■ 第2-3日 / 11月3-4日 ■

この日の予定はちゃんと決まっていません。広島平和記念資料館、宮島と回ってから岩徳線で徳山へ行き、「こだま」で広島に戻って夕食を摂って「あさかぜ」で東京へ、という骨子は決まってはいるのですが、岩徳線以外はそれなりの頻度で走っている路線ばかりなので何かこう、張り合いがありません。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
銀山町
09:14発
 
広島電鉄市内線
6系統
広島駅前
09:21着
09:30発
 
広島電鉄市内線
1系統
紙屋町東
09:42着
紙屋町東ー本川町間徒歩移動
本川町
12:20発
 
広島電鉄市内線/宮島線
2系統
広電宮島口
13:12着
宮島口
13:20発
 
宮島航路
宮島
13:30着
15:05発
 
宮島口
15:15着
15:53発
5359M
シティライナー
山陽本線
岩国
16:09着
16:25発
2239D
岩徳線
櫛ケ浜
17:42着
17:45発
山陽本線
徳山
17:50着
17:59発
674A
こだま674号
山陽新幹線
広島
18:33着
20:00発
6レ
あさかぜ
山陽本線
神戸
通過
東海道本線
東京
07:33着

たまたま付いていた朝食をホテルのレストランで食べたり部屋でニュースを見たりとぐずぐずしている内に9時になり、これではいけないとホテルを出ました。

まずは荷物をコインロッカーに入れる必要があるので、広島駅へと向かいます。雨は止んでいたものの、あまり良い空模様ではありません。

荷物を置いて紙屋町東へ。乗ったのはこの3連接車で、昨日の5連接車程ではないものの結構大きな車両でした。広島電鉄にはこれらの新しめの車両以外にもかなり年季の入った車両も色々といて、正に百花繚乱といった趣です。

良い天気ではありませんが、様々な人種の観光客が訪れています。逆側の慰霊碑には花を供えたり手を合わせる人達もいました。

ドームから元安橋を渡った所にある燃料会館。'29年に呉服屋として建てられたこの建物もやはり被爆しています。現在は観光客用のレストハウスして使われています。

原爆死没者慰霊碑には鳩が止まっていました。市に雇われている訳ではないのでしょうが、ちょっと出来過ぎです。

平和記念資料館をじっくりと見て回り、平和祈念館の方も見てから本川町の停留所へ。元安川の逆側を歩いていると、広島県産業奨励館時代の写真と見比べられる記念碑がありました。こうやって見てみると随分吹き飛ばされているのが解ります。

本川町からはまた広島電鉄に。逆側にはかなり古そうな車両が見えていますが、残念ながら今回の滞在では古めの車両に当たりませんでした。

広島電鉄には全部で8系統の路線がありますが、広電宮島口行きの2系統は広電西広島で市内線から宮島線となり、線路も専用軌道となって山陽本線と並走します。

宮島口にはJRの宮島口と広電宮島口の2つの鉄道駅があるのですが、桟橋の方もJRと宮島松大観光船の2つが鎬を削っています。

僕が物心付いた時代には、国鉄の航路は青函連絡船、宇高連絡船、ちょっと影が薄い呉線の仁方と予讃線の堀江を結ぶ仁堀航路、そしてこの宮島航路の4つがありましたが、まず仁堀航路が廃止され、続いて青函トンネルと瀬戸大橋の開通で青函連絡船と宇高連絡船が廃止されたので、現在ではこの宮島航路のみがJR西日本に引き継がれて存続しています。

宮島航路は時間帯によって通る道筋が違い、昼間は厳島神社の大鳥居寄りの航路を走ります。

宮島に着き、幅の広い桟橋を通って外に出ると、雄鹿達が人目も気にせずに盛り上がっています。奥側の鹿の方が明らかに優勢で、ぐいぐいとこちら側に相手を押し込んでいました。

厳島神社へと続く道は凄い人混みで、しかも所々に鹿が紛れ込んで餌をねだっています。途中で見付けたこの屋台で買った揚げ立てで美味しいもみじ天(要するに串に刺さったおでん種みたいな物です)を食べながら歩きます。通りには土産物屋や食べ物屋がひしめいていて、非常に活気があります。あちこちの店を覗きつつ歩きますが、特に焼き牡蛎は食べたいので入念に値段と大きさを頭に叩き込みます。

厳島神社に着きました。宗教嫌いの癖に寺や神社ばかり見て回っている気もしますが、参拝料を払って中に入ります。

運の悪い事にこの時は引き潮で、海岸線は遥か向こうまで下がってしまっています。でもそれはそれで楽しみもあって、満潮時には水没してしまう所に降りられるようになっていました。

神社を出ると鹿にたかられまくっている人がいます。この日見た中ではこの人が一番鹿を集めていました。

干潮になっているお陰で大鳥居まで結構近付けます。が、潮が満ち始めたらしく、見る見る内に僕が立っている陸地が海に侵食されて行きます。陸地に戻って振り返ると、1人で遊んでいた3〜4歳位の男の子が取り残されています。父親が声を掛けても戻って来る気配はありません。そうしている内にも海は容赦なく広がり続け、結局父親が連れ戻しに行っていました。

陸地への階段を登ると雌鹿が大人しく座っていました。宮島の鹿はみんなそうですが、僕が近寄って撫でても全然動じません。

波止場から厳島神社の間は人通りも多く、通りの両側にびっしりと店が出ていて非常に活気があるのですが、厳島神社の奥側は殆ど人の気配がなく、開いている店もかなり数が少なくなっています。そんな通りを抜けて波止場の方向に向かう途中で見付けた五重の塔。これも何かしらのいわれがある歴史的な建物なのでしょうが、相変わらずガイドブックを買わない僕にはああ、いい風情だなという感想しか湧きません。

雄鹿はほぼみんな角を落とされているのですが、中にはどういう基準で選ばれたのかは判らないけれども数頭角が付いたままのがいます。無論危険はあるようで、角付きには気を付けろという看板も立ってはいるのですが、このおばさんの視界には入らないのか一緒に写真を撮っていました。もっとも鹿の方も手慣れた感じでカメラ目線で写真に収まっていて、季節柄気が立っているのはずなのに随分と大人しくしていました。

波止場への途中で屋台に寄って食べた焼き牡蛎。かなり大ぶりでその分大味ではありましたが、美味しかったです。今度この辺りに来たら、ちゃんとした牡蛎料理の店に行きたいと思います。

15時5分発のJRの連絡船で宮島口へ戻り、あなご飯を。考えてみるとホテルで朝食を食べて以来ちゃんとした食事をしていなかったので空腹です。右上の写真の左側に写っていますが、宮島口にはうえのという有名店があり、待たずに済みそうならここで食べようと思っていたのですが、行きに覗いた時も一番空いている時間帯のはずのこの時も店内はおろか店の外まで順番待ちの人でいっぱいだったので、ほとんど客の姿が見えない隣の店に入りました。味はまあまあという感じで、やはりその差がこの客の数の差なのかな、と思いました。

宮島口からは15時53分発の5359M快速「シティライナー」で岩国まで行きます。写真は宮島口の運賃表ですが、青い線の山陽本線をずっと行くと下松まで¥1,450、その次の櫛ヶ浜では¥340も安くなって¥1,110となっています。しかし緑の線の岩徳線経由だと運賃は順当に増えています。無論、これには理由があります。

岩徳線の開通前、この区間の山陽本線は現在と同じ海岸線沿いの路線だったのですが、'34年に現在の岩徳線が開通すると短絡線であるこちらが山陽本線となり、海沿いの旧線は柳井線に格下げされます。が、戦時体制に入り貨物輸送の需要が大きくなると、地形的に複線化が難しくて勾配もある短絡線経由では輸送力増強の妨げとなり、結局遠回りでも平坦な当時の柳井線が'44年に山陽本線に復帰、平行して複線化工事も行われました。そして一時は山陽本線だった短絡線は岩徳線の名を与えられ、現在も当時と同じく単線非電化のままとなっています。

岩国ー櫛ヶ浜間は岩徳線経由だと43.7Km、山陽本線経由だと65.4Kmあり、その差は21.7Kmありますが、国鉄側の都合で遠回りをしている路線なのにその差額を徴収するのは申し訳ないという事なのか運賃計算上の特例があり、この区間を乗り通す場合はどちらの路線を経由しても岩徳線経由で計算するという事で、このような逆転現象が起きています。

左窓に海岸線、その向こうに工場群を眺めつつ16時9分、岩国に到着。車両は115系ですが、かなり大掛かりな更新工事を受けていてとても座り心地の良い椅子が付いています。

徳山まではこのキハ40系単行の2239Dに乗ります。僕と同じボックスに座ったおばさんに話し掛けられたので天気の話などをしていましたが、荷物が少なかったせいか地元の人だと思われていたようです。考えてみると、今まではろくに喋らない内に東京の人間だと(または地元の人ではないと)看破されていましたが、地元の人と間違われたのは初めてでした。

車内は結構混んでいて、中でもジャージ姿の女子中学生の集団は元気が良い事この上なしでした。

16時25分に岩国を出た列車は西へと逃げる太陽を追い掛けるように走ります。空は今日も真っ赤に染め上げられています。17時半発の周防久保で上り列車との交換のために5分間ほど停車したので外に出ます。でもこの真っ赤な夕焼けを珍しがっているのは僕だけで、他の人達はみんな車内に留まっていました。

また「いい日旅立ち」が頭の中で流れ始めました。

17時50分、徳山到着。連絡通路には昔懐かしいパタパタ式の案内装置が付いていました。これも既に結構珍しくなっているそうです。

徳山では9分間の接続で674A「こだま674号」に乗り継ぎます。車両は三井住友カラーの0系で、ここからは博多南ー東京の乗車券を使います。広島には18時33分に着いたのですが、僕は寝てしまっていて目が覚めたら広島で、危うく新大阪まで流される所でした。普通ならそれでも乗り継げるからいいやとなるのですが、この日は荷物を広島駅のコインロッカーに入れているのでそうは行きません。この列車が広島で15分間停車してくれていて命拾いしました。

駅周辺で広島焼きの店を探したものの目ぼしい所が見付からず、駅ビルの上の方の広島焼き屋へ。結構美味しくて安かったです。店を出て荷物を引き揚げ、仕事関係の人達用にもみじ饅頭と特大ポッキー広島バージョンを買ってホームへ。

逆側には巌流島キャンペーンのラッピングを施された103系がいました。JR西日本は結構このキャンペーンに力を入れているらしく、あちこちの駅でバナーやポスターを見掛けました。また、この間の改正で「いなば」がキハ187系に置き換えられて「いそかぜ」のみで使用されている国鉄色のキハ181系にもこのラッピングをされたのがいて、なんでよりによって貴重なこの車両に、と思います。

20時きっかりに広島を出る6レ「あさかぜ」が入線して来ます。1枚位はまともに撮れるだろうと思って連続撮影モードでの流し撮りに挑戦しましたが、列車に向かってストロボを焚けない事もあって結果は御覧の通りです。

手早く寝台を作り、広島で買った酒と宮島口の屋台で買った作りたてのさきイカを持ってラウンジカーへ。以前は奥のカウンターが売店として営業していたそうですが、現在では取り止めになっています。この「あさかぜ」と「カシオペア」ではラウンジカーですが、「富士」「はやぶさ」「北斗星」ではロビーカー、「トワイライトエクスプレス」ではサロンカーと呼び、「出雲」に付いている非営業の食堂車はフリースペースとされています。何を根拠に変えているかは解りませんが、ややこしいです。

ここに座って少しの後、制服姿の女子高生8人が車掌さんに連れて来られました。確か広島で「あさかぜ」に乗るには寝台券が必要だと改札口で説明を受けていた子達です。よく理解出来なかったのか、それとも強行突破を試みたのか、乗ってしまったようです。無論車掌さん達に見付かって、降車駅の福山までの特急料金とB寝台料金合わせて¥8,080だよと言われて恐慌状態に陥っています。

みんな真面目そうな昔ながらの女子高生という感じの子達で、ソファに座っていたおじさんとの会話を聞く所によると、生徒会の用事で出掛けた帰りでした。持ち合わせがある子は私払うと言い、ない子はどうしようと狼狽し、またある子は先生に電話を掛けて泣き付いています。結局どういう決着になったのかはよく判りませんでした(特急料金だけ払ったようにも見えました)が、最初の停車駅の西条でそそくさと降りて行きました。

この写真の背後にはシャワー室とTVがあって、ジェット・リー主演の退屈なアクション映画を流しています。つまらないと思いつつも結局最後まで観てしまいました。チタニウムPowerBook G4が写っていたのでそんなに古い映画ではなさそうでした。

空けて4日、東京到着の少し前。夜行列車特有の澱んだ空気が心地良いです。この日の「あさかぜ」1号車の下段はほとんど埋まっていました。去年の3月の「銀河」以来、開放B寝台に乗るのは4回目ですが、毎回向かいに人がいます。清掃その他の手間を少なくする為にJRが発券を偏らせているのだとも思いますが、それにしても本当に言われている程斜陽なのかな、とも思います。

7時33分、定刻に東京着。「あさかぜ」の編成には電源車がないので、普通は電源車に併設されている荷物室が1号車の車掌室側に作られています。

ラウンジカーに付けられた2基のパンタグラフから編成で使う電源を電源車の代わりに供給しています。その設備が直流専用なのでこの編成は下関までしか行けません。客車なのにパンタグラフが付いているのは非常に不思議な感じです。

編成の一番前へ行くと、既にEF66は外されていました。

ともあれ、今回も無事帰り着けました。反省点としては、人が集まると判っている所に行ってしまった事でしょうか。特に紅葉と廃線が重なった可部線は凄まじかったので、次にどこかで廃止される路線に乗るとしたらもっと早目に動こうと思います。

戻る