■ 第1日 / 6月19日 ■

という事で初日の旅程。当初、日帰りで考えていた時はこのプランの松本ー名古屋間をもう少し早い列車にして、名古屋で呑んで最終の「のぞみ」で東京に戻るつもりでした。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
東京
06:24発
501E
あさま501号
東北新幹線
大宮
06:50発
上越新幹線
高崎
07:16着
07:17発
北陸新幹線
上田
07:52着
08:20発
 
上田交通
別所線
別所温泉
08:50着
09:05発
 
上田
09:33着
09:38発
631M
しなの鉄道
屋代
10:03着
10:05発
412
長野電鉄
河東線
須坂
10:41着
10:50発
6A
長野電鉄
長野線
長野
11:05着
長野ー善光寺ー長野間バス移動
長野
13:42発
2018M
ワイドビューしなの18号
信越本線
篠ノ井
13:50着
13:50発
篠ノ井線
松本
14:35着
14:50発
27
松本電気鉄道
上高地線
新島々
15:20着
16:08発
34
松本
16:37着
17:35発
1028M
ワイドビューしなの28号
篠ノ井線
塩尻
17:44着
17:45発
中央本線
名古屋
19:50頃着
20:00頃発
 
名古屋市営地下鉄
桜通線
丸の内
20:05頃着

ただ単に新幹線で長野まで行くのも芸がないという事で、上田交通で別所温泉まで往復したり、長野電鉄を使ったりしました。また、長野では何をするとも決めていなかったので、なんとなく善光寺へ足を伸ばしたりもしました。でもこの日の最大の目的は列車や観光地ではない別の物でした。

なんか妙に軽くてスカスカな荷物に違和感を覚えつつ東京駅へ。この旅行の最初の列車はこの501E「あさま501号」です。このE2系は700系に似てはいますが、もっと細身で小振りな印象です。

長野に出るまで食料補給のチャンスがなさそうなので駅弁購入。うなぎと豚生姜焼きの弁当なのですが、隣の豚汁共々味は.....でした。

多分20年ぶり位の浅間山です。僕はその間に小中高校を卒業し、留学し、働き始め、退職してフリーになり、と色々と変化がありましたが、浅間山は最後に見た日がまるで昨日のように思える程何も変わらず、今日も元気に水蒸気を吹き上げていました。

この写真を撮ったのは軽井沢なのですが、この手前の碓氷峠は新幹線でどう越えるのだろうと楽しみにしていたのをあっさり裏切って、トンネルトンネルまたトンネルという最も退屈なタイプの路線に成り果てていました。

碓氷峠は小学生の頃、家族で飯山線の飯山まで2〜3回スキーに行ったのでその時に「あさま」で通過した事があります。あの頃の横川ー軽井沢間は急勾配のため、全列車がEF63というここ専用の機関車を2両接続して喘ぐようにして越えるという国鉄全線でも最大の難所として名を馳せていました。それが今ではただひたすらトンネルの中を猛スピードで走り抜けるだけで、しかも在来線の横川ー軽井沢間は廃止されてしまいました。確かに速いし便利ですが、どんどんつまらなくなっています。

上田に到着し、上田交通別所線のホームへ移動します。改札の手前には横川の峠の釜飯で有名な「おぎのや」が売店を出していました。また、この会社では往復フリー切符という別所温泉までの往復と同額で乗り降り自由、しかも2日間有効、ただし、上田で改札を出ると無効という切符を発売していました。値段も変わらないのでそれを購入しました。

宮脇氏の「終着駅へ行ってきます」によると、この上田交通は'21年の創業以来、社名を上田温泉電軌ー上田電鉄ー上田丸子電鉄ー上田交通と変えており、一時は上田を軸に四方八方へと48.0Kmもの鉄道路線を運行していました。しかし、今は別所線が残るのみで路線延長も11.6Kmと最盛期の1/4以下になってしまっています。

上田を出た時には車内は大学生でごった返していましたが、路線の丁度真ん中あたりの大学前という駅で乗客の9割以上を降ろし、終点の別所温泉に着いた時にはほんの数名になっていました。

そしてこれが別所温泉の駅舎です。西洋風の瀟洒な建物で、「終着駅へ行ってきます」の中で宮脇氏が「ホームの屋根も堂々としていて、正にステイションの名にふさわしい」と書いている通りです。この文章の取材は'83年の8月1日に行われていて、もしかしたら既に建て直されてつまらない駅舎になってしまっているのではと危惧していましたが、ほぼ20年を経た現在でも現存していて安心しました。着いた時には駅舎の中で燕らしき鳥が3羽飛び回っていました。

ホームはこのようになっています。温泉というよりかは高原の避暑地のような雰囲気です。左書きで「長驛」と書かれている所の先に改札があります。

駅の横には59年間の永きに渡って働き続けたモハ5250という列車が保存されていました。ここには2両いて、外装を塗り直し、内部には様々な鉄道用品が展示されています。残りの1両も途中駅の側線に留置されていたのですが、こちらは塗装も補修もされておらず、ボロボロになっていました。

本線とモハ5250との位置関係はこのようになります。モハ5250のいる土手と比べると良く判りますが、この別所温泉駅に着く寸前はこのように物凄い急坂になっています。

そしてこれが上田から乗って、戻りも乗る車両。多分元東急の車両だと思います。ここに来て10年が経過したらしく、各編成にその記念のヘッドマークが掲げられていました。この編成は定期券仕立てですが、編成ごとに色々と趣向を凝らした物を掲げていて、会社に可愛がられているのが良く判ります。また、上田交通は東急の傘下にあるようで、車両の側面に付いている会社のロゴマークも東急と同じ物に上田交通の名前が入れられていました。

上田に戻り、長野新幹線の開通でJRから切り離されて第3セクター化されたしなの鉄道で屋代へと向かいます。この631Mは上田には3両編成を2本併結した6両編成で来ましたが、屋代の1つ手前の戸倉で後ろ側の3両を切り離しました。車両自体はJR時代にここを走っていた115系をそのまま使用しています。大抵の列車はしなの鉄道の区間(軽井沢ー篠ノ井間)を越えて長野まで直通していたり、途中にはJR貨物所属と思われる機関車、EF64がいたりで未だJRとの繋がりは深いようです。

10時3分に屋代着。乗り換え時間が2分しかないので、しなの鉄道の車内で車掌さんにベストポジションを教えてもらい、階段を小走りに昇ると長野電鉄の部分だけこんな木造の跨線橋でした。

ホームへ降りるとこんな車両が2両編成で待っていました。これは多分日比谷線を走っていた車両だと思います。こんな所に再就職していたとは。

30分ちょっと日比谷線の車両に揺られて須坂へ。ここで湯田中発長野行きの特急列車6Aを待ちます。構内の操車場に可愛いのがいるな、と思っていたら入って来たのはその可愛いのでした。車内のプレートによると'59年製なので、既に車齢は44年。それでも元気に走っていました。

千曲川を渡る鉄橋の上で。3両編成の一番後に座ったのですが、この車両は客室と乗務員室の間が大きなガラスになっていて、こんなに見晴らしが良いです。次に乗る機会があったら一番前を確保したいと思います。

須坂からはたったの15分で長野着。長野電鉄の長野駅は地下駅でした。

僕の記憶では長野駅は善光寺を模した本当に立派な駅舎だったと思うのですが、こんな面白味の無い駅になっていました。一応念のために逆側にも出てみたのですが、やはり同じような作りでした。多分新幹線開通と同時に建て直したのだと思いますが、もう少しどうにかならなかったのでしょうか。

長野では全く予定を立てていない時間が2時間半程ありました。駅前に目ぼしい店も見付からなかったので、¥100で乗れるバスで善光寺へ。まずはバス停の近くでいまいちな更科そばを食べ、本堂へ向かいます。そこで見掛けたのがこの鳩の餌売りのおばあさん、修学旅行らしい若い男の子達、そして男の子達に襲い掛かる鳩達。鳩の方も心得た物で、餌をくれないおばあさんには目もくれず、観光客の方ばかりに寄って行っていました。

今年は御開帳があった善光寺本堂。本当の本尊は住職すら見た事がないといいますが、本当に存在しているんでしょうか? 実は何百年も前にとっくに盗まれていたとかってオチがありそうな気がします。また、幕に大きく卍マークが入っていますが、外国人観光客はどう思うんでしょう。左右逆だと言っても見分け付きませんし。

関係ない話ですが、今年の5月末から6月頭に掛けて長野オリンピックスタジアムで西武ライオンズ対近鉄バファローズの公式戦がありました。その試合の中継を観ていたら、ライオンズのアレックス・カブレラの打席で「祈願 御開帳記念ホームラン」という横断幕を掲げていたファンがいて可笑しかったのと同時に、長野の人にとっては大きな事なのだなあと妙に感心しました。

帰りがけにまた鳩達を。この一角にだけ凄い数の鳩がたむろしていて、観光客が餌を買うのを待ち構えていました。

そうこうしている内に時間になり、13時42分発の2018M「ワイドビューしなの18号」大阪行きに乗り込みます。この「ワイドビューしなの」は基本的には名古屋ー長野間を結んでいるのですが、下りの15号と上りの18号のみ5時間とちょっとの時間を掛けて大阪まで足を伸ばします。

1時間も乗らずに松本で下車。この車両、名古屋側と長野側で顔が違って、長野側のこちら側はグリーン車になっています。どことなくウナギイヌに似ていて不思議な顔です。

松本からは松本電気鉄道上高地線に乗り換えて新島々まで行きます。そしてここでもまた井の頭線の車両が働いていました。これで北陸鉄道、上毛電鉄と合わせて早くも3社目、旅行する度に再会を繰り返しています。余程使い勝手が良いのか、各地の地方私鉄で大人気です。

上田交通と同じく、途中の北新・松本大学前までは大学生を大量に乗せ、その後は少ない乗客で走るという形で30分間走って新島々へ。すぐに引き返そうかと思っていたのですが、少し周りを見て回りたかったので予定していた1本後の40分後に出る列車に乗る事にしました。

新島々の駅舎。ローマ字表記が凄い事になっています。この新島々という駅はバスターミナルとしての性格が強く、ここを起点として上高地、乗鞍、高山、果ては金沢行きのバスも出ています。

右側が帰りに乗った16時8分発の34。左は朝夕に使うためか、留置されていた編成です。

帰りは新島々の次の渕東で小学生を沢山詰め込み、更にその次の波田で中学生がどかどかと乗り込んで来て、中学生の無言の圧力で小学生が席を譲るという食物連鎖を展開し、小学生があらかた下車した頃に北新・松本大学前で大学生が乗って来るという状況で、とにかく子供、子供、子供で車内は溢れ返っていました。

松本駅前。ビル街の向こうのすぐそこに山が迫っていました。ここでは1時間程あるので歩いて松本城を目指します。

が、迷ってしまい、途方に暮れていたら川を見付けました。川岸にも降りられるようにもなっていました。以前パリで道に迷った時もどうしようと思っていたらセーヌ川に出てなんとか帰れた事を思い出しつつ、街路図を頼りに駅の方向へ向かいます。

しかしこの女鳥羽川はセーヌのように優しくはありませんでした。川岸は岩だらけで歩き辛く、ムシロは敷いてありましたがぬかるみもあちこちにありました。

そんな中、鴨の親子が水泳訓練に精を出しているのを見掛けたのがこの写真です。対岸の岸辺ではおじいさんが孫にその様子を見せていました。

松本からは1028M「ワイドビューしなの28号」で一気に名古屋まで移動します。塩尻から中央本線に入るのですが、鬱蒼とした山々の間を抜けて行く路線で非常に良い眺めでした。

写真は18時49分着の中津川の駅名標。僕はその時代を知りませんが、ここはその昔「中津川フォークジャンボリー」と言う大規模な音楽イベントが開かれ(日本版ウッドストックのような物なんでしょうか)、今でも音楽好きの人達の間では語り草になっている場所です。

個人的にはここには国土交通省関係の仕事で3回、同じ系統の仕事で恵那に来た時に1回来た事があります。ややこしいのですが、僕と一緒に来た人の仕事仲間の親類がここですし天というお寿司屋さんを営んでいて、毎回来る度に顔を出していました。こんな海のない場所の店なのにびっくりする程美味しくて、特にアナゴが絶品です。ちなみにここのマスターも奥さんと一緒に「中津川フォークジャンボリー」に行ったそうで、車2台で行ったら1台崖から落ちて大変だったよ、と笑っていました。

対向列車が人身事故を起こしたとかで約12分遅れて名古屋着。駅前のホテルが取れなかったので、地下鉄桜通線に乗り換えて丸の内近くのホテルへ。まずは散歩に出て¥190で買った小さい三脚を使って名古屋テレビ塔を。霧というか、靄が出ていたので、テレビ塔の周囲にもぼやっと光がまとわりついています。

調子に乗って更に根本に近付き、もう1枚。

何人もの客引きに声を掛けられましたが「今日はキャバクラっすか」「いや、手羽先」「.....」というやり取りを展開しつつもこの日の最大の目的、「風来坊 住吉店」の手羽先唐揚げを。1人前5本をとりあえず4人前。やはりここの手羽先は絶品です。結局7人前、35本を平らげて退散しました。

第2日 / 6月20日へ

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