■ 第1日 / 11月2日 ■

僕に非があった訳ではありませんが、その昔両翼87mの打ち降ろしになっている野球場で圧縮バットを使って世界一沢山ホームランを打った怖い人に1塁側ダッグアウトで怒られたりもしつつ、とりあえずは博多での仕事が無事に終ってその帰路です。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
博多
07:30発
2571A
博多南線
博多南
07:40着
07:57発
542A
(博多より542A
 こだま542号)
博多
08:07着
08:15発
山陽新幹線
小倉
08:34着
09:04発
30D
いそかぜ
鹿児島本線
門司
通過
山陽本線
幡生
通過
山陰本線
益田
11:59着
12:37発
3454D
アクアライナー
三保三隅
12:57着
13:25発
349D
益田
13:50着
益田駅前
14:20発
 
広島電鉄バス
新広益線
戸河内役場
15:53着
戸河内
16:12発
241D
可部線
三段峡
16:19着
16:24発
9244D
三段峡観光号
横川
18:21着
18:25発
山陽本線
広島
18:29着
広島駅
18:51発
 
広島電鉄市内線
2系統
銀山町
18:57着

この日は珍しくバスでの移動があります。これまでも駅からどこかに行って戻って来るという形はありましたが、一方通行で行ったきり、というのは初めてです。

この日の最初の列車はいつ見ても可愛い0系の2571A。7時半発の博多南行きです。

博多ー博多南間の博多南線は、本来は新幹線の車両基地である場所に駅を作って旅客を乗せている路線で、事実上山陽新幹線の一部ではありつつも扱いとしては在来線になるようです。しかしながらこの区間に乗るには乗車券の他に¥100の特定特急券も必要になり、色々と特殊な線区です。似たようなケースとして、季節限定で運行される上越新幹線の越後湯沢ーガーラ湯沢間がありますが、あちらは正式には上越線の一部として扱われているそうです。

博多を出てたったの10分で着いた博多南はまだ開発途上の住宅地にありました。改札は自動化されておらず、駅員さんが手で乗客を捌いていました。奥に見える高架橋は突然ふっつりと途切れていますが、もしかしたら九州新幹線の全線開通時に線路が繋がるのかも知れません。

来たのと同じ列車で引き返しても良かったのですが、1本遅らせても支障がないので駅前をぶらついていると、こんなとんでもない光景に出くわしました。機嫌は良さそうだったし、尻尾も上がっているので本人は嫌がってはいないようでしたが、犬を飼うのなら車内を毛だらけにされる事ぐらい覚悟したらどうかと思います。

博多南から小倉までは7時57分発の542A(博多から「こだま542号」扱いになります)で移動します。車両は今年の夏以来東京ではもう見られなくなった100系ですが、一部で三井住友カラーとも呼ばれる妙な色に塗られています。さすがに車両基地で、後には各種新幹線車両が見えます。

旅程を決めるにあたっては筑豊本線や香椎線乗り潰しも考えたのですが、後で「いそかぜ」に乗る事を考えると時間的に厳しいのと、小倉まで新幹線を使うと乗継割引が適用されて「いそかぜ」の料金が半額になり、在来線経由で小倉まで行くより安くなるのでこの形になりました。

小倉には8時34分に着き、「いそかぜ」の発車までちょうど30分あるのでコンコースで腹ごしらえ。肉と丸天のうどんですが、何が作用したのか妙に美味しかったです。

ホームに降りて暫く待つと、3月以来の因縁の列車「いそかぜ」が入って来ました。もちろん車両は国鉄色のキハ181系3両編成です。3月の時の写真と見比べて思いましたが、同じ被写体を同じ場所で同じ時間に撮っても、やはり陽の光の強さや色、角度が違っていて全然印象が変わります。

小倉で発車を待つ「いそかぜ」の横にいるという事は、取りも直さずED76に牽かれた3レ「さくら・はやぶさ」も入線して来ます。何故かこの日はヘッドマークなしでした。運用上の都合だとは思いますが、ヘッドマークが盗まれたという話も以前聞いたので、もしかしたら盗り鉄の仕業なのかも知れません。

考えてみるとこの場に居合わせるのは早くも3回目になります。最初が「はやぶさ」のA個室寝台の中、2回目が隣のホームに着いた日豊本線からの普通列車を降りて、そして今回は「いそかぜ」に乗る為。不思議な気分になります。

3号車に10人程の乗客を乗せて9時4分に小倉を出た「いそかぜ」は関門トンネルを抜けます。意外と乗っているのだな、と思っていると、何故か下関で数人が降ります。小倉を出てすぐに車内検札があったので、この人達はちゃんと正規の特急料金を払っているはず。普通列車に乗っても途中で門司に停車するだけで大差はありません。不思議で仕方ありません。

写真は9時44分発の川棚温泉にて。反対側の使われていないホームは壮大な花壇になっていました。林立する兎付きの立札には、花壇の手入れをしに来ていると思われる小中学校名が書かれています。左上はその中にあった古タイヤ。無粋な指摘になりますが、赤いJRロゴはJR九州だったかと思います。

山陰本線の西端部を走る「いそかぜ」はその走行区間のかなりの割合が海沿いとなっています。その中でもこの須佐ー宇田郷間にある惣郷橋梁は、山陰本線では東側の余部鉄橋に次いで名所と言われています。この部分はかなりの難工事であったらしく、'33年にこの区間が開通した事で山陰本線は全通となりました。

揺られながら海を眺めていると、何故か不意に頭の中で山口百恵の「いい日旅立ち」が流れ始めます。

益田ではバスに乗り継ぐまで2時間半近くの待ち時間があります。どうしようかと思って時刻表を見ていると、益田から浜田寄りに4駅目の三保三隅まではその待ち時間の間に往復出来る事が判りました。3月に「スーパーおき」で通った時に、この区間で気になる物を見たので行ってみる事にします。

小倉から約3時間、11時59分に益田着。まずは駅前のバスターミナルで戸河内役場までのチケットを買います。左上の写真の通り、料金券を組み合わせてホチキス止めした物が窓口から出て来ました。バスターミナルの隣にある大きな看板には駅前再開発計画の完成予想図があり、ホテルにマンション、商業施設や立体駐車場が'05年の3月には建つようです。

次の列車まで30分ちょっと時間があるので益田駅前をぶらぶらとします。するとこんな建物に行き当たり、不思議な形だなあとよくよく見てみると銭湯で、今でも営業しているようでした。

駅に戻ると側線に「いそかぜ」が。中間車の屋根に付いている大きなラジエータが圧巻です。この「いそかぜ」は日に1往復しかなく、11時59分に益田に着いた編成が折り返しで14時50分に小倉へと出発します。

左からキハ40系、キハ181系、これから乗るキハ126、そして新山口(ついこの間まで小郡でしたが、何故か改称されました)行きの1003D「スーパーおき3号」のキハ187系。さながらディーゼルカー天国と言った感じです。

12時37分に益田を発車した3454D快速「アクアライナー」は、三保三隅までノンストップで走ります。1駅目の石見津田と2駅目の鎌手の間で、3月に逆側の席に座っていてちゃんと見えなかった漁港が現れました。調べてみると大浜という場所のようで、この大浜漁港をぐるりと取り囲む形で線路が敷かれていてとても楽しい区間です。頭の中にはまた「いい日旅立ち」が流れて来ました。

益田を出て20分、12時57分に三保三隅到着。乗ろうとしている老年男女に運転士さんがドアの所のボタンを押さないとドアが開きませんと何度も大声で教えていましたが、言われている方は理解する努力もせずにただ解らんけーとだけ言いながら開いているドアまでゆっくり歩いて来ます。ボタン1つのこのドアを開けられないという事は、この人達は電話はおろかエレベータすら使えないのではないでしょうか。

ほぼ偶然と言っていい理由で来た三保三隅の駅舎は典型的なローカル駅でした。しかしながら有人駅で、帰りに窓口で益田までの切符を買ったらマルス端末から発券されました。時刻表を調べたら、2本に1本程度ではあるものの特急も停車するようです。

駅前には酒屋や化粧品店等、数軒の商店がありましたが、日曜日であるせいか全て閉っていました。中には看板に2桁の電話番号を掲げた店もありました。

益田行きの列車まで30分程ありますが、どこに行く当てもないのでしばらく道を歩き、適当に引き返して来たら酒屋の脇道の奥に神社があるのを発見しました。鳥居には諏訪神社と彫られています。

不思議な場所にある神社だな、と思いつつ石段を登ろうとしたらカサカサと枯葉が動く音がします。何かと思って見てみると小さな赤い蟹がこちらを睨んでいました。

上まで登って振り向くとこんな景色です。右側にほんのちょっとだけ写っている倉庫の扉が開け放たれていて、見ると陸軍大臣寺内正毅と署名がある「戰利兵器奉納ノ記」と書かれた1907年3月発行のなんと呼ぶのか判らない書類が入った額縁が掛かっています。時代からして日露戦争後の物なのでしょう。が、倉庫の中にはそれらしき物はなく、何が戦利品として奉納されていたのかは判りませんでした。

駅に戻り、ぽかぽかと暖かいホームで待っていると13時25分発の各駅停車、349D益田行きが入って来ました。車両はレールバスタイプのキハ120で、快速とは車両を使い分けているようでした。

大浜漁港をぐるっと(1.0MB / 15秒間)

件の大浜漁港ですが、帰りはムービーを撮りました。とても良い車窓なのですが、たったの30秒程度しか見られません。地元の足である事を考えると、もっとゆっくり走ってくれればいいのにとも言えないのですが、ちょっと物足りません。

帰りは行きより5分長く掛かって13時50分に益田着。考えてみると広島に着くまで食事を摂る機会がないので、駅前の寿司屋とも定食屋ともつかない店で天丼を食べます。

益田からは新広益線と呼ばれる高速経由のバスで移動します。日に2往復出ていて、1往復が石見(いわみ)交通、1往復が広島電鉄の受け持ちになっています。

高速経由とは言いつつも、僕が乗る区間では国道191号線のみをひたすら走り続けます。色付き始めた山々の間を1時間程走った所でトイレ休憩があったので、少し周囲を見て回ります。

上の写真の背後にあった看板。「たいさ」かと思ったら「おおさ」でした。

走るにつれ、段々と夕方の雰囲気になっていきます。空には筋状の雲が浮かんでいました。

途中、三段峡付近で少し渋滞はあったものの、無事定刻の15時53分に戸河内役場到着。ここから戸河内の駅までは歩きです。

歩きとは言っても、バス停からそのまま進んで数分の所に目指す可部線の戸河内駅はありました。

可部線は広島から可部、加計を経由して三段峡へと至る路線で、広島と浜田を結ぶ陰陽連絡線、広浜線として最初にその建設の陳情が加計から出されたのは1896年にまで遡ります。1909年に大日本軌道が軌間762mmの軽便鉄道として一部開業、1911年には可部まで開通し、'30年に全線の狭軌(1067mm)への改軌と電化を完成。その後は非電化で新線建設がなされ、国有化された'36年に安芸飯室、最初の陳情から58年経った'54年に加計まで開通するものの、'69年の三段峡延伸を最後に線路が延びる事はなく、三段峡ー浜田間は未成線のまま終わり、広浜線にはなりませんでした。

そして'98年、JR西日本は非電化の可部ー三段峡間の廃止検討を始め、その後は第3セクターへの移管の検討や試験的増発もされたものの'02年11月に廃止が決定され、その1年後の今年11月末で廃止される事となりました。

戸河内は有人駅で、委託駅員のおばさんから切符を買って誰もいないホームへと上がります。御多分に漏れず可部線も殆どの駅が無人駅なのですが、安野という駅では猫駅長以下4〜5匹の猫駅員が働いていて、名物となっているそうです。

暫く待つと、16時12分発の241D三段峡行きが入って来ました。この列車は三段峡で5分停車した後に、折り返しで土曜休日運転の9244D臨時快速「三段峡観光号」になります。車両はキハ40系の4両編成で、可部線には長過ぎるようにも思えますが、ちょうど紅葉シーズンで観光客が多いのに加えて廃止前の惜別乗車が重なっているという事で増やされています。

16時19分、三段峡着。ドアが開くと同時に物凄い数の人が車内に雪崩れ込んできます。さながらラッシュ時のようで、立っている人もかなりの数がいます。実際の所4両編成でも全然足りませんでしたが、停車駅のホームの長さの関係上これが限界なのでしょう。

窓口で広島までの切符を買おうとしましたが、とにかく乗ってくれ、切符は車内で車掌から買ってくれと言われたので引き返します。辛うじて僕は座れましたが、ロングシート部分になってしまったのでろくに外を眺める事も出来ませんでした。

この写真の真中奥には静態保存されているC11がいますが、これも近々解体されてしまうそうです。大井川鐵道あたりが部品を貰ったりしないのかな、とも思いますが。

語尾に「〜け」とか「〜じゃ」とかが付く人達で満杯の「三段峡観光号」は、さっきバスで走って来た国道191号線や大田川と絡み合いながら走り、17時27分に可部到着。発車は45分なので少しホームを歩きます。乗客は地元の人が多く、途中駅で段々と降りて行ってこの可部では少し車内が落ち着きました(とは言ってもまだ立っている人は多数います)。可部発18時9分の790Mもあるので、そちらに乗り換えた人もいたのでしょう。

廃止決定を受けて、地元自治体は可部から隣の河戸(こうど)までを電化して残すという事も検討しましたが、結局は予算不足で断念したそうです。

最後まで立ったままの乗客も多かった「三段峡観光号」は18時29分に広島に到着し、車掌さんは結局最後まで回って来なかったので窓口で運賃を払って駅前に出ます。コンコースを歩いていたら「いい日旅立ち」が今度は耳から聞えてきます。今日はずっとこの曲に取り憑かれていたので、ついにそこまで病気が進行したかと思いましたが、JR西日本のキャンペーンに合わせて最近リメイクしたらしく、誰だかよく判らない最近の歌手が歌っているようでした。しかしピアノを主体としたアレンジになっていて、やはりオリジナルの山口百恵版には全く敵わないと思います。

ここから予約を入れたホテルがある銀山町(かなやまちょう)までは広島電鉄の市内線に乗ります。乗ったのはこの大連接車両。数えてみると長いのや短いのが合わせて5つも繋がっています。広島の駅前を出てすぐに右にぐいっと曲がって橋を渡るのですが、それまで真っ直ぐだった列車がぐにゃっと大きく曲がり、車内で見ていると凄い迫力です。僕の周りに座っていた若い男女のグループは声を出して驚いていましたが、僕も道連れがいたら大騒ぎしていたに違いありません。

ホテルに荷物を置いて散歩に出ます。小雨がたまにパラついています。

まず行き当たったのが、守備の人のつもりで獲ったシーツが打撃でも一流で、全く良い所がなかった新井に代わって6月以降は不動の4番に座り、月間MVPを受賞するなどの活躍を見せた事と、新人クローザー永川が出て来た事、投手のはずのブロックが打率.318の2本塁打と打撃で暴発した事くらいしか今年は良い事がなかった広島東洋カープの本拠地、広島市民球場。各球団を自由契約になった選手を集めて行われる12球団合同トライアウトの会場になっているらしく、入口の上に垂れ幕が掛かっていました。

恥ずかしい話ではありますが、ここに来るのは初めてです。広島駅を出た事は高校生の頃に一度ありましたが、その時は駅前で昼食を摂ったのみでした。

小雨の中でしたが、やはり観光客がぽつぽつと見て回っています。

周囲をぐるっと一回りしてみます。元々堅牢な石造りの建物とは言え、あれだけのダメージを喰らった上に経年劣化も加わっているので、数次に渡る補強工事を受けているそうです。内側には何本もの梁が渡されているのが見えます。

今年の8月に慰霊祭のニュースをTVで見ていた時、何故だか突然ここに来たくてたまらなくなりました。あの衝動がどこから来たのかは今でも判りませんが、来て良かったと思います。

またふらふらと広島の街を歩きます。この日の夕食は、どこをどう通って辿り着いたどこにある店なのかはもう判りませんが、この店でした。広島焼きも他の鉄板焼きも旨く、値段も安かったです。

店を出てホテルに向かっていると、小雨が雨に変わって折り畳み傘を出さなくてはならなくなりました。

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