■ 第4日 / 7月14日 ■

中日であるこの日から突端巡りが始まり、早起きの日が続きます。室蘭から根室まで一気に移動しますが、一直線で行っても時間が余るし面白くないので帯広で時間を取りました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
室蘭
06:52発
1431M(東室蘭まで)
1031M
すずらん1号
室蘭本線
沼ノ端
通過
千歳線
南千歳
08:00着
08:28発
31D
スーパーとかち1号
石勝線
新得
09:56着
09:56発
根室本線
帯広
10:31着
11:36発
4003D
スーパーおおぞら3号
釧路
13:04着
13:09発
5635D
根室
15:25着
根室駅前BT
15:55発
7便
根室交通バス
納沙布岬
16:30着
17:15発
8便
根室駅前BT
17:50着

それでも根室にはかなり早い時間帯に着くので、納沙布岬へ足を伸ばし、夕食後に漁港で最果ての日没を楽しんで来ました。

最初の列車は東室蘭から1031M「すずらん1号」になるこの1431M。室蘭本線は長万部から東室蘭、苫小牧、沼ノ端を経由して岩見沢へと至る線区ですが、盲腸線となっている室蘭ー東室蘭間は極端に運転本数が少ないので、「すずらん」はこの区間では普通列車として運転されます。この辺りにも室蘭の凋落振りが表れています。東室蘭からは特急になり札幌へ向かいますが、苫小牧までの間だけで鷲別、幌別、登別、白老と停車するまるで急行列車のような運用をされています。

この車両は781系という形式で、札幌ー旭川間の特急「いしかり」で当初暫定的に使用されていた485系に耐寒耐雪装備を施した1500番台が雪に弱く、相次ぐトラブルに悩まされていた反省を踏み台に開発された北海道専用車両です。この形式の投入後「いしかり」は「ライラック」に発展解消を遂げ、今に至ります。

白老を出た辺りで。この辺は噴火湾が見え隠れして車窓が楽しい場所です。

飛行機の爆音が途切れる事なく轟き続ける南千歳に到着。乗り継ぎ時間が28分間ありましたが、駅前に何があるという感じでもなかったのでホームで時間を潰していたら上野発札幌行き8009レ「カシオペア」がやって来て驚きました。'99年登場のこの列車はどうも1編成しか作られていないようで、1日に上りか下りのどちらか1本しか走っていなく、未だ臨時列車扱いになっています。

車両は本当に久し振りの新造客車のE26系で、全編成に渡ってA個室寝台になっています。ただ、その全てが2人用個室となっているので、僕のように1人で旅行したい人は使えません(超過料金を支払えば乗れますが、馬鹿馬鹿しいです)。編成の上野側の端、この写真に写っている所はカシオペアスイートと呼ばれ、寝台料金だけで1人¥25,490×2人分で¥50,980もします。それでも人気は高くて、滅多にここの指定は取れないそうです。ちなみに逆側の編成端は展望ラウンジ付き電源車となっています。

「カシオペア」の出現に驚いていると、間髪入れず大阪発札幌行き8001レ「トワイライトエクスプレス」がやって来ました。牽くのは「カシオペア」と同じく「北斗星」カラーに彩られたDD51の重連。この「トワイライトエクスプレス」も「カシオペア」と同じく不定期運行の臨時列車扱いですが、車両は24系の改造車なので編成が数本あるらしく、時期によっては毎日運行されています。

こちらも大阪側の編成端はスイートになっていて(札幌側は普通の電源車)、「カシオペア」と同じ値段、同じく滅多に指定が取れない部屋になっています。ただ、こちらの列車には開放B寝台と個室B寝台も付いているので、1人旅でも安く利用可能です。

ここで降りたらしい人達が記念撮影をしていました。

自分の撮影が終ったら人の撮影もしてあげます。僕は自分の写真を残す習性がないというか、自分の顔より自分が見た物の方を記録に残したいと思うのでよく解りませんが、記念写真好きな人は多いです。

そうこうしている内に次の帯広行き31D「スーパーとかち1号」が入って来ました。車両は縦目玉付きのキハ283系。最新型です。

9時半発のトマムで。ここには高校生の頃にスキーをしに来た覚えがあります。その頃はまだ出来立てのスキーリゾートで、ツインタワーという名前なのに1本しかない建物が可笑しかったです。確か飛行機で千歳空港に着いて、そのまま列車1本だけでここまで来たと思います。その時に乗ったのは「トマムエクスプレス」という名前のハイデッカー車だったと思うのですが、調べて写真を見ると「アルファコンチネンタルエクスプレス」という名前の列車だったようです。「アルファコンチネンタルエクスプレス」はキハ56系からの改造車だったそうで、なんと無茶な事を、と思います。

10時22分発の芽室のちょっと手前のラベンダー畑。あちこちで見掛けましたが、見渡す限り一面の、という所は見られませんでした。そういうのは多分富良野線に乗らないとダメじゃないかな、と思います。

帯広の駅は中央を自由通路が貫き、その両側に行先別のホーム毎の改札があるというなかなか思い切った作りでした。駅舎を出た途端に気温の低さを感じて駅前の寒暖計を見たら、17度しかありませんでした。まだ道東の入り口なのにこれだけ寒いのでは、この先の根室でどうなるのか思いやられます。

ちょっと早いですが、ここで昼食。帯広名物豚丼です。時間が早かったせいか、豚丼の看板を出している営業中の店は2〜3軒しかありませんでした。その中の1軒の焼肉屋で食べたのがこれ。山椒をかけるというのは意外でした。味の方はちょっと甘過ぎるかなという感じです。ただ、僕は料理に砂糖を使わない家に産まれたので、一般的には問題ないかと思います。

帯広からは11時36分発の4003D「スーパーおおぞら3号」に釧路まで乗ります。車両はさっきと同じキハ283系。

高速コーナーを抜けつつ橋をくぐって小駅を通過(2.4MB / 35秒間)

せっかくこの車両に乗ったのだからという事で、一番前に行ってムービーを撮りました。初のムービーです。とは言ってもDimage Xiのムービー機能で撮ったので、クオリティが低い上に最長35秒間という足枷もあります。しかも窓には一面に虫の死骸が貼り付いていたりで汚れていて、手動ワイパーでは綺麗になりませんでした。

海岸線と並走してから大きいコーナーを曲がって内陸へ(2.4MB / 35秒間)

窓が汚いという事はとりもなおさず映像も汚れるのですが、Dimageに標準添付されているDimage Viewerというソフトの動画補正機能でコントラストとシャープネスと彩度を上げたら結構見られる絵になりました。最初はiMovieでやろうかと思ってDVフォーマットに書き出そうと悪戦苦闘していた(iMovieはDVしか読み込んでくれないので)のですが、ふと思い付いて今までインストールもしていなかったこのソフトを試したら解決してしまいました。なかなか侮り難いです。

ムービーの中身に話を戻します。このムービーは車体の中心で撮ったのですが、コーナーで曲がる時に真ん中にいたはずの線路がかなり横にずれているのが解ると思います。これはやはりキハ283系の最大傾斜角6度の制御付き自然振り子機能が効いているようで、これのお陰で大幅なスピードアップが図れたそうです。乗り心地も「スーパーおき」で乗ったキハ187系のように気持ち悪くなる事もなく、非常に快適でした。

撮影地は、上のムービーが池田を出て10分後位の地点。通過している駅は多分十弗。もしかしたらその次の豊頃かも知れませんが、さすがにそこまで速くないと思います。下のムービーの海岸線は厚内を出た後の太平洋です。

途中の信号場で列車交換。4006D「スーパーおおぞら6号」かと思われます。向こうが停車していてこちらが通過、という形でした。シャッターを切った瞬間に何かが光り、もしかしてDimage Xiが計算を間違ってストロボを焚いたのかと驚きましたが、照り返しだったようです。沢山撮っているとこんな写真も偶然撮れるのかと感心しました。汚れた窓のせいか遠近感が妙な感じで、なんとなく鉄道模型というか、きかんしゃトーマスっぽくもあります。

トンネルを抜ける時に撮ったらこんな写真になりました。下に伸びている2本線はレールです。やはりこの場所はこれ以上なく楽しいです。

釧路では5分間の乗り継ぎで次の列車へ。ここからは2時間とちょっとの間、鈍行で移動です。車両はキハ54系。国鉄末期に作られたらしいのですが、全然知らない車両です。

14時20分発の茶内にて。ちょこんと組んだ脚が可愛らしいこの女の子は、列車が着くと駅舎の陰からひょっこり顔を出し、発車と同時に自転車に乗って何処かへと去って行きました。誰かを待っていたのでしょうか。

根室に着いて列車から出るといきなり寒いです。身を縮めながら宿へ移動します(後でニュースを見たら、この日の根室は11.7度までしか気温が上がらなかったそうです)。この日の宿は駅正面から真っ直ぐ歩いた突き当たりにあるあづま旅館という所です。いつもはビジネスホテルに泊まるのですが、根室には適当な所がなかったのと、高くはないしたまにはいいか、という事でここにしました。左はタイエーという微妙な名前のコンビニ。ちゃんと24時間営業です。他にも数軒見掛けたので、この辺りで事業展開しているのだと思います。

部屋は8畳間で、1人で使うには持て余し気味でした。大風呂もありましたが、部屋にはユニットバスが付いていました。1部屋いくらのホテルと違って旅館は1人いくらなので、僕のような客は効率悪いと思います。TVはお金を入れるタイプですが、回収箱が外してあって備え付けの¥100玉で好きなだけ見られるようになっていました。

宿に荷物を置き、こんな事もあろうかと持って来ていた以前の仕事先のロゴが入ったウインドブレーカーを羽織ってすぐ出掛け、駅の横のバスターミナルから納沙布岬行きのバスに乗ります。往復で¥1,880の割引切符を買いました。

市街地を抜けるとあとはただひたすらこんな感じです。信号機もありません。でも意外とどん詰まり感は感じませんでした。この先辺りから4島返還関係の看板がやたらと目に付き始めます。返せ、とか返還せよ、とかどれも命令口調でうんざりします。それらの中には「島はうばわれた」というキャッチコピーで島の上に巨大な緑色の顔をしたソ連兵が立っている物があり、その昔、まだソ連が存在していた頃に東京で友人がこれと同じ物を見付けて一緒に大笑いした(さすがに顔が緑色というのは.....)事を思い出しました。

国内最東端のバス停の前はこんなでした。展望タワーもあります。後で知ったのですが、僕の仕事仲間がタワーの根本の資料館に映像機材を納品したそうです。

場所が場所だけにそこいら中に記念碑の類いが林立しています。ざっと見ただけでも10個以上あったんではないでしょうか。一番多いのはやはり4島の返還を求める物でした。最悪、本州の真中で分断されていた可能性もあったのにこの程度で済んだのはまだマシだと思いますが。それに還って来た所でどうするのでしょうか。漁業権は拡大しますが(それだけが狙いかも)、住むには厳し過ぎる場所だと思います。今現在住んでいるロシアの人達の生活も考えなくてはなりませんし。法整備が大変ですが、どうせなら両国政府が主張する国境をどちらも有効にして、両国で共同管理すれば面白い場所になると思います。

突端ではカモメ達が人間同士のつまらぬいさかいになんぞ興味ない、と言った顔で飛び回っていました。多分あっちの島とも行き来しているのでしょう。右に見える灯台が日本名で貝殻島。ここから3.7Km。ここは本当に灯台しかないようです。左から中央にかけて見えているのがちゃんとした陸地としては一番近い水晶島。ここからは7.0Kmです。

ちなみにこの突端はどうも最東端ではないようで、ここから見て右の方にある納沙布灯台が本当の最東端のようでした。行ってみたかったのですが、バスの時間もあって見合わせました。ここに挙げた写真だけだとただ岬があるだけの場所に見えますが、実際にはこの背後には土産物屋や食堂がいっぱいあります。

宿に戻って夕食。珍しく宿で食事です。大して高くなかったので頼みました。なんと花咲蟹が丸ごと1杯出て来ます。蟹が一部剥いてあるのは食べ始めてから思い出して写真を撮ったのではなく、宿のおじいさん(番頭さんだったのかな?)が根室では蟹をこういう風に皿に置くのですよ、と言いつつ剥き方を手解きしてくれた結果です。火にかかっているのは鮭のチャンチャン焼きでした。

夕食を食べ終えてもまだ19時前。このまま風呂に入ってTV見て寝るなんて勿体なさ過ぎるので、散歩に出ます。まずは宿の横の坂道を下って港へと向かいました。

港に着くと、ちょうど西の海に太陽が没した直後でした。堤防に階段が立て掛けてあったのでそこに昇って暫く日没を観察します。19時半過ぎ、列島の東端と西端でどの位違うのだろうと思い付いて博多の師匠に電話。それなりに明るさの違いはあったようでしたが、期待した程ではなかったようです。

結局、20時頃まで日没を見守り、ほぼ真っ暗になった所で退散。ここを離れる少し前に、カモメがあいつさっきからずっとあそこにいるけど何してんだろ、といった感じで僕の頭上を3〜4回ぐるぐる回っていました。

港へ向かう途中に商店街らしき場所を見掛けたのでそっちの方角へ行ってみます。5分程歩いて行き着いた商店街のこの看板を見た瞬間、僕の脳裏に何十回となく読み返した宮脇氏の「最長片道切符の旅」の一節がフラッシュバックしました。

宮脇俊三著「最長片道切符の旅」新潮社刊 48-49Pより抜粋
〜〜〜
 旅館は一夜を明かすところであってご馳走を食べるための施設ではないし、内地の旅館は料理を多く出しすぎるとは思うが、私はたちまち膳の上を平らげ茶漬を一杯だけかきこむと疾風の如く宿を出た。観光案内書に紹介されている郷土料理の店が梅ヶ枝町というところにある。港の近くでここからは遠いが、そこへ行こうと思ったのであった。
 裁判所や根室支庁の建物のある広い通りを私は急ぎ足に下っていった。人通りはまったくなく、風はますます冷い。根室は寒い根室は寒いと調子をつけてひとりごちながら一五分も歩くと、ようやく繁華街に出た。四つ辻を右に曲り、たぶんこのあたりと思われるところで私は一軒の化粧品店に入った。カミソリの替刃を買う必要があったからである。店番をしていたのは一七、八歳の愛想のよいきれいな女の子であった。金を払いながら私は、
「このあたりが梅ヶ枝町?」
 と訊ねた。すると娘さんは急に表情を険しくして、
「ここは緑町です。梅ヶ枝町はもっとあっちです」
 と固く答えた。どうもご機嫌を損じたらしい。梅ヶ枝町とはそんな悪所なのであろうか。

 もっとあっち、と吐き捨てるように言われた町だが、そこは緑町のすぐ近くにあった。なるほどピンクで名高いキャバレーの系列店があり、ネオンが点滅しながら回っている。目的の店はすぐわかり、入ると大きな炉があって暖かい空気と焼魚の臭いとが満ちていた。
 店の主人のすすめでシシャモを注文すると生干しの大きなのを一〇匹も焼きはじめた。酒をたのむと正二合の大徳利がどすんと置かれる。なかなかスケールが大きい。シシャモはいまが旬でしかも本場だからうまかった。つぎにツブ貝の壺焼きを注文すると拳固ほどの大きなのが出てきて、これもうまかった。
 根室はいいぞと私は嬉しくなり、調子づいて当店自慢イカのソーメンづくりというのを頼むとこれが冷凍物だった。後悔しながらもう一本酒をのんだ。店を出るとみぞれが降っていた。
〜〜〜
('78年10月14日 根室市街にて)

平行した通りである梅ヶ枝町と緑町は間に細い通りを1本挟んだだけで、実際に近かったです。しかし、上の写真の緑町もこの写真の梅ヶ枝町も今は非常に寂れていて、この時間帯に開いている店は殆どありませんでした。

ざっと見たところ、今は梅ヶ枝町と緑町に挟まれた広小路という通りに呑み屋が集まっているようでした。その中で入ったのがこの店。ここは今回の旅行で一番の大当たり。あちこちの居酒屋でほぼ毎日紅トロルイベを頼んでいたのですが、ここは他より安く、しかも量も倍近く盛られていました。他の料理も旨くて安くて量が多く、純米酒も一合¥500程度で根室はいいぞと嬉しくなりました。また根室に行く事があったら必ず寄りたいと思います。

第5日 / 7月15日へ

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