■ 第1-2日 / 12月15-16日 ■

この日は筑豊地区の乗り残し制覇を主眼に置いて旅程を組みました。博多ではホテル泊まりではなく師匠宅にお邪魔する事になっていたので、子供達への手土産として事前に新宿の紀伊国屋で宮脇氏の「スイス鉄道ものがたり」や僕が子供の頃に好きだった絵本を数冊仕入れて持って行きました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
東京
19:00発
5レ
あさかぜ
東海道本線
神戸
通過
山陽本線
下関
09:55着
下関ー唐戸桟橋間タクシー移動
唐戸桟橋
10:20発
 
関門汽船
関門連絡船
門司港桟橋
10:25着
門司港
10:38発
2349M
鹿児島本線
小倉
10:51着
10:53発
1015M
有明15号
折尾
11:08着
11:21発
6438D
筑豊本線
若松
11:39着
11:44発
6443D
折尾
12:02着
12:05発
6535H
新飯塚
12:44着
12:45発
1553D
後藤寺線
田川後藤寺
13:06着
13:15発
951D
日田彦山線
夜明
14:20着
14:23発
1850D
久大本線
久留米
15:08着
15:20発
4352M
鹿児島本線
原田
15:42着
15:52発
6628D
筑豊本線
桂川
16:19着
16:30発
3653H
篠栗線
吉塚
16:54着
16:55発
鹿児島本線
博多
16:57着

この旅程を組む上で軸となったのは、筑豊本線の原田ー桂川間です。この路線の桂川から折尾までは電化されていて、結構頻繁に列車が走っているのですが、一転して原田ー桂川間は日に7往復しか走っておらず、しかも日中は5〜6時間も空き時間があるというローカル線区になっています。今回は運良く未乗線区を回りつつもここを組み込めましたが、今度は乗り継ぎが良過ぎてかなり余裕のない旅程となってしまいました。本来なら「出来の良い」旅程という事になりますが、あまりに出来が良過ぎるのも問題です。

出発は15日の夜。東京からはこの5レ「あさかぜ」で下関まで行きます。この間、広島からの帰りに乗った列車なので、なんとなく折り返しという感じがします。前回紹介した通り、この列車には荷物車兼務の電源車が付いていないので、下関寄りの車端部にある荷物室に新聞が積み込まれていました。

「あさかぜ」には個室B寝台がないので、車両の端の寝台を取りました。目の前が壁で窓も小さいのですが、ほぼ個室と言ってもいい雰囲気です。JNRマーク入りの灰皿が懐かしいですが、その上の小テーブルには更に懐かしい栓抜きが付いていました。

定刻の19時ちょうど、「あさかぜ」はゆったりと走り始めました。検札を済ませて、まずは食事です。この日の夕食は、はやて弁当と崎陽軒のシュウマイ、それに缶ビール他です。

シュウマイの方は説明の必要がないと思いますが、はやて弁当は東北新幹線に「はやて」が走り始めたのに合わせて発売された駅弁で、中身は焼鮭や卵焼、煮物と言ったオーソドックスな物(幕の内というよりも家庭で作る弁当という感じです)になっています。この手の列車名が冠された駅弁というのは何の変哲もない幕の内(僕は以前500系のぞみ弁当で酷い目に遭いました)というのが相場ですが、これは中身の一つ一つがなかなかしっかりとした作りで駅弁好きの間でも好評だそうで、実際に美味しかったです。

この間上りの「あさかぜ」に乗った時にはジェット・リー主演の退屈なアクション映画がラウンジカーで流されていましたが、この日は梶尾真治原作の「黄泉がえり」になっていました。梶尾真治という人は元々SF系の作家で、石油会社を営みつつ文筆業も同時にこなすというなかなか希有な人物です。作風もスペース・オペラ系からスラップスティック物(ありとあらゆる薬物を用いて記録を競う「ドゥーピンピック2004」は強烈でした)、情緒豊かなロマンス物とこれまた器用にこなします。僕は高校生の頃に「未踏惑星キー・ラーゴ」か何かでファンになって色々と読み漁り、本棚には今でも文庫本が12冊収められています。

僕がラウンジカーに行った頃には「黄泉がえり」は既に物語も佳境に入っているようでしたが、クライマックスだというのにストーリーそっちのけで女が歌を延々と、確か3曲位歌い続け、映画そのものがブチ壊しになっていました。やはり過度のタイアップはロクな結果を産みません。

写真は23時43分着の名古屋にて。東京で積み込んだ新聞を降ろす関係で3分間停車だったのでホームに出てみました。車体のJRマークの隣にある小さな窓が僕の寝台の場所になります。向かいのホームにはキハ85系が入って来ました。トレインマークには「ホームライナー」と書いてあったので、名古屋始発の8595D「ホームライナー大垣5号」大垣行きだと思われます。無論名古屋から大垣までは電化されていますが、何故かディーゼルカーを使っています。

7時4分の写真なので、宮島口と岩国の間にて。ここはこの間普通列車で通りましたが、やはり海沿いの路線は気持ちが良いです。この少し前、6時31分着の広島で3分間停車したので食料補給の為にホームに出ましたが、開いている売店はありませんでした。「あさかぜ」には車内販売がない上にこの日は乗り継ぎが良過ぎて食事の機会がないので、広島での補給失敗は死活問題となります。既に空腹気味の胃袋をとりあえずは前夜のおつまみの残りで誤魔化します。

終着の下関の1駅手前にある幡生の車両区にいた妙な列車。調べてみると「フェスタ」という名前のキハ58系からの改造車だそうで、なんとこれを扱う専門のファンサイトもありました。'88年にジョイフルトレインとして改造されたこの「フェスタ」は、豪華な内装はもとより車端部に取り付けられた唇が非常に特徴的で、下唇は実際に上下動し、内蔵されたLEDで文字や絵を表示可能な上にステレオスピーカーを介して喋る事も出来たとの事です。

上記ファンサイトの記事によると、'01年の引退後はタイ国鉄に無償譲渡される予定だったのが、話が決まった後にタイ国鉄側から何の連絡も無くなり、以来ここに留置されたままになっているそうです。結局譲渡はそのまま自然消滅となり、'04年の年頭にお別れセレモニーを行った後に解体の憂き目に遭う事となったそうです。

定刻の9時55分、下関に到着。左に写っていますが、隣のホームにはキハ58系がいて、山陰本線に入って行く列車なのかと思ったら11時28分発の新山口(まだ馴染めませんが、ついこの間までの小郡です)行き4552Dのようでした。やはりここも電化された区間ですが、ディーゼルカーを使っています。電車が足りないのでしょうか。

今回は列車でそのまま九州に入って行くのではなく、船で上陸する事にしました。関門橋の下を通っている人間用のトンネルを使う事も考えましたが、時間が読めなくなってしまうのと荷物が多いのでそれはまたその内。

下関の駅からこの唐戸桟橋へは路線バスもあるようでしたが、駅前にはかなりの数のバス停があってどれだか判らなかったのと、あまり時間がなかったのとでタクシー移動です。年配の運転手さんに唐戸桟橋までお願いしますと言ったら、え、船で九州行くの、と言われてしまいました。聞くと門司港から来る人は多いそうですが、下関から行く人はあまりいないそうです。

中年男性の団体や母子連れで満員の船は10時20分に唐戸桟橋を出発します。この関門連絡船は朝早くと夜は1時間に2本、日中は3本と結構頻繁に便があってかなり便利です。

ロシアの貨物船の脇をすり抜けて(2.4MB / 35秒間)

船はどんどん加速し、結構なスピードで関門海峡を渡って行きます。その模様はこのムービーでどうぞ。関門橋も間近に見えます。

たったの5分で門司港桟橋に到着。乗ったのはこの「しいがる」で、総トン数は19トン、速度は時速16ノット(29.2Km/h)だそうです。意外に遅いですが、実際に乗ると倍くらいのスピード感を味わえます。

門司港桟橋は門司港駅の目の前で、桟橋から出るとすぐに駅が見えます。しかしこの駅舎は何度来ても圧倒されます。駅舎の中のしゃぶしゃぶ屋の前には「牛しゃぶカレー」「豚しゃぶカレー」と珍奇な料理が書かれた立て看板があり、順調に空腹が進行している僕は気を引かれましたが、時間がないので看板を横目で見つつ次の列車に乗り込みます。

門司港から小倉へはこの10時38分発の2349Mに乗ります。船で渡って来てこの駅から九州に入って行くのは関門トンネル開通前の時代に戻ったようで、なかなかいい気分です。

小倉からは10時53分発の1015M「有明15号」に乗ります。たった2分間の乗り継ぎなので不安に思っていたのですが、同じホームの向かい側に入ってくれて無事でした。「有明15号」には15分間しか乗らず、11時8分着の折尾で降りてしまいます。折尾のホームにはドラフトで指名された地元高校生の祝賀横断幕が架かっていました。

この折尾という駅は色々と特殊で、国内初の立体交差駅でありつつホームが分散している駅でもあります。なのでホームにはこのような案内があります。

折尾の駅舎。門司港程ではありませんが、かなり古い建物だそうで、小さいながらも堂々とした造りになっています。中も天井が高くていかにも駅、という風情です。この写真の背後に6/7番線ホームがあるはずですが、この位置からは見えませんでした。

駅に戻って11時21分発の6438D若松行きに乗ります。車両はキハ40系です。筑豊本線は若松ー原田がその区間となっているのですが、若松ー折尾間と桂川ー原田間は非電化で、折尾ー桂川間は電化されています。運転系統もこの3系統に別れていて、両端の非電化2区間は折り返し運転、中間の電化区間は桂川から篠栗線経由で博多へ、折尾から鹿児島本線経由で小倉へと通し運転を行っています。

この頃には頭の中のかなりの部分がいかに空腹を満たすか、で埋まっていたので売店で折尾名物のかしわめしの駅弁を買います。いつ食べられるか判りませんが、とにかく食料を持っていれば何とかなるだろうという事で持ち歩く事にします。

車内は空いていましたが、ある種共通の雰囲気を持ったおっさん達が10人以上乗っています。一体何だろうと思っていると途中の奥洞海でおっさん達は全員降りて行きました。ここには競艇場があるようで、ホーム脇の看板で開催期間中である事を知りました。

若松には11時39分着。駅舎内の立ち食いうどん屋に群がるおっさん達を恨めしい思いで見つつ、そのまま折り返しの11時44分発の6443Dで折尾へと引き返します。

折尾には12時2分着。跨線橋を渡り、3分間の接続で12時5分発の6535Hに乗り継ぎます。とにかく慌ただしい事この上ありません。

3月の出雲大社行きの時にも乗ったこの817系という電車はやはり快適です。転換式クロスシートの座席はとても座り心地が良く、窓は4列分の大きさ。今年は本当に色々な車両に乗りましたが、今の所この形式が最高ではないかと思います。

新飯塚でキハ40系の後藤寺線1553Dに1分間の接続でばたばたと乗り換え、田川後藤寺には13時6分着。ここは後藤寺線と日田彦山線の接続駅なだけでなく、元国鉄の糸田線、田川線、伊田線を合わせた第3セクターの平成筑豊鉄道の糸田線とも接続しています。

写真はその平成筑豊鉄道のホームへと向かう階段。暗くて見辛いですが、両側の壁にはカラフルな絵が大きく描かれています。これは地元暴走族の妻子持ちのリーダーが覚醒剤で捕まって服役したのを機に心機一転、グループ名の表記を「極連会」から「Gokurenkai」に改めて地域貢献する為のボランティア団体に活動内容を切り替え、41人のメンバーと共に街中の清掃や福祉施設の支援等の活動をしていた所、駅からの依頼でこの階段の落書き消しをする事になり、その時に描いた物だそうです。僕は3月に後藤寺線に乗った後にTVで流されたその話のドキュメンタリーを偶然見て知りましたが、他でもきっとそうした物語がある場所を通っているはずなのに、知らぬ間に素通りしているのでしょう。

田川後藤寺では少し時間の余裕がありますが、それでも9分間の待ち合わせでキハ40系2両編成の13時15分発951Dが入って来ました。上の写真の階段が左奥に写っています。

ワンマン運転のローカル線は2両以上の編成の場合、一番前の車両しかドアが開かないので後の車両は大抵空いています。この列車も同じで、後の車両には僕と旅行者らしき中年夫妻の他には2〜3人しか乗客がいませんでした。なので、これはチャンス、という事で折尾で買ってから約2時間半経ってようやくかしわめしの包みを開けられました。「空腹は最高のスパイス」という言葉もありますが、なかなか素朴な味わいで美味しかったです。ちなみにこのかしわめし、内容は同じで大きさが2種類ありました。勿論これは大きい方です。

日田彦山線はこの辺りではそれほど険しくもない山間を川沿いに進みます。山奥という感じではなく、沿線には結構民家や製材所等がありますが、町並と呼べる程でもありません。

途中の彦山には13時46分頃に着き、上り列車との交換待ちの為に5分間程停まります。彦山の駅舎は大きく立派で、屋根や柱がベンガラで塗られて赤くなっていました。無人化されてはいるようでしたが、国鉄時代の匂いを濃密に残している駅でした。

14時20分、久大本線との接続駅、夜明に到着。日田彦山線はここが終点となります。列車は2駅先の日田まで行きますが、僕はここで降ります。写真の右奥に延びている線路が日田彦山線、左側の線路の奥側が久大本線の久留米方面、手前側が大分方面になります。

ここもやはり無人化されていますが、近所のおばさんが毎日掃除をしに来ているそうで、とても小奇麗に保たれた良い駅でした。

夜明で列車を降りたのは僕ともう1人のおばさんだけで、おばさんは久留米行きはこのホームでいいのかしらと不安げでしたが、14時23分発の1850Dはちゃんと僕らがいるホームに入って来ました。

久留米で鹿児島本線の快速4352Mに12分間の待ち合わせで乗り換えます。この鳥栖で6分間の停車がありました。奥に見える立ち食いうどん屋のかしわうどんがとても評判が良くて食べてみたかったのですが、時間的に心許なかったので諦めました。

15時39分発の基山にて。ここからは元国鉄甘木線、現甘木鉄道が分岐しています。車内からあれが甘木鉄道のホームか、と思いながら眺めていたら、タイミング良くレールバスが滑り込んで来ました。時刻表を見ると、甘木鉄道ではほぼ一日中30分に1本程度、多い時間帯では約15分間隔で列車が走っているようで、かなり頑張っているな、と感じます。

原田からは10分間の接続でこの6628D桂川行きに乗り継ぎます。日に7往復、しかも日中は全然列車がないお陰で、旅程を組む上で散々手こずらせてくれた線区です。対照的に左側の鹿児島本線はとても運転本数が多く、発車待ちをしている間にも特急や普通がひっきりなしに通って行きました。

老夫婦や若い女の人等が10人程度乗った列車は原田を15時52分に出ます。1駅目の筑前山家になんか可愛いのがいるな、と思ったら既に廃線になった路線の保存車両のようでした。

16時19分、桂川に到着。昼過ぎに後藤寺線に乗り換えた新飯塚はここからたったの3駅です。我ながら阿呆な事をしていると思いつつホームで次の列車を待っていると、東京では見られない色の夕焼けが刻一刻とその色合いを変えて行きます。一応カメラには収めましたが、やはりこういう物は写真では描写出来ません。

桂川からはこの3653H快速に乗りましたが、実は乗る列車を間違えました。本来はこの次の各駅停車で3月に通り掛かった時に印象深かった九郎原へ行き、駅の回りを見て回ろうと思っていたのですが、九郎原に停まらないこの列車に乗ってしまいました。それでも師匠の子供達が待っているそうだし、まあいいかという事で博多まで乗りました。

博多駅のコンコースでは九州新幹線部分開通に向けての盛り上げとして「くまもと・かごしまフェア」と銘打たれたイベントが行われていました。ステージでの伝統芸能の実演や3月のダイヤ改正で誕生する在来線特急のパネル展示、800系新幹線車両の座席展示等があり、中でも目を引いたのがこの800系のNゲージモデルでした。確かこの形式はまだどのメーカーも製品化していないはずなので、誰かが自作した物なのでしょうか。これらをざっと見て、地下鉄で師匠宅へと急ぎました。

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