■ 第1-2日 / 1月27-28日 ■

去年の11月頃、ハワイに行った前後に同じ会社の別の人から1月に現場があるのですが、とメールが来ました。しばらく普通にやり取りをして話がまとまってから、では現場はシンガポールですのでと言われて場所は国内、雰囲気からして多分都内かな、と勝手に思っていた僕は慌てました。

シンガポールなんてこの話がなければ一生行かないで終っていたであろう完全にノーマークな場所だったので、とりあえずガイドブックを買い、仕事先には帰りの飛行機は1日遅くして下さいと頼み、色々と情報収集に努めました。

最初はシンガポール国内であちこち見て回るだけにしようと思っていましたが、危険な事にそこにはマレーシア鉄道(Keretapi Tanah Melayu、略称KTM)があるのです。止せばいいのにKTMのサイトで時刻表を調べつつ、まずはマレーシア国境を越えてすぐのジョホール・バルまで行って帰る事を考え始め、次にKTMの分岐駅、ゲマスまでの日帰りプランが浮上し、そしてとうとうクアラ・ルンプールへの1泊2日にまで妄想が膨らんでしまいました。

こうなるともう止まりません。今度はマレーシアのガイドブックを買い、街やホテルの事を調べ、KTMとホテルの予約を入れたのは出発の約2週間前、1月中旬の事でした。

1月27日、行きの便はシンガポール航空SQ995便。ANAとのコードシェア便です。9時25分発と早い時間の便なので、家のすぐ近くから成田までの直行バスとの兼ね合いもあり、結局寝ずに出発する事となってしまいました。時間帯のせいか、機内はガラガラでした。

僕以外の人達は前日、26日に移動していましたが、僕はその日まで現場があった関係で1人で移動です。でもそれが功を奏したと言うか怪我の功名と言うか、前日になって突然スポンサーがある映像を使いたいとゴネ始め、夜にそのDVDを受け取って僕が運ぶという形になりました。

何をどう勘違いしたか判りませんが、この時点でこの機体はB747-400だと思い込んでいました。エコノミークラスではありますが、各席には液晶モニタと多機能コントローラが付いています。前の席との間隔も必要充分な広さがあり、居住性に問題はありませんでした。モニタの両脇には何の為かは解らないけれどもiPodを入れるのに丁度いいスペースもあります。

写真はゲームのメニュー画面(メニュー周りは恐ろしくもっさりとした操作感でしたが、ゲームは普通に遊べました)。「Nintendo」の中に入って行くとアクションやスポーツ等々8つのジャンルに分かれていて、色々なゲームボーイのソフトが遊べます。その中に「マリオのピクロス2(「お絵かきロジック」の劣化コピー版)」を見付けたので少しの間やっていましたが、週頭から続く睡眠不足に敗けてあっと言う間に眠ってしまいました。

眠りこけていると肩をつつかれ、驚いてヘッドフォンを外すと機内食の時間でした。外れたヘッドフォンからは「ドモアリガット、ミスターロボット、ドモドモ」と歌うデニス・デ・ヤングの声が流れています。

食事自体はこれ以上なく典型的な機内食でしたが、金属製のナイフやフォークが使われていて驚きました。既に人を殺しても時効になるだけの時間が経ったので白状すると、'79年のハワイ行きの際に両親がJALのスプーンやフォークを拝借し、もうこんな物は世の中にないのだろうな、と思いながらそのシンプルながら飽きの来ないデザインや使い易さから今でも愛用しているのですが、よもやあのテロがあった後の今になってなお存在するとは思いませんでした。

現地時間で16時(日本時間17時)頃、チャンギ国際空港に到着。ガイドブックで一年中30度を超す気温である事は知っていましたが、それでもドアを抜けた瞬間、強烈な熱気に思わず「暑っ」と声を漏らしてしまいました。僕の前後でも同様の声が続いています。多分、ここの空港のブリッジを繋ぐ作業員は横で聞いていて「暑い」という日本語だけは知っているのではないのでしょうか。

ブリッジを抜けて振り返ると、思っていたよりもずっと小さな飛行機がいます。ここでようやく乗って来たのがB777-200だと判りました。

入国手続きを済ませ、誰もいない税関を通って外に出ると、スポンサーのロゴ入りボードを持った現地ガイドの中国系のおばさんとインド系かマレー系の女の子がいました。迎えが来るとは聞いていましたが、要するにスポンサー社員が乗るバスに便乗という形になっているようでした。

20名程のスポンサー社員達と一緒にぞろぞろとバスに乗り込み、出発します。バス乗り場の脇にはロンドンで見掛けるタイプのタクシーが停まっていて、イギリス統治の影響かな、とも思いましたが、ここ以外では見掛けませんでした。

バスの中では中国系のおばさんが妙な冗談を交えつつ日本語で色々と説明をしてくれます。タブーや罰則等にも触れたその内容はとても有難かったのですが、見知らぬ土地で訳も解らずうろうろするのも楽しみの内と感じる僕はこういういかにもパックツアー然とした雰囲気にはどうしても馴染めません。

バスは両側に並木の連なる道を延々と進み、川を渡って市街地へと入ります。その時に通り掛かったのがこのラッフルズ・ホテル。有名、だそうです。

今回の現場はここのすぐ近くのSwissotel the Stamford。71階建てで、ホテルとしては世界最高層、やはり高級なホテルです。

先発隊の人達と合流、軽く打ち合せをしたり現地スタッフと顔合わせをしてビデオ素材をチェックしたりして過ごします。少しの後、チェックインしちゃって下さいと言われ、ホテルスタッフから渡された鍵は51階の物でした。こんな高い階の部屋に泊まるのは初めてです。

こういう高級ホテルの現場だから誰かと相部屋なのだろうなと思いつつ(同じ会社の洞爺での現場の時はツインの部屋に3人で泊まりました)部屋のドアを開けると、1人では使い道を思い付かない程の広い部屋でした。ベッドがキングサイズなのを見て、相部屋ではなさそうだとようやく解りました。

そして何よりベランダからのこの眺め。真下を見ると物凄く下の方に地面が見えますが、逆に高過ぎて皮膚感覚に乏しく、恐怖を感じません。こんな所に泊めてもらえる程の仕事を自分は出来るのか疑問です。

左の水上を渡る道の横に本家本元のがっかりマーライオン(左上はその拡大。公認マーライオンは5体いるそうです)が写っていますが、家に帰ってよくよく見るまでこれがそうだとは気付きませんでした。

全体ミーティングは19時からなので、51階からの眺めと残念ながらあまり綺麗ではない夕焼けをゆったり楽しんでいましたが、ふと時計を見るともうすぐ19時。今の季節、東京で19時と言うと真っ暗ですが、その辺りも修正しないといけないようです。ちなみにこの写真には18時46分のタイムスタンプがありました。

何が悪かったのか、食事も摂れないまま仕込みとリハーサルが終ったのは2時過ぎ。部屋に戻り、風呂上がりに夜景を撮ります。

右を向くとこういう風景です。左端の水際のこちら側は国会議事堂、その手前のドーム型の建物は最高裁判所だそうですが、ガイドブックと写真を照らし合わせながらこれを書いていて初めて知りました。

足許にはセント・アンドリュース教会。すらっと伸びたピナクルがとても綺麗な建物です。

ここ数ヶ月間全くTVを見ていませんが、やはり知らない土地のとなれば話は別です。チャンネルを回していると何語だかよく判らない言語で吹き替えられたハイジが流れていました。しかしエンディングの曲は日本語のまま、クレジットも日本語でした。

早く寝なくてはいけないのは重々承知ですが、サンドラ・ブロック主演の「The Net(邦題:ザ・インターネット)」が中国語字幕入りで流れていて、物凄くつまらないのにあちこちにMacintoshが登場したりモスコーニ・センター(MacWorld Expo / San Franciscoの会場)が舞台だったりでなんとなく最後まで観てしまいましたが、やはり物凄くつまらなかったです。

明けて28日、本番日。今回の現場には舞台の上下に高さ1.5m程の発泡スチロール製マーライオンがあります。外国人が日本で何かやる時にゲイシャ・ガールを出したがるようなセンスです。マーライオン自体はなかなか良く出来ていて、口から水その他を出せるホースも仕込まれていましたが、結局何も出しませんでした。

今回僕がメインで関わった4人。

左上:ロイ、照明担当、メイン卓/ムービング兼任。とても陽気。恐ろしい事に、英語を話せない進行の人が日本語で説明するとそれを完璧に理解していました。でも彼は日本語を全く知らないのです。同じ共通認識の上で動いているにしても驚異的な事です。

右上:アスリン、映像担当、カメラスイッチャー/VE兼任。思いっ切り陽気。スクリーンに絵が出ていない時、カメラチームが影で女の子をアップで抜いて盛り上がるというのは日本では普通にありますが、彼は全く同じ事をしていました。やっぱり男ってのはどこの国で産まれ育っても全く同じなんだな、と言ったら、そうだよ、人種も宗教も関係ない、同じなんだと言っていて、みんなで納得しました。

左下:サイモン、PA担当、メイン卓/叩き出し兼任。最初は少しぶっきらぼうな感じでしたが、すぐに打ち解けました。多分無駄話は彼と一番したと思います。日本以外のアジアではMacは滅多に使われていませんが、彼はProTools用にiBookを持ち込んでいました。シンガポールで使ってる人って結構いるの、と訊くと、ぜんっぜんと答え、でも売っている店は2軒あるよと言っていました(webのApple Store Singaporeもあるので不自由しないでしょう)。彼も日本語での説明を理解していました。

右下:チュア、映像担当、最終段スイッチャー/V送出兼任。物静か。仕事上のやりとりは彼との間が一番多かったです。もらった名刺を見たら、チュアというのは名字のようでした。欧米では敬称なしで名字を呼ぶのはとても失礼な事ですが、ここではそう紹介され、他の人からもそう呼ばれていたので、どうもそれが普通のようでした。同じ英語を喋っていても所変われば物事も変わるのだと思いました。

様々な面で条件がハードな現場にも関わらず、彼らは不満も言わず働いてくれました。腕前という面でも日本の同業者と大差なく、本当に色々と助けられました。

技術系のスタッフにはそれぞれの分野でなんとなく共通する雰囲気があるのですが、前夜のミーティングの時に集まった彼らの顔を見回したら各々がやはりその道の顔をしていて驚きました。こういう面でも人間は共通なのだと感じます。

パーティ現場なので、本番は夜から。昼間は延々とリハーサルと直し、理由がよく解らない空き時間がランダムに出現します。日本人スタッフから少し離れた所で4人とずっと一緒だった僕は段々と色んな箇所が緩んで来て、たまに言葉の端々に4文字言葉が混ざるようになり始めました。ロスアンゼルスから来たドラマーに、お前はハリウッドに住んでいた癖になんでそんなフォーマルな英語を喋るんだと問い詰められた僕にしては珍しいです(前夜、「よろしくお願いします」を訳せなくて「Kick Ass!」と言ったのが発端だったのでしょう)。

4人もどんどん地が出て来て、下品な冗談を言い合っては笑うようになり、しまいには「Horny」という単語(意味は書きません)まで飛び出して、僕は笑いが止まらなくなってしまいました。

夕方、本番が近くなったのでスーツを取りに部屋へ行く途中、吹き抜けの所で何やらやっていました。

結局本番が終ったのは日付が変わった後。いつもは撤収終了まで立ち合い、または自分自身も撤収作業をしてから会場を出ますが、今回は他の日本人スタッフの人達に0時半にロビー集合と言われて終了即退出でした。

先にいなくなる事を後ろめたく感じつつ4人と別れの挨拶をして部屋に戻り、他の人達と合流してタクシーでマンダリン・ホテルへと向かいます。1階のファミリーレストラン風のレストランでようやくタイガー・ビールにありつき、頼んだのがこのPrawn Mee Soup。要するにエビラーメンですが、何故かスペアリブもゴロゴロ入っています。干しエビの出汁が効いたスープが美味でした。他の人と一緒にチキンライスも頼みましたが、ちょっと分量が多過ぎて残してしまいました。

部屋に戻ったのは結局2時過ぎ。風呂に入り、夜景を眺め、毎晩何本も流しているらしいハイジを少し見て寝ました。いよいよ明日からは自分の時間です。

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