも時折高音部に入って来て印象に残るフレーズを聴かせてくれたデイヴ、ピアノの上に昇って踊っていたトミーと比べてしまうとアクション、音共にとても大人しくてバックバンド然としているのには不満が残ります。今後段々と派手になってくれると嬉しいのですが。

今回の宿はいつの間にかリーガロイヤルホテルから名前が変わったダイワロイネットホテル四ツ橋。リーガだった頃に散々泊まったホテルで、大阪の仕事先の近くでもあります。別に他の所でも良かったのですが、26日の会場である大阪厚生年金会館の目の前なのでここにしました。

新大阪から御堂筋線で心斎橋に出てホテルにチェックインし、今日の会場であるZepp Osakaへと向かいます。大阪にはそれなりに行ってはいますが、把握しているのは四ツ橋、心斎橋、難波辺りだけで、大阪港の向こうにあるZepp Osakaの辺りは全く知らない土地になります。

最寄り駅のOTSテクノポート線のコスモスクエア。四ツ橋からだと四つ橋線(何故か線名は「つ」で駅名は「ツ」なのです)で本町に出て、中央線に乗り換えて西に向かうのですが、コスモスクエアの1駅手前の大阪港からはOTSテクノポート線に乗り入れている事になっているようで、¥230の初乗り運賃が加算されます。今日はいっぱい地下鉄に乗るだろうからと一日乗車券を買いましたが、OTSには使えない事が判ったのは買った後でした。

5月3日は不発弾処理の為、全列車が本町駅を通過するという内容の物凄くきつい関西弁のアナウンスが流れるホームから地上に出ると海がすぐそこにありました。

Zepp Osakaは駅から殺風景な空地を歩いて5分ちょっと。この日はオールスタンディングの整理券制で、既に呼び出しは始まっていました。僕の番号は988番で、まだ随分と先なので道端の屋台で焼きそばを買って食べつつ他の観客を見回すと、やはりと言うか30歳以下お断りという感じでした。こうやってアーティストも観客も一緒に老けて行くのだな、と初めて感じたのは新宿のリキッド・ルームへオリジナル・メンバーで再結成したNight Rangerを観に行った時でした。

今までBAを観たのは武道館、代々木オリンピックプール、横浜アリーナ、ロサンゼルスのUniversal Amphitheaterと大きめの会場ばかりでしたが、今回は2,000人も入れば満杯になりそうな小さな会場で、しかもオールスタンディング。ロビーは強制的に買わされるドリンクを取りにカウンターに並ぶ人で混雑していましたが、僕はさっさと中に入ってステージから10mも離れていない上手(ステージに向かって右)側、キースの近くに陣取ります。すぐ横には高校生位の男の子2人組がいたのが意外で、嬉しくもありましたが大人だらけの中で浮いていました。

会場が狭かったせいか、この日のBAは観客とよく話をしていました。最前列にいた男の人に、君、電車(多分新幹線)の中で話したよね、と言ってからみんなに向かって彼の友達のとても悲しい話で、彼女はもういないんだ(近くにいた観客があの福知山線の、と言っていました)、この曲はその子に捧げる、と言って「(Everything I Do) I Do It for You」を始めたり、次はどの曲を聴きたい?と問い掛け、「Hearts on Fire」と声が掛かると頷いてギターを弾き始めますが、この曲は4フレットにカポタストを付けるので上手く弾けず、ダメ、他の曲、と言って「One Night Love Affair」のリクエストに、それはドラマーに頼まないとな、とミッキーに振り向き(ミッキーはニヤニヤしながら腕組みしてそっぽを向いていました)、よしミッキー、演ってくれたら明日昼飯奢るよと言った瞬間にミッキーがまるでアメリカのアニメのような正に喜色満面の表情で叩き始めたり、キースが珍しくBAのマイクでコーラスを歌っていた時にマイクをべろべろ舐める仕草を見せてBAを慌てさせたりと、みんなリラックスした様子でとても良いコンサートでした。

夕食は心斎橋近くの焼鳥屋、鳥の道へ。普通の串に刺さった物もあるのですが、皿にごろごろ盛られた焼鳥が美味しく、叩いて味付けをしたキュウリもシンプルながらタバスコが隠し味で効いていて絶品です。

翌4月26日、夕方まで時間があるので仕事先に顔を出します。僕は直接知りませんが、そこの人間が1人福知山線事故に巻き込まれて入院中だと聞きました。

まだ時間があるのでぶらぶらと散歩に出ます。久し振りに御堂筋沿いの金龍でラーメンを食べ、道頓堀に掛かる太左衛門橋のたもとのタコ焼き屋へ。ここには屋台が本家と元祖の2軒並んでいて、「隣の屋台とは一切関係ありません」と書かれた敵意剥き出しの貼り紙があったりで面白かったのですが、いつの間にか元祖は潰れてしまったらしく、立入禁止の貼り紙付きのフェンスに覆われていました。

えべす橋と同じく、いつの間にか綺麗になった太左衛門橋でドン・キホーテの観覧車を見上げながらタコ焼きを食べていると、旦那さんが「AKAHOSHI 53」と書かれたユニフォーム、奥さんが黒いハッピという出で立ちの50代夫妻が川を眺めていました。

会場はホテルの目の前の大阪厚生年金会館。例のツアーで大阪城ホールを使うようになる前に何度も使った小屋で、搬入口や舞台袖、楽屋はよく知っていますが、表からは一度も入った事がない所でもあります。BAは以前にも何度もここでやっていたので、初めてこの小屋に入った時はステージに立って、そうか、この辺にBA、この辺りにキースが立ったのか、と彼らが立ったであろう場所をうろうろしながら一人で感慨に浸った覚えがあります。

この日もオープニング・ナンバーは新しいアルバムのタイトル・テューン、「Room Service」。今回のツアーは要所要所の曲が決まっていて、2曲目以降に「Open Road」「18 Til I Die」と続き、アンコール前が「The Only Thing That Looks Good on Me is You」、アンコール頭が「Cloud Number Nine」、BAが1人でアコースティック・ギターを抱えて出て来る2回目のアンコールの最後が「Room Service」というのは毎回共通でした。

他の曲も順番は変わるものの大体共通ではありますが、前日の「One Night Love Affair」のように観客からのリクエストで演る曲もあり、この日のリクエスト曲は僕にとって初めて生で聴く「Christmas Time」でした。とは言っても、今はクリスマス・シーズンじゃないよと言うBAの後でキースが弾き始めたのでサビだけちょっと歌っただけでしたが、よくキースはこんなまず演るはずのない曲まで覚えてるよな、と感心しました。他の意外な曲は'83年の「Cuts Like a Knife」でブレイクする以前、'81年の「Lonely Nights」。最近でもたまに演る曲ではありますが、今回のツアーではこの日のみでした。

観客が段々と高齢化している事は上でも書きましたが、この日の僕の席の近くに70歳はいっているであろう白髪のおばあさんがいたのには驚きました。

4月27日、あまり急いで動いても時間が余るだけなので、チェックアウトの時間までホテルでゆっくりします。東京へは12時19分新大阪始発の412A「ひかり412号」で移動し、まだ時間が余ったので荷物を置きに一度家に帰りました。

今回のツアーは名古屋、仙台、金沢の各公演が中止になった事は上にも書いた通りですが、本来は5月頭まであった東京と大阪公演も日程の変更があり、4月中に全部行われる事になりました。中止はともかく日程変更は何だろうなと思っていたところ、5月頭にロンドンのRoyal Albert Hallで行われたCreamの再結成コンサートにBAの姿があったとの事。妙に納得してしまいました。

この日はあまりイレギュラーな曲もなく、初日と同じような雰囲気で終りましたが、キースが延々とソロを弾きまくる「It's Only Love」を演らなかったのが非常に残念でした。また、「Waking Up the Neighbours」ツアー以来数を減らしていた「Into the Fire」からの曲が遂にこのツアーでは演奏されませんでした。確かに「Reckless」での大成功に比べるとかなりセールスの悪かった(それでも少なくとも3〜400万枚は売っています)アルバムではありますが、気に入っているファンも多く、僕も大好きなアルバムなので次回はぜひ演って欲しいと思います。

その後FMで流れたインタビューでは、次のアルバムは「Stripped」というタイトルでアコースティック・ギターとハーモニカのみの物になると言っていたとか。しかもツアーにも1人で出るとも言っていたそうで、バンドも含めてのファンである僕にとっては良いニュースなのか悪いニュースなのか判りません。

'80年代中盤というのは、BAの他にもジョン・ウエイト、リック・スプリングフィールド、コリー・ハート、少し遅れてリチャード・マークスと、ロック系男性ソロアーティストが何人も出て来た時代でした(ジョン・ウエイトは'70年代後期にThe Babysをやっていました)が、ジョン・ウエイトは今でもたまにアルバムを出すものの、リチャード・マークスは完全にムード歌謡路線に走り、リック・スプリングフィールドは久々に名前を聞いたと思ったら妻への暴行容疑で逮捕、コリー・ハートは活動してはいるようですが、全く目立っていません。

そんな中でBAは活発に活動を続けていて、ちゃんと日本にも来て、一時期危ない時期もありつつも音楽的にも本来の持ち味を失う事なく新譜を出しています。今後もこのまま行ってくれる事を願うと同時に、正しい選択をした中学生時代の自分を褒めようと思います。

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