■ 第3日 / 10月29日 ■

豪遊券を使い始めて2日目のこの日はようやくというか、グリーン車に乗りました。しかも各々形式が違う車両を使う4列車でです。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
宮崎
06:09発
5002M
にちりん2号
日豊本線
大分
09:27着
10:15発
3018M
ソニック18号
小倉
11:31着
12:28発
3136M
鹿児島本線
門司港
12:41着
15:00発
4149M
小倉
15:13着
15:52発
1035M
有明35号
博多
16:42着
17:02発
2033M
かもめ33号
鳥栖
17:22着
17:22発
長崎本線
長崎
18:55着

しかしこの日の一番の楽しみは門司港駅近くにこの8月に開館したばかりの九州鉄道記念館です。もちろん門司港駅そのものも非常に歴史のある駅で、ここもとても楽しみにしていました。

この日は早起きです。最初の列車は6時9分に宮崎を出る「にちりん2号」なので5時半過ぎに起きたのですが、5時48分の時点でまだこんなに暗く、本当に西にいる事を実感させられます。

6時きっかりの宮崎駅前。まるでイーグルスの不朽の名盤「Hotel California」のジャケットのようです。「On a Dark Desert Highway, Cool Wind in My Hair〜」とくらあ、という感じです。

南宮崎始発の5002M特急「にちりん2号」は宮崎を6時9分に出発します。車両は真っ赤な485系で、普通車と合造になっている半室グリーン車が付いています。そしてこれがその座席。さすがに大きいです。しかも1列+2列の3列シートです。

考えてみるとグリーン車なんて岐阜の中津川に仕事で行く時に「しなの」に空席がなくて仕方がなく乗った1回しか経験がありません。あとは100系の「ひかり」で新大阪に行く時に2階建てグリーン車の1階部分にあるグリーン車と同じ設備が付いた普通車に偶然乗っただけです。今日はこれから4回もグリーン車に乗りますが、どう考えても僕には似合いません。小さくなっていようと思います。

6時28分発の高鍋あたりから海岸線に沿って列車は走ります。この辺りでようやくといった感じで太陽が水平線から姿を現わします。この頃僕の頭の中では、宮崎駅前で見た光景のせいでドン・ヘンリーの歌声がぐるぐる回っていました。

暫くすると海岸線から少し離れ、代わりに見えてくるのがこのリニア実験線の遺構です。昔から「延岡の実験線」と覚えていたのですが、意外と南にあり、延岡の8駅宮崎寄りの美々津ー都農間で日豊本線と並走します。

'77年に開設されたこの実験線はリニアモーターカーの様々な基礎研究の舞台となり、調べた限りでは'95年頃まで使用されていたようです。単線で勾配や橋梁、トンネルがなかったため、JR東海が'97年に山梨の実験線(構想では中央リニア新幹線が開通した際にはその一部に組み込まれるそうです)を完成させ、現在も研究が続いています。結構頻繁に試乗会も行われていて僕も応募し続けているのですが、未だ当たった試しがありません。

そういえばその昔、この延岡の実験線の事を「あんなトリ小屋やブタ小屋だらけの所を走っている」と言って集中砲火を浴びた馬鹿な議員センセイがいたなあ、と思って調べてみたら、現東京都知事でカジノ誘致やカラス虐殺に血道を上げてばかりいる石原慎太郎の発言でした。この人はその後も南京大虐殺を中国人の捏造だと言ったり、三国人発言をしたりでその差別主義者(ついでに軍国主義も)振りを改めるどころかどんどん酷くなる一方です。

7時15分、延岡着。発車は22分なので、ホームに出てみました。右奥にいるのはどこにでもいて地道に仕事をこなしている働き者のDE10だと思います。このホームの左奥には元国鉄高千穂線、現高千穂鉄道のホームがあり、これまたどこででも見掛けるタイプのレールバスが乗客を待っていました。

延岡を出て暫く後、8時18分に途中駅で下りの33レ寝台特急「彗星」南宮崎行きと行き違ったりしつつ、9時27分に大分に着きました。

「にちりん2号」は小倉行きなのでそのまま乗っていても良かったのですが、別府に行った事はあるのに大分に降りた事がなかったのと、大分からは485系とは違った形式の「ソニック」が走っている事、そして朝食を摂りたかったので降ります。

大分で食べた朝食がこれ。駅前アーケードの2階にある喫茶店のモーニングセット。トーストとおむすびの2種類があって、どちらもコーヒー付きで¥500でした。味噌汁が嬉しかったです。

大分からは10時15分発の3018M「ソニック18号」で小倉へ行きます。車両は883系という振り子車で、「ソニック」という名前は元々この形式に付けられた愛称だそうです。隣にいるのは9時47分に大分に着いた1レ「富士」。こうやって見ると24系客車は大きいです。

これが2種類目のグリーン席。もちろん3列シートです。右の肘掛けの内側にあるのは電動リクライニングスイッチ。これは欲しい角度に合わせ易くてなかなか良いです。3列なのでシート幅は大きいのですが、後で普通車を覗いてみたら、あちらは4列ではありますが、あまり差はないようでした。ただ、普通車のヘッドレストは赤、緑、青のトリコロールに彩られていて視覚的な落ち着きという点ではグリーン車に軍配が上がるようでした。

席に座ると窓の外に「富士」の行先表示器が。やはり客車はいいです。

この883系のグリーン車は先頭車を半室構造にした片側にあるのですが、車端部にはこのパノラマ・キャビンと呼ばれる共用スペースがあり、前面展望(この時は編成後端だったので後方)が楽しめます。乗客の絶対数が違いますが、JR九州の車両はただとにかく人間を大量に詰め込むだけのJR東日本やJR東海のとはかなり違います。

小倉着11時31分。大分から小倉は速くて、所要時間は1時間16分です。小倉の駅は前回来た時と全く変わっていて、モノレールが直接乗り入れているというレトロ・フューチャー感溢れる構造になっていました。前回は東京を大垣行き夜行鈍行で出てからきっかり24時間で小倉に着き、駅前の屋台でラーメンを食べて銭湯に入り、夜行急行の「日南」か「かいもん」に乗り継いだ覚えがあります。そんなバックパッカー紛いの貧乏旅行をしていた僕が、今やグリーン豪遊券で毎日ホテル泊まりの旅行をしているのだから世の中が変わっているのも当然です。

小倉にはお目当ての店があります。7月の北海道旅行の初日のページで紹介した「JR全線乗りつぶしマップ」目当てで買った「旅」8月号に載っていただるま堂です。駅をモノレールの線路側に出て少し歩いた所にある鳥町食堂街の一番駅寄りにその店はありました。

だるま堂は7〜8人が座れるカウンターだけの小さな店で、おばあさんが1人で切り盛りしていました。この時間帯は焼きうどんのみを出しているらしく、席に座ると注文も聞かずに作り始めたので慌てて天まどで、と頼みます。

そして出て来たのがこれ。焼きうどんに卵を入れるとこの天まどになります。小倉は焼きうどんが名物になりつつあるらしく、「旅」8月号によると乾麺に鰺節又は鯖節を使い、仕上げに地酒を掛ける等の共通項があるそうです。乾麺を使った焼きうどんというのは初めてでしたが、これがなかなか独特で美味しかったです。そしてこの天まど、半分位までは卵を割らずに食べたのですが、卵を割って半熟の黄身を混ぜ込むとまた全然違う味わいになり、ここからが本領発揮、という感じでした。

駅に戻り、原田始発の門司港行き快速3136Mで門司港へ向かいます。小倉から門司港の間は操車場や機関庫、貨物駅といった鉄道施設が絶えず見えていて、門司港の駅構内もこの通り線路が非常に複雑に絡み合っています。

12時41分、小倉から13分で門司港に到着。長くて幅の広い頭端式ホーム、木造のホーム屋根、銅版葺きの屋根に覆われた木造駅舎、大きな駅前広場とどこを取っても超一流の駅です。

駅構内には関門連絡船の通路跡が残されていました。説明板によると、1901年5月に下関ー門司(現在の門司港)間で運行を開始した関門連絡船は、最盛期には1日平均53往復し、年間880万人も輸送していたそうです。しかし'42年の関門トンネル、'58年の国道トンネルの開通で斜陽となり、'64年10月末で廃止されました。青函連絡船は青函トンネルの開通と同時に廃止されたので、逆にトンネル開通後も暫く運行を続けていた事に意外さを感じます。

関門トンネルの開通はこの門司港駅、当時の門司駅にとっても大きな転機で、それまで小駅だった大里が門司となり、門司は門司港と改称しました。

威風堂々たる門司港駅。この駅の開業は1891年ですが、手狭になったのと老朽化によって1914年に約200m桟橋寄りに新築されたのがこの駅舎です。'88年には鉄道駅としては初めて国の重要文化財に指定されています。前回は夜行列車に乗っていて寝過ごして朝7時頃にここまで流され、何もない駅前で唯一開いていた喫茶店に入ってモーニングセットを食べました。今ではこの辺りはレトロ地区として再開発が進み、色々と賑やかになっています。

その門司港レトロ地区再開発プロジェクトの最大の目玉がこの九州鉄道記念館。今年8月に開館したばかりの真新しい施設です。展示は3つに別れていて、ちゃんとした屋根が付いた車両展示場、その左にミニ列車が走るミニ鉄道公園、その奥に屋内展示がある本館となっています。この写真の右側には九州鉄道時代の0哩標があり、1914年の移転前の門司駅もここにあったそうです。

まずはこの車両展示場を見て回ります。一番手前にいる蒸気機関車は59634(9600形)です。

大型蒸気機関車、C59 1番機です。「あさかぜ」「みずほ」を牽いていたそうです。手前の59634もかなり大きいのですが、このC59は更に大きくて圧倒されました。

ED72 1番機。九州初の交流電気機関車だそうです。九州にはED73というこれに似た顔の機関車もいました。C59の後とED72の後に写っているのは関門トンネルで働いていた直流電気機関車のEF10 35番機。茶色で無動力の先台車とデッキが付いています。

非常に貴重な戦前産まれのディーゼルカー、キハ07 41番車。何故か形式名の表記が新しめのフォントになっています。この特徴ある先頭部を残しているのはこれと岡山の柵原ふれあい鉱山公園で動態保存(!)されている5番車の2両しか残っていません。

この形式の製造初年は'36年で、当時はガソリンエンジンを搭載したガソリンカーとして製造され、後にディーゼルエンジンに換装されました。現在のディーゼルカーには統括制御といって、編成に繋がっている全車両のエンジンを1つの運転台で制御出来る機能が付いているのですが、このキハ07にはそれがなく、編成の全車両の運転台に運転士が乗り、ブザーで合図しながら一緒に運転するというなんともたまらない味わいのある車両です。

そして恐ろしい事にこのキハ07、色々と改造を受けてキハ600形と名を変えてはいるものの、29番車と32番車が鹿島鉄道に2両在籍し、現在も現役で走っているそうです。ただ残念な事に、車内はロングシート化されて冷房も付き、一番の特徴である半円形の先頭部は切妻となっています。

これがキハ07の車内。上の写真でも判るように車体幅が狭いので車内も少し狭くなっています。座席も小さく、座ると膝が前のクッションに当たります。背もたれも肩甲骨の下あたりまでしかありません。木製のインテリアや言葉通りの網棚(紐を編んであります)等、とてもいい雰囲気です。

ただ、ここ九州鉄道記念館では非常に残念な事も起きています。8月9日の開館直後、押し寄せたマニアや子供達が展示車両の内部を破壊して回り、部品の破損や盗難が起きました。また、立入禁止にしている機関車の前部に登っての記念撮影(親が子供を登らせ、それをスタッフが咎めると逆に喰って掛かった親もいたとか)、果ては使用禁止の貼り紙があるにも関わらず車両内のトイレを使った者もいたそうです。

このキハ07も無事では済まず、窓枠が歪んだりクラッチが折れかかる等の被害を受けて修理をしたものの、既に換えの部品がなくて大変だったとの事。吊革には「ぶら下がると天井が抜ける」「貴重な文化財なので大切に」等書かれたテプラが貼ってあって痛々しいです。

記念館側の警備も非常に手薄で、予算不足を理由にその日は車両展示場にたった2人しかいなかったそうです。普通なら開館直後は厚めに警備をしてその後様子を見ながら減らしていくものですが、最も簡単な金で解決できる問題を解決しなかった結果、こうなったようです。結局11日から22日までの間、車内公開は中止となりました。

キハ07の車内は土足厳禁で、ドアの所に並べられたスリッパに履き替えて中に入るのですが、5〜6人の若い母親達に連れられて来た子供達はそのスリッパをあちこちに蹴り散らかし、親達もそれを叱りもせず子供の好きにさせていました。この日は1人だけだったスタッフが黙々とスリッパを集めて並べ直しているのを見て悲しくなってしまいました。

九州では「にちりん」「有明」等で活躍した特急形電車クハ481 603番車。元々はグリーン車のクロ481 5番車として製造され、'83年に普通車改造をされたそうです。トレインマークは「にちりん」になっていますが、後部の行先表示器には門司港行き「有明」の幕が出ていました。

クハ481 603番車の内部。ちゃんとリネン類が付いているのが嬉しいです。

'67年10月改正で新大阪ー博多間を結ぶ寝台特急「月光」、新大阪ー大分間を結ぶ昼行特急「みどり」に投入され、月光形と呼ばれた581系の先頭車、クハネ581 8番車。この形式は世界初の寝台昼行兼用電車でもありました。その後各地で活躍したものの、昼行使用時の居住性の悪さや3段式寝台であった事(客車は'74年の24系25形以降の新製車は2段式に移行、'83年から14系と24系の在来車も2段式に改装)、寝台列車の需要そのものの減少により特急での運用から離れ、普通列車用の715系(東北/九州地区用)や419系(北陸地区用)に改造された車両も数多くいました。

この8番車も普通車改造を受けた中の1両で、'84年にクハ715 1番車になってからは長崎本線、佐世保線で'00年まで走っていたそうです。廃車後は特急時代の塗装にこめかみのJNRマークも含めて戻されたのですが、内装は普通列車用のままでなんともアンバランスな状態です。

この写真を撮った場所の背後には石炭運搬用の貨車セラ1239がいます。製造年も製造を請け負った会社も不明なようで、説明板はどちらも調査中になっていました。

クハネ581、と言うよりもクハ715の車内。吊革が見えています。左上の小さい画像はベネシアンブラインド。2重になっている窓の間にブラインドが入っていて、右側に小さく写っているハンドルを回して上下させます。構造が複雑なのでカーテンに取り換えられた車両が多く、これが残っているとは思わなかったので驚きました。

また、右奥から2番目の座席は下段寝台がセットされた状態になっていますが、これも開館初日に無理矢理引き出されて戻らなくなった結果のようです。他にも中段/上段寝台をセットしようとしたり、部品が盗まれたり。写真撮影の邪魔だと子供を怒鳴りつけるマニアもいたそうで、初日は正に怒号渦巻く阿鼻叫喚の地獄絵図だったようです。

車両展示を見終わったので、次はちょっとした高台の上にある本館へと行きます。写真の通りこの建物も相当な年代物だな、と思っていたら入口に説明板があり、それによると1888年に設立された九州鉄道の本社屋として1891年に建てられたそうで、古い建物が多いこの近辺でも特に古い物の1つだそうです。

本館の入口を入ってすぐの所にある客車の内部。1909年製で、'29年に大分の耶馬渓鉄道に譲渡され、'71年まで使用されていた車両です。その後中津市のレストランで保存されていたのを九州鉄道記念館の建設に合わせて寄贈されたそうです。車両が小さかったり時代的に1人当たりのスペースが小さく取られている事もありますが、この座面が畳になっている椅子の小ささからすると当時の日本人の体格そのものも相当小さかったのだと思います。

1階には他に実物の電車の前頭部を使ったシミュレータや鉄道模型の大型レイアウト、売店等があります。

2階にある歴代「つばめ」のヘッドマーク。この写真の右の方にはタブレット閉塞器や信号機等の各種機材の展示があるのですが、それらを見ていると2人連れのおじいさん達が話し掛けて来ました。お話を聞いていると、このお2人、国鉄で蒸気機関車の運転士をされていた方々で、蒸気機関車全廃まで運転をされていたそうです。

さすがにずっと乗っていただけあって、タブレットを受け取る時には肘の内側で受けてすぐ腕を引かないと物凄く痛いとか、戦争中に製造された機関車は部品の質が悪く、走っている最中に釜の中の水位を表示する部品がよく弾け飛んだとか、駅にある閉塞器を駅長が故障と勘違いして裏から開けてタブレットを取り出し、その結果正面衝突事故が何度も起きた、等々の本当に生のお話が聞けてとても勉強になりました。

約10分程色々伺っていて、もっと色々教えて欲しかったのですが、お2人は先に館を後にされました。その背中を見ていて、こういう方々に週末だけでも非常勤の案内員としてここで話をして貰えたらどんなに展示が生き生きとするか、と思いました。それこそ真に適材適所の人材活用だと思いますが、出来ない話なのでしょうか。

これがミニ鉄道公園。基本的に複線なのですが、所々に単線区間があり、ちゃんと閉塞区間があって意外と侮れません。自分で運転出来る車両はここに写っている「ソニック」と「つばめ」(見え辛いですが、右側に写っています)の他に「かもめ」、「ゆふいんの森」、近郊型の813系があります。残念ながら全てJR九州の車両がモデルで、国鉄型はありませんでした。

記念館を出て、ぶらぶらと海の方へ歩きます。岸壁から見ると海にはクラゲがいっぱいいます。この景色を見て最初は橋があるな、程度にしか考えていなかったのですが、よく考えるとあの橋は関門橋でこの海は壇之浦、向こうの陸地は本州なのです。

駅に戻ると、さっきは気付かなかった案内板に2階の貴賓室が開放されていると書いてあったので、早速駅長室横の階段から2階へ。木造特有のギシギシという音も心地良いです。

2階は廊下を挟んで右側に旧みかど食堂、左側が奥から貴賓室、小部屋、控室となっています。貴賓室には古い写真が展示してありました。この写真は間の小部屋で、両側にドアがあって右側が貴賓室、左側が控室に続いています。見たところ、この部屋が一番往年の雰囲気を残しているようでした。

小倉へはこの4149Mで移動。15時きっかりに出て、13分で小倉に着きます。

小倉からは15時52分発の1035M「有明35号」で博多へ。車両はJR九州のエース特急「つばめ」に使われているのと同じ787系です。

今日3種類目のグリーン車はまたも半室構造になっていました。「ソニック」でもあったのですが、グリーン車には車内販売員のドリンクサービスがあります。確かこの時はコーヒーを頼んだような気がします。

左上は喫煙コーナーの窓。下まで大胆に開けられていてなかなかいい感じでした。

博多からは20分間の接続で2033M「かもめ33号」で長崎へ。この白い車両は885系という振り子式の最新型ですが、縁起の悪い事に今年の7月に長崎本線の肥前長田ー小江間で落石に乗り上げて空を飛んだのはこの形式です。

時刻表と照らし合わせると、奥にいるのは小倉行き1038M「有明38号」と別府から久大本線経由で16時33分に博多に着いた84D「ゆふ4号」ではないかと思います。「ゆふ4号」に使われているのは国鉄末期に四国に投入されたキハ185系で、その後余剰となってJR九州が買い受けた車両です。

半室構造が好きなJR九州ですが、885系のグリーン車側先頭車は車両の真中にドアがあります(鉄道車両は車両の真中が一番乗り心地が良いはずですが)。デッキにはこのように書が飾られており、編成毎に違う物が使われているそうです。ここまででも紹介して来た通り、JR九州の車両には尖っているというか特徴的な物が多いのですが、それらを一手に引き受けているのが(車両を耳なし芳一のように文字だらけにしているのも)水戸岡鋭治というデザイナーで、内装も含めてこの人がデザインしています。来年3月に部分開通する九州新幹線の800系もこの人です。

このデッキには喫煙所もあり、そこにいたら肥前鹿島へ帰るというおばさんに話し掛けられました。おばさんは買物帰りなのだそうですが、グリーン券を持っていなくて、いつも車掌さんに¥1,000払って座るのだと言っていました。

これが本日最後のグリーン席です。なんと本革です。傷物を仕入れると普通の座席を作るのと大差ないコストで作れるのだそうです。ただ、滑りが良過ぎて座っていると身体がするすると動いてしまうのが難点です。この車両もやはり2列+1列の3列シートなのですが、2列の方も厳密に言うと1列+1列という感じで、各々別々に回転が出来ます。

この車両の先頭部はガラス張りになっていて、最前列の席に座っているとこんな眺めになります。ただ、僕が座った左側は運転士さんがいるのであまり前は見えません。また、このガラスには液晶が仕込んであり、運転台からの操作で緊急時には一瞬で視界を遮る事が出来ます。

17時22分着の鳥栖にて。サガン鳥栖の本拠地、鳥栖スタジアムがこんな駅前にあるとは知りませんでした。

考えてみると、僕は今まで2試合しかサッカーの試合を観た事がなく、どちらも柏レイソル戦で、JFL(今のJ2に相当)からJリーグに昇格しようとしていた年の事でした。その時の相手がサガン鳥栖の前身、PJMフューチャーズ(その前年までは藤枝ブルックス)と現FC東京の東京ガスでした。

途中から周りは真っ暗になり、18時55分に長崎着。列車が止まった直後に仕切りガラスが液晶で真っ白になりました。

久々の長崎駅はやはり建て直されていましたが、駅前の雰囲気はあまり変わった感じを受けませんでした。やはり路面電車がいる街は文化の香りがするというか、独特な雰囲気があります。

ホテルに荷物を置いて早速散歩に。まずは19時47分発の36レ「あかつき」を見に駅へ行きます。この「あかつき」は京都ー長崎間を走っているので普通に暮らしていると全く見るチャンスがない列車です。

「あかつき」には「なは」と同じくレガートが付いていて、機関車の後に見えるトリコロールの車両がそうです。

「あかつき」を見物していると向かいのホームにキハ66系の2両編成が入って来ました。なんと国鉄色です。調べてみると'00年にミレニアム記念として1編成だけ戻されたそうです。ブルートレインと国鉄急行色のディーゼルカーが同じホームで顔を合わせるなんてまるで20年前に戻ったかのようです。

駅前の古本屋で宮脇氏の「汽車旅12ヵ月」を見付け、ペンシャン待ちをツモったような気分で街に戻り、まずは皿うどんです。何軒かその手の店があったのですが、その中でも執拗なまでに店頭にサンプルを飾っていたこの店に入りました。が、味付けがとても甘くて困りました。結局醤油と酢を大量に投入して食べました。

そしてその後に入った居酒屋がここ。写真はウチワエビです。どんなもんなんだろうと頼んでみました。刺身としては食べる所が少なかったのですが(味は甘エビと普通のエビの中間という感じでした)、残りの頭と殻で作って貰った味噌汁がとても美味しかったです。

第4日 / 10月30日へ

戻る