■ 第3日 / 1月23日 ■

この日は鉄道には乗らず、バスで宗谷岬まで往復しただけです。朝は天気も良く、観光にはうってつけの日に見えました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
山麓駅
12:20発
 
稚内公園
ロープウェイ
山頂駅
12:22着
12:48発
 
山麓駅
12:50着
稚内駅前ターミナル
13:45発
 
宗谷バス
10系統
宗谷岬
14:35着
15:09発
 
南駅前
15:53着

しかしそれも束の間、宗谷岬では大荒れの天候となってしまうのでありました。

8時半頃にもそもそと起き出し、ホテルのレストランでバイキングの朝食を食べ、11時過ぎまで部屋でごろごろしてから出掛けます。

名物のドーム型防波堤。夏に見るのとはまた違った感じがします。それにしても写真を撮るには雪はありがたいです。全体に露出も稼げるし、照り返しで下からも明るくしてくれるしで。特に夜は全然楽に撮れます。

稚内と言えば、全日空ホテルの向かいの駐車場に気になる車がいるので見に行きます。夏に1台だけ周囲が草生していたいすゞジェミニです。行ってみると案の定と言うか、雪に埋まったままになっていました。一体この車は何年間このまま放置されているのでしょうか。

なんとなく駅の方へと向かいます。右に見えているのは夏に泊まったさいはて旅館の本館の方です(僕が泊まったのは2軒手前側の別館でした)。

線路の終端には最北端を示す看板が立っていました。隣の倉庫か何かは「スーパー宗谷」の前に走っていた急行時代の「宗谷」の色に塗られています。トレインマークも付いていて、なかなか凝っています。

時間もあるし、どうせならという事でロープウェイに乗る事にします。前夜見た時は照明の具合もあってかなり幻想的な雰囲気でしたが、昼間の明かりで見るとそういう感じでもありません。この写真を撮った直後、横からおじさんが出て来て物凄い勢いで階段を駆け上がって行きましたが、僕は恐る恐るとしか昇れませんでした。このあたりの差は絶対に埋められないだろうなと思います。

ロープウェイの山麓駅は2階建てで、1階の窓口で切符を買って2階のホームへ上がるという形になっていました。「ジロ号」と書かれたサクマドロップスの缶のようなゴンドラも見えます。一応時刻表は中に貼ってありましたが、僕が切符を買うと1人行ったよ、とホームに連絡して、乗るとすぐに出発したので、実際は随時運行という形になっているのでしょう。

出発してすぐに中間地点に達したらしく、僕が乗っている「ジロ号」の相方の「タロ号」(南極観測隊の生き残りの2頭から取った名前なのでしょう)と擦れ違います。この稚内公園ロープウェイは国内最北端なだけでなく、130mと最短距離でもあるそうです。

あっという間に山頂駅に到着。正味2分間乗っているかどうか、という感じでした。

この稚内公園にはスキー場があります。どうせなら滑りたかったので事前に調べたり、ホテルのフロントに訊ねたりして貸しスキー屋を探したのですが、市内にはなくて断念しました。この無念は数日後に洞爺で晴らせましたが、やはり残念は残念です。

もしかしたら誰もいないのかも、と思っていましたが、地元の高校や中学校の生徒で結構混んでいて、よくよくゼッケンを観察すると3校から来ていたようです。しかし、逆に普通の客はいないようでした。意外な事に、地元の子達のはずなのに上手に滑る子は少なく、転んでいる姿もあちこちに見掛けます。だからこそ授業に組み込まれているのでしょうが、こんな歩いてすぐの所にスキー場があるのに勿体ないとも思います。

リフト乗り場の脇を通って奥に行くと、墓地がありました。見晴らしが良くて、町が近くて、すぐ横にスキー場があって賑やか。死んでから埋められる場所としては理想的ではないでしょうか。

墓地の手前の所から下を見るとこんなです。オレンジ色の建物が市場で、その手前が駅です。左奥にはフェリー乗り場と防波堤も見えます。やはり全日空ホテルは目立つと言うか、周囲から浮いています。

帰りは「タロ号」の方に乗って市内へと出ます。すると除雪車の大軍が道端に停まっていました。凄い台数だな、と思いながら横を通り掛かると、食事をしていたらしい作業員の人達がどやどやと店から出て来て、各々の車に乗り込んで各方面へと散って行きました。

稚内で見掛けた中で一番長いツララ。2m近くあったと思います。こういうのを見ていると棒か何かで折りたくなります。

バスの時間が近付いて来たので、さいはて旅館の前のバスターミナルへ移動します。中の販売機にキリンのガラナがあったので飲んでみましたが、キリンメッツのガラナ味よりも更にマイルドな印象でした。やはりガラナはコアップが一番だと思います。

バスは空いていて、地元の人達以外にも旅行客らしき姿も少し見えました。その中にタイツもストッキングも履いていない女子中学生がいましたが、さすがに生死に関わるので校則で禁止されているとは考え難いので、あれは鍛え方が違うのか、それとも何か重要な回線が数本接続されていないのか、不思議に思います。

南稚内の駅を経由して海岸沿いの道を走ります。海は鉛色で、これが荒れたら演歌的どころではない情景になるだろうと思わせます。

そんな事を考えながら外を見ていると、宗谷岬に近付くにつれて天気がどんどん悪くなり、ついには吹雪き始めました。これは危険そうだという事で、鞄の中に入れておいたアウターパンツをジーンズの上から履きます。上はコーデュロイのジャケットの上にコートを着ているし、これで少なくとも寒さは凌げるはずです。例の女子中学生はこの吹雪の中に降りて行きましたが、さすがに寒そうでした。

次が目的の宗谷岬なのでバスの前部に行きます。対向車線の車のヘッドライトがスーッと近付いて来て、すぐ目の前で車の姿になるような視界の悪さでした。

遂に宗谷岬に着きました、と言うより、着いてしまいました。凄い風と雪です。しかし、30数分後にこのバスが大岬という所から折り返してくるまではなんとか凌がなくてはなりません。

彼方に宗谷岬のモニュメントが見えます。その横には間宮林蔵の銅像が風に吹かれるがままになっています。僕と一緒に降りたのはスーツに薄手のジャンパーという軽装のサラリーマン風のおじさん+お兄さんと、ダウンジャケット姿の旅行者らしきお兄さん。時折、凄いですね、等と言葉を交わしながら岬へと向かいます。

最北端の地で1回転(1.5MB / 21秒間)

このムービーを観ていただければ、いかに猛吹雪だったかが判ってもらえるかと思います。まるで僕とカメラの限界テストをやっているような感覚でした。

とにもかくにも、なんとかここに辿り着けました。寒さでカメラのバッテリーが放電しなくなるので、手袋の中で暖めたもう1つと頻繁に交換しながら無理矢理動かしています。僕自身も身体の防寒は完璧でしたが、帽子がないのがこんなに辛いとは思いませんでした。

モニュメントの周りを一周出来るようになっていたので、どうせなら、という事で奥に回ってみます。ここが本当の最北端なのでしょうが、容赦なく叩き付ける吹雪に堪え兼ねて1分間ももたずに退却しました。

観光地なので土産物屋や食堂は数軒あるのですが、こんな時期に来る物好きは相手にしていないのか、全て閉まっています。仕方がないのでまずはみんなで公衆トイレに逃げ込み、その後この休憩所が開いているのが判ったので移動します。

休憩所のドアは薄く開いていて、その隙間から雪が吹き込んでいました。それでも外にいるより全然楽で、救命ボートに乗っているような気分でとりあえず一息入れます。ダウンのお兄さんは写真を撮りに出て行きました。

バスの時間が近付いたので、道に出て待ちます。その間にも岬に車で来て、記念撮影をするものの即退散という風景が数回繰り返されました。

道端で暫く待つと、ようやく大岬からの折り返しのバスがやって来ました。休憩所の2人に声を掛け、4人揃って乗り込みます。

そのままバスに乗っていれば稚内まで行けますが、それでは時間を持て余してしまうので南稚内の駅前で降りました。雪は止まないものの、町中は岬よりずっとまともな天気でした。

線路がほぼ雪に埋もれていて判り辛いですが、ここは踏切の中です。奥に見えるのは「スーパー宗谷」の編成です。多分「スーパー宗谷1号」として13時28分に稚内に着いた後、16時53分発の「スーパー宗谷4号」として折り返すまでの間はここに停まっているのでしょう。

あわよくば南稚内で居酒屋に入ろうと思っていましたが、繁華街を見付けられぬまま歩き疲れてしまったので、タクシーで一旦ホテルへと戻りました。冬期特別料金なのか、どのタクシーも割増運賃で走っていました。

この日は駅の隣の市場の2階にある海鮮料理屋で呑みました。広い店内は閑散としていて寂しかったのですが、カウンターで呑んでいる内にまず船員らしいロシア人の一団が押し寄せて座敷を占拠し、続いてアジア系の観光客の団体が雪崩れ込んで来て店は大忙しになりました。何処の国の人達だろうと思いながら呑んでいると、1人で僕の隣に座って定食を食べていた日本人のおじさんがこのビール呑まないかと自分のジョッキをくれました。聞くと、この香港から来た団体が乗っているバスの運転手さんで、向こうから来ている添乗員に奢られてしまって困っているとの事。そういう人助けならお安い御用で、嬉々として自分の空ジョッキと交換しました。

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