■ 第4日 / 1月24日 ■

100人以上の様々な国籍/人種の人が全世界から集まり、僕が主にやり取りしていた5人だけでもデンマーク人、カナダ人、イタリア人(多分)、イギリス人、ドイツ人と全員違う国から来ていた現場が終わって、ようやく旅行再開です。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
洞爺
08:52発
5001D
スーパー北斗1号
室蘭本線
沼ノ端
通過
千歳線
南千歳
10:04着
10:13発
3874M
エアポート94号
新千歳空港
10:16着
10:19発
3865M
エアポート103号
南千歳
10:22着
10:46発
33D
とかち3号
石勝線
新得
12:39着
12:39発
根室本線
帯広
13:14着
13:54発
2551D
池田より701D
銀河
池田
14:23着
14:42発
北海道ちほく高原鉄道
ふるさと銀河線
北見
17:01着
17:13発
4669D
石北本線
網走
18:16着

この日の移動は洞爺から網走で、普通なら札幌を経由して「スーパー北斗」から「オホーツク」という乗り継ぎをする所でしょうが、今回は元国鉄池北線、現第3セクターの北海道ちほく高原鉄道に乗りたくもあったので、敢えて帯広経由としました。

この経路だと余分に時間が掛かっているように思えますが、実は札幌経由だとちょうどいい「オホーツク」がなく、代わりに特快「きたみ」他に乗ると網走着が19時31分、帯広を通り越して釧路から釧網本線経由でも18時49分着と18時16分に網走に着ける今回のプランより時間が掛かります。

もっとも、これは洞爺を「スーパー北斗1号」で出発するという前提での話で、その前の「北斗星1号」に立席扱いで乗れば札幌経由が最速になります。しかし、現場となっていたホテルの無料送迎バスは「北斗星1号」に間に合う時間には走っておらず、しかもそのホテルは洞爺湖畔の山の山頂にあり、タクシーに乗ると麓の温泉街まででも¥5,000以上掛かるという場所で、駅まで乗ったら一体いくら掛かるか判らなかったので考慮の埒外としました。

と、色々と理屈をこねてみましたが、いずれにせよ僕は帯広経路で移動していたでしょう。結局の所、このプランが他の経路より速かろうが遅かろうが関係ないのです。

久々にやって来た洞爺駅。昔ながらの丸いポストが現役で働いているようです。

改札が始まり、ホームで列車を待ちます。すると3レ「北斗星3号」がDD51の重連に牽かれて入って来ました。どうやらここで「スーパー北斗1号」に抜かれるようです。客車11両+電源車1両+機関車2両と計14両編成のこの列車にはホームが短すぎるようで、DD51は2両共ホームからはみ出して停まっていました。

やはり客車列車は良いな、と思いつつ「北斗星3号」を眺めていると、5001D「スーパー北斗1号」が滑り込んで来ました。ようやく旅行再開です。

10時4分、南千歳着。ここから「とかち3号」に乗り継ぐのですが、それまでの約40分間の空き時間を利用して新千歳空港まで往復します。乗ったのは3874M快速「エアポート94号」。妙に眼が離れた電車がやって来ました。

南千歳を出てすぐにトンネルに潜り、そのまま新千歳空港に到着。あっという間でした。この新千歳空港はJR北海道で唯一の地下駅なのだそうです。

ここに着いたのは10時16分で、10時34分発の3867M快速「エアポート105号」になる同じ車両で折り返しても10時19分発の3865M快速「エアポート103号」に乗っても結果は同じなのですが、丁度向かいのホームに「エアポート103号」がいたので飛び乗ってしまいました。何と言うか、本当に無駄な事をしていると自覚する瞬間でした。

10時22分に南千歳に戻り、「エアポート103号」を見送ります。さっき乗った「エアポート94号」と車両の顔が違いますが、この「エアポート103号」は札幌から旭川まで3009M特急「スーパーホワイトアロー9号」になるのが理由のようです。

ホームで「とかち3号」を待っていると、洞爺で出会った「北斗星3号」にまたも巡り合いました。物珍しかったのか、女の子2人組がイクラの駅弁を手に記念写真を撮っていました。

それにしても、洞爺ー南千歳間は「スーパー北斗1号」が1時間12分で走破するのに対し、「北斗星3号」は1時間46分とかなりの大差が付いています。客車列車が遅いのもありますが、JR北海道の振子式ディーゼルカーの速さも驚異的です。

「北斗星3号」が札幌に向けて走り去った少し後に33D「とかち3号」が入って来ました。「スーパー」が付かない方なので、車両は国鉄時代から走っているキハ183系です。

11時55分発の占冠の駅名標。隣駅の表示に楓とありますが、この駅は平日の朝に1本しか列車が止まらないという駅で、3月13日のダイヤ改正と共に廃止が決定されています。なので、この駅名標も書き換えられる事になるのでしょう。楓が無くなる事で占冠の隣駅は新夕張となりますが、駅間距離が34.3Kmとこれまで国内最長だった石北本線上川ー上白滝間の34.0Kmを上回る事になります。

帯広の少し手前で見掛けたJR貨物の電気式ディーゼル機関車、DF200。北海道は貨物列車の本数が多く、時折この機関車も見掛けていたのですが、ようやく写真になりました。

13時14分、帯広到着。前側の先頭車はいかつい顔の0番台でしたが、後側には500番台の先頭車が付いていました。

次の列車までは40分間の待ち合わせになります。食事を摂りたかったので夏とは逆の方に出てみましたが、近くに店はないようでした。

あまり時間もないので駅に戻り、食堂街へと向かいます。さすがに名物だけあって、駅構内だけでも豚丼を出す店が数軒ありました。その中でそばとセットになっているのに惹かれて入ったこの店ですが、腰のあるそばが美味しく、豚丼も甘過ぎない程良い味付けになっていてとても良かったです。

美味しい食事で良い気分になってホームに上がると、保線係の人達がツルハシを手に作業をしている所でした。本当に大変な仕事だと思います。しかも春になれば全て融けて消えてしまうのです。

ここからは北海道ちほく高原鉄道のレールバス1両とキハ40系2両で編成された2551Dに乗ります。この列車は池田でキハ40系2両を切り離し、701D快速「銀河」となって北見まで行きます。キハ40系の方は至って普通の車両でしたが、レールバスの方は銀河鉄道999のキャラクター入りの車両です。この鉄郎やメーテルが大書された車両は2両だけあるのだそうです。

夢は終着駅へ必ず着く、と書いてありますが、現実はそう甘くありませんでした。

'89年6月に国鉄池北線から第3セクター転換されたこの路線ですが、元々沿線人口が非常に少ない上に140.0Kmと長大な路線長から来る保線コスト等々の悪条件に喘いでいました。そして決定的だったのが、設立時に国から交付された転換補助金を基とする基金の枯渇と存続に多大な影響力を及ぼしていた鈴木宗男の失脚。これを機に持ち上がった廃止論議の結果、廃止の方針自体は確定的になり(手続き上はまだまだですが、筆頭株主である道や沿線自治体が廃止したがっているので望みはほぼないと言っていいでしょう)、現在ではいつ廃止するのか、バス転換をどうするのかという踏み込んだ所まで話が進んでいます。

車内には鉄郎、メーテル、そして車掌さん(鞄の陰に隠れて見え辛いですが、上の写真に写っています)の絵が貼られ、運転席の後の衝立にも地球や猫の絵が描かれています。また、コカ・コーラの自働販売機やテレビも備えられていてイベント用に使われている事も窺わせます。

乗車率は意外に良く、各ボックスシートに人がいました。逆に、前に繋がっているキハ40系の方はガラガラでした。

14時23分、池田着。ここでキハ40系と別れて701D快速「銀河」となり、方向転換して北見を目指します。999列車が珍しかったのか、写真を撮っている女性がいました。

この待ち時間を利用して、僕はホームで2本電話を掛けました。1本は留守電をもらっていた仕事関係の電話でしたが、もう1本は網走の道東観光開発宛です。

気象庁札幌管区気象台のWebサイトが海氷情報をPDFファイルで流していて、現場をやっている間も毎日チェックしていたのですが、どうも今年は流氷が来るのが非常に遅いらしく、しかも南下したと思ったら一気になくなったりとかなり思わせぶりな動きを見せていました。僕は1月末なら接岸しているだろうと踏んで道東観光開発が運行している砕氷船「おーろら」を予約していたので、気が気ではありませんでした。

ダメだろうと思いつつ、電話に出た男性に流氷は来ましたか、と訊きましたが、やはりまだとの事。仕方がないので予約をキャンセルし、ついでに船は出るのですかと訊くと、遊覧船として出しますと言っていました。その後調べると、今年の網走での流氷接岸初日は平年より半月以上、'03年より3週間以上遅い2月17日だったとの事でした。

快速「銀河」は池田までと逆方向に走り始め、北海道ちほく高原鉄道の路線に入って行きます。先頭側の衝立には確かミーくんという名前だったと思いますが、松本零士世界ではどこでも見掛ける猫の絵が描いてあります。

少しでも集客に努めようと、地方の鉄道やバス、遊興施設等に動物やキャラクターの絵が描いてあるのを見掛けますが、正直な所、僕は辛くて見ていられないと感じる事が多いです。人影も疎らな所で笑顔の動物の絵がろくに掃除もされずに薄汚れていたりすると、その笑顔がわびしさを一層掻き立て、その絵を描いた人の思いも想像されて胸を締めつけられるような気持になり、いたたまれなくなってしまいます。

この車両もそう遠くない未来に廃車にされ、解体されるでしょう。このミーくんや車内の絵は好事家に買われて大事にされる可能性も高いですが、車体の絵はどうにもなりません。メキメキと音を立てながら鉄郎の顔に重機の爪が容赦なくめり込んでいく場面を想像してしまって暗澹たる気持になりました。

恐らく再び眼にする事がないであろう風景の中を進んで着いた小利別(しょうとしべつ)。気温計が−3.3度を表示しています。この辺りでは学校帰りの中学生が結構頻繁に乗り降りしていました。

その隣の駅、置戸。沿線では陸別や足寄と並ぶ主要な町のようです。写真では結構明るく写っていますが、置戸着は16時30分でもっと暗かった記憶があります。駅名標の横に沢山貼ってある7頂点の銀色の星は「ふるさと銀河線友の会」に入ると好きな駅に自分の名前入りで貼れるという物だそうです。

とっぷりと日が暮れた17時1分、北見に到着。降り際にミーくんを撮りました。どこかしら素人臭さと言うか、言ってしまえば偽物臭さが漂う他の絵と違い、このミーくんだけは本人の絵から起こしたのではないかと思います。調べると、ミーくんは松本零士氏がその昔飼っていた愛猫がモデルなのだそうで(「トラジマのミーめ」という題の単行本やアニメもあるとか)、それでどこにでも顔を出しているのかと納得すると同時に、その愛情の深さも感じられます。

降りる時に運転士さんから精算済証明書という物をもらい、JRのホームへと移動します。証明書の角には応募券があり、毎月抽選で色々と地元の物をプレゼントしているのだそうです。確かに車内には当選者発表の紙が貼ってありました。その命運を握っている組織の思惑とは別に、現場は必死で乗客を増やそうとしているのがひしひしと感じられます。

網走行きの4669Dがやって来ます。車両はキハ40系の2両編成。当然ながら主な乗客は学校帰りの学生でした。

1時間と少し走って17時13分網走着。学生達は途中の駅で段々と降りて行って、最後はガラガラになりました。

小雪が舞う駅前に降り立つと、立派なかまくらがいくつも建っていました。地元の各高校が競作をしたようです。この日の宿は夏にレストランでチャーハンを食べたホテルなので、網走川を越えてそちらへと向かいました。

部屋で少し休み、完全防寒装備で散歩と夕食に出ます。網走は駅から繁華街が遠く、ここまで来るのにかなり歩きました。気温計は−1.6度を示しています。

道端には氷詰めにされた海産物が並んでいました。冬の間に融ける心配がないので出来る事なのだと思いますが、春になったら氷から出して食べられるのかな、と要らぬ心配をしてしまいます。

たまたま通り掛かった路地。雪に青い光を当てると、それだけで即席トワイライト・ゾーンが出来上がります。

途中、コンビニで買物ついでにBookoff網走店の所在を訊ねましたが、網走駅の隣の桂台駅よりも更に遠いらしいので断念しました。

この日呑んだのはこの店。オオカミ魚が自慢なのだそうです。

ソウハチ。「最長片道切符の旅」で宮脇氏が稚内のタクシー運転手に教えてもらって食べた魚です。翌日小樽でも食べていたので気に入ったのでしょう。実際、普通のカレイよりずっと味が繊細でとても美味しいです。作中では「ソウハチ」と表記されていましたが、見た所漢字で「宗八」と書く店が多いようでした。

実はこれは僕が食べた2匹目のソウハチです。6泊7日の洞爺での現場期間中、基本的にはずっとホテルに軟禁状態だったのですが、1度だけ映像会社の人達に温泉街の居酒屋へ連れて行ってもらいました。その時にメニューに「宗八」とあり、あれなんだろという話になった時に、小型のカレイですよと言って食べ慣れた魚であるかのように頼んだのが最初のソウハチでした。よく知ってますね、と感心されましたが、いや、これが出て来る本を読みましてとだけ返しました。

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