■ 第2日 / 6月20日 ■

この日は盛り上がり所が3つ。まずは樽見鉄道の207レ。数少ない定期運用の客車列車です。2つ目が引退間近の485系電車で運行される「加越3号」。そして最後が武生新からの福井鉄道福武線。市内を普通のサイズの電車が走り回っています。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
久屋大通
06:05発
 
名古屋市営地下鉄
桜通線
名古屋
06:10着
06:40発
103F
東海道本線
大垣
07:20着
07:25発
1205F
美濃赤坂
07:31着
07:34発
1204F
大垣
07:41着
07:57発
207レ
樽見鉄道
本巣
08:33着
09:01発
9
樽見
09:33着
09:43発
16
大垣
10:43着
11:15発
281F
東海道本線
米原
11:48着
12:10発
33M
加越3号
北陸本線
武生
13:01着
武生新
13:20発
 
福井鉄道
福武線
田原町
14:08頃着
14:10発
 
福井駅前
14:20着
福井
14:32発
4021M
(金沢より2021M)
サンダーバード21号
北陸本線
津幡
通過
七尾線
和倉温泉
16:22着
16:54発
2044M
サンダーバード44号
津幡
通過
北陸本線
金沢
17:54着
18:00発
559M
高岡
18:39着

本来は名古屋発7時20分の予定だったのですが、物凄く寝苦しくて5時過ぎには完全に目が覚めてしまい、早く出発する事にしました。その結果、予定していなかった美濃赤坂へ行けたので良い事だったのでしょう。

地下鉄桜通線で名古屋に出て、みどりの窓口で帰りの「のぞみ」の指定を受けてホームに昇ると東京発大垣行き快速375M「ムーンライトながら」が丁度行ってしまう所でした。名古屋で1/3程の車両を切り離すようで、僕が昇った階段は運悪く切り離される側の所でした。写真はその切り離された側の編成です。

この「ムーンライトながら」は元々は大垣鈍行と呼ばれていて、夜行でしかも特急/急行料金が不要なので貧乏旅行には必ずと言っていい程組み込まれる列車です。僕は中学3年と高校1年の夏休みに祖母が表参道で営んでいた喫茶店でバイトして貯めたお金で九州ワイド周遊券を買い、片道24時間掛けて九州まで鈍行で2往復した事がありますが、その時にまだ名無しだったこの列車に乗りました。車両も今でこそ特急型を使っていますが、当時は急行用の165系という固定クロスシートの車両で、非常に辛かったです。それでも座れた最初の年はまだマシで、2年目は席がなくてデッキの床に座っていました。一緒に行った友人がデッキでコーラをこぼしたのと、寝ていたら岡崎あたりで降りる人に跨がれた覚えがあります。

気を取り直して次の6時40分発、米原行き103Fに乗ります。

東海道本線は一般には東京ー神戸の路線ですが、実は大垣から美濃赤坂まで、たったの5.0Kmではあるけれど枝線があります。また、大垣ー関ヶ原間も垂井経由の本線以外に急勾配を避ける為の迂回線があり、別線となっています。大垣ー垂井間はこの日の旅程に元々組み込まれているのでそのままでいいのですが、この列車の中で時刻表を調べた所、美濃赤坂ヘ行ってもその後の旅程に影響が出ないので行ってみる事にしました。

現時点ではJR全線完乗などという大それた事を考えている訳ではありませんが、もし何かの間違いで目指そうと思ってしまった場合に、こういう線区は間違いなく咽の奥に刺さった魚の小骨のような存在になるので、チャンスがある内に確実に乗り潰しておく、という意味合いもあります。

7時20分、大垣到着。美濃赤坂行きの列車は両側に線路があるホームの一部を切り欠いて作られた頭端式ホームになっていました。車両はクロスシートの近郊型の2両編成でした。JR東海の車両はどれもこれも同じ顔で形式名を覚える気にもなれません。

向こうのホームには117系の列車が入って来ました。これは僕が一番国鉄好きだった頃にデビューした形式で、普通列車なのに転換クロスシートという当時としては破格の装備で、九州旅行の時にようやく乗れた時には非常に感慨深かったのを覚えています。

車内で車掌さんから往復の乗車券を買い、大垣からたったの6分で美濃赤坂着。美濃赤坂は昔ながらの駅、という駅舎で、駅前の自転車置き場まで自転車、または駅まで車で送ってもらって列車に乗るという乗客が多数いました。また、構内には貨物ヤードがあり、この写真の左側にも写っていますが、ここから少し奥まで伸びている貨物専用の西濃鉄道所属と思われる貨物列車用の車掌車が数両留置されていました。

大垣に戻り、今日のお楽しみのその1、元国鉄樽見線、現樽見鉄道の本巣行き207レに乗ります。この車両は14系といい、国鉄時代は特急用として使われていた形式です。14系はこの座席型と現在でも「さくら」「北陸」等のブルートレインに使用されている寝台型があります。前回の旅行でわたらせ渓谷鐵道で乗った元12系と似ていますが、急行型である12系の座席が固定クロスシートなのに対してこちらが回転クロスシートである事と、こちらは特急型なので窓が開かない点が主な違いとなっています。

樽見鉄道にはこの14系3両以外にも主に観光用の12系3両と増結用の14系が2両在籍していて、客車も1つの輸送の軸として考えているのが解ります。

ホームに降りた時、丁度機回し作業中でした。機関車はわたらせ渓谷鐵道と同じDE10(ここではTDE10と呼ばれているようです)。この列車は平日の朝だけ機関車+客車3両という編成で運行されていて、車両区がある本巣から大垣へ来て、本巣へ引き返すという運用になっています。

驚いた事に、この列車でも発車前に例の曲

 
が流れました。ちゃんと歯が揃ったオルゴールの音色でした。

男子高校生で満員だったこの列車は8時22分発の北方真桑でその全員を降ろし、ここから本巣までの客は僕と関係者らしい人2名の3人だけになりました。

先頭側の車両から見たTDE10。朝のラッシュ時限定ではありつつも、定期運用の客車普通列車があるのはかなり珍しいと思います。今思い付く限りでは津軽鉄道のストーブ列車や大井川鐵道のSL急行等もありますが、どれも観光がメインでここのように生活の足としての客車列車は他に思い出せません。

また、この樽見鉄道の田中良以(ふみのり)社長は元国鉄職員で、春日井駅長等を務めた後に滋賀県警入りし、米原署長等を歴任してから樽見鉄道の社長に就任したという経歴の持ち主で、赤字転落してしまった会社を自ら陣頭指揮を執る姿勢の現れとして2年間掛けて運転士免許を取った人でもあります。今年の3月に2ちゃんねる鉄道板のオフ会として快速「桜っ子モナー号」がここで運行されましたが、大垣から北方真桑までは実際に田中社長自身が運転したそうです。

本巣で樽見行きが来るまで30分程の時間があったので周囲を散歩してみました。その時に構内で見付けた注意標識。何を意味しているのかは解りませんが、この言葉遣いからしてかなりミスが多かったのではないかと思います。

そうこうしている内に大垣から8時33分本巣発樽見行き9がやって来ました。わたらせ渓谷鐵道のレールバスとかなり似通った印象を受けます。

この列車は大垣から本巣までは2両編成なのですが、本巣で前よりの1両を切り離しました。こっちの方がずっとレールバスらしいデザインです。

本巣を出ると段々と天気が悪くなり、樽見では普通に雨でした。途中の谷汲口に旧型の客車が保存されていたり、鉄橋に鳶と思しき猛禽が止まっていたりしました。

さすがに終着駅だけあって樽見はそれなりの集落がありました。また、駅から徒歩15分程の所にある薄墨桜が名所のようで、桜の季節には樽見鉄道でもイベント列車が走ったり、季節限定ダイヤで運行されたりするようです。

大垣へ戻る途中の本巣にて。フォーカスが窓に合ってしまっていて本来なら失敗写真なのですが、逆にそれが良い雰囲気になったので載せておきます。

このDE10ですが、手許の資料だと樽見鉄道には2両在籍となっているのにこの本巣の車両区には4〜5両いました。

大垣で30分程の空き時間を過ごした後に、この281Fで米原へ向かいます。この列車は勾配の緩い迂回線を通らずに垂井経由の線路を通ります。下りの特急は全て迂回線経由なので、下りでこちらを通るには普通列車に乗る必要があります。

米原には11時48分着。ここは交通の要衝であると共に、蒸気機関車の時代には機関車の付け替えをしていた場所でもあります。もしかして、と見回したらありました。これが蒸気機関車時代の洗面台です。乗客が機関車の付け替えを待っている間に煤煙で汚れた顔を洗う為に設置された物ですが、こんな物が未だ残っているのは不思議です。

跨線橋の臨時売場で自由席特急券を買って待っていると、7月には新型車両に置き換えられてしまう485系の特急「加越3号」33Mが入線して来ました。

車両端のプレート。他の部分は殆ど国鉄の名前を消しているのに、ここだけは必ず残っています。

逆側の顔。置き換えられる新型車両は「サンダーバード」や「しらさぎ」に使われているトレインマーク表示器のない681/683系でしょうから、このマークも見納めです。

この「加越」という列車はその昔在来線特急で最も表定速度(始発から終着までの距離と所要時間で割り出した毎時速度。駅での停車時間も含まれる)が速い列車という紹介のされ方をしていた列車でした。多分今ではもっと速い列車が沢山あるのでしょうけど、僕のイメージはその頃のままです。

運転台の後には小窓が。しかもワイパーも付いています。国鉄時代の車両はコストが高かった分寿命も長く、車齢30年のこの車両もいまだ元気に走れます。最近のJRの車両の中にはコストも半分だけど寿命も半分という物が多いそうです。

米原で買った牛肉弁当。一緒に売っていたおかかごはんと迷ったのですが、あっちにすれば良かったかな.....と思います。

琵琶湖畔を走っている途中でデッドセクションを通過しました。この間車内の照明は非常灯を残して全部消え、空調も止まります。この間「しらさぎ」でここを通った時にはこういう事はなかったので、新型車両はそういう対策も為されているのでしょう。

本当は「加越3号」で金沢まで行ってしまいたい思いもあったのですが、米原から1時間足らずの武生で降ります。武生から福井鉄道福武線の始発駅、武生新まで5分程歩いて駅に入ると、そこは旧型電車天国でした。この間「しらさぎ」の車内から見て驚いたのはこの駅です。本当は左の列車に乗れたら嬉しかったのですが、僕が乗った田原町行きは真ん中のラッピング広告付きの編成でした。意外と新しい(とは言え、かなり古いですが)車両で、'67年製でした。

武生新ー田原町間20.9Kmの内、17.8Km地点の福井新までは普通の専用軌道を走るのですが、福井新から先の市内線は路面電車のように車道内の軌道に入ります。これで路面電車の車両なら別に普通なのですが、ここではほぼフルサイズの電車が車と一緒になって走ります。だからこんな光景を目撃する事も出来ます。

散々車に邪魔されつつも田原町に着きました。駅の部分だけ専用軌道になっていました。着時刻が遅れたようで、若い運転士さんが猛ダッシュで逆側の運転台まで走り、すぐに発車します。

列車は武生新行きですが、行きの時には寄らなかった福井駅前に一度顔を出します。停留所の低いホームから乗り降りする為のステップが各扉に付いているのが判ります。ここで運転士さんはまた逆の運転台へダッシュ。大変です。

線路の終端はどうなっているのだろうと辿ってみると、車止めも何もなく、こんな風にいきなり終っていました。

福井からは和倉温泉まで直通の4021M/2021M「サンダーバード21号」に乗ります。どうにも好きになれない顔の681系がやって来ました。

ここで今回使用した周遊きっぷの話を。今回は「富山・高岡ゾーン」というのを使いました。これは以下の区間、

北陸本線 金沢ー富山
七尾線  津幡ー和倉温泉(全線)
氷見線  高岡ー氷見(全線)
城端線  高岡ー城端(全線)
富山港線 富山ー岩瀬浜(全線)
高山本線 富山ー越中八尾

で乗り降り自由、特急自由席が乗り放題という切符です。しかも5日間も有効でゾーン券はたったの¥4,200。ただし、ゾーンまで201Km以上離れた任意の出発駅からゾーンまでの行き乗車券と帰着駅までの帰り乗車券を同時に購入する必要はあります(出発駅と帰着駅は同じでなければなりません)。しかし、その乗車券も20%引き(東海道新幹線を使うと割引率が激落ちしますが)になるので、ゾーンさえ上手く当てはまれば非常に安上がりで有効な切符と言えます。

ゾーン内には出発駅からの入り口駅、出発駅ヘの出口駅として使える駅が指定されていて、この富山・高山ゾーンだと金沢、富山、越中八尾がそれに該当します。今回僕は出発/帰着駅を名古屋、入り口駅を金沢、出口駅を越中八尾としました。

で、この「サンダーバード21号」ですが、福井ー金沢間はゾーン外なので自由席特急券を買い、金沢から先は周遊きっぷなのでフリーパスという事になります。

金沢で富山行きの編成と離れ、3両のみで和倉温泉へ。さすがに観光地らしく、一緒に降りた大量の人達は全員迎えの旅館のバス等で各々の目的地へと向かいました。

とりあえず前回の金沢の時に案内をしてもらった人間に電話を掛け、今晩泊まる高岡の事を尋ねましたが、何故か金沢の人間というのは富山や福井を見下しているらしく、そんな所の事は知らないと言われてしまいました。東京の人間からすると五十歩百歩だと思うのですが.....。

この七尾線は、以前はこの和倉温泉から先も穴水を経由して輪島までありましたが、和倉温泉から先の経営を穴水で分岐する能登線も含めて切り離し、現在は第3セクターののと鉄道として運行されています。しかし経営は相当厳しいようで、のと鉄道は最近穴水ー輪島間の鉄道を廃止してしまい、現在では七尾ー穴水ー蛸島のみの運行となっています。

七尾ー和倉温泉間はJR、のと鉄道の両方の車両が走っているのですが、どうも七尾ー穴水間はJRが路線を所有していて、のと鉄道はその上を間借りのような形で走っている形をとっているようで、特に七尾ー和倉温泉間は色々と特殊な運賃体系になっているようです。

本当なら和倉温泉から蛸島までも行きたかったのですが、この区間を往復するだけで5時間も掛かってしまうので折り返しの2044M「サンダーバード44号」で金沢へ。北陸本線に入ると、トマソン化も危惧される北陸新幹線の高架に沿って走ります。この近くの車両区では旅支度を整えている上野行き3002レ寝台特急「北陸」や「臨時」のトレインマークを掲げたボンネット型の485系が見えました。

金沢からは1021M「はくたか21号」か1059M「北越9号」で高岡へ行こうと思っていたのですが、時刻表を眺めていると普通列車も数本同じ時間帯にあったので一応そのホームへ行ってみました。すると18時ぴったりに発車する559Mが583系寝台特急電車改造の419系でやって来たので飛び乗りました。

この写真はその419系の車内なのですが、近郊型に改造されているとは言え、寝台使用時には下段ベッドとなる広くて余裕のある固定クロスシートや中段ベッドになると思われる謎の装置(窓の上の部分)は健在でした。僕は583系の列車に乗った事がないので、これらがどうやって寝台になるのか判りません。なので、現在583系で運行されている唯一の定期列車、大阪ー新潟間の寝台急行「きたぐに」にそのうち乗って謎を解明したいと思います。

18時39分、高岡着。残念ながら乗って来た419系はどちらの側もこの食パン顔でした。中間車に無理矢理運転台を付けた車両がこの顔だそうです。物足りないな、と思いつつ辺りを見回すと↓

別のホームに特急時代のままの顔のがいました。トレインマーク上の特急エンブレムこそ無くなっていますが、堂々とした体格は特急時代のままです。

喜んで419系を見回していると、同じホームの逆側に新潟発金沢行き特急「北越8号」1058Mが入って来ました。今日乗った「加越」と同じ485系ですが、変な色に塗られています。

ホテルに投宿し、メールチェック等を済ませてから食事に出ましたが、目ぼしい店がなくて結局ラーメン屋で済ませてしまいました。警察の取り締まりが厳しいのか、そこいら中に運転代行の車が止まっています。

これは明日乗る万葉線の高岡駅前駅のレール終端部です。

第3日 / 6月21日へ

戻る