ここではメインコンテンツである旅行記とは別に、雑感や蘊蓄、昔話を書きます。テーマは特に限らず、思い付くがままに書き散らかしたいと考えています。更新周期も決めません。全ては出たとこ任せ風任せ、です。

 第10回 / 2006年9月1日  Panasonic Lumix DMC-FX01
 第9回 / 2005年6月25日  Panasonic Lumix DMC-FX8
 第8回 / 2005年2月2日  [名盤紹介001] Building the Perfect Beast / Don Henley
 第7回 / 2004年11月7日  くどくどと書き連ねる
 第6回 / 2004年10月26日  アテネオリンピックで見掛けた懐かしい面々
 第5回 / 2004年10月23日  Exodus, Exodus, Exodus.
 第4回 / 2004年9月5日  Hollywood, a Nice Place to Visit
 第3回 / 2004年8月24日  Minolta Dimage Xi
 推敲、校正、そして修正
 「あとがき」の必要性

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第1回 / 2004年8月14日
「あとがき」の必要性
本来、このサイトは旅行記サイトであり、テーマ外の物事を扱う事によってサイト全体のフォーカスがブレてしまって、結果として悪影響を及ぼす可能性は否定出来ません。よって、やるべきではないのかも知れません。まずはその言い訳として、第1回は何故このような本筋から外れたコーナーを始めようと思ったかをお話しします。

僕はこのサイトを始めるまで、他人に読ませる為に文章を書くという行為をせずに暮して来ました。発表会やら展示会やら販促キャンペーンやらの台本を書いたりはしていたので、文章で金を取った事がない、という事にはならないのかも知れませんが、それらはあくまでも聞かせる為の物であって、文字の形で読ませるという物ではありませんでした。そして暫く旅行記を書いてみて、多分去年の夏の北海道行きを書き終えた頃だと思いますが、全てを出せていない、しかし全てを出す訳にも行かない、と感じました。残った物が何かははっきりしませんが、何かが澱のように沈んだままになっているのです。

そこで「あとがき」の必要性に気付きました。あとがきとは作者の精神衛生上の安定を図るという機能が最も強いのではないかと。無論、読者にとっても作品を読み解くヒントがあったりでありがたい物ではあるのですが、それよりも作中で出せなかった素の自分の言葉で書いて、作品世界に入り込んでしまっている自分自身を取り戻す為の物なのではないかと思いました。例えば宮脇氏などは紀行作家なので、作品が自分の眼を通して見た物の記述になる分楽なはずですが、それでもやはり作中の自分とあとがきの中の自分とではかなり乖離している部分があるな、と感じさせられる所が数多く見受けられます。自分を作中に登場させられる紀行作家ですらこれなのだから、架空の物語を展開する小説作家など推して知るべし、です。

そして僕。こんな文章力と記憶力のなさを写真の数と大きさで補っているような物を作っていても、やはりその部分は変わらないようで、ある種のガス抜きを欲していました。あとがきという形で書く程には抜くべきガスの量もないので、それなら雑感を書こう、テーマは一切決めず、書きたい事を何でも書こう、旅行記に時折織り込んではいるものの、書き切れていない話は色々あるし、という事でこのコーナーを始める事となりました。

この通り、この先一体何が出て来るか判りませんが、お付き合い頂ければ幸いです。

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第2回 / 2004年8月19日
推敲、校正、そして修正
今回は制作手順とそれにまつわる話です。

まず、時刻表を見ながら旅程表を作ります。この時にどの列車に乗ったかはっきりしなかったり、定刻通り走らなかった場合は、写真の撮影日時と照らし合わせて確定させます。この辺りはデジタルカメラならではで、何度も助けられています。もし撮影日時が記録されなかったら、このサイトを開く事も考えなかったでしょう。旅程表作りは意外と手間の掛かる作業で、旅行の日数が多い場合はこれだけで1日終わる時もあります。

次に、文章の組み立てを考えつつ、写真を選びます。基本的には旅程に沿って拾いますが、時にまともな写真がなかったり、逆に載せたい写真が多かったりする場合もあるので、そこは文章の方で調整しつつ、大体3〜5枚づつ選んでPhotoshopで開き、トリミングや回転補正が必要な物には処理を掛け、縦横比4対3の矩形選択ツールで必要な部分を選択して登録してあるアクションパレットで自動処理を掛けます。自動処理と言っても難しい物ではなく、サイズを800*600に変更し、自動レベル / コントラスト / 色調補正を掛けた後にシャープフィルタを掛けるだけです。また、たまに自動色調補正が青側に引っ張り過ぎる時があるので、この場合はこれを取り消します。

車窓の写真にはどこで撮ったか判らない物も多いので、この場合も写真の撮影日時と時刻表を照らし合わせる事になります。また、食べた物の写真に店の写真を入れ込んだり4分割写真を作る場合は、既に作ったファイルから枠線やレイヤー効果を持って来て合成します。

そうして写真選びと文章書きを平行して進めて行きますが、やはりこれが最も時間を取られる部分で、順調に進められても1日分の制作に1〜2日、悩んでしまうと写真1枚の説明文を推敲するだけで1日費やす場合もあります。かと言って、次の日の分を先に書いてしまうと全体の流れが狂ったりもするので、悩んでいる間は作業はストップします。また、自分でよく解っていない事を書く場合には、手持ちの資料を自分なりの文章に構成し直したりGoogleで検索をしたり、という手間も掛かります。特に個人サイトでのみ見付かった情報に関しては、念のため複数のサイトで同じ記述があった場合のみ掲載しています。

そして書き上がると一旦Fetchでアップロードし、Netscape上でチェックをします。本来、この時にするのは行きと戻りのリンクチェックのみなのですが、僕はここで全文をじっくり時間を掛けて、文法があまり綺麗でない所は音読もしつつ、読み直します。ここまででも校正はしているのですが、GoLiveのレイアウト画面上では全く気付かなかったミスが何故かNetscape上で見るとぼろぼろと出て来る場合が多いのです。

これで問題がなくなったら、アクセス解析のJavaスクリプトを貼り付けて再度アップロード、トップページを書き換えて更新完了、という運びになります。

が、公開自体はこれでされてはいますが、この続きがあります。公開した翌日や翌々日にまた読んでみます。するとまた結構ミスや解り辛い言い回しが見付かる事が多く、こっそりと修正を掛けます。また、公開してから時間が経ったものに関してもたまに読み返して校正や修正を掛けます。特に初期の物に関しては文体そのもの、仮名の送りや数字の扱い等、表記の仕方が今と違う箇所も多く、かなり手を加える事も度々で、時には冗長過ぎる部分をばっさり切り落とす場合もあります。感覚としては盆栽いじりに通じる物があるのかも知れません。

この時、簡単に誰に知られる事もなくだらだらと修正を加え続けられるwebサイトという形で書いていて良かった、やはり印刷物の世界の人は違うのだな、と心底思います。あの「これで最後、決定!」という踏ん切りはなかなか真似出来ません(非売品CDのブックレットデザインは何枚かやった事がありますが、大抵踏ん切る時間すらありませんでした)。以前、広告代理店に詰めていた頃にカタログやスペックシートにミスが見付かって夜中にバイトを手配して倉庫でシール貼り、というような修羅場を横目で見ていただけに尚更です。

このような事をしているので、もし以前読んだ事があるページを久し振りに読んでみて、以前と違った印象を受けても、きっとそれは記憶違いではないでしょう。無論、今読んでいるこの文章も既に何度か書き換えられているかも知れないのです。

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第3回 / 2004年8月24日
Minolta Dimage Xi
トップページにも書いている通り、現時点でこのサイトに載せている写真は全てMinolta Dimage Xiで撮影されています。仕事でAppleのQuickTake 100という多分世界初のコンシューマ用デジタルカメラ(Casio QV-10より少し早かった)を使っていた時期はありましたが、これまで僕はカメラという物に全く頓着がなく、これが初めての自分のカメラです。銀塩写真の経験も殆どなく、子供時代に父親のOlympus Penというハーフサイズカメラ(普通のカメラが1枚で使うフィルムの長さに2枚撮れるので、36枚撮りフィルムを入れると72枚も撮れる)を借りて上野駅や東京駅に撮りに行ったり、スキーに行く途中で189系の「あさま」とEF63を撮ったりしていた(絵入りトレインマークの20系「あけぼの」なんてごく短期間だけで消えた物も撮っていたので、これらの写真が残っていれば凄かったのに)程度です。

元々はこのDimage Xi、欲しいな、とは思いつつも使い道を思い付かなかったのでずっと先延ばしにしていた物でした。が、去年の1月に教え子がeMacを買いたいと言うのでそれに付き合って新宿に行った時に、これ欲しいんだけど迷ってるんだよね、と言ったら、なら買っちゃえば、と背中を押されて128MBのSDメモリカードと一緒に買ったというのが実際の所です。最初はあまり使い道もなく、たまに思い出して適当にその辺の人や物を撮ってみるという程度にしか使っていなかったのですが、「銀河」に乗った時にブルートレインなんてもう乗れないかも知れないから、と撮ってみたのが事の始まりでした。

その直後、宮脇氏の訃報に接してから妙な旅行熱が持ち上がり、「はやぶさ」の時に更に撮る枚数が増え、出雲大社行きの時にはとりあえず全行程を記録に残そうと撮りまくりました(その時にメモリとバッテリの容量が足りなかったので、後に256MBのSDメモリカードと予備バッテリを買いました)。残った写真を眺めていて、それならば形にしようと始めたのがこのサイトという事になります。

Dimage XiはMinolta(現Konica Minolta)の屈曲光学系を搭載した薄型・コンパクトカメラシリーズの2つ目のモデルで、'02年2月に発売されて一世を風靡したXの後継機として'02年11月に発売されました。CCDのサイズは1/2.7インチと変わらぬものの、2メガピクセルと少々解像度不足気味であったXから3.2メガピクセルになり、フィルタも補色系から原色系へ変更され、他にも様々なブラッシュアップを受けましたが、'03年4月には筐体を一新した後継のXtが早くも発売され、現行モデルとしての寿命はたった5ヶ月という短命で終わりました。その後のXシリーズは途中で廉価版のX20 / X21 / X31に枝分かれしつつもXtのマイナーチェンジ版のXg、根本から設計を見直したX50と続いて行くのですが、どうも新型が出る度に僕の好みから離れて行っているような気がしてならないのです。

まず、Xiはレンズが飛び出さず、前面が平坦なのでガラスに押し付けて撮ると映り込みがなくなるのがとても気に入っているのですが、Xt以降は妙な意匠が前面にあって、その平坦さが失われています。これでは映り込みが出るし、ガラスに対して角度が付いてしまいます。また、サイズに似合わずF2.8〜3.6と非常にレンズが明るいのも美点でしたが、X50はF2.8〜5.0とテレ側でかなり暗くなってしまっているのも問題点です。このモデルは光学ズームが従来の3倍から2.8倍へと倍率が落ちてもいて、光学系はかなり退化したと言わざるを得ないでしょう。大きな不満点はこの2つですが、Xiで不満がある部分があまり直っていないのも不満ではあります(中にはこのシリーズのコンセプトと完全に食い違う不満点もあるのですが)。

僕のXiは機能に問題はないものの、バッテリとメモリの蓋が割れて辛うじて閉じているだけ、液晶はネックストラップの金具で擦れて傷だらけ、筐体のネジは2つ飛んで行方不明、と既に満身創痍で、いつまで使い続けられるかも判りません。現行モデルがもう少しまともになってくれないと買い替えも難しいので、大事にしないといけないとも思います。まずは一度オーバーホールに出そうかとも考えています。言うまでもなく、X50の2インチ液晶や容量限界まで撮れるムービー等はとても魅力的ではあるのですが.....。

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第4回 / 2004年9月5日
Hollywood, a Nice Place to Visit
「肉汁うどんと蒸気機関車」の冒頭でも書きましたが、'92年の3月から翌年3月までの約1年間、ロスアンゼルスのハリウッドに住んでいた事があります。時代背景としては、パパ・ブッシュの1期目の最終年で、「Potato」を正しい綴りで書けない共和党の現職副大統領、ダン・クエールの自滅にも助けられたビル・クリントンが民主党の代表指名選挙から引き続きで地滑り的勝利を収めて大統領職に就き、バルセロナでオリンピックが開催された年になります。また、日本国内では日本新党が参院選で躍進したり、モツ鍋ブームがあったり、本来のターゲットであるはずの子供達を完全に置き去りにした「ウゴウゴルーガ」が「カリキュラマシーン」の再来ともてはやされたりといった年でもありました。

行っていたのは留学の為で、アパートを借りる時に管理人と直接交渉したりはしたものの、お膳立ては全て周りがやってくれた上に金は親持ちと、要するにこの上なく贅沢でお気楽な御洋行でした。お膳立てを整えて貰えたのは、元々入学したのが東京の専門学校で、1年次は東京で基礎勉強をして、2年次は希望者の中から選抜でハリウッドの提携校に送られる、という形での留学だったという理由があっての事です。行ったのは東京校から20名、大阪校から20名の計40名でした。

僕が住んでいたPortbelloという名のアパート(地下駐車場やエレベーターも付いていて日本ならマンションと呼ばれる建物ですが、向こうでは超豪華な物件以外は全部アパートです)はチャイニーズ・シアターの裏手の方、歩いて5分程の所で、Sycamore Ave.がFranklin Ave.にぶつかる北の行き止まり、坂を登り切った所にありました。


学校はSycamore Ave.を下ってHollywood Blvd.の角を左に曲がってしばらく東に進み、Highland Ave.を過ぎて最初の角を右に曲がったMcCadden Pl.にあり、毎日Walk of Fameを歩き、チャイニーズ・シアターの前を通過していました。学校の名前はMusicians Institute、通称MIで、元Racer X / Mr. Bigのポール・ギルバート他数多のミュージシャンを輩出した所です。講師もレギュラーで来ているだけでティム・ボガート(アツいベーシスト兼ヴォーカリスト、元Vanilla Fudge / Beck, Bogart & Appice他)、スティーヴ・ベイリー(6弦フレットレスのフュージョン系ベーシスト)、スコット・ヘンダーソン(フュージョン系変態ギタリスト)、若手ではラス・パリッシュ(ハードロック系ギタリスト、ポール・ギルバートの元ルームメイトで後に元Judas Priestのロブ・ハルフォード率いるFightに加入)等々、凄い布陣でした。そんな環境で僕は音楽を学んでいました。

と、お気楽な御洋行ではあったのですが、ただでさえ治安の悪いロスアンゼルスの中でも悪い方に属するハリウッドという場所が場所なだけに色々と大変な事、妙な事も多かったです。箇条書きにしていくと、

■街が小便臭い
■毎晩変な叫び声が聞こえる
■銃声も時折聞こえる
■学校に行こうとしたら誰かが撃たれたらしくWalk of Fameの星の1つに大きな血糊がべっとりと被さっていた
■少なくとも週に一度は夜中に犯人を追うLAPD(ロス市警)のヘリコプターがアパートの真上で旋回し続けて寝られない
■歩いていたら黒人のおっさんが寄って来て、間違いなく盗品のネックレスを売り付けようとした
■そこかしこに煙草をねだるホームレスがいて、1箱50セントのも売っているのに1本に25セント払うと言うのまでいた
■マクドナルドで水をもらい、ずっと店内で居座り続けるホームレスが数人いた
■友人のアパートに行ったら廊下がマリファナの匂いで充満していて部屋に辿り着いた時にはちょっと変な気分になっていた
■街中でも少し遅い時間だとマリファナの匂いをあちこちで嗅げる
■僕を観光客と間違えたらしく、日本人の兄ちゃんが寄って来て「日本人ですか? マリファナ要りません?」と言われた
■マリファナならダウナーなのでまだ害はないけど、どう見てもアッパー系のクスリをキメた眼の奴が時々うろついている
■極端に露出度の高い服を着た白人の女の子が多いが、この手のは大抵クスリをキメた眼をしている
■近所のHollywood Highschool(通称ハリ高)の横の道路は夕方になるとナンパの車だらけ、いるのは全員ヒスパニック
■リトル・トーキョーへ行くバスには白人はおろかアジア人すら乗っていなくて、ひたすら黒人とヒスパニックのみ
■45問中7問までしか間違えられない運転免許の学科試験で、8問間違えたのに教官がBonus!と言って1つ○にしてくれた
■車検制度がないせいか酷い状態の車が多く、割れたガラスの代わりにビニールとガムテープで塞いだのをよく見掛けた
■トラックから落ちたスペアタイヤなのか、フリーウェイを大きなタイヤが転がっていた事もあった
■夜中のフリーウェイで対向車線に炎上中のタンクローリーが止まっていて、後でニュースになっていた
■フッカー(売春婦)はそこいら中にうじゃうじゃいて$20辺りからと異常に安いが、AIDS他が怖くて誰も手を出せない
■ハロウィンの夜は歩行者天国になっているHollywood Blvd.で本当に一晩中騒ぎ続ける
■歯の詰め物が取れて、医者は日本人がいいだろうと近所のDr. Tamuraの所に行ったら4世で完全にアメリカ人だった
■Sunset Blvd.沿いのショッピング・モールで横山ノックが歩いていた
■Hollywood Blvd.とHighland Ave.の交差点で佐藤蛾次郎が信号待ちをしていた(これは人に聞いた話ですが)

等々、枚挙に暇がないどころではありません。僕は基本的に日が暮れたらアパートから出なかったし、マリファナやクスリ関係も一切クリーンなまま過ごしたのであまり危ない思いはしなかったのですが、引っ越して1ヶ月が経った4月29日、決定的な事件が起きます。黒人青年に暴行を働いた白人警官に対しての無罪評決が引き鉄となった、後に言うロス暴動です。

その日の学校には朝から妙な雰囲気が漂っていました。誰もがどことなく上の空。時折漏れ聞こえて来る不穏な噂話。そして昼頃、いつもは色々な画面がどんどん切り替わるTim TV(休講や教室変更、課題曲等のインフォメーションを結構凝ったデザインの画面で流すTVシステム。今で言うとPowerPointのスライドショーのような物で、Amigaで動いていました。ティム・ミラーという人が管理していたのが名前の由来)の画面が、真っ黒な背景に白のゴシック体で「今日は午後2時で学校を閉鎖する」と表示したまま動かなくなりました。

これはいけない、という事でとりあえず東京組20人の内、学校にいた17〜8人を集め(僕は他の連中より2つ歳上で、海外渡航経験も多かった上に英語も喋れたので一応リーダー格に指名されていました)、途中で別れつつ家に帰ります。各々の家から帰宅確認の電話を受け、全員家に着いたのを確認してから東京に連絡。東京は朝早いはずですが、ニュースを聞いた担当の人が詰めていました。

出来る事は済ませてしまったし、まだ昼を過ぎたばかりで時間を持て余します。ニュースではダウンタウン、特にサウス・セントラルは戦闘状態と言っていいほど物凄い事になっているようですが、この辺りははまだ静かです。じゃあ、という事で冷蔵庫からRalph's(スーパーマーケット)オリジナルブランドだかPabst Blue Ribbonだか、とにかく1ケース24本で$9.99の激安缶ビールを1本取り出して屋上へと上がります。

アパートは高台にある上、6階建てか8階建てかなので(既に思い出せません)とても見晴らしが良く、ダウンタウンの高層ビル街まで見通せます。.....そのダウンタウンが燃えています。大きな白い煙が2〜3条、天に向かってたなびいていて、小さい煙の筋も無数に立ち昇っています。こんな風景を眺めながら缶ビールを煽っている事があまりに不可思議で、これが事実だとは信じられませんでした。

そしてもう1つ心に浮かび上がったのが、ああ、遂にぶち当たっちまった、という感慨。

この時期の僕は世界的動乱に妙に近い所にいる事が多く、最初は高校の修学旅行で行った北京。ちょうど1年後に天安門事件がありました。次がまだソ連だったモスクワでの軍事クーデター(結局成功せず、ボリス・エリツィンが支持を集めただけでしたが)。アエロフロートに乗ると、ロンドンー東京便はモスクワのシェレメチェボ空港に立ち寄るのですが、東京に戻った翌日に目を覚ましてTVを点けると、そのモスクワで武装蜂起が起きて戦車が市内を走り回っていました。しかも元英語教師のキャサリンともう1度遊びたいがために(これは鉄道ネタでもあるので多分その内書きます)ロンドン滞在を1日伸ばそうとアエロフロートのオフィスまで行って予約変更を頼んだものの、満員で断られていたので危ない所でした。この時は1年差の次は1日差か、とぼんやり考えていたのですが、ここに来て遂に巻き込まれてしまいました。

夕方、同じ通りの坂の途中に住んでいる連中がTVを見にやって来ました。日が暮れて、坂の下までちょっと様子を見に行ってみようか、とHollywood Blvd.の角まで下ってみます。今はもうないそうですが、当時この角地にはGalaxyという真新しいシネマ・コンプレックスとCD屋他がありました。見回すとCD屋の大きなガラスは割られ、通りの東の方には炎と煙、周りにいるのは見るからにあまりまともではなさそうな連中ばかり。早々にアパートへと戻りました。

何がなんだか解らないまま屋上へ。外に出た途端、先に来ていた白人の若い男達が小さくなって外壁に身を隠しつつ「こっちに来るな!」と怒鳴ります。と言われても僕達の周囲には彼等が身を寄せている外壁しか遮蔽物がありません。とっさに身を低くして外壁まで走った刹那、下の方で乾いた銃声が数発鳴り響きます。どうも通りの向かいのアパートの辺りで銃撃戦をやっているようです。警告してくれた男は僕の横で「だから危ないって言ったじゃんかよ」と半泣きになっています。昼間は遠かった街を焦がす炎はすぐ近くのHollywood Blvd.に沿って燃え盛り、学校の辺りからも火の手が上がっているのが見えます。

部屋に戻ってTVを点けると、ニュースの生中継映像に「Under Curfew」とスーパーが入っています。Curfewって何だ? カーフュウと読むのか? と辞書を引くと「夜間外出禁止令」。反射的に脳裏に浮かんだのは戒厳令下のエル・サルバドルを舞台にした映画「サルバドル」。でもここは中南米とかじゃなく、自称世界一の法治国家、アメリカじゃなかったのか? と大きな疑問が頭をもたげます。そしてそのスーパーの向こうには何となく見覚えのある風景が。あまりそちらの方面には行かないのでよく判らないけど、歩いて5分位の所にあるFranklin Ave.沿いの教会に見えます。ここでも銃撃戦をやっているらしいです。

暫くの後に部屋を出ると、アパートの正面玄関の金網になっている扉に人がたかっています。金網越しに外を見ると警察の護送車がいて、手錠を掛けられたパンクファッションの若い白人男女3〜4人が警官に追い立てられて護送車に乗せられる所でした。近くにいた白人の若い男に「何が理由なの?」と訊くと「そんなもんねえよ。夜間外出禁止令が出てるからだろ」と不愉快そうに答えます。

明けて翌朝(もしかしたら翌々朝かも知れません。記憶が錯綜しています)、とりあえず学校ヘと向かいます。あちこちに暴動の傷跡は残っていますが、ニュースで見た他の地区に比べれば随分とマシに見えます。昨夜学校の辺りに上がっていた炎はすぐ向かいの電器屋から出た物でした。多分略奪を受けて火を放たれたのでしょう、倉庫のような建物は石造りの高い外壁が残っているのみで、屋根は焼け落ち、内部は完全に燃やし尽くされて黒々とした瓦礫だけが平たく敷き詰められていました。

学校は無傷に見えました。前日14時に閉鎖された以外は影響もなく、クラスメートも皆無事で、また普段の日常へと戻りました。

1週間かもう少し後、僕はHollywood Blvd.沿いに並ぶ観光客向けの土産物屋で1枚のTシャツを手にしていました。生地は黒で、胸側に「I Survived The L.A. Riots April 30, 1992」、背中に「L.A. War Zone」と書かれ、暴動が激しかった地区に炎が描き込まれた地図、犠牲者や火事、出動した警察と軍の人数等の数字も入っています。多分に不謹慎ではあるけど、僕にはこれを着る資格があるからと$12位出して買いました。

Tシャツが入った袋を提げて家に向かって歩きながら、やっぱりここは遊びに来る所であって住む所じゃないな、と改めて噛み締めました。

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第5回 / 2004年10月23日
Exodus, Exodus, Exodus.
タイトルは脱出の意味ですよ。Metallicaのカーク・ハメットが昔いたスラッシュメタルバンドのExodusとは関係ありませんよ。

ようやく移転作業が終りました。去年の3月に開設して以来、容量無制限なのが理由でtok2.comを使ってきましたが、本当に色々と問題の多いサーバで、ずっと逃げたい逃げたいと思っていました。

その理由を列挙するとキリがありませんが、動作が非常に重かったり、上下にバナーが出る代わりにポップアップ広告のない所のはずなのにどんどん開きまくったり(僕はNetscapeなので抑止してくれますが、IEの人はGoogleツールバー等を使わないと止められません)、突然数日間全く繋がらなくなったり、登録した時は必須だったAmazonのアソシエイトリンクが知らぬ間に禁止事項に入っていたり、スパイウェアを平気で使ったり、登録後にスパムメールが激増したりとてんこ盛りでした。それに、まともなサイトでもアカウント強制削除が頻繁に行われているようで、サイトが消失するという最悪のケースも有り得ない話ではありませんでした。

なので、かなり早い時期から移転先を有料サーバも含めて探していましたが、なかなか条件が合う所が見付からず、グローバルIP付きの光回線を使って自宅サーバ立てないとダメかな、とも考えつつ時間だけが過ぎて行きました。

しかしそんな悠長な事を言っている訳にもならなくなってきました。決定打になったのが、上下だけでなく右側にも巨大縦型バナーが貼られるようになった事と、9月末からの1ヶ月近い超長期間に渡るメンテナンスと称するサービス停止。さすがにこれには呆れました。2chレンタルサーバ板のtok2.comスレッドの面々もみんな物凄い勢いで逃げ出し始め、そこで漂着先としてよく眼にするようになったのがsakura.ne.jpでした。

容量300MBで年間¥1,500、1GBで¥5,000、最大の3GBでもたったの¥15,000。しかもサブドメインを2つまで持てて、更にCGIやらSSIやら色々使えます。これなら安いし、他の条件もOK。それに、あちこち調べると非常に評判が良いのが決め手になりました。唯一にして最大のハードルは全く未体験のCGI自力設置でしたが、最初の2週間はお試し期間として無料で試せるのでその間に何とかしようという事で、1GBプランを申し込みました(これを書いている時点ではまだお試し期間中です)。

sakura.ne.jpは今までとは全く別世界という感じで、FTPクライアントのFetchがこんなにキビキビ動くのは初めて見ました。古くからのMac使いの人にしか通じない例えですが、MC68030マシンからXC68040マシンに乗り換えた時の漢字Talk7.xの感動的な挙動の違いにも近い物がありました。

サブドメイン。ちょっと悩みました。サイト名を替えたいという気持はずっとあるのですが、なかなか代わりが思い付きません。だからと言って時間を無駄にも出来ないので、とりあえず現状維持。30数個もあるのにあまり良い名前のないドメインの中でまあいいかな、と思えるのと合わせてironized.halfmoon.jpに決定。

CGI。盛大に悩みました。使うスクリプトは良く見に行く絵描きさんの所で使っている掲示板と、その配布元で見付けたカウンターに決めましたが、とにかく動いてくれません。スクリプトのマニュアルとsakura.ne.jpのマニュアル、sakura.ne.jp非公式サポートサイトのマニュアルと首っ引きになって転送モードやらパーミッションやら色々と組み合わせて試しても全然駄目。仕方がないのでカウンタは省略、掲示板は以前のままで移転通知を出す事にしました。しかしその通知を出そうにもtok2.comにFTPが全く繋がらず、この日は終了。

翌日、やっと繋がったのでさっさと通知を出して、CGIとの格闘を再開。確かにカウンタも掲示板もレンタルすれば済みますが、今回は100%広告のないサイトにしたかったので何とかしなくてはなりません。散々試行錯誤した結果、3つのマニュアルを見ても解らない所に落とし穴はありました。スクリプトの改行コードがUnix形式でないといけないのに、降ろして来たままでは何故かDos形式になっていたのが原因でした。

まずカウンタが動き、続いて大した手間もなく掲示板が動きました。

〜〜〜
と、ここまで書いた所で地震。結構デカいです。怖いです。中越地方では震度6強。なんと。こんな数字は神戸以来かも知れません。あれが完全にトラウマになってしまい、地震に対しての恐怖感が物凄く強くなっている僕は気が気ではありません。たまに旅行記に登場する数少ない異性の呑み友達その2が新潟出身なので電話します。彼女は大阪に住んでいるので知らず、呑気な声で「噂してたんですよ〜」とか言っています。実家に電話しても多分繋がらないよ、と言って切りました。では戻ります。
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カウンタは即実装します。前のカウンタが確かその位の数字だったという朧げな記憶から9030から始める事にしました。そして掲示板の過去ログ移動をたっぷり2時間半掛けて全て手動で行い、挨拶を書き込んで移転作業完了。

〜〜〜
3回目の余震が来ました。TVで今揺れています、と言ってから時計を見ていたら、新潟から東京まで揺れが伝わるのに約40秒程掛かるようです。怖くて仕方ありません。今回のタイトルは「Earthquake, Earthquake, Earthquake.」に変えるべきかも知れません。
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移転してみての感想は、やはりちゃんとした有料サーバは良い、の一言に尽きます。速いし、安定しているとの評判だし、何よりも一切広告を載せないで済むのが大きいです。CGIも内部に置いたので、こちらにも広告は載りません。サブドメイン付きなのでURLが短いのも良いです。ようやく一国一城の主となった気分です。

容量無制限に釣られて今まで無料サーバを使ってきましたが、無料と言いつつも結局は自分の個人情報を売って、様々な制約の中でサービスを受けている訳で、その代償が見返りに見合うかという事が問題になるのですが、今回は代償が高過ぎました。やはりタダより高い物は無いのです。

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第6回 / 2004年10月26日
アテネオリンピックで見掛けた懐かしい面々
既に旧聞の部類に入ってしまうかも知れませんが(個人的には最近まで関連の仕事をしていたのでそうでもありません)、アテネオリンピックはなかなか盛り上がりました。僕自身は特に野球を楽しく観戦していました。日本代表がああいう結果になったのは予選1位通過で特典があると思い込んでいたような人が監督代行である以上、仕方がない部分も多いとは思いますが(とは言え、本来の監督が元気でも五十歩百歩、目糞鼻糞ではあります)、それよりもおかしな野球マニア、特に外国人選手マニアである僕の眼を愉しませてくれたのは各国代表で出て来る日本プロ野球経験者達でした。ちょっと書き出してみると、以下の選手/コーチ達が代表チームで活躍していました。

【オーストラリア】

■ デヴィッド・ニルソン ■('00中日 通算成績:打率.180 1本塁打 8打点)
この選手は覚えている人も多いでしょう。中日時代の登録名はオーストラリアの野生の犬に因んで「ディンゴ」。当時はバリバリのメジャーリーガーで、逆にメジャーリーガであるままではシドニーオリンピックに出られないという事から会期中のチーム離脱を認めるという条件で中日と契約したものの、故障を連発させて1軍での出場試合数はたったの18試合、打撃成績も上記の通りと散々な有様でした。結局、オリンピックのためにチーム離脱という形になる前に彼が連れて来た投手(やりたい放題です)、カールソンと共に7月末に契約解除となり、シドニーオリンピックに参加して日本戦で3ランを放つという面白過ぎる運びと相成りました。

彼はオーストラリア野球代表の強化に人生を賭けているようで、私財を投げ打ってリーグを創立したりと色々やっているそうです。きっと今回の銀メダル獲得を一番喜んでいるのは彼でしょう。'69年産まれなので、次回の北京オリンピックに選手として出て来るかは微妙ではありますが、何かしらの形で参加するのは間違いのない所でしょう。

■ ジェフ・ウイリアムス ■('03〜阪神 通算成績:防御率2.35 3勝5敗39S)
これはもうお馴染み、特に去年は泣く子も黙る、獅子奮迅、どんな形容詞を与えても決して言い過ぎにはならない大活躍を見せた絶対的ストッパーでした。今年は少し調子を落としていた時期もありましたが、やはりこの舞台では本来の力を発揮してくれました。

日本は予選リーグと準決勝でオーストラリアと当たってどちらも敗けた訳ですが、そのどちらの試合でも日本に引導を渡したのが彼でした。試合を観ながら、6回までになんとかしないとウイリアムス出されちゃうぞ、普段も打ててないんだからこんな試合で打てる訳ないじゃん、と思っていたら、ものの見事にひねられました。さすがです。

■ ポール・ゴンザレス ■('99オリックス 通算成績:打率.188 1本塁打 1打点)
この人を知っていたら相当な野球マニアであると言えるでしょう。オリックスでの試合出場はたったの8試合、16打数3安打でタイムリーなしのソロホームラン1本こっきり。僕が観ていた限りでは、中継でもオリックスに在籍していた事には触れられていませんでした。しかし、実はこの人はオーストラリア代表としてアトランタ、シドニー、アテネと3回目の参加で、しかもアトランタの時にはキャプテンを務めていた実績もある人なのです。経歴を調べると、台湾やイタリアでプレーした経験もあるそうです。

【カナダ】

■ ロブ・デューシー ■('95〜'96日本ハム 通算成績:打率.248 51本塁打 120打点)
日本ハム時代は打率が低いのに何故か1番バッターを任され、揚げ句の果てに初回先頭打者本塁打8本というシーズン日本記録を立ててしまったのがこの人。1番なのに一発以外に何も脳内にない巨人の仁志に抜かれていなければ、この記録は今も生きているでしょう。

帰国後はシアトル・マリナーズに入団、その後数チームを転々として引退、現在はモントリオール・エクスポズ傘下2Aのハリスバーグ・セネターズでコーチをしているそうです。しかし今回のオリンピック出場の為に現役復帰、予選ではスタメンに名前を連ねた事もありました。日本との3位決定戦では9回に代打出場、結果は外野フライに終りましたが、彼の最後の打席('65年産まれなのでさすがに次はないでしょう)を見届けられて嬉しかったです。

■ トッド・ベッツ ■('03ヤクルト 通算成績:打率.287 15本塁打 52打点)
去年ヤクルトでそこそこ活躍していた記憶に新しい選手です。この人の話で一番インパクトが強かったのは来日時。空港に迎えに行った球団職員が間違えて別人にMr.ベッツかと声を掛けたら、その人が冗談のキツい人で、そうだ、俺がベッツだと答えてヤクルトの帽子を被り、つば九郎のぬいぐるみを持って報道陣のカメラに収まっている間、しばらく本物のベッツは放ったらかしにされてその様子を呆然と見詰めていたそうです。

今大会では主に6番ファーストでスタメン出場、あまり調子が良くなくて打率は伸びませんでしたが、守備の時に1塁ベース上でにこやかに日本代表選手と話していたのが印象的でした。やはりチームメイトだったからか、特に宮本とは楽しそうに話していました。

■ マイク・ジョンソン ■('02近鉄 通算成績:防御率6.65 1勝0敗0S)
予選で日本戦に先発して滅多打ちにされ、さすがにもう出て来ないだろうと思っていたら3位決定戦でも何故か先発、やっぱり滅多打ちに遭っていたこの人は、中継でアナウンサーが元近鉄と言うまで僕は気付きませんでした。あれまあ、と思って調べてみたら9試合、21回2/3を投げて上記の成績と地味過ぎてさすがに僕も判りません。

【オランダ】

■ ヘンスリー・ミューレン ■('94ロッテ、'95〜'96ヤクルト 通算成績:打率.246 77本塁打 216打点)
打率は低いが一発があり、試合を決める印象的なヒットが多い。そんな恐怖の8番打者として黄金期のヤクルトでオマリー、ブロスと共に活躍していたこの人は、オランダ領アンチル諸島の出身という事でオランダ代表に入っています。なんでも'96年にヤクルトと2年目の契約をするまでは2年続けて同じチームにいた事がなかったそうです。前回のシドニーオリンピックでは4番打者としてでしたが、今回は既に引退していて、コーチとしての参加となりました。

【台湾】

■ 張 誌家 ■('02〜西武 通算成績:防御率3.81 26勝19敗1S)
西武の台湾人投手というと何と言っても郭泰源ですね。引退後は台湾プロリーグや代表チームで色々やっているそうで、元同僚の石井丈裕や渡辺久信を連れて行ったのは記憶に新しいです。確かな事は知りませんが、この張や許の西武入団の際も何かしらの手助けをしていたのではないでしょうか。なんとなく安定している印象の許とは対照的に、張は良い時は誰も全く手も足も出ないというピッチングをし、悪い時は極端に短いイニングで大炎上するという印象があります。しかし西武はペナントレース真っ最中に張、松坂、和田がごっそり抜けた訳で、その間に伊東監督の胃に空いた穴の大きさが気に掛かる所ではあります。

話を戻して張ですが、台湾ではタレント活動もしているそうで「俺、女がいるんだけど」というタイトルのCDを出したりもしているそうです。正直、何が何やらという感じです。

■ 林 威助 ■('03〜阪神 通算成績:打率.142 0本塁打 1打点)
「はやし いすけ」と読めてしまうので日本人選手かと思いがちですが、実は「リン・ウェイツウ」と読み、れっきとした台湾人選手です。ただ、近畿大からドラフト指名を受けて入団した関係で、外国人枠からは外れています。同じようなケースとしては中日ー阪神にいた大豊が球団職員から指名を受けたというケースがありました。今年ようやく1軍での試合出場も果たして3試合で7打席7打数1安打の記録が残っていますが、正直全然知らない選手ではあります。

■ 陳 偉殷 ■('04〜中日 1軍出場機会なし)
チェン・ウェイインと読むそうです。この選手も全然知らず、これを書くのにアテネ五輪の公式サイトで色々と裏を取っている時に偶然見付けました。なので、コメントのしようもありません。

以上、だらだらと列挙してみましたが、結構な人数の選手がいました。今回の大会は面白くはあったものの、いくつか不満点があったのも確かです。

まずは日本代表ですが、各球団2名づつというのは確かにシーズンを中断せずに参加する上では仕方がなかったかも知れませんが、やはり最高の選手を掻き集めて欲しかった。それと首脳陣がちょっとアレ過ぎる人選かなあ、とも思います。確かにミスターは象徴としては良いかも知れませんが、巨人でのファンタジー采配でも明らかなように、少なくとも監督に向いている人ではありません。そしてミスターが病気で不参加となっても、監督代行が精神論以外に何もない中畑では既にその時点で手詰まりです。

そして何と言ってもMLBの不参加。メジャー登録の選手が出られなかったせいでアメリカは予選敗退。アメリカがいない野球の国際大会なんて価値があるでしょうか? カナダも会期寸前に主力ピッチャー2人がメジャー昇格で不参加となりました。ニルソンもメジャー昇格の話があったのを断ったとの事です。MLBが首を縦に振っていたら、多分ドミニカやベネズエラもかなり良い所まで行ったでしょう。それらの強豪国を余さず大会で見られるよう、現状の8カ国から出場枠を増やして欲しいとも思います。それに、1番イチロー、2番松井稼、4番松井秀なんてオーダー、素敵だと思いませんか?

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第7回 / 2004年11月7日
くどくどと書き連ねる
最近、このコーナーの長文化が激しいです。多分、旅行記の方で伝えたい事をいかに簡潔な文章に盛り込むか腐心している反動もあるのでしょう。例えば映画では回りくどい長台詞を延々と喋り続ける事を一つの表現手法として使う事はありますが、文章は眼で文字を読んで理解する物なので(=映像と音で理解させる映画より情報伝達量が受け手の力量に左右され易い)、あまり有効な手段とは言えません。

文章もそうですが、音楽にも似通った部分があって、エリック・クラプトンがインタビューでQueenのブライアン・メイを指して、彼は短いギターソロの中に表現したい事をきっちり詰め込めるのが凄い、自分はそれが苦手でどうも長くなってしまう、と言っていた事があります。本当にその通りだと思います。ビートルズの楽曲の短い事、そしてその短さに全く見合わない密度と言ったら!

ただまあ、ここに関してはこれで良いのかな、とも思います。元々思い付いた事を好きなように書き殴る場所ですし。でも、今回はこれで終りです。たまには短い事もあるのです。

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第8回 / 2005年2月2日
[名盤紹介001]
Building the Perfect Beast / Don Henley(1984)
[1] The Boys of Summer [2] You Can't Make Love [3] Man with a Mission [4] You're Not Drinking Enough [5] Not Enough Love in the World [6] Building the Perfect Beast [7] All She Wants to Do is Dance [8] A Month of Sundays [9] Sunset Grill [10] Drivin' with Your Eyes Closed [11] Land of the Living
いきなりですが、名盤紹介を始めます。これを聴かずして死ぬのはまかり通らぬ、と無理矢理お薦めしたいと思います。一番上に書いた通り、思い付くがままに書き散らかすのがこのコーナーなので、何でもありなのです。要するに、ここは僕の脳内を様々な方面から公開する場所なので、読んでいる人はかなりタチの悪い露出狂に付き合っているのと同じ事になります。

その初回は、元Eaglesのドラマー / ヴォーカリストのドン・ヘンリーの2枚目のソロ・アルバム。言うまでもなく、Eagles時代は「Hotel California」「Long Run」「Desperado」等々、数々のヒット曲を歌っていた人です。このアルバムではEaglesの残り香を残すカントリー色の強い曲が半分、当時のポップ・シーンを反映した曲が半分という構成になっています。

前作「I Can't Stand Still」に引き続いてプロデュースと作曲を手掛けるダニー・コーチマーのねっとりと絡み付くようなギターが印象的な[1]は大ヒット・シングルになり、MTVのプロモーションビデオ大賞にも選ばれました。

[2]は一転してカントリー臭さも漂わせるポップ・ナンバー。元Fleetwood Macのリンジー・バッキンガムがギターとコーラスを担当しています。

アップテンポな[3]ではまだ無名だった頃のチャーリー・セクストンがとても10代だとは思えないギターを聴かせます。また、コーラスでGo-Go's(調べたら、このバンドまだ活動中だそうです)のベリンダ・カーライルが参加しています。

ダニー・コーチマーの作によるカントリー色の強いバラードの[4]ではデヴィッド・ペイチとスティーヴ・ポーカロのTOTO組が参加。

[5]もまたカントリー色が強いミディアム・テンポの曲。やはりEaglesの残り香が随所に出て来ます。

元々キーの高いこの人が延々とファルセットで歌い続ける[6]に続くのが、2枚目のシングルとしてチャートを駆け登った[7]。[6][7][11]とコーラスで参加しているのはこの当時「The Warrior」でチャートを賑わせていたScandal Featuring Patty Smythのパティ・スマイス(パティ・スミスではありません)。彼女の'92年の大ヒットナンバー、「Sometimes Love Just Ain't Enough」と「No Mistakes」では逆にドン・ヘンリーがゲストとして参加、デュエットをしています。

[8]は淡々としたピアノに乗せて死んでしまった古き良きアメリカを懐かしむような歌詞を歌い上げるバラードですが、この曲はアナログレコードには入っていた覚えがなく、CD化の際に追加されたのではないかと思います。

そして僕が個人的にこのアルバムの白眉だと感じる[9]。「商売女がうろつくのを眺めにサンセット・グリルへ行こう」という歌い出しのこの曲は、ボトムをしっかりと支えつつも空に漂うようなフレットレス・ベース、淡々と、しかし複雑なリズム・パターンを刻み続けるドラム&パーカッション、恐ろしく分厚いシンセ、Tower of Powerのジェリー・ヘイがアレンジを担当したホーン・セクションが融合してなんともスケールの大きいグルーヴを醸成しています。

なんとなく曲の構造が[6]と似ている[10]に続く[11]はBメロからサビへの繋がりがとても美しいミディアム・スローの曲。

アルバムを通して聴くと、[2][4][5][11]のEagles時代の流れをそのまま受け継いだ土臭さすらも感じられる曲、[6][7][10]の実験的要素を含んだ曲と傾向がはっきりと別れているのが解ります。そしてその中間的な存在に該る[1][9]はしっかりとしたメロディを軸にしつつも時代の潮流を取り入れた物となっていて、この流れは'89年の次作「The End of the Innocence」へと受け継がれていきます。

ドン・ヘンリーの作品全体に言える事ですが、適度なテンションは保ちつつ、でも張り詰め過ぎない。勿論曲によってそのバランスは変わりますが、リラックスした姿勢は一貫しています。あまり大人し過ぎない大人のロックを聴きたい人にお薦めの1枚です。

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第9回 / 2005年6月25日
 Panasonic Lumix DMC-FX8
'03年1月に購入して以来Minolta Dimage Xiをずっと使って来ましたが、遂に買い替えを決意、6月19日にPanasonicのLumix DMC-FX8を買いました。手ぶれ補正機能付きコンパクトカメラとして大ヒットになったFX7の後継機です。シルバー、光沢のあるブラック、光沢を抑えたブルー、同じ質感のラベンダーに近いピンクの4色から写り込みを極力少なくしたかったのと、色自体がなかなか綺麗だという理由でブルーを選びました。

新しいカメラを買うに該っての条件としては、小さく薄く軽い事、窓にレンズを押し付けた時に窓から浮かない事、レンズが明るい事、SDメモリーカード対応である事、本体に三脚穴がある事、2.5インチクラスの液晶モニタを積んでいる事、動画がQuickTime形式である事等がありました。

屈曲式レンズの物を対象として次機種探しをしていましたが、Fujifilm FinePix Z1は奥まったレンズの上に隙間があって写り込みが激しそうな上に三脚穴もなく、将来性のないxDピクチャーカードを使っているので脱落。Sony CyberShot DSC-T7も前面の板が邪魔で三脚穴がなく、メモリースティックDuo採用で脱落。同じSonyのCyberShot DSC-T3/T33も本体前面は良かったものの、三脚穴とメモリースティックDuoでやはり脱落。本来なら最右翼候補になるべきKonica Minolta Dimage X60は他の条件は満たしていたものの、前面に無駄な凹凸が多くてこれも脱落。そんな中で当選に一番近かったのがNikon COOLPIX S1。しかしこれもレビュー記事を読むとあまりにも使い勝手が悪そうで脱落。更に、どの機種も総じてレンズが暗かったのも厳しい所でした。

次々と候補が脱落していく中、1月にオーバーホールに出したばかりだし、まだ暫くDimage Xiと付き合うかな、と覚悟を決めつつあった頃にFX8発売の報が入って来ました。沈胴式レンズなのもあって、当初はあまり気に掛けていませんでしたが、紹介記事を読むにつれ手ぶれ補正機能を筆頭として欲しい機能が色々と採用されていて、細かい使い勝手もかなり良さそうなのでどんどん気持ちが傾いて行きました。ネックになっていた沈胴式レンズも前面が広いので、窓に押し付けた時も工夫すれば写り込みを最小限に出来そうです。

そしてとうとう新宿のビックカメラで購入。ちょうどこの日はビックカメラのサイトで¥37,800+ポイント10%(実質¥34,020)というセールをやっていて、店頭では¥44,200+ポイント15%(実質¥37,570)となっているのをサイトの価格をネタに交渉したら¥39,690+ポイント15%(実質¥33,737)にしてくれて、とても良い買物でもありました。それではDimage Xiとのスペック比較を。

  Panasonic Lumix DMC-FX8 Minolta Dimage Xi
有効画素数 500万画素 320万画素
CCDサイズ 1/2.5インチ+原色フィルタ 1/2.7インチ+原色フィルタ
最大解像度 2560×1920 2048×1536
開放F値 F2.8〜F5.0 F2.8〜F3.6
光学ズーム倍率 3倍 3倍
焦点距離 35mm〜105mm(35mm判換算) 37mm〜111mm(35mm判換算)
手ぶれ補正機能 あり(光学式、サンプリング周波数4KHz) なし
レンズ収納方式 沈胴式 屈曲式
ISO感度 オート(80〜200)/80/100/200/400 オート(50〜100)/50/100/200/400
シャッタースピード 8秒〜1/2000秒 2秒〜1/1000秒
セルフタイマー 10秒/2秒 10秒
撮影モード 通常/かんたん/マクロ/シーン(12種)/動画 静止画/動画
動画形式 QuickTime Motion JPEG+モノラル音声 QuickTime Motion JPEG+モノラル音声
動画解像度 640×480/320×240 320×240
フレームレート 30fps/10fps 15fps
最長動画記録時間 無制限(メモリーカードに依存) 35秒間
液晶モニタ 2.5インチ/11.4万画素 1.5インチ/11万画素
光学ファインダ なし あり
記録メディア SDメモリーカード/MMC SDメモリーカード/MMC
撮影可能枚数 約300枚(CIPA基準) 約120枚(独自基準)
バッテリ容量 3.7V 1150mAh(リチウムイオン) 3.7V 750mAh(リチウムイオン)
フォルダ分け 999枚毎 日付毎
電源スイッチ スライド式 押込式
三脚穴 あり(金属製) あり(樹脂製)
サイズ W94.1mm×H50.5mm×D24.2mm W84.5mm×H72.0mm×D20.0mm
重量 127g(本体のみ)/155g(全備重量) 130g(本体のみ)
発売日 2005年6月4日 2002年11月8日

まずはCCD周りですが、実の所今までもサイズを小さくして1600×1200で撮っていたのもあり、200〜300万画素あれば充分なのでオーバースペック気味です。今後は少し大きくして2048×1536で撮ろうと思いますが、これでも300万画素で済みます。僅かながら物理サイズが大きくなったのは良い点です。

次にレンズ関連。ワイド端の開放F値はF2.8と同じですが、テレ端でF5.0とかなり暗いのが気にはなります。しかしズームして撮る事自体が滅多にないのであまり気にはなっていません。それよりも焦点距離がワイド端で37mmから35mmと広くなっていて、いつも引きが足りなくて困っている身としてはありがたいです。そして何よりシャッタースピード3段分稼げるという触れ込みの手ぶれ補正機能が付いたのが大きいです。今までは用心の為に最低でも2〜3枚、多いと10枚位同じ所で撮っていましたが(それでも当たりが来ない時もしばしば)、これを相当減らせるのではないかと期待しています。ただ、マーケティング上の理由からか手ぶれ補正機能の設定ボタンが本体上面のとても良い位置にあり、こんな滅多に切り替えない機能よりもっと必要なボタンがあるだろうとも思います。

マニュアル設定は不可ではあるものの、シャッタースピードは8秒という超スローシャッターが使えるようになりました。ただ、ここまで開けていられるのだからISO感度の最低が80というのはちょっと不満です。感度を落としてシャッタースピードを長くした方が夜景を綺麗に撮れるので、どうせなら25とかの超低感度モードも欲しかったです。

使い勝手の上で非常に重要な点として、セルフタイマーの2秒モードがあります。三脚使用時に10秒待つというのはあまりに長過ぎて、しかもDimage Xiではメニュー階層の奥に設定があるので使い辛かったのですが、FX8では専用のボタンがある事も相まって大きく改善されました。

Dimage Xiでは静止画と動画のみだった撮影モードですが、FX8ではかんたん/マクロ/シーンの各モードが増えました。正直な所、かんたんモードは全く無用な上、マクロモードの存在はモードレスマクロだったDimage Xiに比べると大きく劣る点ではありますが、ポートレート/美肌/スポーツ/料理/風景/夜景/夜景ポートレート/赤ちゃん/花火/パーティー/雪/自分撮りの12種類が用意されたシーンモードはかなり使い勝手が良さそうです。明らかに不要な物も多いですが、個人的に重宝しそうなのは夜景と料理。夜景はISO感度を最低の80に固定してシャッタースピードで明るさを稼ぎ、料理はマクロモードに入った上にホワイトバランスを食べ物向けに振ってくれます。何枚か通常モードと撮り比べてみましたが、かなり効果が高いようです。

動画は最大640×480。フレームレートも30fpsまで対応し、NTSC方式と大差ない品質です。発売直後に色々条件を変えて撮った物を上げてくれた人がいて、いくつか見せてもらいましたが、手ぶれ補正機能の効きもあってデジタルカメラとしてはこれ以上求めても仕方がないと思えるレベルの映像でした。ただ、Dimage Xiに比べて面積が4倍でフレームレートが2倍になったという事は、物凄く単純な計算で単位時間あたり8倍のファイル容量になる訳で、どう使った物かな、と思案中でもあります。

液晶モニタはこれ以上大きくするにはボディを大きくするしかない大きさの2.5インチ。ただし、画素数はDimage Xiと変わっていません。しかし大きくなった分見易いのは確かで、リアルタイムヒストグラムやシャッタースピード等、今まで見られなかった情報も表示されます。また、一時的にモニタの輝度を上げるパワーLCD機能もあります。Dimage Xiに付いてはいたものの、結局一度も覗かずに終った光学ファインダはなくなりました。

FX7からFX8への進化で最も大きな改良点として挙げられているのが、CIPA基準で約120枚から約300枚と飛躍的に伸びたバッテリの持続力です。Dimage Xiの発売時にはなかった基準ですが、Minolta独自基準より厳しい条件での測定基準になっています。僕自身はズームもしなければストロボも発光禁止にしたままなので、この数値よりかなり多く撮れるのではないかと思います。よって、今のところ予備バッテリは買っていません。

Dimage Xiに比べてFX8が大きく劣っている点としてマクロ関連を挙げましたが、SDメモリーカード内のフォルダ分けもその1つに数えられます。Dimage Xiは日付が変わると自動的に新しい日付の名前のフォルダを作ってその中に画像を保存してくれるのですが、FX8は完全に枚数のみで切り分けるようです。これだとMac上にコピーしてから手動で振り分けをしないとならないので使い勝手が非常に悪く(iPhoto等は使わず、Finder上で管理しています)、大きな減点ポイントとなっています。

FX8の電源スイッチは本体上部の凸型スライドスイッチになっていて、時折反応が遅くて本当に命令が届いているか判らず、結果的に何度もOn/Offしてしまう事も多いDimage Xiの押込型スイッチに比べてより明示的に電源投入した事が判ります。ただ、店頭で触ったデモ機より動作が軽く、ちょっと触っただけで電源が入ってしまう事もあるので、もう少し動作トルクが重くて背が低いスイッチだと良いと思います。

電源のOn/Offに掛かる時間はDimage Xiに軍配が上がります。これはレンズ構造の違いから来るので仕方がないと思いますが、FX8もそれほど遅いとも感じません。ただ、Dimage Xiは何故か電源投入時にレンズがワイド端より少しテレ寄りの状態で立ち上がり、それをいちいちワイド端に合わせるのが非常に煩わしく、それも含めたトータルでの撮影開始までの所要時間は素直にワイド端で立ち上がるFX8と大差ないかと思います。

そして最後に大きさ。対比のため、普段使っているApple Keyboardに乗せて撮ってみました。

これを見るとFX8はキー1個分背が低く、1/2個分横に長いのが判ります。厚みは4mm増えて、手に持った感触が板状だったDimage Xiに比べると塊感が強くなっています。

手ぶれ補正機能の有無はともかく、FX8は解像度他の改良されていて当然な部分以外にも2秒間セルフタイマーをはじめとする細かな使い勝手の面で色々と熟成が進んでいて、この2機種間の世代の違いを感じさせられます。更に言うと、その昔仕事で使っていたApple QuickTake 100とは全く異質なデバイスと言って良い程の進化を遂げたとも感じます。

次回の旅行の予定は7月で、そこがFX8のデビュー戦になります。旅行自体も楽しみですが、FX8がどう働いてくれるのかも楽しみにしています。また、暫くはバックアップ機として持ち歩くつもりではありますが、ここまでよく働いてくれたDimage Xiには改めてお疲れ様と言いたいと思います。

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第10回 / 2006年9月1日
 Panasonic Lumix DMC-FX01
昨年買ったFX8はなかなか良いカメラで結構気に入って使っていましたが、ワイド端が35mmで引きが取れない場所では画角が足りない事がしばしばありました。その不満を解消出来る28mmのレンズを積んだFX01が3月に発売されましたが、贅沢を言ったらキリがないのでまだしばらくFX8を使うつもりでいました。

ところが、この8月に発売される新型のFX07のサンプル画像を見て愕然としました。CCDのサイズが以前と変わらないままなのに720万画素に高解像度化してしまった弊害か、最低ISO感度の100ですらノイズと偽色が乗りまくってボソボソになっています。FX07が発売になり、実際に買った人達がアップロードした写真も冗談としか思えないような画質の物ばかりでした。僕がFX8で満足しているのはあくまでも機能面で、画質そのものは下手をすると先代のDimage Xiにも劣るかも知れないというのが僕の評価です。今後の新製品も画素数だけ無意味に増やして画質をないがしろにするのなら、28mmのレンズを積んだモデルで一番良いのはFX01という結論に至り、8月29日に有楽町のビックカメラで型落ちで安くなった物を購入しました。

  Panasonic Lumix DMC-FX01 Panasonic Lumix DMC-FX8
有効画素数 600万画素 500万画素
最大解像度 2816×2112 2560×1920
開放F値 F2.8〜F5.6 F2.8〜F5.0
光学ズーム倍率 3.6倍 3.0倍
EX光学ズーム あり、3M時最大5.0倍(140mm相当) なし
焦点距離 28mm〜102mm(35mm判換算) 35mm〜105mm(35mm判換算)
ISO感度 オート(80〜200)/80/100/200/400、高感度モード時800〜1600 オート(80〜200)/80/100/200/400
シャッタースピード 8秒〜1/2000秒、星空モード時15秒/30秒/60秒 8秒〜1/2000秒
撮影モード 通常/かんたん/マクロ/シーン(16種)/動画 通常/かんたん/マクロ/シーン(12種)/動画
液晶モニタ 2.5インチ/20.7万画素 2.5インチ/11.4万画素
撮影可能枚数 約320枚(CIPA基準) 約300枚(CIPA基準)
サイズ W94.1mm×H51.1mm×D24.2mm W94.1mm×H50.5mm×D24.2mm
重量 132g(本体のみ)/160g(全備重量) 127g(本体のみ)/155g(全備重量)
発売日 2006年3月10日 2005年6月4日

上の表は違いがある所のみを書き出しました。レンズが最大の違いで、ワイド端が広くなったと同時に光学ズーム倍率も3.6倍に伸ばしてテレ側もほぼ同じになっています。更に、FX9から積まれたEX光学ズームという機能があり、300万画素以下で撮影をする場合にはCCDの余りの部分を使って画質劣化なしでテレ端が伸び、5.0倍までのズームが可能となっています。FX8を買って以来、僕は300万画素で撮っているので非常に嬉しい機能です。ただし、レンズに関しては良い事ばかりではなく、F2.8〜F5.6とテレ側で暗くなっています。

レンズ以外にも色々と違いがあり、まず眼につくのが液晶モニタの高精細化。綺麗になっただけではなく、表示のフレームレートも上がったように見えます。シーンモードに追加された中で一番使ってみたいのは星空モード。FX8では夜景モードを使っても8秒までしかシャッタースピードが伸びませんでしたが、星空モードでは15秒/30秒/60秒の中からシャッタースピードを選べます。夜景や星空だけでなく、遮光板との組み合わせで昼間や花火でも面白い事が出来そうです。ISO感度は高感度モード時に800から1600までになりますが、サンプルを見ると400から上は汚いどころの話ではなく、全く使い物になりそうにありません。

FX8でもいくら撮ってもバッテリがなくなりませんでしたが、それが更に伸びました。バッテリ自体は両機種共通で、2つあれば上手くすると3〜4泊程度の旅行なら充電しないでも済むかも知れません。そしてサイズと重量は微増の範囲に止まっています。本当ならずっと大きく重くなるはずのレンズを積んでいますが、よくこの程度で済んだものです。



左がFX01、右がFX8です。FX8のブルーはとても良い色合いで非常に好きなのですが、FX01には設定がありませんでした。シルバーとどちらにするか悩みましたが、手触りの良さと写り込み防止でブラックにしました。

ぱっと見て判る大きな違いは、背面のボタンが独立式から円形の一体型に変更された点です。使い勝手という意味では見ないでも判る独立式の方が良いと思いますが、慣れでなんとかなるかも知れません。筐体は同じ物のように見えますが、2つ並べて見比べてみると実に数多くの違いがあり、完全新規設計の可能性が高いと思います。メニュー関係は同じ構成のままで配置が再構成されていますが、特に使い易くなった印象はありません。



画角の違いを確かめるために、近所の河原で撮って来ました。色調補正やシャープフィルタは掛けていますが、トリミングや回転補正は一切していません。

左上:FX01/ワイド端(28mm)
右上:FX8/ワイド端(35mm)
左中:FX01/テレ端(102mm)
右中:FX8/テレ端(105mm)
左下:FX01/EX光学ズームテレ端(140mm相当)
右下:Dimage Xi/ワイド端(37mm)

一見大差ないように見えますが、川縁のビルや高速道路の支柱を目印にしてワイド端の写真を見比べると結構な差があります。画角が広くなった分ケラレが強くなりましたが、これは仕方のない事です。テレ側ではスペック通りほぼ同じですが、EX光学ズームを効かせると今までもう一息詰め切れなかった分の寄りが出来そうです。

次の旅行をまだ決めていないので、FX01のデビュー戦がいつどこになるかは判りませんが、今後はFX8がバックアップに回り、購入以来ずっとバッグに入っていたDimage Xiは遂に御役御免となります。

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