■ 第2日 / 7月12日 ■

この日の移動は小樽から倶知安を経由する通称山線を通って函館に行くだけです。なので、その前後に結構余裕があります。まずは小樽交通記念館へ行く事にしました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
小樽駅前
09:10発
 
北海道中央バス
手宮
09:15着
小樽交通記念館ー小樽駅間タクシー移動
小樽
11:20発
1936D
函館本線
倶知安
12:53着
13:51発
3940D
ニセコライナー
長万部
15:22着
15:27発
5014D
北斗14号
函館
16:48着
函館ー松風町間徒歩移動
松風町
18:17発
 
函館市交通局市内電車
5系統
五稜郭公園前
18:32着
19:20発
 
函館市交通局市内電車
2系統
湯の川
19:33着
19:35発
 
函館市交通局市内電車
2系統
谷地頭
20:22着
20:24発
 
函館市交通局市内電車
2系統
十字街
20:29着
20:40発
 
函館市交通局市内電車
5系統
函館どっく前
20:46着
20:48発
 
函館市交通局市内電車
5系統
松風町
21:05着

また、函館では元青函連絡船の摩周丸を見学し、市内電車に乗りまくりました。

小樽交通記念館は旧手宮線の手宮駅跡にあります。最寄りのバス停で下車すると敷地の端の転車台が最初に見えました。入口はここから敷地外周に沿って右の方へ3分程度歩いた所にあります。観光用のバスに乗れば入口の目の前に着くのですが、僕は普通の路線バスに乗ったのでここから徒歩移動です。

入場料を払って中に入ると、まず北海道の鉄道敷設に貢献したアメリカ人技師、ジョセフ・ユリー・クロフォード氏の銅像がお出迎えです。このクロフォード氏、この後もあちこちに名前が出て来ます。クロフォードと言われて数年前に千葉ロッテマリーンズに在籍していた左腕投手を思い浮かべるのは僕が偏屈な野球マニアだからでしょう。

展示車両を全部載せるとえらい事になる(写真は撮りましたが)ので、気に入った物だけ。まずはこのディーゼル機関車、DD14。除雪用で、勿論奥側が先頭になり、ロータリー式の除雪機が連結されています。ですが、こちらから見た方が可愛いです。

転車台と機関車庫。左側が機関車庫1号で、1908年完成。当時からのままで残っているのは扉が開いている2両分のみで、隣接する3両分は'96年にここを記念館とする時に復元されたそうです。右側は1885年完成の機関車庫3号(なんで古い方が数字が後なんでしょう)。こちらは建物として危なくなっているらしく、一般開放はされていませんでした。転車台は後述するアイアンホース号の転車に今でも使用されています。

ちなみに機関車庫1号の中には蒸気機関時代に最強の除雪車両だったキマロキ編成(機関車の「キ」、雪を掻き集めるタイプのマックレー式除雪車の「マ」、集めた雪を遠くへ吹き飛ばすロータリー式除雪車の「ロ」、機関車の「キ」の略)に使われていた除雪車が2両いました。入口からこの辺りに掛けては除雪車だらけです。

手前からキハ82系特急型ディーゼルカー、C55蒸気機関車、ED76 500番台交流電気機関車。キハ82系のトレインマークが函館から小樽経由で札幌・旭川へと走っていた「北海」というのは小樽という場所からでしょう。

キハ82系の内部。僕はこの形式を見るのは初めてですが、確かに昔の特急列車はこんなでした。背もたれが倒れません。奥には食堂車のキシ80が付いているのですが、休憩所として改造されていて昔日の姿は止めていませんでした。

C55に連結された旧型客車からED76の後の旧型客車を。昔は当たり前の光景だったはずです。北海道らしく、窓は二重窓になっています。

ED76の内部。通路があるのは知っていましたが、ここまで狭いとは知りませんでした。

まだ現役で多数働いているDD51。後には救援車他が色々と繋がっていました。

普通車と郵便車と荷物車の合造という珍車、キハユニ25。足場を組む準備をしている所を見ると、近々塗り直しをするのかも知れません。現に塗り直している真っ最中の車両もいました。

急行型のキハ56。こないだ氷見線で乗ったのはこれの仲間です。その後の緑帯の車両はグリーン車のキロ26。中にはプロジェクターボックスがしつらえてあり、20数年前に制作されたと思われる(EF65PF型が3段寝台の14系「さくら」を牽いていたので)ブルートレインのビデオが流されていました。ちょうど僕が一番国鉄好きだった頃の話だっただけに、時間がないのに思わず見入ってしまいました。

手前は最近よく顔を合わせるDE10のように前後で非対称なDD16。奥は丸目玉が可愛いDD13。

DD16はDE10より更に非対称具合が極端です。これだったらこっち側は電気機関車みたいな顔にした方が良かったのではないかと思います。

小樽交通記念館の呼び物、「アイアンホース号」の発車準備が整ったようです。後のマッチ箱みたいな客車もなかなかです。なのですが、僕は時間がなくて乗れませんでした。残念。この「アイアンホース号」は、煤煙の臭いからするとどうも重油を燃やしているようでした。

しかし、午前中とは言え土曜日なのに場内は閑散としています。僕を入れても20人もいなかったのではないでしょうか。

屋内展示は建物が2つあって、最初に紹介したDD14の近くにあるのがこの建物。D51のパーツや整備に使われた工具が壁中に陳列されています。もう1つの建物が屋内展示のメインで、1884年にアメリカで製造され、翌年輸入された6号機関車「しづか号」(「弁慶号」や「義経号」と同形)や1892年にアメリカ製客車を手本にして製造された北海道初の1等客車「い1号」が展示されています。これらは1階部分にいて展示は3階まであるのですが、僕は時間がなくて1階をざっと見ただけで出てしまいました。

小樽鉄道記念館からはバスの時間が判らなかったので、たまたま記念館までの客を乗せてやって来たタクシーを捕まえて小樽駅に戻りました。トヨタのアリオンという妙に背の低いスポーティなセダンで不思議な感じでした。

小樽からは11時20分発の1936Dに乗ります。2両編成に見えますが、既に後の車両は切り離されていて単行で発車します。これは倶知安止まりなので、長万部に抜けるには後で乗る3940Dに乗れば済むのですが、どうせなら倶知安に寄ってみようという事でこちらに乗ります。

1936Dはどこでも見掛けるキハ40系なのですが、他といくつか違う点がありました。まずシート配列ですが、片側が通常の二人づつ向かい合わせ、逆側は一人づつの向かい合わせ固定クロスシートでした。北海道なので窓は二重窓。そして何より冷房化されておらず、この国鉄ロゴ入り扇風機が付いていました。扇風機のスイッチは乗客が操作します。車内は後方羊蹄山への登山客と思しき声の大きい中高年の男女で混んでいました。

12時17分発の銀山にて。ここから倶知安までは稲穂峠と倶知安峠が連続するという道内屈指の難所で、その昔この路線に蒸気機関車牽引の急行列車が走っていた頃はC62が重連で黒煙を吹き上げつつ通っていた場所です。

倶知安駅のホームからはスキーのジャンプ台が見えました。あんな所を滑り落ちて空中に飛び出すなんて正常な精神の人間が出来る事ではありません。

倶知安では約1時間あるので、昼食にします。でも駅前にはあまり良さそうな店がないので本屋を回ったりしている内に時間が段々少なくなっていき、焦って店を探しました。駅から少し離れた所に飲食店が集まっている一角があり、そこのうさぎ家という店に入って食べたのがこのざるそばとミニ天丼のセット。これが結構当たりで、ミニと言いつつも東京あたりでよくあるしょぼくれた天麩羅ではなく、ちゃんとした大きさの海老天が2本も乗っていました。そばも胡麻そばという独特な物で、なかなか良かったです。

時間がなかったので急いで食べて(僕の直後に例の登山客がどやどやと入って来て、店の人がその後の客に30分待ちと言っていたので危ない所でした)、駅に向います。駅前の案内看板によると蒸気機関車が保存されている公園もあるようでしたが、諦めました。

駅に戻ると、後方羊蹄山が少しだけ頭を見せてくれました。

ここからは札幌始発の快速「ニセコライナー」で長万部まで行きます。快速と言っても札幌から小樽築港までの間だけで、既に単なる各駅停車になっています。車両はキハ150系というレールバスっぽくないちゃんとしたディーゼルカーが2両で、さっきまでのキハ40系とは乗り心地が全然違いました。

倶知安ー長万部間は倶知安からが日に6本、長万部からが7本と非常に運転本数が少ないせいか、車内はかなり混んでいて僕は途中まで座れませんでした。仕方がないので最前部、かぶりつきの場所に暫くの間立ちました。

長万部からは5014D「北斗14号」で一気に函館へ向います。やたらと広い構内が昔を偲ばせます。

この辺りの路線は森から室蘭の近くまで内浦湾、通称噴火湾沿いに走ります。走っている位置によって海の向こうに函館が見えたり室蘭が見えたりで楽しい区間です。

函館に着いて真新しい駅舎を出ようとするとこんな掲示がありました。

これが新駅舎。背後は朝市です。

上の写真の所から右に進むと旧駅舎が。どうも取り壊す寸前のようです。特徴になっていた大時計も既に取り外されていました。この日は12日で、2つ上の写真からすると8日までは旧駅舎の中を通れた模様。この間の小野田線のクモハ42の件と言い、どうも僕はこういうのをタッチの差で逃す傾向にあるようです。

まずは駅から見て朝市を挟んだ場所にある東横インにチェックインします。嬉しい事に11階建ての11階の部屋で、眺めがとても良いです。手前が朝市、左が港、真ん中が駅、その奥に操車場、右が新駅舎と旧駅舎です。

操車場をズームアップ。未だ転車台が残っています。ドラえもんのシールを貼りまくられた50系客車とかも見えます。JR北海道はあちこちでドラえもんを使っていて、翌日には凄まじい色で塗りたくられた上にドラえもんラッピングを施されてしまった可哀想な781系も見ました。

部屋に荷物を置き、顔を洗ったら出掛けます。まずはホテルのすぐ近くにある元青函連絡船の摩周丸の見学です。僕は青函連絡船に乗った明確な記憶はないのですが、大昔に家族でフェリーに乗ってどこかに行ってすぐ引き返したような朧げな記憶があるので、もしかしたらその時に青函連絡船に乗って函館まで来ていたのかも知れません。

ブリッジです。この写真に写っているおじさんおばさんグループの中の1人が船舶に詳しいらしく、会話を横で聞いていたら結構勉強になりました。

ブリッジの右舷側にあったFM-Towns。裏にはモデル40Hと書いてありました。調べてみたら'90年10月発売でCPUはi386@16MHz、メモリ2MBで最大16MB、HDDの容量が40MB、CD-ROMドライブは無論標準速。鉄道車両で言うと車齢60年位でしょうか。

摩周丸の後部。多分ここから貨車の積み降ろしをしていたのだと思います。今思うと物凄い手間を掛けていたのだと感心します。

駅前を通り、市内電車の軌道がある道に沿って歩きます。途中の横断歩道で旧駅舎の方向に向かって。

少し歩くと松風町という停留所があったので、ここから湯の川方面行きの電車に乗る事にします。なのだけど、終点の湯の川ではなく途中の駒場車庫前行きが来ました。でもまあいいかと乗り込みます。ホームが狭く、壁と電車の間が1mもなくて怖いです。

何も決めずに乗った電車でしたが、とりあえず五稜郭を観に行く事にしました。降りる時に1日乗車券を買いましたが、夕方のこんな時間帯に買う人間がいるとは思わなかったのか、運転士さんは少し慌てていました。

五稜郭公園前の停留所は「前」を名乗っている割にはかなり遠く、10分程歩く事になります。考えてみたら五角形と言われても上から見ないと判らないな、という事で展望台に昇ってみました。でもこの展望台が意外に低くてこんな感じにしか見えません。降りてから公園へ行きましたが、やはり地上からでは単なる公園でした。

そうこうしている内に日が暮れてきました。実際はもっと明るかったと思います。

五稜郭公園前の停留所の辺りは函館で一番栄えている場所らしく、駅前よりずっと店も人も多かったです。停留所に向う途中、何故か人がいっぱい道端に集まっていました。祭りの山車や神輿を待っているような雰囲気で、結構な距離の間、びっしりと人で埋まっていました。

五稜郭公園前から湯の川行きに乗ります。この時に来たのは旧型の車両で、車内はこんな感じでした。非冷房だったので窓を開けていられて良かったです。

湯の川の停留所にて。温泉街の先にあるせいか、特に何があるという場所ではありませんでした。折り返しでまた同じ車両に乗ります。線路終端の車止めを利用してセルフタイマーで写真を撮ったのですが、左側の夫婦に怪訝そうな顔で見られています。

約50分程走って谷地頭で折り返し。ここも何もない場所でした。本当は途中の十字街で降りてロープウェイに乗ろうかな、とか考えていたのですが、時間が遅くなったのと部屋がいい眺めなのとで諦めて市電完乗を目指す事にしました。

函館の市電は片一方の終点が湯の川、逆側の終点は十字街で分岐して谷地頭と函館どっく前になっているので十字街で降ります。五稜郭公園前ー湯の川ー谷地頭ー十字街と1時間以上も乗ったこの車両とはここでお別れです。

これが十字街の分岐点です。係員がいる訳でもないのにどうやってポイントを切り替えているかはよく解らず仕舞いでした。

十字街から函館どっく前まで乗ったのが比較的新しいこの車両でした。周りは真っ暗です。ここからまた引き返します。ホテルの辺りにはあまり開いている店がなさそうだったので、素通りして松風町まで行く事にします。図らずも、函館市電の全線を上りも下りも完乗した事になりました。

松風町近辺で見付けたこの店でこの夜は呑みました。店内には芸能人のサイン入り色紙が所狭しと飾られていて、名古屋の古い方のくるみのような雰囲気でした。初めて鮭のチャンチャン焼きを食べましたが、旨かったです。

ホテルへ歩いて戻る道すがら、1〜2日分程度満月に足りない月が出ていたので撮ってみましたが、難しいもんです。

コンビニに寄ったら北海道限定系の物がいくつかあったので購入。この手の限定物は北海道が一番多いような気がします。ジョージアのブレンドは北海道のみではありませんが、東北よりこちら側でしか見掛けません。右側は市電の1日乗車券。冊子型で、中に市電を中心とした地図が1枚と市電路線図兼観光案内の裏にこれを見せると受けられる各種割引の一覧が刷られたのが1枚折り込まれていて、更にメモ帳も兼ねている優れ物です。市電の運賃は距離にもよりますが、¥200から¥250なのでこの¥600の切符はかなり使いでがあると思います。

夜中の3時22分の夜景。風呂に入ったり無料回線でインターネットに繋いで遊んだりしている内にこんな時間になってしまいました。明日は初めて蒸気機関車牽引の列車に乗ります。

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