■ 第1-2日 / 10月27-28日 ■

27日は14時半過ぎまで仕事があり、それから東京駅へと行ってスタートとなりました。豪遊券は28日から30日まで有効の物を用意しましたが、28日の旅程にはグリーン車が連結された列車が無く、単なる周遊券のような使い方となりました。あまりガツガツ乗りまくる気もありませんが、全く乗らないというのもちょっと勿体ない気がします。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
東京
15:50発
25A
のぞみ25号
東海道新幹線
新大阪
18:27着
20:20発
31レ
なは
東海道本線
神戸
通過
山陽本線
門司
通過
鹿児島本線
西鹿児島
10:23着
西鹿児島駅前
11:10発
 
鹿児島市電
2系統
市役所前
11:27着
鹿児島港
12:30発
 
桜島フェリー
桜島港
12:45着
14:15発
 
鹿児島港
14:30着
市役所前
14:48発
 
鹿児島市電
2系統
天文館通
14:53着
天文館通ー高見馬場間徒歩移動
高見馬場
15:38発
 
鹿児島市電
2系統
西鹿児島駅前
15:43着
西鹿児島
16:20発
6012M
きりしま12号
鹿児島本線
鹿児島
16:25着
16:25発
日豊本線
南宮崎
18:20着
18:31発
6537M
日南線
田吉
18:34発
宮崎空港線
宮崎空港
18:37着
19:00発
752M
田吉
19:03発
日南線
南宮崎
19:06着
19:10発
日豊本線
宮崎
19:13着

昨年春から博多へは来る機会が多かったのですが、鹿児島あたりは実に17年ぶりになります。どう変わって、そしてどこまで元の姿を覚えていますやら。

いつもと違い、仕事用にスーツが入って重さを増した鞄を抱え、東京駅に着きました。東海道/山陽新幹線はこの10月に大改正や品川駅開業があり、それに伴うキャンペーンの一環としてキャッチコピーを先頭車に大書された700系がいました。奥に見える案内板も高輝度タイプに替わっているような気がします。この日、僕が乗ったのはこの写真の右側フレーム外にいる25A「のぞみ25号」で、車両は500系でした。この「のぞみ25号」は非常に混んでいて、3列シートの真中であるB席にも常に人がいる、という状況でした。

妙に体力を消耗して18時27分に新大阪に着くと、留守電が入っています。歳を取るにつれて数少なくなってしまって、今や大阪に2人のみとなってしまった異性の呑み友達の内の1人からです。彼女とは「のぞみ25号」と「なは」の間の2時間足らずの時間に新大阪で呑もうと約束をしていたのですが、聞くと数日前に虫垂炎で担ぎ込まれ、開腹手術を受けて入院していたとの事。電話で話すとそれなりに元気そうでしたが、なんでも入院中に曜日の感覚がなくなり連絡が遅れたとの事で、今後の社会復帰が大変そうでした。

2時間という時間は2人で呑むには短いけれど、1人だと持て余し気味になります。この日は途中に1日順延があった関係で日本シリーズの第7戦が行われていたので、梅田辺りで阪神ファンの熱狂振りでも観察しようかな、とも思いましたが、さすがにそこまでの元気はなかったので、大人しく駅ビル内で唯一店内からシリーズの中継が聞こえて来たこの店で呑む事にしました。中では店員さん達が仕事をしつつも意識をラジオに持って行かれていましたが、先発のムーアが井口に2ランを叩き込まれるなど点差は広がる一方でした。

程良く酔って「なは」が来るホームへと向かいます。丁度向かいのホームから北近畿タンゴ鉄道の宮津へ向かう3083D「タンゴエクスプローラー3号」が出て行ったのでそれを見送り、暫く待つとEF65 1000番台後期型(通称PF)に牽かれた31レ「なは」が入って来ました。その昔は直流電化区間のブルートレイン牽引機と言えばこのPFだったのですが、今や「なは」と「出雲」、それに急行の「銀河」のみとなってしまいました。個人的にはヘッドマークを掲げてブルートレインを牽引する姿はこの機関車が一番様になっていると思います。

この「なは」という列車は元々大阪ー西鹿児島間を結ぶ昼行特急として'68年に誕生し、その際に沖縄の本土復帰を願って特急の愛称としては珍しい都市名を名付けられました。その後'75年に583系をあてがわれて夜行に転身、'84年に時代の趨勢と逆行する形ながら24系客車化されて(多分583系を2段寝台化するより客車化した方が安く済んだのでしょう)今に至っています。

以前は「富士」「はやぶさ」「明星」といった列車が西鹿児島まで足を伸ばしていましたが、それらは全て途中打ち切り又は廃止の憂き目に遭い、現在西鹿児島まで行く寝台特急はこの「なは」のみとなっています。しかし来年の3月に九州新幹線が部分開通すると鹿児島本線の八代ー川内間がJRから切り離される事もあって、「なは」の前途はほぼ真っ暗というのが現状です(熊本打ち切りで生き残るという話も出ていますが)。

この「なは」は電源車を除いて7両編成(多客期は2両増結)とあまり長い列車ではありませんが、意外と客車の種類は豊富で、普通の開放B寝台以外にも1人用個室B寝台、2人用個室B寝台、そしてこのレガートシートが組み込まれています。485系電車から改造されたレガートはこの「なは」と京都ー長崎間を走る「あかつき」にのみ連結されている普通指定席車両で、写真の通りリクライニングの角度がなんと60度もあり、ほとんど寝転がった状態になれる独立式の3列席が付いています。しかも寝台ではないので指定券のみで乗れます。ただこの椅子、背中の部分が少し盛り上がっていて、枕部分が低い事と相まっていまいち寝辛かったです。枕部分の脇に付いている読書灯のスイッチが何故か左肘掛けの内側にあったりで、もう一工夫、といった感じでした。

本来は1人用個室B寝台に乗りたかったのですが、今回はグリーン豪遊券を使う関係上寝台ではダメで、このレガートに座る事になりました。しかしレガートにしたお陰で寝台料金¥6,300が掛からなくなり、グリーン豪遊券との併用と新幹線からの乗り継ぎ割引もあってたったの¥1,830(乗車券を除く)で西鹿児島まで乗れてしまいました。

定刻の20時20分に新大阪を出た「なは」はレガートに僕と僕の左後方に座ったおっさんの2人だけを乗せて西へと向かいます。たまに途中駅で1人、2人と客を乗せますが、満員には程遠い状況で22時頃に相生を通過すると最後の車内放送が入り、照明が減灯されます。写真ではそこそこ明るく写ってはいますが、実際はほぼ真っ暗でした。

明けて28日。途中の博多、鳥栖、久留米、大牟田と結構な数の乗客がレガートを乗り降りをして7時9分、熊本着。料金的に普通の特急と同じレガートは博多から先で始発特急列車としての利用が多いようで、一時は半分以上の席が埋まりました。

熊本ではこの列車で唯一5分間の停車がある(実際には下関と門司でも機関車交換の為に数分間停まっていますが、客扱いがない運転停車なので列車からは出られません)ので、朝食を調達しにホームへ降りてみました。が、まだ時間が早いせいかあまり良い物もなかったので飲物だけ買って列車に戻りました。

熊本からは車内販売も乗り込んだので、早速朝食を購入。いわしずしです。

7時42分発の八代を出ると対岸に天草諸島を望む八代海沿いを列車は走ります。時折先頭の機関車が見えたりで楽しい区間です。写真に残る訳もありませんが、海の色が7月の北海道とは違って、少し青味掛かって見えます。

八代から川内の間は来年3月の九州新幹線部分開通で第3セクターの肥薩おれんじ鉄道に引き継がれる事は何度も書いていますが、ここは電化区間にも関わらずディーゼルカーで運転される事になっているそうです。それで電化施設を捨てるのかというとそういう訳でもなく、電化施設はJR貨物が所有し、使い続けるそうです。肥薩おれんじ鉄道としては電化施設を使用するに該っての使用料や保守費用を削る為にこういう選択になったようですが、開業前から先行きの暗さを見せ付けられた思いです。

レガートの後ろ寄りにはこのようなミニサロンがあり、進行方向左側に3席、右側には2席の椅子がしつらえてあります。左にちょっと写っていますが、「つばめ」のイラストが入ったコカ・コーラの自働販売機やカード式公衆電話、JNRマーク入りの灰皿も用意されています。

佐敷を過ぎた辺りで九州新幹線の真新しい高架橋が見えて来ました。この九州新幹線は全区間のなんと7割以上がトンネルとなっているそうで、長野新幹線以上に車窓がつまらない路線になるようです。

途中で何度も居眠りをしながら、10時23分に西鹿児島に到着。ここに来て初めて門司から先頭に立っていたED76の顔を拝めました。しかし、このED76もかなりくたびれていて、あちこちにタッチアップした跡が残り、別パーツだったはずの銀色の飾り帯もかすれた塗装になっていて、JRがいかに機関車という物をないがしろにしているかがよく解ります。

他の地域のブルートレインのヘッドマークは円柱を薄く輪切りにしたような形なのに対して、何故か九州内だけは以前からドーム型の独特な形になっています。この「なは」も御多分に漏れずドーム型になっていました。

実に17年振りの西鹿児島駅。事前に写真を見て知ってはいましたが、なんというか、上部に新幹線の架線らしき物が見える以外は所謂最近の駅になっていました。前回来た当時は背の低い地上駅で、駅前のタクシー乗り場の所にあったベンチに桜島の灰が積もっていたのが印象的でした。

この写真の右側では駅舎の何倍もの大きさの複合商業施設が建設中で、完成予想図によるとその上には観覧車が付くようでした。日本人というのは余程観覧車が好きな民族らしく、東京の台場と葛西臨海公園のように隣接した場所に2つあるのはおろか、博多では一度に2つの観覧車が見えたりで他に作る物を思い付かないのかと呆れるばかりです。

この写真を撮った時は丁度小学校の社会科見学が始まる所だったらしく、写っている通り、駅員さんがトラメガで色々と説明した後に駅舎の中に案内していました。僕はみどりの窓口へ行き、帰りの広島からの「のぞみ」の指定を取ろうとしたら満席だったので、帰路をどうするかの結論を持ち越す事にしました。

駅のコインロッカーに荷物を放り込んで身軽になり、まずは市電で市役所前へと移動します。鹿児島市交通局には市電と市バスの全線に1日乗り放題で¥600という券があるので、元を取れるか判りませんでしたが買いました。ちなみにこの券はスクラッチカードになっていて、使用する年月日を削るという方式になっています。

市役所前で降りて行ったのはこの幸楽ラーメン。17年前に偶然入った店で、胡麻油の香りがふわっと漂う独特なラーメンです。それ以来なんとなく脳裏にこびりついていて、今回鹿児島に来るにあたって調べてみたらまだやっているという事で来る事にしました。

市役所前にはこんな遊歩道というか公園があって、桜島を見ながらの散歩が出来ます。この写真の丁度真中奥あたりにフェリーターミナルがあるので歩いて行きます。

真新しいフェリーターミナルには券売機などなく、料金は桜島側で現金を払うという形でした。帰路も桜島側で払い、鹿児島側はそのままスルーで出るという形になっています。

桜島フェリーは約15分程で着いてしまう短距離航路ですが、船内にはこのように喫茶コーナーとうどん/そばコーナーがあります。どの船にもあるようでした。

12時半、定刻で第十五櫻島丸は出港します。僕は見晴らしの良いデッキの最前部に陣取りました。この船に限らず、この桜島フェリーで就航している船はどれも前後対照の構造をしていて、前後どちら側にもブリッジや車用ランプが付いているので方向転換が不要となっています。

あっという間に桜島港に到着。港の中では桜島町と鹿児島市の合併に対しての反対運動が行われていました。この国が病膏肓といった状態になって久しいですが、中央での失敗がこうやって末端を圧迫するのはどこでも同じです。

桜島港の前の道。右に見えるちょっと大きな建物がフェリーターミナルです。前回来た時に自働販売機から出て来たアクエリアスの250ml缶が灰でザラザラだったのが一番印象的だった場所です。でも今はどこにも灰が見当たりません。そんなに噴火活動が沈静化しているのでしょうか。

上の写真の背後、ターミナルを出て左に向かった所にこんな場所がありました。7月に登った利尻島のペシ岬に続いてフェリーを降りると急坂を登るというのが恒例となりつつありますが、別にどこに行くとも決めていなかったので登ってみる事にしました。

さすがに「健脚の坂」を名乗るだけあって結構な急坂です。しかも九十九折りになっていて意外と距離もあります。ここでも極度の運動不足を露呈した僕は途中で休みながら登りました。

早くも両脚から軽い筋肉痛を訴えられながらも公園に到着。看板には6分と書いてありましたが、5割増の9分も掛かってしまいました。

公園の手前には小さな駐車場があり、奥へ進むとこのアロサウルスがお出迎えしてくれます(この写真左の入口寄りにはエダホサウルスもいます)。眼があらぬ方向を見ていてちょっと怖いですが、背後に噴煙を吹き上げる桜島を従えていて、なかなかそれっぽさを醸し出しています。

ここで一番大きいディプロドクス。ここにいる恐竜達は発掘された化石から割り出した実物大で作られていて、これの頭頂高は10mもあるので結構迫力があります。後にいる小さいのはディメトロドン。

一番奥の方にはこの有名恐竜、ステゴザウルスがいます。なんとなく水木しげるの妖怪にいたような顔をしています。左奥に見える石碑は火の島俳句大会優秀作品なのだそうですが、背後の桜島も含め、取り合わせがシュール過ぎてちょっと付いて行けそうにもありません。

鹿児島湾を眺めるライオンの夫婦。恐竜公園と銘打ってはありますが、7体の恐竜達の他に何故かこの夫婦と虎、パンダもいました。

写真には人影が全く写っていませんが、実際にここで見掛けたのは親子連れが2組だけでした。

ライオン夫妻の所から少し奥に、この東屋と呼ぶには立派過ぎる休憩所があります。中には石造りの椅子と机、観光案内の木の看板があります。

休憩所の裏手からの眺め。とても静かな場所で、たまに下の集落から物音が聞こえる以外は鳥のさえずりと風が渡って行く音しか聞こえません。東京に限らず、都市部に住んでいると絶えず人間が立てた何かしらの音に囲まれ続ける事になりますが、ここでは人間と関係のない原始の音を楽しめました。

この左の方にはベンチが1つあり、そこに座ってぼーっとしていたら結構な時間が過ぎてしまいました。

ターミナルに戻り、14時15分発のフェリーに乗ります。帰りは第十六櫻島丸でした。年配の夫婦に連れられた可愛い犬がさも当然、といった顔でタラップを渡っています。

出港時に島の方を見ていたら、ディプロドクスが木々の間から顔を覗かせていました。

鹿児島港からまた歩いて市役所前へ向かいます。その斜向かいにあるのがこの数年前にダイエー球団のスパイ行為をスクープしてそのシュートな編集方針に全国のひねた野球マニアからの人気を集めた西日本新聞の鹿児島総局。日本シリーズ優勝の翌日なので、当然の事ながらトップ記事はダイエー優勝です。

しかしこのダイエーという球団もW不倫に集団脱税、スパイにシリーズ期間中のドーム貸出、そしてずっとくすぶり続けている身売り騒動と毎年毎年お騒がせの種を提供し続けていますが、今年も飽きもせずフジテレビのバラエティ番組への報復措置や小久保の放逐と枚挙に暇がありません。管理能力がないのだからとっととJR九州やアサヒビール辺りに球団を売ってしまった方が良いと思います。

市役所前から天文館まではこの東横インのラッピング付きの市電で移動しました。前回来た時、朝8時頃にうろついていたら街中のあちこちに灰が詰まったゴミ袋がうずたかく積み上げられていた場所です。あの大量の灰はどこに行ったのでしょう。

天文館の街中をぶらつき、南九州最大規模を謳う書店の絵本コーナーで宮脇氏の「スイス鉄道ものがたり」を買い、行きに市電の中から見掛けたブックオフへと向かいます。最近はどこかに行くと毎回ブックオフを回っている気もしますが、ここでもまた収穫があり、「ローカルバスの終点へ」を購入しました。

外に出ると自働販売機に九州限定のジョージア練乳ミックスなる物があります。夏の北海道でも痛い目に遭いましたが、今回も買ってみました。やはり妙に甘ったるかったです。地方限定の缶コーヒーというのは甘くなければならないのでしょうか?

少し前から降り始めた小雨の中、高見馬場で市電を待ちます。鹿児島の市電は鹿児島駅と谷山の間を走っているのですが、この高見馬場から郡元の間は2ルートに分かれています。

西鹿児島からはこの6012M「きりしま12号」で南宮崎まで行きます。車両は真っ赤(側面は黄色や緑に塗り分けられていて、以前は「ハウステンボス」に使用されていた車両のようです)に塗られ、JR九州お得意の文字だらけにされた485系ですが、よく見るとヘッドライト上部のタイフォンカバーがクハネ581のようなスリットタイプになっています。485系でこの形のはなかったはずなので、後で付けられた物だと思います。

16時20分に西鹿児島を出た「きりしま12号」は暫くの間鹿児島湾に沿って走ります。桜島も見えてとても眺めが良い区間なのですが、さっきまでいた場所なのでそれほどの感動はありません。この区間は宮崎側から来た方が楽しめると思います。

17時32分発の西都城の駅名標。'87年3月に廃止された志布志線の1駅目、今町の名前が薄ぼんやりと残っています。

北海道ほどではありませんが、南九州でも山野線、宮之城線、湯前線、妻線、大隅線、そしてこの志布志線とかなりの数の路線が廃線となっています(湯前線のみ第3セクター移管)。

18時20分、西鹿児島からきっかり2時間で南宮崎に到着。そのまま「きりしま12号」に乗っていれば今日の宿泊地である宮崎に着くのですが、ここで宮崎空港まで行く6537Mに乗り換えます。車両はこれまた真っ赤に塗られた713系の4両編成で、この形式は試作車の8両しか製造されなかったそうです。

この6537Mは南宮崎始発の宮崎空港行きなのですが、実際は折り返しの宮崎空港始発延岡行きの752Mの回送列車としての性格が強いようで、乗客は僕の他に1〜2人程度、車内の回転式クロスシートも全て逆向きで入って来ました。

南宮崎を18時31分に出た6537Mはたったの6分で終点の宮崎空港に着きます。右が宮崎空港本体、奥の階段の上が宮崎空港駅です。

宮脇氏は国鉄全線完乗を成し遂げ、その後もJRや第3セクターで新線が開通すると乗りに行っていた人でしたが、晩年はその情熱も薄れたようで、'00年6月に行われたインタビューで乗っていないし乗らないだろうと言っていたのがこの宮崎空港線です。その後乗ったという話も聞かないので、多分乗らずに終った線区なのだと思われます。今まであちこちに旅行しつつも、どこに行っても氏が乗った路線に後追いで乗っているという感覚があったのですが、こうやって氏が乗らなかったであろう線区に乗ってみると非常に不思議な感じがします。

宮崎空港からはさっき乗って来た713系に乗って引き返し、宮崎まで行きます。1駅目の田吉までは宮崎空港線、2駅目の南宮崎までは日南線、3駅目の宮崎までは日豊本線と1駅毎に目まぐるしく路線が変わります。

宮崎駅は帯広と同じく中央に自由通路、その両側に方向別の改札という構造で、宮脇氏も絶賛していた駅です。確かにこれだと間違えないし、通路も有効活用出来ます。

とりあえずはみどりの窓口へ行き、西鹿児島で結論を持ち越した帰りの切符を買います。結局徳山ー広島間を新幹線自由席、広島ー東京間を「あさかぜ」としました。こうすると乗継割引が適用され、「あさかぜ」の特急券が半額になるのです。悪知恵も知恵の内、です(無論徳山ー広島間も乗るのですが)。

ホテルにチェックインし、早速街へと出ます。駅の近くは何もなくてどうしたものかと思いましたが、少し歩くと繁華街があり、そこで入ったのがこの店。横に蒸気機関車の前頭部の模型があったりでその道の人に人気がありそうですが、僕がそれに気付いたのは店を決めて入口をくぐろうとした時でした。店内にも列車の写真やサイドボード(行先表示板)といった鉄道関係の物がひしめいていて面白い店でした。

そんなに暇そうな店ではありませんでしたが、仕事の合間合間に話し掛けてくる店員さんがいて、聞けば以前、神田に立ち呑み屋として支店を出していたのだけれど4ヶ月で撤退したとの事。東京では立ち呑みがあまり流行らない事と売上以上の金額をみんなで呑んでしまったのが敗因だったと笑っていました。

呑み屋を探している時に見掛け、気になっていたのでもう1軒向かったのがこのうどん屋。丸天うどんを頼みました。見ての通り関西風で、日向うどんを名乗る店でこれを出すという事はこちら方面もこういううどんが主流なのでしょう。

この日の宿は駅前のHotel Sky Towerという大きくて真新しいビジネスホテル。太い回線でインターネット繋ぎ放題で¥5,000代と元々安いのですが、この日は運良く1周年記念でたったの¥2,000。部屋も普通のホテルより3割方広く、風呂も大きくてとても気に入りました。今後宮崎に来たらここを定宿にしたいと思います。

写真はこの日入手した色々。真中は鹿児島市交通局の1日乗り放題券。子供向け絵本の体裁を取りつつも内容は大人向けの「スイス鉄道ものがたり」はおじいさんに連れられた主人公の男の子とその姉の旅行記形式になっているのですが、盲腸線に乗ってはすぐ引き返し、食堂車でワインを呑んで上機嫌になっているおじいさんは宮脇氏そのもの。男の子も景色を観て「すてき、すてき」とばかり言っている姉に「もうちょっとちがったいいかたはできませんか」とシニカルに突っ込みを入れたりと敗けてはいません。絵もとても綺麗です。絵を担当した黒岩保美氏は元国鉄職員で、列車のカラーコーディネートや初期の絵入りトレインマークのデザインをしたというある意味グラフィックデザインの神様みたいな人です。

第3日 / 10月29日へ

戻る