■ 第3日 / 6月21日 ■

最終日のこの日は周遊券の範囲を活かして氷見線、城端線、富山港線と盲腸線に乗りまくりました。また、このサイト初の路面電車にも2本乗っています。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
高岡
06:52発
525D
氷見線
氷見
07:19着
08:27発
526D
高岡
08:57着
09:06発
329D
城端線
城端
09:59着
10:06発
332D
高岡
10:55着
高岡駅前
11:00発
 
万葉線
越ノ潟
11:41着
越の潟
11:50発
 
富山県営渡船
堀岡
11:55着
12:05発
 
越の潟
12:10着
越の潟ー海王丸間徒歩移動
海王丸
12:46発
 
万葉線
高岡駅前
13:26着
高岡
13:37発
1011M
はくたか11号
北陸本線
富山
13:48着
14:04発
1139D
富山港線
岩瀬浜
14:24着
14:32発
1140D
富山
14:53着
電鉄富山
15:08発
627
富山地方鉄道
不二越・上滝線
南富山
15:17着
南富山駅前
15:27発
 
富山地方鉄道
富山軌道線
富山駅前
15:44着
富山
16:55発
1040D
ワイドビューひだ20号
高山本線
岐阜
20:17着
20:18発
東海道本線
名古屋
20:36着
20:47発
28A
のぞみ28号
東海道新幹線
東京
22:26着

また、この日は船にも乗りました。船がある事自体知らなかったのですが、行ってみたらいたので思わず。

この日の最初の列車は高岡発6時52分の氷見線、525D。左の列車に乗ったのですが、これは急行型のキハ58系という形式で、キハ58とキハ28(数字が飛んでいますが、同じ形式として分類されます)の2両編成でした。右側は近郊型のキハ40系。

国鉄時代はキハ58系がクリームと赤のツートンカラー、キハ40系がタラコ色というかカラスミ色の単色で塗られていたので簡単に見分けられたのですが、今は同じ色でどうやって見分けようと思いつつ眺めていると、目玉というか、テールランプの位置がキハ58系は低く、キハ40系は高い事を発見しました。

進行方向右側の席に陣取り、他に殆ど人がいなかったので窓を開けて発車を待っていると、朝の陽射しを受けながら419系の普通列車がやって来ました。この419系は3両編成を1単位としているので、2編成一緒に運行している事になります。しかも特急顔のクハ419が2両も付いているという豪華編成。

このクハ419は6両しか現存していないのですが、大抵はクハネ583からの改造車で、ヘッドライト上のタイフォン(警笛)がこの写真のように縦線が入った丸形になっています。しかし後に見掛けた車両には、風呂場の排水口の蓋に似た形の丸い金属板に縦スリットが何本も入ったタイプのタイフォンを付けているのもいて、クハネ581からの改造車も存在するようです。クハネ581は関西から九州方面の列車にしか使用されず、東京で産まれ育った僕は見た事がなかったので嬉しかったです。

この時間帯の氷見線は高岡への通学客ばかりらしく、逆向きのこの列車は空いていました。途中の越中国分から雨晴(あまはらし)というなかなかいい名前の駅の間は一駅だけながらも海岸線を走り、こんな車窓が観られます。ここにはその昔、義経と弁慶が雨宿りをしたという雨晴岩があります。

7時19分着の氷見駅からは徒歩で氷見港へ。大して遠くないと思っていたのですが、意外に歩きました。明るさを増した太陽がじりじりと焼き付けてきます。港に近付くにつれ、大きな猛禽類がどんどん増えて最後には20羽程になりました。鳴き声が「ピーヒョロロ」と聞こえたので鳶だと思います。

この時間に氷見へ来たのは列車の時刻の関係もあったのですが、漁港があるので朝早くに来れば漁師や市場関係者向けのおいしい店が開いているかもという狙いがありました。しかしそれらしい店は見当たらず、観光施設らしい海鮮館という真新しい建物があるだけ。その海鮮館も中の市場は開いておらず、レストランが開いているだけでした。

仕方がないのでそのレストランに入りましたが、ラーメンやカレーライスというありきたりなメニューだらけで辟易しました。その中で唯一それらしき「キトキト定食」というのを頼みましたが、これがまたどうにも.....。

空調の効いていないレストランで寂しい朝食を摂って店を出ると、さっきまでシャッターが降りていた市場がようやく開き始めていました。やはり来るのが早過ぎたようです。

屋外のテントでもこんな食指を動かされる屋台の準備が始まっていました。しかしもう時間切れ。歩いて戻っても間に合わないのでタクシーを呼び、後ろ髪を引かれる思いで駅へと戻りました。今度来たら絶対にこの屋台で色々と買い込んで堤防の上でビールを呑みながら海を眺めてやろうと思います。

雨晴にて。駅舎もなかなかいい感じの駅でした。帰りに乗った氷見発8時27分の526Dはキハ40系の2両編成でしたが、通学ラッシュは終っていたのか席は1/3程度しか埋まっていませんでした。

8時57分に高岡に戻ってすぐに城端線のホームへ。キハ40系単行の9時6分発、城端行き329Dに乗り継ぎます。こちらは結構混んでいました。高校生がメインなのですが、観光客らしき姿もちらほらと見られました。

普通に山があり、普通に田畑があり、普通に人里がある中を段々と客を降ろしつつ50分とちょっと走り、9時59分、城端着。これもなかなか可愛い駅舎でした。運転士さんが缶入りのリアルゴールドを買っています。

城端からは折り返しの10時6分発332Dに乗ります。山脈の頂上に沿って雲が浮かんでいるのが印象的でした。

再び高岡に戻ったのは10時55分。次の万葉線越ノ潟行きは11時きっかりなので5分あるのですが、城端線のホームは万葉線の高岡駅前がある改札からは一番遠い場所。小走りに走って改札から飛び出たら丁度万葉線が発車する所でした。運転士さんが気付いて止まってくれたので事無きを得ましたが、危なかったです。

どうしてこんなに凄いのだろうと可笑しくなってしまう程の揺れと騒音と共に発車した万葉線の路面電車は非冷房だったので、大喜びで誰にも気兼ねする事なく窓を全開にしました。

万葉線の沿線マップ。今朝最初に乗った氷見線と絡み合いつつ富山新港の西側を進みます。

この万葉線は元は加越能鉄道が経営していたのですが、経営が立ち行かなくなって'02年4月から全国初の第3セクター路面電車として再出発を切り、会社名も株式会社万葉線と改めたそうです。

暫くは市内を車と共に走っていましたが、途中から専用軌道へ。その途端にスピードを上げ、乗り心地も良くなります。やはりアスファルトやコンクリートに直接敷かれた路面軌道よりバラストと枕木の方が鉄道には良いみたいです。

写真は庄川という川を渡る鉄橋。窓から下を見てみると、間に何もなく真下に川面があって中々スリリングでした。

小さな停留所に一つ一つ停まりつつ、11時41分、越ノ潟着。こちら側のホームに降りて向こう側のホームから乗る形になっていました。黄色く塗られているせいか、その昔都電で走っていた車両に見えます。

上の写真の左側に写っている線路の終端部。乾き切らない内に犬が歩き回ったようです。

ここに降りて初めて存在を知った富山県営の渡し船。基本的に人間と自転車を富山新港の逆側の堀岡へ渡す為の船らしく、車は載せられても軽自動車が1台、という感じです。大きさはタグボートよりも全然小さく(タグボートは近くで見ると意外に大きくて圧倒されます)、排水量はたったの46トン。以前、横浜市港湾局の仕事で70,000トン級(アメリカ海軍の原子力空母並の排水量)のを始めとして色々な大型貨物船の中に入った事がありますが、それらと比べると船という乗り物がいかに大小様々なサイズか呆れる程です。

待合所にあった時刻表。恐ろしい事に24時間運転。運賃も無料です。万葉線との接続も良く考えられています。しかも日本語の次がいきなりロシア語表記です。右側の備考欄を良く見ると、日本語、ロシア語、英語で各々時刻の表記が違うのが興味深いです。

渡った先に何があるかも知りませんし、戻りの便が何時にあるかも判りませんでしたが、乗らずに後悔するより乗って後悔した方がいいのでとにかく乗ってみます。

船は出港するとすぐに方向転換し、港に接岸していたゲート側を前に進んで行きます。大きな赤い屋根の建物から左に3件目が堀岡の発着場です。

堀岡の発着場は、裏手にバス停と自転車置き場がある程度の本当に地元の人の為の場所でした。こんな所にぽつんと立っている自分が酷く場違いな感じがしました。

これは発着場の裏手にあった大きな案内看板。日本語、中国語、ロシア語、英語で書かれています。左上の赤枠は真ん中に赤く現在地とある辺りの拡大図です。二つの発着場の位置関係や後で行った海王丸パークとの位置関係が解ると思います。赤い太線は工事中の道路。これが完成するとこの渡し船も廃止となるのでしょうか。

運良くすぐに堀岡からの船があったので、それで12時10分に越の潟(万葉線の駅は「越ノ潟」、渡し船の発着場は「越の潟」と表記されていました)に戻ります。高岡駅前行きの万葉線は12時15分発なので非常に良い接続なのですが、不味い事に財布の中には一万円札しかありません。一応運転士さんに訊いてみましたが、やはり釣り銭がないという事でした。でもこの次の列車に乗っても高岡から先の旅程には影響ありませんし、案内看板で見掛けた海王丸も見物したいので一本見逃す事にしました。写真は15分発の高岡駅前行きです。

海王丸パークまではそんなに遠くないはずなのですが、どうも真っ直ぐその方向に向かう道がなく、段々と時間も無くなっていきます。仕方がないので正しいと思われる方向へと草叢を掻き分け、堤防を乗り越えて進みます。己の体力の衰えを呪いつつも空き地を歩いていると、また鳶らしき猛禽が何羽も飛んでいました。

暫く歩くと、ようやく海王丸が見えて来ました。小さいながらも4本マストの綺麗で立派な船です。東京に戻ってから調べてみると、総トン数は2,238トン。進水は'30年2月で当初より訓練船として建造され、戦時中は帆装を撤去されて石炭輸送に徴用されたり、敗戦後に海外在留邦人の帰還輸送に従事するなどしつつもその後帆装を取り戻し、訓練船業務への復帰を果たしてからは'89年9月に引退するまでに実に1万1千人以上の訓練生を育てた船だそうです。

今度は正面から。中を見学する事も出来るようでしたが、時間がなかったので近くの売店で両替も兼ねて買い物をして、すぐに越ノ潟の隣の海王丸駅へ向かいます。

海王丸駅は単線の線路の両側にホームがあって、乗客は行きたい方向に合わせたホームで待つという形でした。そこで見付けたのがこれ。ホーム沿いの民家の庭先から鉄製の渡り板が架けられています。庭から直接ホームに降りられるなんて凄い便利ですが、奥に見えるガラス戸から出掛けるとして、ここの鍵はどうしているのだろうと心配になります。

行きとは逆に、走るにつれ乗り心地が悪くなりつつ定刻13時26分、高岡駅前に到着。こんなに何度も同じ場所に戻って来たのは初めてです。氷見線に乗る前にコインロッカーに預けた荷物を回収し、北陸本線のホームヘと急ぎます。

高岡から富山までは13時37分発の1011M「はくたか11号」で移動します。681系ばかりの「はくたか」ですが、1号から22号までの11往復が設定されている内の11号と14号の1往復のみ、この485系3000番台で運行されています。この車両は485系をリニューアルした物で、LEDのトレインマークは気に入りませんが、JR化後のリニューアル車の中では結構好きな部類に入ります。

乗ってみて初めて知ったのですが、この車両のシートは座面と背当てが別々に動くタイプで、今まで乗った車両の中でもトップクラスの座り心地の良さでした。

富山に着き、コインロッカー経由で富山港線のホームへ。キハ120というレールバスみたいな車両が客を待っていました。この富山港線は旧型国電車両が働いていた最後の数線区の一つでした。国電と呼ばれる車両が走っていた位なので電化されているのですが、朝夕のラッシュ時には北陸本線と共用の元急行型の475系の3両編成、昼間はキハ120の単行という車両運用をしているようです。

最近の発表によると富山港線は'06年を目処に超低床車を使った路面電車化が決定していて、その際には停留所と運行本数を増やして利便性を上げるそうです。通常の鉄道路線を路面電車化するというのは僕は他に知りません。どうなるか見守りたいと思います。

ドアの所に一人写っていますが、車内には普通の客以外に少年野球チームが乗っていて通路まで人で溢れ返っていました。

かぶりつく母娘と運転士さん。車内に入って改めて感じましたが、わたらせ渓谷鐵道のも関東鉄道のも樽見鉄道のもこのキハ120も実は同じ基本設計の車両で、外見やシート等を変えているだけなような気がしてなりません。

14時4分に富山を出た1139Dは段々と客を降ろしながら20分間走って岩瀬浜に到着。これまた可愛い駅ですが、右側の事務所部分は無人化され、左側に見える出っ張りの部分の売店は閉鎖されていました。

また、隣の東岩瀬は一昨日行った上田交通の別所温泉駅をそのまま小さくしたような瀟洒な駅でした。

岩瀬浜まで乗った列車にそのまま乗って折り返し、富山駅と併設されている電鉄富山へ。ここで4月にちょっとだけ見掛けた元西武鉄道のレッドアローと再会。元々は今回の旅行で黒部峡谷鉄道に乗るプランもあって、その際にはこれに乗って宇奈月温泉まで移動するつもりだったのですが、黒部峡谷鉄道が自然落石が原因で7月中旬までは途中で折り返し運転になっている事や、周遊きっぷ使用になった事で取り止めにしました。立山黒部アルペンルート経由で富山に来て、翌日黒部峡谷鉄道に乗るプランも練っているので、この車両にはその時に改めて乗りたいと思います。

電鉄富山のホームは頭端式で4番線まであり、その全部に列車が入っていました。元レッドアローが3両編成であるのを除けば他の出自が不明な(自社発注かも知れません)列車は全て2両編成です。僕は一番左の南富山回りの岩峅寺(いわくらじ)行き627に乗りました。車内は転換クロスシートで、'62年製の車両でした。

ものの10分と乗らずに南富山で降り、路面電車の市内軌道線に乗り換えます。この市内軌道線は南富山から終点の大学前までの列車と途中の富山駅前までの列車が交互に5分間隔で発車するというかなり便利な路線で、料金は全線¥200均一でした。

さすがに5分間隔で走っているだけあって、ひっきりなしに対向列車と擦れ違います。便利さからか、乗客も乗ったり降りたり活気がありました。ただ、冷房化されていたので窓を開けられなかったのが一つだけ残念でした。仕方ない事ではありますが。

15時44分に富山駅前に着いて周囲を瞥見しましたが、良さそうな店がなかったので駅ビルの居酒屋で食事。海鮮丼です。右上の赤い小皿は単品で頼んだ白海老の唐揚げ。これは美味しかったですが、海鮮丼は値段の割に.....でした。

長くて短かったこの旅行も終わりに近付いて来ました。富山からは16時55分発の1040D「ワイドビューひだ20号」で一気に名古屋へ抜けます。車両はキハ85系というJR化後の物で、富山側の先頭車はグリーン車になっていてこんな顔をしています。運転台の上には車のサンルーフのような窓も付いていて中々見晴らしが良さそうです。普通車の窓も通常の車両より格段に大きく、特に下枠は肘掛けと同じ高さまで広げられていて開放的な良い作りでした。

逆向き、名古屋側はこんな顔です。この「ワイドビューひだ20号」は富山を3両編成で発車し、途中の高山で4両を増結します。

発車後、越中八尾から先の特急券を車掌さんから買いましたが、間違えて名古屋から東京までの新幹線の切符も見せたら「あら、名古屋から東京ですか。忙しいですなあ」と感心されてしまいました。

高山本線は木が鬱蒼と繁る山々の間を抜けるという、一昨日乗った中央本線の西側と似た感じで眺めの良い路線でした。

18時6分発の飛騨古川にて、たった一人だけ降りた乗客を待つ駅員さん。

飛騨高山と言えば合掌造りと温泉位しか頭に浮かばないので建物の屋根に注目していましたが、この辺りから屋根の角度がどんどん急になっていきました。瓦葺きの屋根は皆無で、殆どが縦方向に細い出っ張りが付いた滑りの良さそうな金属製の屋根でした。壁や窓枠はボロボロなのに屋根だけはしっかりした新しい物になっている建物も多数見受けられ、この地方ではいかに降雪量が多く、屋根の良し悪しが死活問題かが伺えます。ただ、その屋根の横方向に1〜2本、多い物では4本も棒を渡してある屋根も多く、これでは雪が落ちないのではないかと不思議になります。

18時19分着の高山で列車を見守る母娘。走り抜ける列車を見物する親子というのはそれほど珍しくはないですが、この日はやたらとそういう光景に巡り合わせる日で、この母娘までに10組近い数の親子を路線端で見掛けました。その中ではこの女の子が一番大きかったです。中には0歳児と思える子供もいましたが、あれは親の趣味なのかも知れません。

19時5分発の下呂を過ぎた辺りから本格的に暗くなり、何も見えなくなったら眠くなってしまい、起きたら岐阜でした。岐阜からは方向転換し、東海道本線を走って20時36分、名古屋に到着。後は東京に戻るだけです。

博多始発の28A「のぞみ28号」20時47分発がホームに入って来ました。この間のツアーの時に博多から名古屋まで乗ったのと同じ列車なので、あの時の続きのような感じです。考えてみるとこの列車分の切符を消化する為に2泊した訳で、我ながら阿呆な事をしているなあとも思います。

ともあれ、なんとか無事に旅程をこなしました。7月の北海道は日によっては1日に1本しか列車に乗らない日や、17時前に列車移動が終了する日があったりで比較的余裕のある旅程を組んでいるのもあり、この分ならどうにかなるのではと思います。

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