■ 第4-5日 / 1月30-31日 ■

この日は前日の裏返しのような旅程で、前日と同じ時刻に出る列車でシンガポールへと向かい、シンガポール観光の後に夜中の便で東京へ帰るという形になります。

シンガポールへの列車「Ekspres Sinaran Pagi」は8時半発なのでそんなに早起きしないでも良いのですが、KTM Komuterはそれほど頻繁に走っていないようなので7時過ぎに起床し、チェックアウトします。

無人のカウンターにはもう1人、人の良さそうな眼差しのアラブ系の青年がチェックアウト待ちをしていて、人の気配のあるキッチンまで人を呼びに行った僕に訛りのきつい英語で日本人か?と訊いてきます。またも簡単に見破られた事に少々うんざりしつつもそうだよと答えると、ホッカイドー、キューシュー、と言い始めます。驚いて日本に来た事あるの?と訊くと、いや、行った事はないけど地理で勉強したんだ、と誇らしげに答えます。

昨日の7-11の女の子もそうでしたが、顔を見ただけで僕が日本人である事を見抜き、挨拶や地名を言えるというのは驚異的な事なのではないかと思います。もし彼女や彼と東京で会っても、僕にはどこの国の人だか判らないし、その土地の言葉や地名なんて輪を掛けて解りません。

クアラ・ルンプールの駅舎には先にホテルを出ていた青年がいたので笑顔を交わし、地下道をくぐってKomuterのホームへ向かいます。手前の券売機に残り1枚になっていたRM1硬貨を入れて切符を買い、中へと進みます。

ふとホームの列車案内器を見ると、2つの案内器の間で時計が食い違っていました。昨日Petaling駅で見ていて運行状況と関係なく作動しているらしいのは判っていましたが、時計まで含めて完全にスタンドアローンで動いているとは思いませんでした。

昨日の失敗があるので方向はこれで合ってるよな、と自分に念押しした上でやって来たこの列車に乗りましたが、車内放送が次の駅はBank Negaraだと言っています。また間違えました。とにかくKomuterとは相性が悪いようです。

最悪の場合はクアラ・ルンプールからシンガポールまで飛行機で移動する事も考えつつ、とにかくBank Negaraで降ります。その時点で時間は8時6分、「Ekspres Sinaran Pagi」の発車時刻まで30分を切っています。

Bank Negaraの駅は対向式ホームになっていて、Pealingと違って改札を通らないと逆側のホームへは行けない造りでした。運賃が足りなかったのか、自動改札を通れなかったので有人改札であといくら?と言いながらありったけの硬貨を出すと、窓口氏はその全部を召し上げつつ何事かつぶやきながら別の切符をくれて、ようやく駅の外へと出ます。ちょうどその時、逆方向の列車が入って来ましたが、RM1硬貨はもうないし、いずれにせよ切符を買ったりしていたら間に合わないのでそのまま交通量の多そうな道を探す事にしました。

跨線橋を渡り、更に河を渡るとそこそこ車通りのある太い道に出ました。丁度良いタイミングでやって来たタクシーに乗り込み、セントラル・クアラ・ルンプール駅へと告げて少し安心します。

タクシーは順調に走り、ものの数分でセントラル・クアラ・ルンプール駅に着きます。一目散にIntercityのホームへと向かい、列車に乗り込んだのは8時18分でした。なんとか間に合いました。

自動ドアの故障の具合から、どうも昨日と全く同じ編成らしい「Ekspres Sinaran Pagi」は号車番号のみが違っていて、昨日のN号車が今日はJ1号車になっていました。

これで昨日みたいに発車が遅れたら面白いな、とか考えていたら定刻ぴったりに列車はするすると発車しました。

セントラル・クアラ・ルンプールを定刻に出発したものの、何故か列車はその後ずるずると遅れ始めます。写真のタイムスタンプを見ると、9時19分発のBatang Benarは9時51分で32分の遅れ、10時26分着のこのTampinでは11時6分で40分の遅れと段々と遅れ幅が大きくなっていきます。Tampinのホームはただ単に砂利が敷いてあるだけで、嵩上げがありませんでした。

この日も車掌さんがTVを点けて行きましたが、この日の1等車は結構混雑していたのもあって、音声が流れ出した途端に乗客の間から音を消してくれと矢継ぎ早に注文が出て早々に映像のみになりました。僕も一安心です。

昨日と逆側の席に座っているせいか、車窓も結構違って見えます。この写真は11時28分に着いたBatang Melakaにて。時刻表だと10時45分着なので、43分遅れです。

ホテルは簡単な朝食付きでしたが、朝食が始まるのが遅くて食べられなかったのもあってお腹が空いてきました。丁度お昼時でもあります。2両繋がっている1等車の向こうには確か売店があったはずだという事で、行ってみます。すると売店どころかちゃんとした食堂車でした。

手前のステンレスのカウンターでスナック類が売られていて、その更に手前側が厨房になっています。メニューにFried Noodleとあったので、ウエルカムドリンクを運んで来た若いウエイターにこれはミー・ゴレン?と訊くと、そうだ、フライド・ヌードルだと言うので、微妙な擦れ違いを感じつつもそれを頼みます。

厨房から響く炒め物を作る音を聞きながら10分弱待つと、ミー・ゴレンが出て来ました。結構辛いのですが、色々な味が濃密に絡み合っていて、食堂車で食べているという事を抜きにしてもとても美味しかったです。

カウンターでもう1本コーラを買い、自分の席に戻ろうとしたらデッキのドアが開けっ放しになっていたので、しばらく景色を眺めていました。

ちょっとドアに近付いてみます。結構揺れるのもあって、さすがにこれ以上は近寄れませんでした。

Kluangにて。妙に簡単な造りの駅名標が印象的でした。時刻表ではここには12時33分着、写真は13時23分になっていたので50分遅れで、遅れを回復するどころか大きくなる一方です。

行きは先にマレーシアの入国手続きをして、その後にシンガポールの出国手続きをするというイレギュラーな形でしたが、帰りはジョホール・バルでの停車中に係員が車内でマレーシアの出国手続きを行い、その後ウッドランズ・チェックポイントでシンガポールの入国手続きをするという通常の形になっていました。

ジョホール水道を渡るコーズウェイは今日も結構な渋滞でしたが、KTMはその横を悠然と通り過ぎます。奥に見える要塞のような建物がウッドランズ・チェックポイントです。行きと同じく、全員降ろされて入国審査を受けます。待合室ではREO Speedwagonの「Can't Fight This Feeling」が流れていました。

ウッドランズ・チェックポイントからシンガポールの間には駅がないと思っていましたが、Bukit Timahという小駅がありました。確かに時刻表にも載っていて停車する事になっていましたが、停まった覚えがありません。また、マレーシア行きの列車は乗る前に全員マレーシアの入国手続きをするはずですが、この駅で降りる場合はどういう扱いになるのか謎が残ります。

15時55分、シンガポール着。定刻だと14時45分着なので1時間10分遅れです。昨日も1時間ちょっと遅れたので、この程度の遅れは普通なのかも知れません。

僕が乗っていた1等車は編成のマレーシア側にあるので、先頭に近付いた時にはディーゼル機関車は外されて機回し線を走って行く所でした。昨日と同じく片側に運転台が付いた形式でしたが、蒸気機関車のように進行方向に合わせて方向転換をしているのか、ちゃんと先頭側に運転台がありました。

降車側ホームの脇にある両替カウンターで残り少ないRMをS$に替え、更に日本円も少し両替してシンガポール駅を後にします。次の目的地はMRT(Mass Rapid Transit)と呼ばれる鉄道(市街地中心部では地下鉄)のアウトラム・パーク駅。ガイドブックの地図によるとそんなに遠くもなさそうなので、大きな荷物を抱えたまま歩きます。

その道すがら見掛けた光景がこれ。シンガポールでは店舗の1階部分の道に面した側を通路にしなければいけないと法律で定められているそうで、どこも雨に濡れずに歩けるようになっています。

途中で横切った太い道には正月の飾り付けがありました。その様式には日本の物とは何一つ相通ずる点がありませんが、なんとなく伝わって来る年の瀬の雰囲気には似た物を感じます。

20分程歩いてアウトラム・パークの駅に着きます。駅に隣接して青空市場があり、色々な店が出ていました。

ここには後でまた戻って来るつもりなので、荷物をなんとかしたいと思ってコインロッカーのような物を探しますが、駅構内をくまなく調べてもそれらしき物は見付からず、仕方なく重い荷物を持ったまま次の目的地に移動します。

MRTには東西線(East West Line、緑の線)、南北線(North South Line、赤の線)、東北線(North East Line、紫の線)の3路線があり、濃いグレーの線で示された2路線のLRT(Light Rapid Transit)と共に鉄道網を形成しています。地図の中央左寄りを南北に走っている黒い点線はKTMです。

今、僕がいるアウトラム・パークは東西線と東北線が直交する駅で、これから向かうのは東西線で東へ4駅行ったブギスという所です。ちなみに一昨日まで泊まっていたSwissotelは同じ方向の3駅目、東西線と南北線が並走する2駅の北側のシティ・ホール、空港は東西線を東に行った先の分岐線(西側が本線になります)の終着駅になります。

券売機のタッチスクリーンで行先を選び、運賃+デポジットS$1を支払うと出て来る切符は非接触型のICカードでした。もしかしたら香港のオクトパスカードや日本のSuica/Icocaと同じくソニー製かも知れません。改札を入る時は勿論、出る時も改札にカードを触れるだけなのですが、手許に残ったカードは後で券売機に入れてデポジットを取り戻す必要があります。

真新しくて綺麗なホームにはホームドアや運行状況を表示するプラズマディスプレイ等があり、まるで東京の南北線辺りのホームにいるような気分になります。

車内に陸軍の隊員募集ポスターが大量に貼られたMRTに乗り、ブギスで降ります。地上に出てみると駅はパルコに直結していました。

小腹が空いたので、パルコの地下にあるフードコートへと行ってみます。普通に牛丼を売っている吉野家をはじめとして色々な店がありましたが、この時に選んだのは石鍋に入れたスープの店。御飯を付けるかと訊かれましたが、要らないと言ったら怪訝そうな顔をされました。このスープとどう組み合わせて食べて良いか判らないので断ったのですが、周りの人達はみんな御飯と一緒に食べていました。石鍋の熱で煮えたぎりながら出て来たスープは色々な出汁が効いていてなかなか美味しかったです。

ブギスに来た目的はサルタン・モスク見学なので、そちらへと向かいます。その道すがら見掛けたのがこのERP(Electric Road Pricing)のガントリーと呼ばれる料金徴収器。シンガポールの都心部はロード・プライシング制が'75年から敷かれていて、以前は係員が許可証を目視で確認していた物を'98年に自動/無線化したのがこのガントリーと全ての自動車とバイクに搭載が義務づけられている車載器のシステムです。通行料金は一定していなくて、30分刻みで時間帯毎に変動する上、3ヶ月に一度、それまでの道の混み具合によって全体の料金も改定されるそうです。ガントリーの裏側には監視カメラがあり、車載器なしで中に入ると後で罰金を取られるのだそうです。

三菱重工業が納入したこのシステムは、シンガポールのハイテク/インフラ大国の側面と、なんでもかんでも規則と罰金でがんじがらめにする規制大国の側面の両方を象徴しているように思えます。

少し歩くとサルタン・モスクが見えてきます。どうもメインではないルートから近付いたらしく、正面は路地を入った先になります。

これがモスク正面。見学時間は16時までなので中には入れません。KTMが遅れていなくても元々厳しい時間なので半ば諦めていましたが、残念なのには変わりありません。

時間帯としてはちょうどマグレブをやっている頃だと思いますが、この人達がここに座ってお喋りをしている所からするとちょっと時間がズレているようでした。

モスク正面側にはちょっとした商店街があり、中にはわりとまともな日本語の看板を掲げた店もあります。

中に入れないのではあまり見る物もないので、15分程度であっさりと引き揚げます。モスク正面の商店街を抜けるとあまりシンガポールらしくない街並みに出ました。ロンドンのコベント・ガーデン辺りで少し細めの横道に入ったような雰囲気を感じますが、建物に貼られた「空室あり」の看板の表記がイギリス式にTo Letとなっていたのもその原因かも知れません(アメリカ式だとFor Rent)。

この並びには「House of Japan」という店もありましたが、普通の衣類を売っているだけで、どの辺りが日本なのかはよく判りませんでした。

角地のカレー屋でインド系の一家がカレーを手で食べているのを横目に見たりしつつ、ブギスの駅へと戻ります。次の目的地はセントーサ島なので、さっき乗ったのと全く同じ区間を戻り、アウトラム・パークで東北線に乗り換えて路線図の一番下の部分にあるハーバーフロントへと向かいます。

東西線の車内も十二分に綺麗でしたが、東北線の車内は更に真新しくて綺麗でした。

ハーバーフロントの駅からセントーサ島へはケーブルカー(という名前のロープウェイ)、フェリー、バスの3通りのアクセス方法がありますが、まずはケーブルカーで行ってみる事にします。乗り場は駅に降りればすぐに判るだろうと思っていましたが、何故かその案内がとても少なく、ようやく見付けた看板に従って歩きます。写真はその途中で見付けた人形の一団。酉が目立っているので干支だとは思うのですが、中に豚が混ざっているせいで自信を持てません。

道を跨いでビルとビルを結ぶ廊下を歩いているとケーブルカーが見えて来ました。なんだか物凄く高い所を通っていて、なんとなく不安になって来ます。

しかし、相変わらず案内が少なく、乗り場の入口かと思ったら中華料理屋だったりでなかなか乗り場が見付かりません。既に入口が施錠されているビルのガードマンに場所を訊いてなんとか切符売り場へと行き、そこで言われた通りにエレベータで15階まで上がりますが、そのエレベータも全然普通のオフィスの物の雰囲気で、どうも不思議な感じです。

ようやく乗り場に着き、中でカップルが食事をしている(テーブルを置いてちゃんとしたディナーを食べていました)ゴンドラの次の空きゴンドラに乗せられます。ゴンドラのアームがロープを掴んで一気に加速し、ビルの外に出た途端、あまりの高さに一瞬パニック状態に陥りかけました。別にそれを目的とはしていませんが、今までそれなりにあちこちでロープウェイに乗って来た中でこれが一番怖かったです。

5分強の恐怖の時間が終り、なんとかセントーサ島へと上陸します。前のゴンドラに乗っていたカップルはちらっと見た限りでは楽しそうに食事をしていましたが、正直な所、正気の沙汰とは思えません。

案内看板に従って下り階段になっている真っ暗な細道をマーライオンタワーへ向かって暫く歩くと、ようやくその姿が見えました。このマーライオンタワーは5体いる公認マーライオンの中で最大の物で、全高は37m、口と頭の部分は展望台になっているそうです。造形も他のと違ってライオンの顔が写実的というか、なかなか格好良いです。

が、既に営業時間が終っていて中には入れず、ライトアップもされていません。ガイドブックでは毎晩2回、眼からレーザーを放ち、鼻からスモークを出すとの事でしたが、その時間を過ぎてもそんな雰囲気もありません。

空港に行くまではまだ結構時間があるので、もしかしたらもう少し待つと何か動きがあるかもと思いつつ写真を撮りますが、大荷物を抱えたままずっと移動して来たのもあり、なんとなく疲れた気分になりました。

約15分程の間、写真を撮ったり煙草を吸ったりして時間を潰していると、ようやく始まりました。この背後には半円形の屋外劇場があり、そこから結構派手な音が聞こえて来ます。どうもこのレーザー光線はその演出要素の1つであるようでした。

時間が経つにつれ、レーザーの幅が広くなったりライトアップの色が変わったりと色々と変化があります。しかし、鼻からのスモーク噴射はありませんでした。また、マーライオンの表面は石材というか打ちっ放しのコンクリートのような艶のない素材で出来ていますが、ライトアップが始まると共に水を掛けられたような光沢が出ました。どの写真を見ても同じ場所が光っているようなので、これはもしかしたら光ファイバーか何かが発光しているのかも知れません。ちなみに、マーライオンの手前を横切っているのは島内を循環するモノレールの軌道です。

後でよくよくケーブルカーの切符を見たら往復になっていましたが、あの恐怖をまた味わうのは嫌なので帰りはバスに乗る事にします。半円形劇場の近くのこのバス停から青い低床バスでビジター・アライバル・センターに出て、そこでやたらと混雑した観光バスタイプのバスに乗り換えてコーズウェイを通ってハーバーフロントへと抜けます。バスは全て無料でした。

ハーバーフロントからは来た時と同じく東北線で今日3度目になるアウトラム・パークに出て、東西線に乗り換えてさっき行ったブギスを通り越し、タナ・メラで空港支線に乗り換えます。東西線はブギスに行った時と同様に結構混雑していましたが、途中で地上に出る辺りから空き始めて、タナ・メラに着く頃には立っている人がほぼいなくなりました。

タナ・メラの駅はホームが2本あり、空港支線が発着する線はその両方と接しています。列車のドアは両側が開き、本線のどちら方向と乗り継ぐにも同じホームで乗り換えが出来るようになっていて、とてもよく考えられていると感心する事しきりでした。

東北線の末端部分もガラガラでしたが、空港支線は更に輪を掛けて空いていました。空港までの間にはエクスポという名のコンベンション・センターがあると思われる駅があり、それをすっかり忘れていた僕は危うく間違えて降りてしまう所でした。

チャンギ空港の駅はホームの上にどこに繋がっているか定かでない通路があります。普段は歩けるのでしょうが、この時は閉鎖されていました。

チェックインの後、空港内で食事を摂れる所を探します。なかなか良い所が見付からないままうろついていると、無料の映画館があったり、サンフラワー・ガーデンという展望台兼喫煙所になっている所があったりと色々な場所を見掛けました。

どこも決め手がないまま搭乗口の近くまで行くと、「Smokers' Bar」という看板を出している店を見付けました。中を覗くとみんな普通に煙草を吸っています。この国では屋内は禁煙なはずですが、どういう抜け道を使っているのかここは問題ないようです(Swissotelの廊下にも喫煙所がありましたが、あれも本来ダメなはずです)。とりあえず中に入り、チーズとオリーブをつまみにタイガー・ビールを1パイントと半分呑み、ファイナルコールを聞いて席を立ちました。

帰りのSQ998便はB747-400で、機内に入ると何故か真っ暗でした。夜行便だからかな、と思いつつ自分の席を探しますが、席番すらもほとんど見えません。これは一体なんだろうと訝しみながらぽつぽつと点いている非常灯の明かりを頼りにようやく辿り着くと、僕の席の42Aの隣、Bの席にアジア系の男の人が座って本を読んでいます。英語で話し掛けて席に入れてもらうとその人は舌打ちをしながら何故かCの席に移り、しばらくすると全然別の席に移って行きました。どうもこの人は空席に勝手に移動していたようで、その手の事は僕も以前はよくやりましたが、離陸前に動くのはどうかと思います。しかも読んでいた本は日本語だったので、日本人のようでした。

手許明かりは点くものの機内は依然として真っ暗で、しばらくしてから機内の電源系統に問題があるのでちょっと待って欲しいとのアナウンスが機長からありました。そんな飛行機に命を預けたくないからこのまま直らないで機体交換になってくれないかなと思っていると、直ってしまったらしく一気に明かりが点きました。

しかし今度は荷物だけ預けて乗らなかった乗客2名の荷物を降ろすからもう少し待ってくれとのアナウンス。ここに来てこの飛行機に乗りたくない気分は最高潮に達しました。

23時40分発、7時5分着と完全に夜中の便なのですが、離陸後しばらくして夜食が配られます。こんな時間にどうなんだろうとも思いましたが、肉や野菜が巻き込まれたトルティーヤはとても美味しかったです。

行きに乗ったSQ995便はB777-200だったので座席の大きさに余裕があってあまり辛くも感じませんでしたが、B747-400は座席の幅も狭く、前の席に常に膝が当たっている状態でした。多機能コントローラと液晶モニタはありましたが、解像度が低くて「マリオのピクロス2」もやり辛く、色々な面でやはり旧世代の飛行機なのだと感じました。

時間帯を日本時間に戻して朝6時少し前に朝食が配られました。普通の機内食ですが、金属製の食器が気になります。

雲海から頭だけを出した富士山を眼下に見ると、もうすぐ成田。考えてみると上から富士山を見たのは初めてかも知れません。

定刻より少し遅れて成田着。一緒に行った人達は少し前の別便に乗っていたので、結局再会せず仕舞いでした。

今回の感想としては、自分の意思とは無関係な所に連れて行かれるのも悪くないな、といった所でしょうか。でも、いつか客車列車を堪能しにヨーロッパへも行きたいものです。

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