■ 第3日 / 7月13日 ■

この日は函館と森の間を1往復半して室蘭へという一見簡単なルートですが、実は函館本線の七飯ー森間は大沼を軸とした8の字型の路線になっていて、意外と複雑な経路になります。とりあえずJR北海道は全線完乗しようかな、と思っている僕にとっては厄介な場所ですが、都合のいい事に「SL函館大沼号」はその全部を走ってくれます。蒸気機関車牽引の列車にも乗れて一石二鳥です。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
函館
09:48発
9989レ
SL函館大沼号
函館本線
11:15着
12:47発
9990レ(大沼より9991レ、
大沼公園より9992レ)SL函館大沼号
函館
15:23着
16:43発
5017D
スーパー北斗17号
長万部
通過
室蘭本線
東室蘭
18:29着
18:44発
4484D
室蘭
18:57着

色々と面白い物を見られたこの日でしたが、一番印象深かったのは鉄の町室蘭のあまりの凋落振りでした。まさかここまでとは思いませんでした。

8時半頃に起床。こんなゆっくり寝ていられるのは今日が最後で、この後は連日出発が早いです。起き抜けに部屋から朝市の様子を見たら既に多数の客で賑わっていました。

チェックアウトして荷物をコインロッカーに放り込み、散歩と朝食に出ます。これは朝市で一番大きい建物の中。多分公設市場ではないかと思います。奥の方なんか一体どうなっているのかよく判りませんでした。

ふらふらと歩いていたら右手に生暖かい物が触れて、驚いて見てみたらこんな可愛い犬でした。市場の人の犬なのか客の犬なのかは判りませんでしたが、レトロな消火栓に繋がれて大人しく座っていました。

東京に帰るまでまだかなり時間があるので、別に何を買うつもりもなくただ見て回ります。しかし店の人の方はそんな事は知らないのでどんどん声を掛けてきます。「お兄ちゃん蟹買っていかんかねー」「いや、飯喰いに来たんで」「あー、飯かー」等のやり取りをしつつ市場の中を進みます。

本当はトラピストバターラーメンなる物を食べさせる海峡という店で朝食を摂るつもりだったのですが、有名店きくよ食堂のおばさんに細い路地の中で捕まってしまいました。いずれにせよ昼はここで食べるつもりだったのでいいか、とウニと鮭と蟹の三色丼を頼みます。まあ、そこそこでした。食べ終ってから表通りに出た途端に同じ店の別のおばさんに三色丼食べていかんかねー、と声を掛けられてしまいました。

朝食も済んだので、早速駅へと向います。ホームには既に9989レ快速「SL函館大沼号」が入線していました。快速なので指定券だけで乗れます。ここでもまた会ったディーゼル機関車のDE10が付いていますが、これは編成後端に補機として連結されていて、今日は完全に黒子に徹します。色も濃紺に塗られていて目立たないようにされています。その隣にいるのが元々は貨物列車用の車掌車だったヨ3500。喫煙所兼展望車として連結されています。

編成の一番前まで行きました。今日は今年最後の重連運転日なのでC11が2両で牽引します。このC11という蒸気機関車は短〜中距離の旅客/貨物輸送用に'32年から'46年に掛けて381両が製造された形式で、石炭と水を本体に搭載したタンク型蒸気機関車です(後に専用の炭水車を連結しているのはテンダー型と言います)。小さくて軽くて100Km/h近い高速運転も可能、更にバック運転も得意と性能、使い勝手共に大変優れていたので各地で重宝されました。その使い勝手の良さと製造両数の多さからか、現在国内の現役蒸気機関車としてはJR北海道の171番機、207番機、大井川鐵道の190番機、227番機、317番機、真岡鐵道の325番機と6両が存在し、最大勢力を誇っています。

本来はこちら側が後なのですが、折り返し駅の森に転車台がないので、この日はバックで森まで行き、帰路は普通に帰って来ます。

これが先頭の207番機。カエルのような顔をしていますが、これはC11本来の姿ではなく、現役時代に改造された物です。こういう顔のがいる事は知っていましたが、上の写真で判るように後側までライトが2つあるとは知りませんでした。この207番機は'41年に製造され、日高本線を中心に道内で'75年まで活躍し、廃車後は静内町の公園に保存されていたのを北海道鉄道開業120周年記念事業の一環として'00年に復活させたそうです。

こちらは普通の顔の171番機。'40年製で、'75年の引退時には'89年4月に廃線となった道東の標津線で働いていました。その後は標茶町の公園で保存されていましたが、'99年4月期のNHK朝の連続テレビ小説「すずらん」で留萌本線の恵比島駅が舞台になった事が契機となって'99年4月に復活を遂げた(当初のロケは真岡鐵道から借り受けたC12の66番機で行っていたそうです)機関車です。

出発前は記念撮影の嵐。乗る方も乗せる方も警備員さんもみんな笑顔で微笑ましかったです。観光列車らしく、乗務員もみんな懐古調の制服です。左下の写真に写っているパラソルを持った人は客室乗務員で、もう1人いました。その奥にいる黒服の人は土方歳三のコスプレ(?)の人で、記念撮影要員として来ていました。この人は列車には乗らず、見送りの時に汽笛の大音響にのけぞっていました。

編成は先頭から順にカエル顔のC11 207番機、普通の顔のC11 171番機、床下にディーゼル発電機を積んだ車掌室付きのスハフ14、唯一の旧型客車でカフェカーも兼ねるスハシ44、オハ14が2両、喫煙所兼展望車のヨ3500、補機のDE10 1692番機という布陣でした。僕の席は往復ともスハフ14にあったのですが、床下の発電機がうるさく、まるでディーゼルカーに乗っているようで残念でした。

本来ならこの「SL函館大沼号」はスハシ44以外の車両も旧型客車のみで構成されているはずなのですが、6月下旬から他のイベント列車に回すために残念ながら14系に置き換えられていました。14系に乗るためにわざわざ樽見鉄道に乗ったりしていましたが、いざもっと古いのがいるとなるとそっちに気が行ってしまいます。現金なもんです。

編成の一番前でずっとC11を見ていた少年。帰りも一番前にいました。この年頃でこういう行動に出るという事は、彼の一生はほぼ決定した物と考えていいのではないでしょうか。

列車は9時48分に発車し、グン、グウンという独特のリズムで加速していきます。

9時56分発の五稜郭を出た所にいた国鉄色のキハ56系の3両編成。使えばいいのに。

冒頭で函館本線が8の字型になっていると書きましたが、行きは大沼までが渡島大野と仁山を通らないルート、大沼からは大沼公園、駒ヶ岳を経由するルートと短絡線ばかりを行きます。左窓には大沼公園、右窓には駒ヶ岳が広がり、なかなか風光明媚な路線です。

車内は禁煙なので喫煙所になっているスハシ44のデッキに行ってみました。JNRロゴ入りの灰皿が泣かせます。

僕は旧型客車に乗った事がなかったのですが、色んな人の話を聞くとどうもドアは勝手に開けられたようで、混雑時にはドアを開けたまま手すりに掴まって走るハメになったりしていたそうです。無論、非常に危険な話で、転落事故も多かったのだそうです。現在旧型客車を走らせるには自動化改造を施したり警備を立たせたりしているそうです。このスハシ44は開かないようにしてありました。

スハシ44の内部。多分現役の頃の姿は止めていないと思いますが、なかなかいい雰囲気でした。左奥が売店カウンターになっています。手前のストーブは14系の各車にも付けられていました。

右窓に駒ヶ岳が見えて来ました。でも頂上は雲の中。考えてみると今回の旅行はそういう運はなかったと思います。手前の立て看板には駒ヶ岳小学校とありますが、この畑を児童が耕しているのでしょうか。

そういえば展望車が付いていたじゃないか、という事で一番後へやって来ました。そこではこんな楽しい車窓が。ムービーを撮っていなかったのが悔やまれます。

DE10とヨ3500の連結部。この連結器の緩み具合からすると、基本的にはC11の牽引力にお任せで、DE10はあまり押し込んではいなかったのかも知れません。後述する機回し要員としての色合いが強いのかなと推測します。

途中の小駅通過時に。物凄い煤煙です。それでも昔の蒸気機関車の煤煙と違って目に燃え滓が飛び込んだりはしないので、石炭の質も相当変わったのだと思います。とは言え、後で見てみたら腕が煤で真っ黒になっていました。

沿線には地元の人達がいっぱいいて、列車に手を振っていました。また、撮り鉄の人達もあちこちにいて、中にはどうやってここまで来たのだろうと不思議に思う程の山奥にいる人達もいました。僕は完全に乗り鉄なので撮り鉄の人達の行動力と忍耐力には感心すると同時に、車で移動して写真ばかり撮っていないでもっと列車に乗って収入に貢献しようよとも言いたくなります。

定刻の11時15分、森に到着。早速跨線橋に昇って駒ヶ岳と噴火湾を背景に1枚。サイトにするのに使い勝手が悪いので今まで縦位置の写真は敬遠していましたが、たまに撮ってみるとなかなかいいものです。

他の人はみんな駅を出て行きましたが、僕は機回し作業に興味があったので跨線橋の上に残りました。他にここで写真を撮る人は殆どいませんでした。順を追って機回し作業を紹介していきます。左上ー右上ー左下ー右下の順番です。

左上:まずはC11が2両共編成から切り離されて長万部側へ進んでいきます。出発時に比べてかなり石炭が減っています。帰りの車内放送でここには石炭を3トン積めて、往復で2トン使ってしまうと言っていました。
右上:跨線橋の下を通ってその先のポイントまで。
左下:ポイントの所で引き返し、側線に入ります。ここで点検と給水を受けます。横は見物人が近付けるようになっています。
右下:DE10が編成を長万部側に押し込んで行きます。

左上:ぐいぐいと奥のポイントまで押し込みます。
右上:ポイントの所で引き返し、今度は海側の線路へ。
左下:編成を切り離し、DE10単機で再び長万部側へ進みます。
右下:ポイントの所から編成がいる線路に入り、連結します。

ここまでで機回し作業の前半が終了。一休みになります。

跨線橋の上からC11を見ていたら11時ちょうどに函館を出た札幌行き5007D「スーパー北斗7号」がやって来ました。車両は振り子式ディーゼルカーのキハ283系。およそ同じ軌道を走る物とは思えない取り合わせです。

C11の方は動きがなくなったな、と思ったら機関士さん達はC11の日陰で休憩。お弁当を食べていました。やっぱり生きている蒸気機関車は良いです。新橋の駅前のと同じ形式だとは思えない程生き生きとしています。

機関士さん達も昼食を摂っているし機回し作業も暫く休憩に入ったようなので、僕も駅の外に出てみました。やっぱりC11は可愛いし、デザイン的にも非常に良くまとまっているしで凄い好きな機関車です。どうも僕は蒸気機関車ではC型(動輪が3つある形式)が好きらしく、他には高速旅客型のC62、貴婦人の異名を持つC57がお気に入りです。実に1115両も製造されたD51は非常に有名な機関車ですが、動輪が4つになった分小さくなっていて、いまいち力強さというか迫力に欠ける気がします。とは言え、今はD51も498番機が復活を遂げていて高崎や郡山あたりで元気に走っているそうなので、これにも一度は会いに行かないとな、とは思っていますが。

駐機している間も釜の火は落としません(それどころか、運転期間中は火をくべ続けるそうです)。一定のリズムで弁が自動的に蒸気を逃がしています。

僕が初めてC11を見たのは確か小学生の頃、家族で静岡に旅行に行った時に鉄橋のたもとで偶然見た大井川鐵道の列車だったと思います。その時に凄くいい写真が撮れたのですが、どこかに行ってしまいました。

運転台に貼ってあったカレンダー。今年の「SL函館大沼号」は4月26日から週末を中心に運行され、7月19日から最終日の8月17日までは毎日運行で実に50日間運行というハードスケジュールが組まれています。他にもこの夏は「SLすずらん号」が深川ー増毛間で運転されています。

発車前から目立っていた2人。グラビアか何かの撮影だとは思いますが、女の子のルックスは微妙だし、服や小物、ポージングのセンスが中途半端に古かったり、2人っきりで来ていてヘアメイクやマネージャーの姿が見えないなど色々と不思議な点が多くて謎でした。しかし、この時横を通り掛かったら北京語か広東語かは判然としませんでしたが、中国語系の言葉を喋っていたので何となく納得しました。

暫くすると運転士さん達が立ち上がり、出発準備を始めたので跨線橋に戻りました。機回し作業の後半戦です。

左上:見物人に見守られながら長万部側へ。この側線の函館側はホームの所で終っています。
右上:またポイントの所まで移動。ここからこちらへ向って来ます。
左下:跨線橋の下を通って函館側へ。
右下:ホームで停止。編成を待ちます。駒ヶ岳の稜線が綺麗です。

左上:こちらも出発。誘導員さんが線路端の通信機(?)と何やら話しています。
右上:こちらも長万部側へ。DE10が引っ張って行きます。
左下:ポイントの先から折り返してホームへ。
右下:跨線橋の下をくぐり、待っているC11と連結。これで機回し作業完了。

発車までまだ時間があったので、逆側のホームから見てみました。今度は171番機が正位置で先頭になります。3両目に連結されているヨ3500ですが、さすがに機関車側のデッキは入れないようにされていました。

駅名標と。この森という駅は海沿いでありつつ駒ヶ岳も見えるというなかなかいい駅でした。また、駅弁好きの人には有名な駅でもあります。森からは12時47分の発車になります。

カフェカーで買った森名物いかめしと北海道名物ガラナ。いかめしは普通2杯入りだそうですが、この時は小振りなのが3杯入っていました。イカに餅米を入れて焚いただけの素朴な物ですが、非常に美味しかったです。たったの¥470と安価なのもいいです。ガラナは北海道に来るとどこででも見掛ける飲物で、ドクターペッパーから薬臭さを抜いたような味です。これも美味しいです。左右を固めるのは森でもらったSL函館大沼号のパンフレット。何故か2種類ありました。この他に、車内で乗車証明書が往路復路共に配られました。

13時48分発の鹿部にて。帰りは大沼まで噴火湾沿いの旧線経由で走ります。駅に着くと大抵5分程度は停まっているので、みんな思い思いに列車の外に出てうろつき回ります。

同じく鹿部にて、スハシ44の台車と昔ながらの客車型ホーム。昔のホームはこんな感じで低かったのだそうです。しかし、未舗装で砂利が敷いてあるホームなんて何年振りでしょう。

14時3分発の流山温泉にて。この駅は'02年の4月に開業したばかりの観光駅で、北海道新幹線の開通を祈願して東北新幹線を走っていた200系の車両が置いてあります。

旧線経由で大沼まで行き、方向転換してDE10に牽かれて1駅だけ短絡線に入って大沼公園へ。非常にイレギュラーなダイヤで、列車番号も行きは9989レだけなのですが、帰りは

森ー大沼:9990レ
大沼ー大沼公園:9991レ(逆方向)
大沼公園ー大沼ー函館:9992レ

と目まぐるしく変わります。

大沼公園を出て函館に向い、また大沼を通過します。大沼から函館までは行きと違って仁山と渡島大野を通過します。要するに行きは真っ直ぐ北へ向かい、帰りは逆Sの字を描くようにして戻って来るという形になります。

途中見掛けた撮り鉄の人達。あちこちにいましたが、ここはその中でもかなり多かったです。延べ人数で200人位はいたでしょうか。多分同じ人が複数の場所に出没していたのだとは思いますが。

客室乗務員のお2人。やはりレトロ調のコスチュームです。車内ではマイクを握って盛り上げ役を担っていました。MCとしてはまだまだですが(僕が普段一緒にやっているMCさんはみんなそれで喰っている人達ですし、その中には全国ネットのTV局やラジオ局のアナウンサーもいるので比べるのは酷です)、一生懸命真面目にやっている姿には好感が持てました。

15時23分、函館に無事到着。ここでもまた記念撮影が延々と続けられます。まず最初にC11の前部を占領したのはこの大沼公園から乗った中高年グループ。

この後も記念撮影をする人達は引きも切らずと言った感じでした。この写真は一瞬無人になった所を狙った物です。JRもその辺を良く解っているようで、結構長い時間ホームに停めているようでした。回送されるまで見守りたい気もしましたが、次の列車までの間に函館名物の塩ラーメンを食べたいので駅を後にしました。

朝食べようと思っていた朝市の海峡は既に閉店していました。きくよ食堂と順番を間違えたな、と後悔しつつ松風町の方へ行き、昨晩目星を付けておいた店へ。非常にシンプルに見えますが、海鮮系の出汁が非常に濃くておいしいラーメンでした。ちなみに店の前でカレーライスを食べているのは店員さんです。

店を出て駅へ向うとこんな路面電車が走っていました。箱館ハイカラ號と書いてあっていかにもレトロ調で最近新造された車両のような雰囲気ですが、実際に産まれが1910年という年代物の車両です。函館市電唯一の車掌乗務車で、後部デッキに女性車掌が立っているのが見えました。どうもデッキには椅子がないらしく、運転士さんも立ちっ放しで運転していました。

停留所には当然の事ながら時刻表が貼ってあるのですが、通常のとは別にこの車両の時刻表と部分低床車の時刻表が貼ってあり、きめ細やかなサービスを提供しています。

コインロッカーから荷物を引き出してホームへ行くと、16時39分発大阪行き4004レ「日本海4号」と16時51分発八戸行き1030M「白鳥30号」が客を待っていました。「日本海4号」の電源車が緑色ですが、これは大阪ー札幌間を走る豪華特急「トワイライトエクスプレス」用の塗色で、車両運用の都合で時折「日本海」にも使われるらしいです。他の車両は普通の紺色でした。

先頭側に回り込んで一枚。「日本海4号」を牽引するED79は青函トンネル開業に伴い、その専用機としてED75 700番台から改造された交流電気機関車で、現時点では事実上最後の旅客列車も牽ける形式となっています。青函トンネルを抜ける客車列車は例外なくこの機関車に青森ー函館(五稜郭)間で牽引されています。

「白鳥30号」と同じホームにこれから乗る5017D「スーパー北斗17号」がいました。JR北海道の新型特急列車はみんな同じような顔をしていて見分けるのに難儀しますが、後で買った本を見ていると、以下のような見分け方が出来るようです。

キハ281系:ライトが運転台の上下のみ。「スーパー北斗」に使用。最大傾斜角5度の制御付き自然振り子式。この写真のがこれ。
キハ283系:縦に長く並んだライトが前面貫通扉の両側にもある。「スーパーおおぞら」「スーパーとかち」「スーパー北斗」に使用。最大傾斜角6度の制御付き自然振り子式。
キハ261系:横に短く並んだライトが前面貫通扉の両側にもある。「スーパー宗谷」に使用。ちょっと下膨れ。最大傾斜角2度の車体傾斜式。
789系:先頭部分が緑色。「スーパー白鳥」に使用。電車。振り子式ではなく、コンベンショナルな台車。

なお、先頭車の手動ワイパー付き究極のかぶりつき窓は上記のどの形式にもありました。

函館駅の売店で仕入れた御当地物。左からキリンFireミルクテイスト。甘い。Fireの味を期待すると痛い目に遭います。と言うか、遭いました。真ん中はコンサドーレ札幌のユニフォームで一躍有名になった白い恋人のチョコレートドリンク。結構濃くて美味しいです。右は六花亭のストロベリーチョコレート。ホワイトチョコでフリーズドライさせた苺を丸ごとくるんであります。強烈に酸っぱいのが混入していたりします。

東室蘭には18時29分着。北海道専用車の711系がいました。僕の記憶が正しければ、確かこれが初の交流専用電車だったと思います。ボディにマウントされたのに追加して装備された屋根上のライトが冬の厳しさを物語っています。北海道では鉄道関係に限らず何もかもが冬を基準に作られています。

東室蘭からはこの4484Dで室蘭へ向かいます。電化された区間ですが、何故かキハ40系で運行されていました。

室蘭の駅は'97年10月に移転して室蘭本線の距離が1.1Km縮まりました。移転後の新駅は両側に列車が止まれるホームがたったの1本と非常に寂しい事になっています。

この日の宿は室蘭プリンスホテルというビジネスホテル兼観光ホテルという感じの所でした。西武系のプリンスホテルとは関係がなさそうでした。

荷物を置いて街に出ると、商店街に出ました。奥の方が焼鳥屋の煙で霞んでいて、まるでリドリー・スコットの「ブラック・レイン」のようでした。この今にも向こうの方からオフロードバイクに乗った黒ずくめの男達が襲い掛かって来そうな商店街、ただ単にほぼ無人なだけではなく、天井から吊された飾りが風で揺れてザザザザザーと音を立てていて物凄く怖かったです。

暫くぶらぶらしてみましたが、室蘭の不景気は半端な物ではないようでした。ただでさえ鉄冷えで金が流れて来ないのに相次ぐ政策失敗で国自体も傾いていて、なおかつこの辺りの中心地も札幌ー函館間の特急が停まる東室蘭に奪われるという何重もの悪条件を背負っているようです。駅も19時で駅員が引き上げてしまうようで、改札には改集札はしない(こんなに新しい駅なのに自動改札機が入っていません)ので勝手に通ってくれという立て札が出ていました。

ここまで来たのだからという事で、旧駅にも行ってみました。1912年に建造されたこの立派な建物は現在観光案内所として使われています。この写真の右隣には操車場跡と思われる広大な空地が広がり、その更に奥の方向に新駅があります。空地には胆振地区合同庁舎建設予定地という看板が立っていましたが、良く読むと建設予算は付いていないらしく、ただ虚しく予定地を宣言しているだけでした。

この晩に呑んだのは商店街をリドリー・スコット風にしていた張本人のこの焼鳥屋。町中には殆ど人影がないのに、店に入ると結構賑わっているのは不思議な感じでした。

ここは焼鳥屋だし店の屋号にも鳥の字が使われているのですが、室蘭の焼鳥は他と違って豚肉と玉葱が串に刺さっていて、洋ガラシを付けて食べます(この話を交通新聞社の時刻表5月号で読んだのも今回の旅行の遠因になっています)。ただ単に精肉と言って頼むと豚肉が出て来るので、鳥を食べたい時は鳥精肉と言って頼む必要があります。色々と食べましたが、やっぱり豚の焼鳥が美味しかったです。あと、この店には父親が昔いつも呑んでいた「樽平」があったので呑みました。確か3合で¥1,300とか。安かったです。呑むと鼻に樽の香りが抜ける酒で、ちょっと甘いかなとも思いましたがなかなかでした。

第4日 / 7月14日へ

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