■ 第4日 / 10月30日 ■

豪遊券旅行も最終日。と言いつつもこの日は午後まで長崎に留まってあちこち見て歩きました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
長崎駅前
08:38発
 
長崎電軌
3系統
浜口町
08:49着
浜口町ー大橋間徒歩移動
大橋
10:43発
 
長崎電軌
3系統
長崎駅前
10:59着
長崎
13:06発
5128D
長崎本線
諌早
14:00着
14:42発
3236D
シーサイドライナー16号
大村線
早岐
15:36着
15:40発
佐世保線
佐世保
15:53着
17:17発
4024M
みどり24号
早岐
17:27着
17:32発
7024H
ハウステンボス24号
肥前山口
18:11着
18:12発
長崎本線
鳥栖
18:38着
18:39発
鹿児島本線
博多
19:00着

早岐で「みどり24号」から「ハウステンボス24号」に乗り継いだように見えますが、実はこれらの列車は早岐で併結されて一緒に走ります。「ハウステンボス24号」の方にしか展望グリーン車がなかったのでこういう形になりました。

朝8時頃に起きて駅前へ。4両も路面電車が連なっています。まずは長崎に来ると必ず行っている(と言っても17年ぶり3回目ですが)原爆資料館に行きたいので赤迫行きの電車に乗ります。ちなみに前夜「汽車旅12ヵ月」を購入したのは、奥に見える歩道橋が直接繋がった古本屋(ホームベースを上下逆にした形の入口の店)でした。

駅から約10分で浜口町へ。資料館へはここから坂を登ります。

確か前回来た時には小さめの薄暗い石造りの建物だったはずの資料館は、建て直されて真新しい半地下構造になっていました。展示も非常に見易く再構成されていて、中には高熱で溶けたビール瓶等、触れる物も数点ありました。

僕が着いた時には他に殆ど客がいなかった資料館ですが、小学生の団体を皮切りにあれよあれよと言う間に修学旅行や社会科見学らしき学生で一杯になってしまいました。意外にもいかにも最近の子、という感じの女子中学生達の中には食い入るように展示を見詰めている子達もいて、ざっと見た所では男の子より女の子の方が真剣に見て回っているように思えました。

資料館を出て坂を下り、爆心地へ。御存知の通り、'45年8月9日の11時2分に「ファットマン」が炸裂したのはこの上空500mでした。この写真を撮った時には学生の団体が1組だけガイドのおじいさんの話を聞いていましたが、間もなくここも団体で埋め尽くされました。

資料館で見て驚いたのですが、原爆投下からたったの2時間48分後、13時50分には長崎駅から怪我人の搬送用に列車が出たそうです。結局9日には4本の列車が運行され、諌早や肥前鹿島へ3,500人もの怪我人を運んだそうです。

ここで上空を眺めていたら、以前IT系のコンファレンスの仕事でアメリカ人の講師(日本に来るにあたって日本語の練習をしたり、日本の政治システムを勉強したりとオープンマインドなとてもいい人でした)と話をしていて、その講師が「百歩譲って広島はまだ解る。でもなんで長崎に!? 必要ないだろ!」と言っていたのに対して僕は「単なる実験だよ。2種類の原爆を持っていたから」と返し、なんとなく互いの出身国が逆転したような状況になったのを思い出しました。

平和祈念像も団体で満員。小学生が研究発表をしていました。多分にお仕着せの感は拭えませんが、それでもこれは避けられない事です。ただ、被害だけではなく、この国が他の国に対して及ぼした加害に関してももっときっちりと教えて欲しいとは思います。あんな超タカ派の首相や都知事が支持を集めるようでは望むべくもありませんが。

平和祈念像の裏へ回ると浦上天主堂が見えます。本当は行きたかったのですが、ちょっと時間が厳しくて諦めました。次回の課題にしたいと思います。

長崎県営野球場、通称「ビッグN」の近くの大橋から駅へ戻ります。その時に乗ったこの車両の中には「この車の経歴書」という額縁が飾られていて、それによると台車と電装系は元々大阪市交通局1767号として'48年に製造され、その後'66年に車体を新製したそうです。

一旦駅へ行ってみどりの窓口で楽チャリの切符を買います。この楽チャリは最近JR九州が始めた電動アシスト付き自転車のレンタルサービスで、ここ長崎以外にも熊本、宮崎、由布院、阿蘇、指宿等11の駅で実施されています。料金も安く、通常で2時間¥500(もっと長く借りる事も出来ます)、JRを利用すると¥300になります。実際の貸出はみどりの窓口とは違う場所で、長崎の場合は駅前のレンタカー屋でした。

前部のカゴに入っているのは楽チャリを借りると貰える地図で、市内の主要な観光スポットや目的別のお薦めコースが書いてあります。自転車で走るという本来なら地元の人しかしない事を楽しめる上に移動時間も短縮し、体力も消耗しないと良い事ずくめのこの楽チャリ、とても気に入ったのでまた借りようと思います。

普段はMeridaというメーカーのクロスバイク(大柄なマウンテンバイクにロード用のタイヤが付いたような自転車)に乗っているのでいわゆるママチャリには不慣れで、しかも初めての電動アシスト付きに四苦八苦しつつも地図を見ながらグラバー園へと向かいます。電動アシストはペダルに掛かる踏力に反応して効くのですが、これがちょっと曲者で、信号待ち等で足をペダルに乗せているだけでも反応してしまう事があり(ちょうどオートマ車のクリープ現象のような感じです)、停まっている間はブレーキを放せませんでした。

写真はふらふらと長崎の街を走っていたら現れた中華街。ちょうどいいのでここで昼食にします。

ちょうど昼時で、修学旅行の学生達で混んでいる店が多かったのですが、時間もないのでその中で空いている店を探して入ります。昨日は皿うどんで失敗しましたが、今回はちゃんぽんです。そこそこ、という感じでした。

昼食を終え、またふらふらとグラバー園を目指します。その途中でオランダ坂に出たので登ってみます。さすがに電動アシスト付きで、平地を走っている時より負荷はあるもののぐいぐいと力強く押し上げてくれます。

気持ちの良い石畳の道を通ってオランダ坂の逆側へ。登る時は良かったのですが、下るのには難儀しました。モーターやバッテリが積まれて重量が増えているのにブレーキがママチャリ用のプアな物のままで、しかもこちら側の方がずっと坂がきつく、前後共にフルブレーキでないとすぐにスピードが出過ぎてしまいます。下っている間はブレーキワイアが切れない事をひたすら祈るのみでした。

オランダ坂を下りると、長崎の市電に4つある終点の内の1つ、石橋の横に出ます。

ようやくグラバー園に到着。と言っても裏口に着いてしまったらしく、まだ一部工事中のこの斜行エレベータで上に行きます。

斜行エレベータから垂直エレベータ(要するに普通のエレベータです)に乗り継ぎ、外に出るとなんとも凄い場所でした。

今回グラバー園に来たのは、前回来た時に建物の窓から見た光景が忘れられなかったからなのですが、今回は思っていた景色を見付ける事が出来ませんでした。時間的にも非常に余裕がなく、約15分間程の滞在だったので仕方ありません。また来ようと思います。

駅に戻り、楽チャリを返してコインロッカー経由でホームに向かいます。乗るのは13時6分発の5128D。長崎本線の喜々津ー浦上間は元々大村湾沿いに敷かれていたのですが、'72年に短絡線である新線が敷かれ、以来2本に分岐しています。特急や急行は新線経由となり、'76年の長崎本線電化時にも旧線は電化されず、現在でも非電化のままです。これから乗るこの5128Dは旧線経由で諌早まで行きます。

浦上を出ると左に長崎県営野球場、右に市電の車庫を見つつ新線と別れて山あいに入って行きます。写真は長与と本川内の間で、それほど長崎から遠い場所ではないのですが、風景は一変しています。

もしやあの駅も、と心配しましたが、可愛らしいながらも立派な諌早の駅舎は健在でした。ここには14時ちょうど着。乗り継ぎまで時間があったので、駅前を一周した後は駅舎に入っているミスタードーナツで氷コーヒーを。隣には就職面接をしているおじさんがいて、若い求職者に神奈川や茨城の工場の説明をしていました。グラスファイバー系の繊維工場らしく、経験者らしい求職者がどんな作業着が支給されるのか訊いていました。体質的に繊維のチクチクが駄目だそうで、どの世界にも固有の苦労があるのだな、と変に感心しました。

諌早は地味ながら交通の要衝で、長崎本線の途中駅であるばかりでなく、大村線と島原鉄道が出ています。島原鉄道には元国鉄のキハ20がいるのでもしかしたら、と思ったらどこでも顔を合わせるタイプのレールバスが乗客を待っていました。残念がっていたら長崎行きの2021M「かもめ21号」が発車して行きました。

諌早からは大村線で佐世保へ向かいます。乗るのは3236D快速「シーサイドライナー16号」。車両はさっき長崎から乗ったのと同じキハ66系です。

2つ前の席に座った子供がこちらをじっと見つめています。僕も見つめ返してお互い無表情のまま見合っていたのですが、興味を失くしたのか暫くの後に両親の方に戻って行きました。

大村線は古い路線らしく大村湾にひたすら沿って走る楽しい路線で、僕に話し掛けて来た斜め前のおばさんもこの車窓が大好きだと言っていました。網棚に大きな荷物を載せていたせいか、どこから来たのか問われ、東京ですと答えるとなんでわざわざ東京から来てこんなローカル線に乗っているのかと心底不思議そうな顔をしていました。やはりローカル線に乗って喜んだり癒されたりというのは都会の病んだ人間にしか理解出来ない事なのでしょうか。

海沿いを走るという事は、こんな風景も出て来ます。今では望むべくもないですが、ここなど長大編成の客車列車で走ったらさぞ楽しい事でしょう。

南風崎(はえのさき)という敗戦直後には復員列車の始発駅だった駅を通過すると次はハウステンボスです。「にちりんシーガイア」「ハウステンボス」とJR九州が列車の名前に取り込んだ施設はことごとく経営破綻に至っていて景気の悪い事この上ありませんが、おばさん曰く結構楽しめる所らしく、特に5月のチューリップの季節はお薦めだそうです。

15時53分、諌早から1時間11分で佐世保着。ホームにはシーサイドライナー色と通常色の混色編成のディーゼルカーがいました。

コンコースには日本最西端の看板が。北海道の時の根室の所でも紹介しましたが、佐世保が最西端なのはあくまでもJRの駅としてです。本当の最西端は元国鉄松浦線、現松浦鉄道のたびら平戸口になります(更に厳密に言うと、今年の夏に開通したばかりの沖縄都市モノレールの那覇空港駅が最西端になりますが、あれは通常の2線軌道式ではなくモノレールです)。

佐世保に来たのは初めてなので以前はどうだったのか知りませんが、駅舎は建て直したばかりらしく、駅前広場ではまだ工事が続いていました。奥に見える車両は松浦鉄道のレールバスです。

佐世保に来た所で軍港の街というイメージしかなく、時間も中途半端にしかありません。駅の裏手へ出るとすぐ岸壁で、何人かの釣り人もいます。軍港はすぐそこらしく、アメリカ海軍の巡洋艦や駆逐艦が何隻もいました。

佐世保と言ってもやはり長崎県なのでちゃんぽんと皿うどんは名物であるらしく、駅舎に店がありました。しかも通路を挟んで2軒が火花を散らしています。博多に着いたらそのまま下見と打ち合せになってしまうので、少し早いですが長崎の時の復讐も兼ねて腹ごしらえをする事にします。ここに来てようやく素直に旨いと思える皿うどんにありつけました。

佐世保からはこの4024M「みどり24号」の自由席に早岐まで乗ります。と言っても最初に書いた通り、早岐で併結される「ハウステンボス24号」に乗り移るので、結局は「みどり24号」に乗っているのと同じ事になります。

車両は783系で、「ハイパーサルーン」という愛称が付けられているそうです。

こちらは逆側の先頭。分割併合を可能にする為、中間車に無理矢理運転台を付けた結果がこの顔だそうです。この形式はどの車両もドアとデッキが真中にあり、全車両半室構造になっているのが特徴です。

17時17分、佐世保を発車。この日は夕焼けが異常に赤くて、この写真ではオレンジ色に見えますが実際には真っ赤でした。

早岐には5分間停車して、後に大村線から来た「ハウステンボス24号」を繋ぎます。僕もそちらに乗り移ります。

この通り、「ハウステンボス24号」側のグリーン車は車端部にあります。これでJR九州の全形式のグリーン車に乗った事になるはずです。無論僕は椅子を後ろ向きにして眺めを楽しみました。宮脇氏が'00年6月のインタビューで好きな車両にこの783系を挙げていましたが、それはこの席があるからだったのでしょう。

武雄温泉の少し手前にて。かなり日も暮れてきました。

19時ちょうどに博多着。最初で最後の豪遊券旅行もこれで終了です。豪遊券がなくなってしまうと指定を取れる九州全域のフリー切符がなくなってしまうので、また何かしらの券の発売を望みます。さすがに北海道のぐるりレベルの凄い切符は無理だとは思いますが。

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