■ 第1日 / 7月11日 ■

今回は今までにない長期旅行という事で、いつもは出発日の前日、しかも夜中になってから旅装を整える僕には珍しく、決行日の週頭から準備に取り掛かりました。伸びていた髪を切りに行き、衣服を少し買い、と徐々に準備が進むにつれて気持ちも盛り上がって行きます。そして遂に11日、出発日となりました。時間調整が上手く行かず、1時間少々しか寝られませんでしたが、まずは東京駅へと向かいます。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
東京
06:56発
3001B
はやて1号
東北新幹線
八戸
10:04着
10:16発
1001M
スーパー白鳥1号
東北本線
青森
11:14着
11:20発
津軽線
中小国
通過
海峡線
木古内
12:32着
12:33発
江差線
五稜郭
通過
函館本線
函館
13:12着
13:25発
5011D
北斗11号
長万部
14:46着
14:46発
室蘭本線
沼ノ端
通過
千歳線
白石
通過
函館本線
札幌
16:58着
17:14発
3935M
エアポート165号
小樽
17:48着

この日は正に移動日、と言った感じです。とは言え、北海道への移動も随分速くなったもので、鉄道のみで移動しても小樽着は18時前。ざっと観光する事も出来ます。

この旅行の最初の列車、3001B「はやて1号」です。盛岡までは秋田行きの「こまち1号」を併結して行きます。そう言えば、秋田新幹線(実はそういう名前の線区は存在しないのですが)は開業初日に「こまち3号」に乗った覚えがあります。別に初日を狙った訳ではなくて、能代の父親の実家に行くにあたって新幹線出来たらしいから乗ってみよう、程度でチケットを買ったら偶然その日が初日だったというだけで。車内で記念のあきたこまちのおむすびを配られて、それで初日だと気付くという体たらくでした。

「はやて1号」の車内で今回の切符を。左上の2枚がぐるりの本券で、行き用と帰り用になっています。左下は上からぐるりの案内、ぐるりのアンケート用紙、帰りの「北斗星4号」の食堂車「グランシャリオ」の夕食券、フランス料理のコース¥7,800也です。高いですが、どうしても食堂車で食事をしたかったので仕方ありません。右半分は指定券の数々。これらの他に何本か自由席に乗った特急もありました。

下敷きになっている本は、左側が北海道内の交通機関のみが記載された道内時刻表。基本的に道内でしか入手出来ないのですが、前日にお茶の水での打ち合せ帰りに散歩がてら行った神保町で買えました。薄くて軽くてとてもいいです。いつも全国版の時刻表を持って旅行しているのですが、殆どのページは持っていても無意味だと思っていたので嬉しいです。この神保町行きは大当たりで、全国の路線図と駅間距離その他が載った別冊付録「JR乗りつぶしマップ」付きの雑誌「旅」8月号と列車編成席番表'03年夏秋号も入手しました。無論「旅」の付録は持って来ています。

右側の冊子はJR東日本の新幹線に乗るとシートのポケットに入っているPR誌「トランヴェール」。さすがにJRの広報誌だけあって、色々と旅行欲をそそる作りになっていて結構面白いです。

車内はかなり混んでいて、着席率は80%位行っていたと思います。どうせ仙台でみんな降りてその先はスカスカになるのだろうと高を括っていましたが、甘かったです。確かに仙台でかなり降りましたが、同じだけ乗って来て車内は変わらず、盛岡でも同じ。結局そのまま八戸まで来てしまいました。今思うと今回の旅行で一番辛かった列車はこれだったと思います。写真は八戸の新幹線から在来線への乗り換え改札の近くです。

ホームに降りると、向こう側のホームに東北新幹線八戸開業でJRから切り離された第3セクター、IGRいわて銀河鉄道の車両がいました。奥は多分キハ40系だと思いますが、「うみねこ」と書いてありました。詳細はよく知りません。 

八戸発10時16分の1001M「スーパー白鳥1号(永らく1往復のみの設定だった「白鳥」という列車名に何号と付いているのには凄い違和感がありますが)」はJR北海道のこんな車両でした。789系と言うらしいですが、なんというか、独特な顔をしています。なんでも提携しているデンマーク国鉄との共同開発とかで、JR北海道の新型特急列車は大抵こういう顔をしています。まあ、これはこれでありかな、と。で、この車両には実は凄い仕掛けがあって、どういう事かと言うと↓

こんな所に自由に出入りが出来るのです。上の写真の前面貫通扉の上の方に窓のような物が見えると思いますが、その中から外を見たのがこの写真です。運転士より前で景色を眺められる車両なんて他に知りません。しかも手動ワイパーも付いています。ここに椅子を付けてくれたら僕は喜んでグリーン料金を支払います。

この写真を撮った後、列車に乗り込もうとしたらデカくて坊主頭で胸元からモンモンを見せている兄さんがいました。ガラ悪いなー、と思ってよく見たら、手錠をはめられていて、紐で繋がれています。その紐の先に視線を走らせるともう1人ガラの悪いの、その更に先にはガタイのいいおっさんが。どうも囚人だか犯人だかの移送のようで、シートを回転させて向き合わせて窓側に囚人2人を座らせ、警察官2人が通路側に座るという形で座っていて、もう1組同じ取り合わせの4人組がいました。

八戸を出て暫くしてから警察官に促されて囚人全員が順番にトイレに行った所を見ると、彼らにはそんな自由すら無いようでした。普通に暮している人達と物理的には同じ空間に居ながら、実際には全く別の空間に居るという感覚はどんな感じなのでしょう。車内に一切目をやらず、車窓の外に視線を投げ続けていた囚人の表情が印象的でした。

青森では6分間の停車時間があったのでホームに降りてみました。囚人達はここで降りて行きました。朝、東京駅でサンドウィッチを買って食べた事もあり、函館まで食事は我慢する事にします。

青森からは進行方向が逆になるのでシートを回転させて下さいという車内放送が数回入りましたが、世の中人の話を聞かない人というのは多いらしく、1/4程度の人が他の人に言われて初めて気付くという状態でした。その面々を見るとやはりと言うか、中高年女性にその傾向が強い事が見受けられました。

中小国から津軽線と別れて海峡線に入り、その後一度津軽線のレールを左窓に見てから青函トンネルに入ります。青函トンネルは世界最長の海底トンネルなのですが、ただでさえ退屈なトンネルがますます長くなるだけという感じでした。

その青函トンネルを抜けると、程なく右窓に津軽海峡が広がり、函館が段々と近付いてくるのが見えます。

13時12分、函館到着。遂にやって来ました。構内の側線にはリバイバルで国鉄カラーに塗り直された北海道専用特急型ディーゼルカーのキハ183系と「SL函館大沼号」に使う客車編成がいました。キハ183系の国鉄カラーは4両編成が1本あるだけらしく、中間に違う色の2両を挟んで6両編成になっていました。ただ単に色を戻しただけでなく、こめかみのJNRマークも塗装ではありますが(本来は銀色の鉄板を切り抜いた物)再現してあるのが嬉しいです。奥は旧型客車を改造したスハシ44。元は普通の客車でしたが、「カフェカー」として使用する供食設備を付加した関係で食堂車の「シ」が付いています。

函館では13分の接続で「スーパー白鳥1号」の向かい合わせのホームにいる「北斗11号」に乗り継ぎます。この車両も上の写真のキハ183系と同系列で改良型なのですが、なんというかいまいち風格というか特急らしさが足りない気がします。

さすがに空腹になって来たので函館で買ったいくら弁当。まあ、こんなモンかなー。

車内販売で買った大沼だんご。餡と醤油の2つの味が楽しめて¥350と安いのですが、結構多くて1人では持て余し気味でした。

奥に見えるのは道内の特急に必ず備えられている北海道新幹線PR用のマンガ小冊子。かりあげクンみたいな髪形の男の子が1人で北海道新幹線に乗って札幌のおばあさんの所へ行く道中で、隣に乗り合わせたおじさんとの掛け合いでそのメリットをアピールするというよくあるPR本なのですが、いつの間にか東海道新幹線が最高速度350Km/hで営業運転していたり、おじさんに向かって男の子が「新幹線は速くて便利なだけじゃないよ。安全性にかけても他の交通機関に比べて群を抜いているんだ!」と小難しい台詞を吐いてしまったりで色んな意味で凄いです。

沿線にもあちこちで北海道新幹線の早期着工を求める看板が見られ、確かに悲願ではあるのだろうとは感じられますが(自民党の土建政治屋が立てさせている可能性も高いですが)、それと引き換えに何を失うのかも考えなくてはなりません。事実、長野新幹線が開通して廃止された横川ー軽井沢間など日にたった7往復の代替バス輸送になってしまい、地元の足としては大打撃を受けている現実もあります。

16時58分、札幌到着。東京駅からここまで10時間2分です。次の列車を待っていたら向かいのホームにJR北海道の車両で編成された「北斗星2号」が入って来ました。これはスシ24という食堂車で、テーブルに置かれたランプシェードの色がJR北海道は赤、JR東日本は無色となっています。屋根の形が隣の車両と合っていない(実は車体の形も違う)のはこの車両が元は485系特急型電車の食堂車、サシ481からの改造車だからです。24系の普通の食堂車を廃車しすぎていざ必要になった時に数が足らなかったのではと邪推します。

札幌から小樽までは快速「エアポート165号」で移動。この列車には一部にuシートと呼ばれる指定席が付いていて、僕はどうせ座れるだろうと思って指定を取っていなかったのですが、物凄い混雑していたので車内で車掌さんにぐるりを見せて空席に座らせてもらいました。なんというか、オールマイティカードを持っているような気分です。

17時48分に小樽に着きました。小樽の駅舎は吹き抜けになっていてランプがいっぱい下がっていました。まずはホテルに向かいます。小樽は今回の旅行で最もホテルが取れなかった場所で、予約サイトには10軒以上登録があるのに全滅、サイトからの予約が出来ない所に電話してもなかなか取れず、結局取れたのは4軒目位に電話したホテル稲穂という所でした。それでも駅から近くて良かったです。

チェックインして荷物を置き、顔を洗ったら早速散歩に出ます。海に向かって歩いていると、旧手宮線のレールが道を横切っていました。

手宮線は札幌農学校のクラーク教頭(「Boys Be Ambitious」で有名ですね)の後押しもあり、幌内炭坑で採掘された石炭を手宮港まで運搬する目的で1880年に北海道で初めて、国内でも1872年の品川ー横浜間(仮営業時は品川起点。本営業開始時に新橋起点に改められた)、1877年の大阪ー京都間に続く3番目の路線として札幌ー手宮間が開通し、後の1882年に岩見沢経由で幌内まで延伸された(最終的には1888年に幌内太、後の三笠で分岐して幾春別まで)そうです。

しかし'72年の11月、三笠ー幌内間の旅客輸送が廃止されたのを皮切りに、'85年11月に手宮線の南小樽ー手宮間2.8Kmが、後を追うように'87年7月に幌内線の岩見沢ー幾春別間18.1Kmが(恐らく同時に三笠ー幌内間も)廃止され、北海道の鉄道は最古の路線の両端を失った格好になっています。

港の近く、倉庫街の裏で見付けた看板。ロシアとの貿易会社だと察しは付きますが、多分商標登録されているであろう名前を社名にするとはいい度胸です。

運河の所には人力車のお兄さん達がいっぱいいて客引きに精を出していました。もう少し素朴な場所なのかと思っていましたが、かなり観光地観光地しています。

夕食を物色して色々見て回りましたが、結局寿司屋とラーメン屋が同居した不思議な店で食べてちょっと失敗しました。食べ足りなかったのですぐ横のラーメン屋が集まった倉庫へ。一応東京で有名店とされている店がいくつも入っていてここまで来てこれじゃなあ、と思っていましたが、がんこが東京で見た事のない冷やしをやっているのに敗けて食べました。旨かったです。とりあえず腹がくちくなった所で一枚。

倉庫を眺めつつ運河の川岸をぶらぶらと歩きます。だけども運河も倉庫街もメインになっているのは1区画だけ、距離にして200〜300m程度で、あれ、もう終わり?という感じでした。

運河から駅方面を。さすがにちゃんとした石造りの古い建物が多くて、桜木町のような印象も受けます。パチンコ屋ですら渋めの外見で地味にやっていました。もっとも、あの手合いが自分で周りに配慮するなんて事は有り得ないので、多分何かしらの条例があるのでしょうが、

7枚上の駅舎を見下ろす所で逆を見ると市場になっています。左上に写っているのがこの日の宿の看板。駅からは本当に近いです。

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