■ 第5日 / 12月19日 ■

今日は肥薩線経由で鹿児島まで抜けます。人吉で時間があったので、元国鉄湯前線、現くま川鉄道で湯前まで往復しました。肥薩線は想像を遥かに超える路線で、特に人吉ー吉松間は何度乗っても飽きないだろうと思います。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
熊本
08:21発
1101D
くまがわ1号
鹿児島本線
八代
08:48着
08:49発
肥薩線
人吉
09:45着
10:04発
9D
くま川鉄道
湯前
10:45着
11:28発
10D
人吉
12:12着
13:30発
1235D
いさぶろう
肥薩線
吉松
15:00着
15:35発
4235D
隼人
16:25着
16:50発
6009M
きりしま9号
日豊本線
鹿児島
17:16着
17:32発
 
鹿児島市電
2系統
西鹿児島
17:46着
西鹿児島ー神田間徒歩移動
神田
21:38発
 
鹿児島市電
2系統
郡元
21:45着
21:48発
 
鹿児島市電
1系統
脇田
21:57着
22:10発
 
天文館前
22:31着

鹿児島では徒歩や市電であちこちに行ったのですが、道に迷ってちょっと大変な事になってしまいました。

今後熊本での定宿になるであろう熊本ステーションホテルを8時前に出発。橋を歩いていると何の遺構だかは判りませんが、石造りのかなり古い物が見えました。

まずはホームで丸天うどんの朝食を。最近立ち食いうどんと言えば丸天ばかりな気もしますが、やはり美味しかったです。カウンターには運転士さんだか車掌さんだかもいて、うどんをすすっていました。

最初に乗るのは1101D急行「くまがわ1号」人吉行きで、車両はキハ65というキハ58系の高出力エンジン形の2両編成です。内部は改装されていて、回転式リクライニングシートになっていました。

今や昼行の急行列車という物も絶滅寸前になっていて、「くまがわ」以外で現在残っているのは「みよし」「つやま」「かすが」の3愛称のみとなっています。もっとも、夜行も既に5愛称しかなく、淘汰は時間の問題と言えます。それでもこの「くまがわ」は6往復、12号まで走っていてかなり元気な方ですが、3月の九州新幹線部分開通に伴う大改正で「あそ」と合併の上で特急に格上げされてしまうそうです。しかもその新特急はワンマン運転するらしく、世も末という感じがします。

8時48分着の八代の手前で見える建設中の新八代駅。当分の間、九州新幹線はここが起点になります。しかし、3月の開通まで3ヶ月を切っているのにこんな状況で間に合うのでしょうか。

八代から肥薩線に入ると線路は球磨川の右岸に寄り添い、暫くすると鉄橋で左岸へと渡って人吉盆地に入るまでそのまま進みます。鉄道と道路は川に沿う物ですが、ここはその典型のような形になっていました。

車窓が楽しい「くまがわ1号」は9時45分に人吉着。右奥にはくま川鉄道のレールバスが見えています。

駅の入口では保線区員らしき人達が巨大な門松を立てていました。駅前広場を瞥見してから右奥のくま川鉄道の入口へと行きます。

こちらがくま川鉄道の入口。JRの跨線橋の外側を巻くように自前の跨線橋がありますが、駅を出ずに行き来する事も可能です。切符はホームにある自働券売機で買います。

跨線橋を降りると、レールバスが発車を待っていました。左の絶壁は国指定史跡の大村横穴群と呼ばれる古墳で、ホームに立てられた案内看板によると6〜7世紀の物だそうです。遺跡がこんな間近にある駅というのは初めてです。

ホームでは山高帽を被ったおじさんが煙草を吸っていて、お洒落なおじさんだな、と思っていたらこの列車の運転士さんでした。山高帽はくま川鉄道の制帽のようです。

くま川鉄道は人吉盆地の中を走る路線ですが、以前は日豊本線の佐土原から杉安まで走っていた妻線と接続する計画がありました。が、妻線も当時の湯前線も廃線指定を受け、湯前線は沿線に5つも県立高校があるのが幸いして辛くも第3セクターに移行して存続しましたが、妻線は'84年に廃止されてしまいました。

10時29分発の免田で上り列車との交換待ちがあり、少し停車します。驚いた事にくま川鉄道では今でもタブレット(通票)閉塞を使っていて、ここでタブレット交換が行われます。ちょっと見辛いのですが、運転士さんが手渡している鉄の輪っかがタブレットホルダです。

列車は人吉盆地の中を走り続け、あまり風景に変化のないまま10時45分、湯前着。普通は終点に着いたら5〜10分程度で折り返してしまうのですが、ありがたい事に次の上り列車は11時28分で、丁度いい具合に時間が空きます。

町の中心は国道沿いに移ってしまったらしく、人影もまばらな駅前を抜けて当てもなくぶらぶらとしていると、こんな旅館に行き当たりました。

駅前に「湯前まんが美術館」という看板があったのでそちらの方へ行くと、この不思議な建物の真中の部分がそれでした。公民館と一緒になっているらしく、左隣には「湯前町農村環境改善センター」と書かれた建物もあります。駅の横にも新しめの観光施設と貸しスペースや巨大なアーチ型のモニュメントがあり、脳裏に箱物行政という言葉がちらつきます。

時間もあるのでまんが美術館を見学します。毎日新聞で1コマ漫画を描いていた湯前出身の政治風刺漫画家、那須良輔氏に関連する物が常設展示されていて、大量の生原稿と自宅から移設された書斎で構成されていました。企画展示は那須良輔風刺漫画大賞の入選作と地元の子供達の漫画で、このポスターになっている大賞受賞作品の「災害視察」も展示されていました。

調べてみると、このまんが美術館は'89年に亡くなった那須氏の作品を軸に'92年に開館し、同時にこの風刺漫画大賞も始まり、大賞賞金はなんと100万円だそうです。発表は毎年11月に開催される「ゆのまえ漫画フェスタ」の期間中に行われ、その時期には湯前町の人口の約4倍の2万人もの人が集まるそうです。

湯前を11時28分に出たくま川鉄道10Dは、定刻の12時12分に人吉に到着。1時間とちょっと時間があるので町を歩きます。所々に古めの建物があり、立派な太鼓橋の向こうには神社もあります。橋が跨いでいるのは蓮池なのだそうですが、この時は枯れていてそれには気付かず、岸で日なたぼっこをしている鴨達にばかり目が行きました。

天気は晴れなのですが、気温がとても低くて雪が降りそうなほどです。

「汽車弁当」の看板をでかでかと掲げている駅前の食堂で昼食。ランチを頼み、駅前広場を眺めていると、本当に雪が降り始めてしまいました。ウエイトレスのおばさんにこんな時期に雪が降るのですか、と訊きましたが、やはり例年よりかなり早いそうで、これが初雪だそうです。

空腹だったので、ランチのごはんを大盛りにしてもらったらこんなとんでもない分量で出て来ました。これはさすがにどうかな、と思いましたが、飯は残すなと躾けられたせいか、なんとか食べ切れてしまった自分が嫌になりました。

ループ線+Z字型のスイッチバック駅×2という国内屈指の特徴豊かな区間である人吉から吉松までは13時30分発の1235D「いさぶろう」吉松行きで移動します。この列車は普通列車ではありますが、前述の通り見所が多い路線を楽しめる観光列車として運転されているので愛称があり、折り返しの1242Dは「しんぺい」という愛称になっています。観光列車なので、他の普通列車が約1時間で走る区間を1時間半掛けて駅での長時間停車や途中停車を交えつつゆっくり走り、車内では案内のテープも流されます。

事前に仕入れていた情報では車両はこの区間用に内装を変更したステンレス製のキハ31の単行のはずでしたが、この日は急行形のキハ28、58、近郊形のキハ140(キハ40系のエンジン換装形)の3両編成でした。

3両に増やされているという事は混んでいるのだな、と覚悟を決めてホームを歩くと、階段に近いキハ140や隣のキハ58は観光バスで来たらしいツアー客でほぼ満席になっているものの、最後尾のキハ28はガラガラでした。キハ140なんてデッキ無しでロングシートの部分もあるのに、もし階段から近いという理由で満席になっているとしたらツアー客というのはどこまで怠惰なのだろうと呆れざるを得ません。

そして僕が乗ったキハ28ですが、これはもう最高としか表現のしようがありませんでした。クロスシートは昔のままで、禁煙ではあるものの灰皿が残され、網棚は文字通りの紐を編んだ物でした。車内吊り広告が後付けのようですが、ワンマン改造もされずにここまで原形を留めている急行形車両はかなり貴重ではないかと思います。

隣のボックスもこの通り。窓際のテーブルに付いていたはずの栓抜きがなくなっている以外は国鉄時代のままなのでしょう。

13時46分頃、1駅目の大畑(おこば)に到着。ここで暫く停車します。寒さのせいか、ツアー客は車内に留まって外を見ているだけで、ホームに出て見物をしているのは僕の他には1〜2人だけでした。

この大畑は国内で唯一のループ線の途中に設けられたスイッチバック駅です。トンネルをくぐりながらループ線に入った列車は写真の左奥の線路から駅に入り、右奥の引込線に一度入ってから右手前に進みます。

大畑の駅舎は昔ながらのローカル駅という風情でした。スイッチバックがあって3両編成のため、2人乗っている運転士さん達と個人客らしい男の人が駅舎に入って何やら話しています。

先頭のキハ140にはトレインマークが掲げられていました。「いさぶろう」という愛称は人吉ー吉松間の開通をもって1909年に肥薩線が全通(当時は鹿児島本線、沿岸沿いの現行路線は'27年に開通)した時の逓信大臣、山縣伊三郎にちなむ物で、もう一方の愛称「しんぺい」は鉄道院総裁の後藤新平から名付けられました。

難工事の連続であったこの区間の開通にあたり、矢岳ー真幸(まさき)間の矢岳第1トンネルの人吉側入口に山縣伊三郎が書いた「天険若夷(てんけんじゃくい、天下の難所を平地のようにした)」、吉松側入口には後藤新平が書いた「引重到遠(いんじゅうちえん、人や重い荷物を遠くへ運べる)」の書を石碑にして埋め込み、記念としたそうです。「いさぶろう」「しんぺい」それぞれのトレインマークにはそのトンネル入口があしらわれています。

15時53分に大畑を発車してループ線の続きに入って行きます。時刻表では13時50分発となっていますが、かなり緩いダイヤで動いているようです。

途中、ループ線の終端部分で停車して説明が流れます。それによるとこの左下に今通って来た線路が見えるはずなのですが、木が生い茂っていて見えませんでした。

14時13分、矢岳着。大畑ではほぼ止んでいた雪がまた降っていて、うっすらと積もりつつあります。この駅が肥薩線で一番標高が高く、海抜536.9mの地点にあります。

矢岳の駅前にはSL展示館があります。開放しっ放しではなく、必要な時にシャッターを開けているようで、運転士さん達が開けていました。

庫内にいたのはD51の170番機。綺麗に磨かれています。もう1両置けるスペースがありますが、ここには現在「SLあそBoy」を牽引している8620形の58654がいました。その復活の際に地元の肥薩線で走らせないのなら反対だという運動があり、その交換条件として毎年春夏秋の3回、熊本ー人吉間に「SL人吉号」が走っているそうです。

他にも鉄道用品が色々と入ったガラスケースがあってそれぞれ面白かったのですが、中でもこの説明看板は1Km走るのに20Kgの石炭を消費する等、特に興味深い事を書いてありました。

大畑では車外に全然出て来なかったツアー客も、ここでは降りて来て写真を撮ったりD51の運転台に登ったりと銘々が過ごしています。しかし半分以上の人達は車内に留まったままで、何をしにここに来ているのだろうと不思議になります。

車内放送で言われていた発車時刻を忘れてしまったので、駅舎の中にいた運転士さんに何分発でしたっけ、と訊いたら、にこっとしながら何分にしましょうかねえ?と言います。思わず、そんななんですか!?と訊き返すと、この列車はゆっくり行けばいいんですよ、と至ってのんびりしています。考えてみれば、肥薩線の人吉ー吉松間は「いさぶろう」と「しんぺい」を含めても1日に5往復しか走っていなく、しかも次にここを通るのは「いさぶろう」の折り返しの「しんぺい」です。普通の時刻表に載らない貨物列車や回送列車も走っていないでしょうから、少し位ダイヤが乱れても他への影響は出ません。とは言うものの、世界一の運行精度を誇るこの国の鉄道にもこういう側面があるとは驚きました。

ホームで件の運転士さんと一緒に煙草を吸いながら話をしましたが、人吉と違ってこの辺りでは12月に雪が降るのは珍しくないそうです。ただ、やはりこれが初雪らしく、運転士さん同士の会話を聞いていると、国道が通行止めになるかも知れないから明日は乗客が多くなりそうだとの事でした。

定時より2分遅れの14時25分に矢岳を発車。やはりこうして車内を見ると往年の急行列車そのものです。乗客が多い日に他から借りて来る車両だそうですが、偶然ではあるものの、乗り合わせられて本当に幸運でした。ツアー客に感謝しなくてはなりません。

入口の上にあるので車内からは見えない「天険若夷」「引重到遠」の石碑があるはずの矢岳第1トンネルを抜けると、日本三大車窓として根室本線の狩勝峠(現在は新線開通によって眺めが変わったそうです)、篠ノ井線の姨捨駅と並び称される場所に出て停車します。ここからは霧島山や遠くは桜島まで見通せるそうですが、この天候では無理でした。

真幸が見えて来ました。ここもスイッチバック駅なので、一旦駅を通りすぎてから後ろ向きに走り、ようやくホームに停まります。肥薩線ではこの駅だけが宮崎県内にあり、矢岳は熊本県、吉松は鹿児島県になります。

到着は14時40分。ホームの砂利には石庭風の筋が入っていて、畏れ多くて足を踏み入れられません。奥に見える煉瓦色の三角屋根の下には縁起の良い駅名に因んだ「幸せの鐘」があり、今が幸せであればあるほど沢山鳴らすと良い事があるのだそうです。また、「真の幸せに入る」という縁起物としてここの入場券が人吉駅で売られています。

真幸の駅舎は1903年落成で、大雨で発生した山津波に埋まった事もあるそうですが、丁度100歳という事になります。大畑と矢岳の駅舎がいつ造られたのかは判りませんが、様式や風合いからして多分同じ時期の物だろうと思われます。

ツアー客が鳴らす鐘の音を聴きながら駅舎の中へと入ります。なんとも凄みのある雰囲気です。また、ここには真幸駅文庫として本棚と数十冊の本も備えられていました。

真幸を出て暫くの後、山の神第2トンネルの手前でまた停車します。敗戦間もない'45年8月22日、復員軍人を大量に乗せて人吉方面に向かっていた列車がこのトンネル内で立ち往生し、機関車が吐き出す煙で苦しくなった人達が自力で外に出ようとした所に列車のブレーキが外れて逆走(登坂を諦めた機関士が線路に人がいるとは知らずにバックしたとの話もあります)、53人もの人達が轢死または酸欠死したとの事です。トンネル内では今でも話し声が聞こえたり、呼び掛けると返事があったりと心霊スポットになっているそうです。

色々と面白い物を見せてくれた「いさぶろう」は定時の15時丁度に吉松到着。運転士さんの話し振りからして遅れるのかと思いましたが、元々余裕があるダイヤで走っているので取り戻すのは簡単なようです。

跨線橋から逆側を見ると、保存されているC形の蒸気機関車が見えます。駅では歌が入っていない「ふるさと」が掛かっていて、9割方おばさんとおばあさんで構成された100人近いツアー客がそれに合わせて歌いながら跨線橋を渡って行きます。なんとも異様と言うか、不思議な光景でした。

駅にはガイドさん達が待っていて、ツアー客をバスへと誘導しています。やはり「いさぶろう」に乗る為にやって来たのでしょう、外に出ると大型バスが3台も待っています。雪はここでもパラついていました。

次の列車まで空き時間があるので、保存機を見に行きました。案内看板によると、とても綺麗な状態に保たれているこの機関車は'37年の3月14日に落成し、小郡、糸崎、鳥栖、大分、宮崎、若松、吉松、鹿児島の各機関区を渡り歩いて'75年に廃車されたそうです。先頭部左右のデフレクタ(除煙板)の下半分が切り欠かれていますが、これは「門鉄デフ」と呼ばれる形で、九州の蒸気機関車に多く見られる物です。

駅に戻るとキハ58系やキハ40系が何編成も停まっていて、「しんぺい」はツアー客が乗らないようでガラ空きでした。ホームには今や貴重なサイドボード入れがありました。ここからは肥薩線の他に都城へ行く吉都線も出ているので、いろんな種類のサイドボードが入っていました。

吉松から隼人までは15時35分発の4235Dに乗ります。車両はまたもキハ58系でしたが、内装はリニューアルの上ワンマン改造されていて、車端部はロングシートになっていました。

八代ー人吉間は球磨川に延々と寄り沿い、人吉ー吉松間は複雑に入り組んだ線形の矢岳峠越えと変化に富んだ車窓を見せてくれた肥薩線も、吉松ー隼人間はわりあいと平凡でした。小学生から高校生までの各年齢層の子供達を乗せたり降ろしたりしながら、16時25分に隼人到着。次は16時50分発の6009M「きりしま9号」で鹿児島ヘと向かいます。

この間宮崎方面への「きりしま」に乗った時にはちゃんと見えていましたが、今日の桜島は頭を雲に覆われていました。今日の宿は西鹿児島駅前なのでこのまま最後まで乗っていても良かったのですが、どうせならという事で鹿児島で降りて市電で移動する事にしました。

17時46分、鹿児島に到着。ホームは長く広い立派な物で貨物用の施設も色々とありましたが、駅舎は最近改築したらしく、とてもこぢんまりとした物になっていました。市電のターミナルはすぐ横にあり、ここから最近オリックス2軍のスポンサーから撤退したサーパスのラッピング電車で西駅(地元では西鹿児島駅をこう呼ぶようです)へと向かいます。

この日泊まったのは西駅の逆側にあるホテルユニオンというビジネスホテルで、なぜかツインルームに通されました。

ホテルを予約する際の基準として部屋にMbpsクラスの回線が入っているかという事があるのですが、この日の宿にも勿論入っています。昨日の大戦果に気を良くしている僕は、部屋に入るとまずPowerBook G4をその回線に繋いでBookOffの支店の所在地を調べます。色々と考えた結果、その気になれば5軒回れる事が判ったので勇んで出掛けましたが、西鹿児島駅に一番近い最初の店を見付けるまでに物凄く迷ってしまい、1軒目の荒田店に着くまでに1時間以上もうろうろする破目になってしまいました。

写真は2軒目の唐湊店に行く途中に下をくぐった車両区で、明日乗る指宿枕崎線はここを通っているそうです。この後宇宿店にも行きましたが、市電の終わる時間が意外に早くてそこから天文館までは終電に乗る事になってしまいました。

最後に行った天文館店で「日本一をつくる ランドマークタワー」というランドマークタワー建設にまつわる絵本を腹いせ半分に買ったりはしたものの(面白い本ではありますが)、本来の目標である未読の宮脇作品はなく、結局1軒あたり5ヶ所(文庫の通常棚、¥100棚、新書の通常棚、¥100棚、児童書)×4店舗を回って何も無し、4試合連続の20打数ノーヒットという成績に終わり、'03年シーズンに18打席連続三振の世界記録を樹立したドミンゴ・グスマン(横浜→中日)を笑えないな、と肩を落としつつ居酒屋を探します。

女の子が出て来ない店を探しています、と言って客引きをしゅんとさせたりしつつ辿り着いたのはこの店。程良く酔って、ホテルまではタクシーで戻りました。

第6-7日 / 12月20-21日へ

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