■ 第3日 / 1月29日 ■

仕事が終り、ようやくこの日から旅行が始まります。このサイトで海外の鉄道を紹介するのは初めてですが、僕自身としては'02年の香港の地下鉄以来、国際列車となると'90年か'91年にロンドンからパリまで鉄道とドーバー海峡連絡船で移動した後、パリからバルセロナまでの夜行「バルセロナ・タルゴ」に乗って以来となり、随分と久し振りになります。

この日の出発は早く、6時半頃にはホテルをチェックアウトしていました。前日、チュアにここからどうやって行ったらいいか訊いたら、地下鉄だと駅が遠いのでタクシーだろうねと言われたのでそれに従ってタクシーで来ました。

しかし、Swissotelの前で拾ったタクシーがKTMのシンガポール駅と言ってもなかなか解ってくれず、ほら、マレーシアに行く列車の、と言ってようやく理解してくれました。どう言ったら通じるのか訊くと、レイルウェイ・ステーションと言わないとダメだとの事でした。

着いたのは7時まで10分少々といった時刻でしたが、辺りは真っ暗。駅もまだ開いておらず、周りに人影もありませんでした。しかもこの写真の左奥の暗がりで降ろされ、最初は一体どこに着いたのか見当が付きませんでした。

列車は8時半発なのでそんなに急がなくて良いのですが、KTMのサイトで切符を予約した際にクレジットカードの認証が上手く行かず、サポートにメールを出したら予約は出来たから7時までに駅で受け取れと返事が来ました。お陰でホテルのレストランが開いていない時間にチェックアウトをしなければならず、朝飯抜きになりました。

ちなみにKTMのサイトは良く出来ていて、空席状況入りの席表を見ながらの座席指定が可能で、各等級の車内もQuickTime VRで見せてくれます。

シンガポール駅は圧倒される程に非常に立派な石造りの建物で、なんとなく漂う旅愁も含め、昔の上野駅を連想させる雰囲気でした。写真を撮りながら待っていると、段々と空が白み始め、ぽつぽつと人影が現れます。

7時少し前にシャッターが開き、中へ入ります。外から見ても立派な駅ですが、内側も天井がとても高くて贅沢な作りになっていました。

左奥が入口で、2つの入口の間に切符売り場があります。窓口で名前と予約コードを言いますが、どうもちゃんと入っていないようで、再度名前を訊かれ、何やら作業をしています。それならばという事で、帰りの席とは逆側の席を頼みました。

数分の後、なんとか名前入りの切符が発行されました。前述のQTVRで見る限り、2等車は座席の方向が車両の中央を境に固定されているようで、後ろ向きの席になってしまったら目も当てられないので1等車です。

値段はS$68(約¥4,500。1シンガポールドル=約¥65)。充分安いのですが、実はとても割高な買い方です。同じ切符をマレーシアで買うとRM68(約¥1,800。1リンギッ・マレーシア=約¥28)とかなりの差があります。何故違う通貨で同じ数字の運賃なのか全くもって理解に苦しみますが、理由は不明です。サイトでクレジット・カード決済をするとRM建てになるので、件の動作不良が色々と悪影響を及ぼしています。

入口側からホーム方向を見ると、左に出発ホーム、右に到着ホームに別れているのがよく判ります。右側はフード・コートのようになっていて、その入口にはスティーヴンスン親子の蒸気機関車、ロケット号のイラストと共にRailway Food Stationと書かれています。

到着ホーム手前の売店。このホームの右側にも食事を出す店があります。暗くて見え辛いですが、奥の出発ホームにはこれから乗るであろう銀色の客車が待っています。

手前に雑誌のスタンドがあったのでなんとなく眺めていると、見覚えのある女の子が笑顔で表紙に収まっています。「Ray」という雑誌で、女の子の横に松本莉緒と書いてあり、日本の雑誌を輸入しているのかとよく見てみると、見慣れない漢字の行列の間に平仮名の「の」が挟まっています。こことは別の売店で売られていたお菓子にも似たような表記がありました。なんだかよく解りませんが、妙な形で日本語が浸透しつつあるのは間違いないようです。

切符にはウエルカム・ドリンクのチケットがカラー印刷とモノクロ印刷の2枚、ホチキス留めされています。それと一緒にマレーシアの入国カードも出て来たので、ベンチに腰掛けて記入をします。

ボールペンを走らせながらふと前を見ると、こことバンコクの間を2泊3日、丸2日間掛けて走る超豪華列車、Eastern & Oriental Expressの専用待合室がありました。宮脇氏の作品でその存在を知っていた僕は、今回のシンガポール行きで真っ先にこの列車の事を思い出しました。が、豪華な分料金もべらぼうに高く、それ以前にこういう列車は悠々自適の老夫婦の為の物であり、僕のような薄汚い身なりで独り者の若造は相手にしていないので瞬時に考慮の埒外となりました。世の中には子供が歓迎されない場所もあるのです。

ならばせめてその発車風景だけでも見たいとも思いましたが、たまにしか運行されないので日が合わず、それも叶いませんでした。

出国カードの記入も終わり、何もする事がなくなりました。でもまだ改札が開かないので改めて駅舎を眺めに外に出ます。入口の車回しの所を横から見ると、停まっている車が欧州車風なのもあってヨーロッパに来たような雰囲気でした。

ようやく改札が開いたので中へ入ります。改札と言っても何かがある訳ではなく、厳しい顔をした駅員さんが1人立って切符のチェックをしているだけです。

ホームは頭端式で、これもまた上野駅地上ホームと同じですが、植え込みや鉢植えがなんとものどかでいい雰囲気を演出しています。少し前に着いた夜行列車が逆側の到着ホームに停まっていて、乗客がぞろぞろとホームを歩いています。既に機関車は編成から外れ、両ホームの間にある機回し用の線路から出て行った後でした。

少し先にはマレーシア移民管理局の入国審査カウンターがあります。でもこの時点ではまだシンガポールの出国手続きは済んでいません。妙な話ですが、両国間での話し合いが上手く行かず各々勝手な場所にチェックポイントを設けた結果、ここでマレーシアの入国手続きを済ませ、ジョホール水道寸前のウッドランズという所でシンガポールの出国手続きをするという形になり、書類上は一時的に2ヶ国にいる事になります。

入国審査を終えて先に進むと税関の質素なカウンターがあり、みんなそこで荷物を開けて見せています。当然僕もそこで荷物を見せようとしましたが、係員のおっさんが「ジャパニィーズ」と言いながら早く行け、と手を振っていて、僕だけノーチェックで通されました。日本人はまず悪さをしないと思われているのかも知れませんが、だとしたら大いなる勘違いです。

すぐ先にはこれから乗る「Ekspres Rakyat」セントラル・クアラ・ルンプール行きの編成がいて、乗客を待っています。見たところ編成の後端だからと言ってテールランプとかはなく、日本の車両に慣れた眼には編成の途中でぶつ切りにされたようにも見えます。

向こう側のさっき着いた夜行列車は寝台車らしく、窓の上にもう1つ小窓が付いています。なんとなく、583系に似ているようにも見えます。

編成は後からX号車、W号車、V号車となっていて、Q号車までの8両が2列+2列シートで車両の中央を境に座席の向きが固定された2等車、P号車が売店と2等車の合造車(と、その時は思い込んでいて、帰りに間違っていたと気付きました)、O号車、N号車が1列+2列シートの1等車の合計11両編成となっています。

ドアは手動式で、逆側のドアが開けっ放しになった車両も多くありました。 子供の頃に見ていたはずなのに、完全に忘れてしまった光景がここにはあります。

低いホームからデッキへ昇るステップの所に社名板があり、見てみるとメーカーは韓国のヒュンダイ、'92年製でした。

客車は11両編成ですが、1等車と機関車の間にもう1両、電源車がいます。20系や24系と同じく、集中電源方式でした。

そして電源車の前にディーゼル機関車。運転台は1ヶ所しかなくて前後非対称な形です。台車と台車の間にあるやたらと大きな燃料タンクが印象的でした。

そしてこれがディーゼル機関車の顔。どこ製かは判りませんが、なんとなくAmtrak辺りで走っていそうな雰囲気です。横の駅名標は英語の「Singapore」ではなく、マレー語だと思われる「Singapura」と表記されています。車内放送を聞く限りでは「シンガプァラ」と発音するようでした。

乗り込む時に開け放たれた逆側のドアから1枚。安全性が何よりも優先されるのは当然ではありますが、自己責任という言葉を理解出来ない過保護な大人が増え過ぎた結果、社会全体が幼児退行を起こしている日本ではもうこんな光景は見られません。

僕の席は電源車の次のN号車4C、2人席の窓側です。運が良い事に窓枠がない席でした。車内は空いていて、乗客の半数程度が外国人のようでした。

奥のドアは自動ドアですが、デッキから入ろうとしても反応しないので逆側のデッキから入りました。観察しているとドア上のボタンを操作すると開くようでしたが、開くとすぐに閉まってしまうので何人もの乗客がドアに挟まれていました。アメリカ人らしき最前列の夫婦が見かねて開けようとする人に注意を促したり手助けをしたりしていました。

席に座って発車を待ちますが、定刻の8時半になっても動く気配がありません。どうしたのかなと思っていると、定刻を5分ちょっと過ぎた頃に技術的問題で遅れているとのマレー語と猛烈に訛った英語の車内放送がありました。その後も何も起きず、うたた寝をして眼が覚めると9時過ぎ。まだ列車は停まったままです。一体いつ動くのかな、と思っていると発車のベルも放送も汽笛すらもなしで突如動き出しました。時刻は9時10分を少し回った所でした。

のっけから40分以上の遅れを出した列車は右に車両区を見ながらのんびりと走り始めます。風景ものんびりとしていて、高層ビルが建ち並ぶシンガポールのイメージとは違った印象を受けます。ただ、背の低い建物は商店ばかりで、一戸建ての家は皆無に等しかったです。

9時45分過ぎ、ウッドランズ・チェックポイントに到着。普通は大体20分程度で着くようなので、また遅れが拡大しています。

ここでは全員が一度列車から降り、建物の中で出国手続きをします。手続き自体はあっと言う間で、税関審査も省略。ホームへ出る所で少し待たされ、10分程で列車へと戻ります。

いよいよジョホール水道に架かるコーズウェイを渡ります。このコーズウェイは橋のように見えますが、実際は埋め立てられた地面なのだそうです。「バルセロナ・タルゴ」でフランス / スペイン国境を越えた時は眠っていたので、これが初めて眼にする鉄道での国境越えです。

左側には道路もあります。結構な渋滞振りで、酷い時には何時間も掛かる場合もあるそうです。その横をKTMはほんの5分程度で通過して行きます。

ジョホール・バルに到着。線路の左側は商業地区らしく、大きなショッピングセンター等がありますが、右側にはバラックが並び、国境を越えたのだと感じさせられます。街を歩く人にもムズリムのヘジャブを被った女性が多く、そういう面でもシンガポールとは違う土地なのだと強く思わされました。

トイレに行こうとして連結部を通ると、貫通幌の下側がありませんでした。連結器が直接見え、その向こうを地面が流れて行きます。さすがに怖かったので、手摺をがっちりと握って通りました。

トイレは男性用と女性用が別れていて、男性用はムズリム用の和式に似た作りの物でした。タンク式ではないらしく、直接地面は見えないものの穴の奥で光がちらちらとしていました。当然、ドアには駅での停車中は使わないで下さいとの注意書きがあります。

マレーシアに入って少し経った頃、車掌さんがやって来てTVを点けて行きました。まさか音は出ないだろうと思っていたら、結構な音量で英語のナレーションが流れます。しかも番組は決定的瞬間系の物で、最初はボクシングのノックアウトシーン特集です。音さえ出ていなければ無害ですが、変にエキサイトしたナレーションは容赦なく聞こえてきます。しかも時折周りの乗客の携帯電話が鳴り、それも気になるので旅行の時は飛行機と新幹線以外では使わないiPodで自分の世界に逃げる事にしました。

寝不足からうとうとしていると、肩をつつかれます。見るとヘジャブなのかスカーフなのかを被ったマレー系らしき女の子がウエルカムドリンクのオーダーを取りに来ていました。何故かカラーとモノクロの2枚になっているチケットを両方渡し、無難にオレンジジュースを頼みます。暫くして彼女がくれたジュースは結構な大きさのプラスティックカップに入っていて、他の乗客を見ると同じカップになみなみと注がれたホットコーヒーに途方に暮れている風の人もいました。

車窓はなんと言ったらいいか、熱帯植物園の中を延々と走り続けているような感じで、基本的には線路の際まで生い茂った南洋植物しか見えません。たまに視界が開けると緩やかな丘陵に密生する一面の椰子またはゴムの木。その中ではこの写真はかなり遠くまで見えています。ただ、乗っている時間のかなりの割合を眠って過ごしてしまったので、その間に絶景が窓を通り過ぎていた可能性もあります。

KTMには2つの運行形態があり、1つは僕が乗っている長距離列車のIntercity(車両にはAntarabandarと書いてあります)、もう1つはクアラ・ルンプールを中心とする近郊列車のKomuterとなっています。途中のSerembanからはそのKomuterのエリアとなり、線路も複線電化になります。Serembanを出たすぐの所には3両編成のKomuterの電車が停まっていました。

クアラ・ルンプールが近付くにつれ段々と街らしくなっていき、何の施設かは判りませんが、大きなタージマハル付きの建物も見えます。線路に沿いの道路を走る車には日本製の軽自動車が多く見受けられました。

街らしくなってはいるものの、放牧されているらしい牛が線路端で草を食んでいる姿も時折見掛けました。

終点のセントラル・クアラ・ルンプールのすぐ手前の駅横のアパート。衛星放送用らしいパラボラアンテナが物凄い仰角で天を仰いでいます。高度3万6,000Kmの静止衛星軌道は赤道面上にあるので赤道に近いこの辺りではこうなるのが当然ですが、これを見て初めて自分がそういう場所にいるのだと感じた僕の感性は少しおかしいです。

15時50分過ぎ、「Ekspres Rakyat」はセントラル・クアラ・ルンプールに到着しました。定時は14時58分なのでほぼ1時間遅れでした。機関車はあっと言う間に編成から切り離されて前方へと去って行きました。

セントラル・クアラ・ルンプールのホームは真新しい地下ホームでした。降り立った途端に違和感を覚えましたが、番線表示に何故か日本語が入っているのがその原因でした。

エスカレーターで地上へ上がり、一旦駅前に出てみます。最近出来たらしい真新しい建物ですが、特に何をするでもなくその辺に座ったりたむろしている人が多くいて東南アジアを感じます。

まずは構内で両替。1万円札しかなかったのでそれで替えましたが、結果的にちょうどいい金額でした。RM361手に入れて、次はメールの指示通り帰りの切符を買いに切符売り場へ。今度はちゃんと予約コードを言うだけで済みましたが、予約されている席は4A。奇数の席の方が窓が広いので変えてもらえるかと理由付きで頼むと窓口氏はニヤリと笑いながら頷き、奇数で最後の1席だったよと言いながら3Aの切符を出してくれました。

予約したホテルはここではない旧来のクアラ・ルンプール駅舎に併設されているので、そこまではKomuterでの移動になります。運賃はRM1なのですが、持っているお金で一番小さい額面の物はRM2紙幣。お釣りが出ない自動販売機に悩まされ、その横の両替機が動かなくて悩まされと苦戦しましたが、構内の7-11で買物をしてRM1硬貨を手に入れ、なんとか切符を買いました。

そうやってコンコースをうろうろしていた時に見付けたのがこのインチキ日本語看板。やはり他国人にとって「シ」と「ツ」は鬼門のようで、他の所でも同じ間違いを見た覚えがあります。それにしてもここに日本語表記を載せる程日本人が多いのなら、出来上がる前に間違いを指摘してあげられる人は誰かいなかったのかと疑問に思います。

セントラル・クアラ・ルンプール駅とクアラ・ルンプール駅は隣同士なので、すぐに着くはずでした。が、腕を挟まれたら骨折しそうな勢いでドアが閉まるヒュンダイ製のこの列車は行けども行けどもクアラ・ルンプールに着きません。最初は間に小駅があるのかな、と呑気に思っていましたが、途中でこれは完全に乗る列車を間違えたと気付き、降りたのは3駅目のPetalingという郊外駅でした。

少し前から降っていたスコールは小止みになりつつあります。

跨線橋から見たPetaling駅。のどかな雰囲気の駅舎で、あちこちでこのタイプの駅舎を見掛けました。

Komuterは僕が乗って来たシンガポールとタイを結ぶ路線のSerembanからRawangの間と、それを斜めに横切り、セントラル・クアラ・ルンプールからPutraの間で本線と交わるPel. KlangとSentulを繋ぐ路線がその線区となっています。セントラル・クアラ・ルンプールからクアラ・ルンプールまではその2系統のどちらに乗っても方向さえ合っていれば良かったのですが、僕はそれすら間違えたようです。

意外と言うと失礼ですが、ホームにはLEDの列車案内器があり、現在時刻と次の列車の時刻、そしてその行先が表示されています。それによると次の列車は17時11分となっていますが、定刻を過ぎても列車が来る気配はありません。しかも次の列車の時間がいつの間にか17時26分になっています。日本だと実際の運行状況とリンクした情報がリアルタイムで表示されますが、どうもこれはただ単に時間になると列車の表示を切り替えているようでした。

そんな瑣末な事を観察して過ごしている内に列車が来ました。案内器は現在時刻を13分と表示していますが、写真のタイムスタンプは10分となっていたので、時刻の表示自体がずれているようです。車両は3ドアのさっき乗った物とは違う形式で顔も少し違いましたが、メーカーは同じくヒュンダイでした。座席の上に網棚がなかったのが不思議です。

ようやくクアラ・ルンプールに到着。今はセントラル・クアラ・ルンプールに主役を取って代わられ、市内交通線のLRTも来ないこの駅ですが、笑ってしまう程立派な駅でした。

列車を降りた他の人の後に付いてエスカレーターを上がり、改札を出ます。上からホームを見ると荷物専用のホームに荷物車が何両も停まっているのが見えます。翌朝にはフォークリフトで荷役をしていました。これも日本ではもう見られない光景です。駅の逆端には無蓋貨車やタンク車の混結編成も停まっていました。

ホテルを探しますが、それらしき物はどこにもなく、あちこちうろうろしますが全く見付かりません。結局、ろくに考えもせずみんなの後に付いて歩いたのが原因で出口を間違えていました。知らない土地で道に迷うのもそれなりに楽しいので別に良いのですが、物事には限度があるとも思います。

改札を出てしまったので駅舎本屋に行けるかな、と心配しましたが、中央のKomuter用ホーム以外は自由に行き来出来るようになっていました。ホームのこちら側は長く広いホームに全体を覆うトラス構造の天蓋と更に立派で、ここに立っているだけで恍惚としてしまう程です。

駅舎を出て右に曲がり、少し進むと今晩の宿のヘリテイジ・ステーション・ホテルがあります。この通路は車回しにもなっていて、とても立派な作りではあるものの照明が少なくて薄暗くなっています。ここで左を向くと道の向こうにケンタッキー・フライドチキンがあり、その看板の煌々とした明かりがまたうら寂しさを増幅させているようでした。

怪しげな英語を喋るフロントに宿泊料RM80+キーデポジットRM50の計RM130を支払い、3階の部屋へと向かいます。まず面喰らったのがエレベーター。カゴ側のドアは自動ですが、外側は手動。フェンスを手で閉める業務用の物には乗った事がありますが、一般人が乗る物で手動のは初めてでした。

このホテルは少し構造が複雑で、3階でエレベーターを降りたはずなのに3階の部屋に行くのに階段を上ります。廊下からは階下の部屋が見えますが、ここはエレベーターを降りたレベルのはず。ちゃんと調べなかったのもあり、結局どういう造りかは解らず仕舞いでした。行き止まりにはムズリム用の礼拝室が男女別で2部屋あります。

シングルを取ったはずが、なぜかツインの部屋はとても簡素な造りで、窓からは駅の天蓋が見えます。左下の写真の右奥が右の写真になるのですが、左下の写真に写っている赤茶色の壁はバスルームの壁ではありません。何故か1m弱の空きがあり、クローゼットがあります。そしてそのクローゼットの奥には完全なデッドスペースがあり、元々どういうつもりでこういう設計にしたのか謎が残ります。

部屋の検分もそこそこに出掛けます。最初の目的地はクアラ・ルンプール駅と道を挟んだ向かいにあるKTM本社です。

道を渡ろうと信号の所で待ちますが、一向に変わる気配を見せません。どうもボタンを押さないと変わらないようでした。マレーシアの歩行者用信号は面白く、赤は普通に人が立っているだけなのですが、青はアニメーションで歩くようになっていて、それだけでも充分に可愛らしいのですが、上に表示されている残り時間が少なくなると必死に走り、ますます可愛らしさを増します。

渡った先の建物はクアラ・ルンプール・ビジター・センターですが、土曜日のためか閉まっていました。

クアラ・ルンプール駅。当然ワイド端で撮っていますが、全く収まりません。奥にはまだまだ続きがあるのです。建造されたのは1911年だそうです。

そしてこちらがKTM本社。こちらもクアラ・ルンプール駅に劣らぬ立派な建物です。2ヶ所ある車回しのゲートにはどちらにも信号機が付いていて、見てみるとどうも動かせそうな雰囲気でした。1階の回廊部分のみ見学可能だそうですが、この時は時間が遅かったせいか入れそうにありませんでした。

次に向かったのはKTM本社から5分程坂道を上がった所にある国立モスク。

イスラム世界は広がっている地域の広さ、人口、世界に与える影響力のどれを取っても非常に大きいのですが、日本にいるとなかなかそれを皮膚感覚として捉えられず、またその機会もかなり限られてしまいます(東京にもモスクはありますが)。なのでその雰囲気を味わってみたいと以前から薄ぼんやりと思っていました。

今回マレーシアに来るに該って何を見ようか考えた時に、一番手軽にその雰囲気に浸れそうだ、という事で真っ先に浮かんだのがモスクでした。以前にも書いた通り、宗教嫌いの癖に神社や寺によく行く僕の好みにも合っています。

国立モスクは広い敷地に平べったい建物、高い尖塔という造りで、見た所ではどこが正面なのかいまいち判りませんでした。外周に沿って1/3周程ぐるっと回り込むと、看板らしき物がありました。向こうの人達から見たら漢字も同じですが、これが文字だとはちょっと信じ難くもあります。

列車が遅れたりKomuterに乗り間違ったり道に迷ったりしていたせいで、ここに来た時には18時を大きく回っていました。ここの見学時間は18時までなので、中には入れず仕舞いでした。

イスラム教の礼拝、サラートはファジュル(夜明け前)、ズフル(昼)、アスル(午後遅く)、マグレブ(日没時)、イシャー(夜)の毎日5回行われますが、それらが何時、というのは毎日変わります。調べてみると、東京のこの日のサラートの時間は(日だけでなく、場所によっても変わるのです)5時31分、11時54分、14時44分、17時5分、18時18分となっていて、ファジュルからイシャーまでの時間は冬は短く、夏は長くなるようです。

次はセントラル・マーケットを目指して歩きます。途中、KTMの路線を跨ぐ所があり、ちょうどKomuterの電車が走り抜けて行きました。

歩いて行くと、オープン・エアのバーが何軒も集まった所があり、その間を抜けると繁華街になっています。セントラル・マーケットがどこだかは判りませんが、元々それほど執着があった訳ではないのでそのままぶらぶらと歩きます。

道には妙にバスが多く、それらに混じってタクシーやバイクが行き交っています。更にその間をヘジャブを被ったおばさんの一団が早足で通り抜けたりという風景を眺めながら歩き続けると、少し離れた所にチャイナタウンらしき所が見えたのでそちらへと向かいます。

チャイナタウンは物凄い数の人でごった返していました。通りの両側には屋台が並び、雑貨や鳥の丸焼き等、様々な物が並べられています。所々にハリウッド映画のDVDの表紙が入ったバインダーを持った少年が立っていて、違法コピーのDVDソフトまで売られていました。

入口横の歩道橋から。ここからでもいかにもアジア、という感じのむせ返るような熱気が感じられます。

途中、喉が渇いて仕方がなかったので7-11でジュースを買い、レジでお金を払っていると20歳前後のマレー系らしき店員の女の子があなた日本人?と訊いてきます。そうだよと言うと彼女は視線を天井に向けて何か考え、少しの後ににっこり笑ってコンバンワーと挨拶をしてくれます。ちょっと面喰らって本来の発音でこんばんわと返し、どうして日本人だと判ったのと尋ねると、顔だと答えます。僕自身としては地元の中国系の人達と見分けが付かないだろうと勝手に思っていたので、違いなんかないと思ってたよと言い、一緒に笑って店を出ました。

後でふと、もしかしたらネックストラップで下げたカメラも判断材料になったのかなと思いましたが、実際の所は判りません。

屋台に並んだ種々雑多な物に眼を奪われつつ雑踏をすり抜けてチャイナタウンを出ると、今度はヒンドゥの寺院らしき所に出ます。ヒンドゥだと思うのはガネーシャがいるから、寺院だと思うのはTempleと書いてあるから、という非常に貧弱な連想のみで書いているので、実際は違うのかも知れません。

それにしても、たった30分程度の散歩でモスク、チャイナタウン、ヒンドゥ寺院と異なる文化が目まぐるしく眼前に現れ、人種のるつぼと呼ばれるマレーシアのある断面を見た思いですが、正直な所、頭が追い付きません。

クアラ・ルンプールの近郊路線は2系統のKTM Komuter以外にもStarとPutraの2系統のLRT、セントラル・クアラ・ルンプールと空港を結ぶKLIA Ekspres、更にKL Monorailがあり、かなり充実しています。次の目的地はKLCC(Kuala Lumpur City Centre、イギリス統治の影響でスペルもイギリス式です)なので、Pasar SeniからPutra LRTに乗ります。

やって来た列車は長さの短い車両が確か3両編成で、ホームにはもう1〜2両程度停まれそうでした。

KLCCには地上88階建てで高さ452m(竣工時には世界一の高さ。'05年1月現在の世界一は地上101階建て、508mで台北のTaipei101)のペトロナス・ツイン・タワーを観に行きます。

KLCCの駅でLRTを降り、看板に従って地下道を暫く歩きます。ようやく地上に出てペトロナス・ツイン・タワーを探しますが見当たりません。おかしいな、と思って後を振り向くと、たった今自分が出て来たのがその正面玄関でした。

ペトロナス・ツイン・タワーの前は噴水がある細長い公園になっていて、少し引いた所から全体を眺められます。しかし、肉眼では全体を眺められてもカメラはかなりの広角レンズが必要なようで、全くフレームに収まりませんでした。

ペトロナス・ツイン・タワーの施工は間組が行い、その上を行く高さのTaipei101の施工は熊谷組。日本のゼネコンがこぞってアジアのあちこちで無闇やたらと高いビルを建てて回っている様は、その技術力の高さを証明してはいるものの不思議を通り越して滑稽ですらあります。

国内のあちこちでタワーに昇っている僕としては見逃せないKLタワーが次の目的地です。ペトロナス・ツイン・タワーからは少し距離がありますが、常に見えているし、他の駅からも遠いようなので歩きます。

ほとんど人通りのない暗い道を行くと、突然ネオンの瞬きに埋まった一角に出ました。どうもバー等が集まっているようでした。

結構歩いてKLタワーの入口に着き、看板とタワーの写真を撮っていると、僕の横でタワーのロゴが入ったバンが停まりました。前席に警備員のような制服を来た2人組がいて、タワーに行くなら乗って行けと話し掛けて来ます。後には観光客らしき人達が3人乗っていて、一番後の列に乗り込んで発車します。

タワーの入口からタワー本体まではかなり距離があり、しかも延々と登り坂でした。これを歩いていたらと思うとぞっとしますが、この車が本当にタワーへ行ってくれるかも少し不安です。でもこの先は高台になっていて、そこにはタワーしかないはずだし、バンの横腹にはロゴも入っていたし、前に座っている3人がグルでなければ2対4で少なくともこの車内では人数で勝っているし、等々の考えを脳裏に巡らせている内にタワーの玄関に到着しました。

タワーの階下部分は土産物屋や記念写真屋があって、特有のうらぶれた雰囲気までもが日本各地のタワーと同じでした。何故かインド系が多い従業員からチケットを買い、上に昇ると音声ガイドの機械を首から下げられます。各国語のガイドが入っているらしく、少しの間日本語の説明を聞いていましたが、あまりに時間が掛かるので止めてしまいました。

KLタワーの高さは421m、この展望台は300mの所にありますが、高台にある分、452mのペトロナス・ツイン・タワーを見下ろすように眺められます。

展望台を2周してタワーを降り、黄色いスポーティなセダンのタクシーに乗ってチャイナタウンへ向かおうとしますが、駐車場も出ない内にバックして来たランサー・エボリューションのバンパーがタクシーの右後のドアを擦り、細身で背が高い精悍な顔つきのマレー系の運転手が待ってろと言い残して車外に出て行ってしまいます。

他のタクシーを拾おうかとも思いましたが、別に急いでもいないのでそのまま待ち、車内から見ていた限りではどういう決着になったか判らないまま約10分程の後にようやく発車しました。

その後しばらくは普通に走っていましたが、突然ガソリンスタンドに入り、運転手が待ってろとまた言い残して給油を始めます。ここではこれが普通なのか、他の理由があるのかは判断しかねます。

なんとかチャイナタウンに着き、人波に揉まれ、7-11でさっきの女の子がまだ働いているのを見掛けたりしながら食事を摂れる所を探します。考えてみると、前夜のPrawn Mee Soup以来何も食べていないのでかなり空腹です。

そこで入ったのがこの道端食堂。混沌とか猥雑とか色々な表現が浮かびます。

店の中の方は調理場がほとんどの面積を占めているようで、雨が降ったらどうやって営業するのか不思議に思います。

猥雑極まるチャイナタウンの道端食堂(2.4MB / 35秒間)

中国語のよく解らないセンスのポップスが大音量で流れ、辺りには屋台で肉を焼く煙が漂い、大きな扇風機が唸りを上げています。この猥雑さはやはりムービーでしか伝えられないだろうという事で撮りました。

メニューを眺めていて麻婆豆腐とかいいなあと思ったものの、そのすぐ下にあった海鮮豆腐に目を奪われたのが失敗の始まりでした。ウエイターにその海鮮豆腐を頼み、何かお勧めはあるかと訊くと、このマッシュルーム3種類と海鮮の炒めはどうだと勧められるままに頼んだのが運の尽き。皿が揃ってみるとほとんど同じような料理が2つ並んでしまい、どちらも美味しいものの、自分が今どっちを食べているかもよく判らなくなってしまいました。

しかもサイズを指定し忘れたようで、本来はSサイズの料理を色々と食べたかったのに、どちらもMサイズが来てしまったようでした。

どちらを食べても同じ味の料理に苦闘していると、物乞いのおばあさんがやって来たのでRM1紙幣を渡します。するとHappy New Yearと言うので、旧正月はいつなのかと訊くと、どうも挨拶程度しか英語を知らないようで、全く通じません。でもそれがきっかけで隣の席に座っていたオーストラリア人(ムービーの10秒目辺りから写っている背中を向けた黒い服の男性)と話し込む事になりました。

ダリル・ホールとデイヴ・エドモンズとロバート・パーマーとメル・ギブソンを混ぜたような風貌で(要するに渋めで格好いいのです)37歳の彼が何の仕事をしているのか皆目検討が付きませんでしたが、とにかく世界中のあちこちに行っているらしく、トルコのイラン国境近くの小さな町で知り合った子供に家に連れて行かれて1泊したとか、ホンジュラスでバーに入ったらまるで西部劇で保安官がならず者の溜まり場に入った時のように静かになってしまったとか、場所は忘れましたが400年前の建物を使ったホテルに泊まったら鴨居が異常に低くて数日で額に赤い線が出来てしまってホテルを変えざるを得なかったとか、とにかく色々な話が出て来て(世界一標高の高い所を通るペルー中央鉄道にも乗った事があるそうです)とても面白かったです。

当然日本にも来た事があるだろうと思いましたが、成田空港での乗り換えとその為のホテルへの往復しかした事がないと言っていました。仕事での接点がないのか、話に出て来た国の傾向からすると、つまらなそうな国だと思われているのかのどちらかだと思います。

色々と話をしていると、やはり下品な話も話題に登場します。ここでも「Horny」です。ここで1人でビールだけを呑んでいるのはバーがいい時間帯になるのを待っているそうで、お前も一緒に行くかと言われ、少しならいいよと答えた後にそのバーはどうもいかがわしい所らしいと判り、どうしたものかと考えましたが、結局お金が全然ないので行きたくても行けず(マレーシアではスキミングが異常に横行していてカードは絶対に使えません)、一緒に席を立って握手をし、彼と別れました。

コンビニで水その他を買ってタクシーでホテルへと戻ります。中国系の運転手に助手席に座れと言われて乗り込むと、ほとんど原形を留めていない溶け切った英語で友達がどうだとか女の子がどうだとか色々話し掛けて来ます。結局は売春の斡旋をしたいらしくサッキンサッキンとか言っているので、とにかくホテルに帰りたいと強めに言って黙らせました。そのせいか、乗る時にRM15と言っていた料金が降りる時には何だかよく解らない理由でRM20に値上がりしていました。

部屋に入り、風呂に入ろうとお湯を出しますが、どう見てもお湯の色が黄色いので入浴を諦め、歯磨きと洗顔もミネラルウォーターで済ませました。実はこのホテルの予約を取った後にクアラ・ルンプールのヒルトンは¥1万もしないで泊まれると知り、でも部屋にそんなにいないしとこちらを選びましたが、あっちにしておけば良かったかなとも思いつつ早々に寝ました。

第4-5日 / 1月30-31日へ

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