■ 第1-5日 / 1月17-21日 ■

昨年シンガポールであった現場が、今年はシドニーで行われるという事で仕事が回って来ました。間を置かず、今度は初めてやるスポンサーの現場がブリスベンであるという連絡が。スポンサーは各々別ですが、僕に仕事を振っているのは同じ会社の別の人。これら2つの現場は1週間程度しか間がありません。それならばという事で1つ目のシドニー現場が終わってから日本には帰らず、ブリスベンには自力で入る事にさせてもらい、旅程作りに入りました。

ただ単にシドニーからブリスベンへの移動だけではつまらないし、日数も持て余すのでメルボルンまで足を伸ばす事にしました。ただ、1つ問題があります。帰りの飛行機をシドニー現場の方で取ってもらった関係で帰りはシドニー発になってしまいました。仕方がないのでカンタス航空の国内便を自前で取りましたが、格安でした。

日程は1月17日の夜出発で2月4日の夜帰着。実に17泊19日、大旅行です。その内、自分の時間は21日から28日までの8日間。悪くありません。大雑把な旅程は以下の通りです。

 1月17日-20日:シドニー現場
 1月21日-23日:シドニー滞在
 1月24日:昼行列車でシドニーからメルボルンへ移動
 1月25日-26日:メルボルン滞在
 1月26日-27日:夜行列車でメルボルンからシドニーへ移動
 1月27日:昼行列車でシドニーからブリスベンへ移動
 1月28日:ブリスベン滞在
 1月29日-2月2日:ブリスベン現場(滞在はゴールドコースト)
 2月3日:ゴールドコーストでオフ日
 2月4日:ゴールドコースト ー ブリスベン ー シドニーと移動、東京へ

実際には一部この通りには行きませんでしたが、どうせどこかで予定が狂うだろうと予め日程に余裕を持たせてあったのが功を奏しました。

1月17日、21時発のJL771便でシドニーへ。機体はボーイング747で、各座席にモニタがありました。僕は何度も眠りこけつつも延々とソリティアをやり続けていました。

明けて18日、眼下にハーバーブリッジを見つつ、現地時間の7時半頃にシドニー着。入国審査の係員が「G'day!(グッダイ!)」と言っているのを聞いてオーストラリアに来たのだと感じましたが、何故かその後この言葉を耳にする事はありませんでした。こちらは夏なので暖かいですが、今日は天気が悪いです。

オーストラリアは日本から見るとほぼ真南にあるので日本との時差がほとんどなく、シドニーが+1時間。ただ、今は夏なのでサマータイムで更に1時間早くなって+2時間です。サマータイムそのものが日本人には非常にやっかいな物ですが、オーストラリアでは州によって採用したりしなかったりで更にややこしくなっています。

まず時差の話をしてしまうと、オーストラリア大陸東南部のシドニーがあるニューサウスウエールズ州、その中に飛び地のようにあり、首都キャンベラがあるオーストラリア首都特別区、東側南端のメルボルンがあるヴィクトリア州、その更に南にある大きな島、タスマニア州、北東部のブリスベンやケアンズがあるクイーンズランド州が日本時間+1時間。

次に大陸中北部のダーウィンやエアーズロックがあるノーザンテリトリー、中南部のアデレードがある南オーストラリア州が+30分。更に大陸の西側1/3程度を直線で大雑把に区切られたパースがある西オーストラリア州がー1時間。経度からしてあってもおかしくありませんが、何故か日本と同じ時間帯の場所はありません。

そしてややこしいサマータイムですが、大陸の中南部から東南部に掛けての1/3程度にあたるニューサウスウエールズ州、オーストラリア首都特別区、ヴィクトリア州、タスマニア州、南オーストラリア州が採用しています。サマータイムを採用している州のみ、またはしていない州のみを旅行するなら良いのですが、今回はその両方に行くので非常に気を使いました。

空港で車を拾い、シドニー市街へ。まずホテルにチェックインし、まだ部屋には入れないので荷物を預けて昼食を摂りに出掛けます。少し歩いた所でモノレールを見掛けました。

この日の昼食はRegal Restaurantという店で点心。変なクセもなく美味しかったです。見回すと白人の客が多く、日本人でも扱い辛いプラスティック製の太い箸を使ってみんな器用に食べていました。

11時過ぎにホテルに戻ると、部屋に入れるようになっていました。この日から3泊を過ごすのはヒルトン・シドニー。つい最近改装を終えたそうで、真新しくて豪華です。昨年のシンガポールもそうでしたが、この仕事はイギリスの会社が主催であるせいか、僕達スタッフも会場になる高級ホテルに泊めてもらえます。

自分に不釣り合いであるという事を除けば豪華なのは良いのですが、バスタブにシャワーカーテンがなく、シャワーはガラスで区切られたシャワールームで使うようになっています。そこいらにお湯を跳ね散らかすのが嫌な僕は結局バスタブを使えず仕舞いでした。

また、トイレの水を流す所がレバーではなく大と小の2つのボタンになっています。これはオーストラリアでは一般的な形らしく、滞在中に見たトイレは全てこの形でした。

部屋からの眺め。このヒルトンは事実上のオーストラリアの中心地であるシドニー中心部のシティと呼ばれる場所にあり、周りには大きなビルと古い建物が密集しています。すぐ近くの古い建物が並んでいる一角はシドニースクエアで、手前の時計塔が付いているのがタウンホール、奥がセントアンドリュース大聖堂です。右手前に少しだけ見えている緑色のドームはクイーン・ヴィクトリア・ビルディング、通称QVBの物で、内部はショッピングモールになっています。

今回の仕事のメイン会場はヒルトンですが、僕達がやる現場は少し離れた所で、この日はまだ仕込みも始まっていないので打ち合せだけして夕食に出ます。

今回乗る列車の切符はwebサイト経由で買いましたが、何故か寝台券は窓口に行かないとならないので、この少し前に打ち合せの合間を盗んでヒルトンからすぐ近くのタウンホール駅へ行きました。

シンガポールやハワイへ一緒に行き、この間はモスクワ現場を紹介してくれた同い年の子がヒルトンのコンシェルジェに訊いて教えてもらったのがこの店、Ocean Room。海鮮レストランです。

Ocean Roomはロックスというハーバーブリッジの根元にあたる場所にあり、窓からはオペラハウスが見えるという絶好のロケーションにあります。

何がきっかけになったかは判りませんが、どこかで歯止めが効かなくなった人が伊勢海老の刺身を頼んでしまいました。僕はもう頭がくらくらしています。初日から贅沢三昧ですが、1人で動き始めたら極端な粗食になるのは見えているので今の内に楽しみます。

料理の追加を頼む時、メニューの説明書きがよく解らなかったのでウエイトレスに説明をしてもらっていたら、途中でちょっと待ってて、シェフを連れて来るからと言って一旦いなくなり、連れて来たそのシェフは日本人でした。

翌19日、僕と進行のS君の現場入りは少し遅くて良いという事で、他の人達の後から行きましたが、さあ行こうという段になって初めて正確な場所を知らない事に気付きました。まずはコンシェルジェに相談。ダルトンハウス(Doltone House)というその会場はレストランで、それなりに有名な店なのだろうとタカをくくっていましたが、実は最近出来たばかりだそうでコンシェルジェもよく判らないらしく、色々調べてもらった結果、ダーリング・ハーバーにあると言うのでタクシーでそこへ向かいました。

タクシーを降り、案内看板で探しますが見付かりません。ぽつぽつと開いていた店の何軒かに入って店の人に訊いてみますが、やはり知りません。仕方がないので電話をしてみると、ダーリング・ハーバーではあるけれど湾の逆側との事。とりあえず橋を渡れば良いという事でモノレールが上を走る橋を渡ります。

橋を渡り、チャンネル7というTV局を目指して歩くとようやくダルトンハウスに着きました。ここは元々倉庫だったようで、鉄道の引込線が残っています。そして奥にはハーバーブリッジ。やはりこの橋は目立ちます。

倉庫として使われていた頃の絵を見付けました。いつ頃の姿を描いたのかは判りませんが、遠景の高層ビルを見るとそれほど昔ではないのではないかと思います。

国外の現場にしては珍しく仕込みはスムーズに進み、現地チームとの打ち合せも終了。外は日が暮れ始めました。

倉庫の手前で線路は埋められていて、引込線が残されているのは倉庫の横だけでした。

19時には完全終了、タクシーでヒルトンへ戻ります。助手席に座った僕は、道中インド系の顔立ちをした運転手と何故か世界の都市の人口密度の話をしていたような気がします。

夕食はヒルトンから少し南に下った中華料理屋が集まっている中の一軒、BBQ King。初日の昼食と同じエリアの別の店ですが、やはりここもとても美味しかったです。

20日、本番日。無事仕事を終えて現地チームを1枚。手前から映像のロドニー、照明のスティーヴ、音響のルーク。今までいくつかの国で仕事をして来ましたが、今回入っていたHaycomという会社から来ていた彼らはその中で間違いなく最高でした。腕前が良いのは当然と言えば当然ですが、その上に国外ではおろそかになりやすい全体スケジュールの管理や変更に対する柔軟性等、いくつも良い点がありました。そして何より人懐こい人柄がとても仕事をやりやすくしてくれました。

夕食はGolden Century Seafood Restaurantという店で今夜も中華。なんとアワビのしゃぶしゃぶです。アワビの身も美味しかったのですが、出汁がきいたスープが泣けてくる程美味しく、みんなであっと言う間に飲み干してしまいました。

21日、この日からオフです。今まで時間が合わなくて食べられなかった朝食バイキングはマッシュルームのソテーが美味しく、期待通りでした。ジャムが小瓶に入っているのも高級ホテルらしいです。

朝食の後、S君と一緒にヒルトンからチェックアウトして同い年の子が取ってくれた別のホテルへと移ります。

他の人達はヒルトンで本番がありますが、僕とS君は御役御免。なので2人で街をぶらつきます。モノレールの駅を見掛けましたが、これは単独行動になってからのお楽しみに取っておきます。

とりあえずどこに行く目当てもないので、ハーバーブリッジ目指して歩きます。ロックスのOcean Roomの先で露店が集まった場所に出ました。この露店街は有名なのだそうです。

別にこれといって欲しい物はありませんが、露店を冷やかして回ります。

左上:シンプルながら妙に可愛い皿。なんとなくキース・ヘリングの影響があるような気がします。
右上:スタッフド・オリーブの店。キャッチフレーズの「Get, Stuffed Olives」から「Olives」を抜くと「あっちへ行け」とか「クソ喰らえ」という意味になるのでギリギリの線を狙っているのでしょう。
左下:幾何学的な形のペーパークラフトキット。他にも色々な形があり、なかなかの物でした。
右下:三輪バイクのトライク。多分、後に乗せてくれるのだと思います。

ハーバーブリッジを歩いてみたかったのですが、どこから昇るのかよく判らないので引き返します。

シドニー市街地の南側は開いた右手を手の甲の側から見たような形になっています。手の甲の左側がシティの中心部でヒルトンやタウンホールがあります。親指と人さし指の間がダーリングハーバーでダルトンハウスはその親指側、人さし指と中指の間は半分繋がっていて港があり、中指がロックス。ハーバーブリッジはその先から伸びています。

薬指の先に相当する場所にあるオペラハウスもロックスから見えます。写真では何度も見た建物ですが、いまいちどういう形をしているのか解りません。

初日に行ったレストラン、Ocean Roomの前を通り掛かると、その向かいにLa Melaというイタリアン・レストランがありました。時間は11時半少し前、僕もS君も空腹になりつつあったので入ってみます。

ピザとパスタ、それにサラダを頼んでふと上を見ると、なかなか良い雰囲気でした。

料理が来ました。ゴロゴロと転がるオリーブが嬉しいです。ビールはS君がオーストラリアで一番メジャーなヴィクトリア・ビター、通称VB、僕はOcean Roomで呑んで気に入ったジェームス・ボーグスです。

食事を済ませてまた歩きます。中指と薬指の間の股の部分はサーキュラー・キーという場所で、各方面に向けてのフェリー乗り場になっています。

そして薬指の先にあるオペラハウスへ。横から見るよりもはるかに複雑な形をしているようです。

ここまで来てようやく、オペラハウスが3つの建物の集まりだと解りました。中央と右が大きく、左はずっと小さいです。

正面の広場にはLEDのアレイが組み上げられ、ちょうど今メルボルンで開催されているテニスの4大国際大会の1つ、オーストラリアン・オープンの中継が流されています。アメリカン・エクスプレスがスポンサーになっているようで観戦用の椅子も用意されていますが、囲みの中に入って行き辛いのか、みんな階段に座って観ています。

中央と右の間から中に入れました。入ってすぐの所にはポスターが貼られていて、その中にはオリビア・ニュートン・ジョンの物もあります。僕の世代でオーストラリア出身のミュージシャンと言えば、まずそれが売りでもあったMen at Workの名が挙がり、そしてこの人やAC/DC(ヤング兄弟の産まれはスコットランドのグラスゴーですが、小さい頃に移住)が思い浮かびます。また、キャリアの初期からアメリカで活動していた事もあって意外な感じもしますが、リック・スプリングフィールドもオーストラリア出身です。

オリビア・ニュートン・ジョンとMen at Workは'00年のシドニーオリンピック開会式に出演していて、やはりこの人達が国を代表するミュージシャンなのかと思うと同時に、新しい人は出て来ていないのかとも思いました。

他にはチケット売場や土産物屋があり、オペラハウスのペーパークラフトが売られています。その完成サンプルを見たおかげで、ようやくここの形がはっきりと理解出来ました。

周りをぐるっと回れる道があったので行ってみます。見る角度でどんどん表情が変わって行くのが面白いです。

薬指の一番先に出ました。当然ながらハーバーブリッジが見えます。中央部にはハート型のイルミネーションらしき物があります。

一周して元の場所に戻った時に日本からの電話が入りました。いつもは国外に出てしまえば電話は不通、用事はメールでという形にしていましたが、さすがに今回は期間が長いのでローミング用の端末を借りています。

S君は行きたい所があるというので、サーキュラー・キーの駅近くで別れます。ならば、という事で早速列車に乗ってみます。券売機の使い方がよく解らなくてまごついていると、後で業を煮やした子連れのおばさんが教えてくれました。

サーキュラー・キーは高架駅で、ホームからハーバーブリッジとオペラハウスを同時に眺められます。駅からの眺めとしては世界有数の豪華さなのではないでしょうか。

少し待つと、使い込まれた感じの2階建て電車が入って来ました。街中で見掛けた限りではもっと新しそうな車両も多かったので、これは多分残り少ない旧型車なのでしょう。

当然のように2階へと上がります。椅子は転換式クロスシートで、標準軌な事もあって車体が大きく、2+3の5人掛けです。車内はガラガラで、どうもこの車両には冷房が付いていないらしく窓が開いていました。

目的地はシドニー・セントラル。サーキューラー・キーからは3駅目、時間にして10分足らずなので運賃は$2.20と安いです。オーストラリアはGST(Goods & Service Tax)と呼ばれる消費税が一律10%掛かるので、運賃本体は$2.00です。

オーストラリアドルの為替レートは$1が大体85円辺りで上下していて、僕が成田で両替をした時には87円程度。レシートを紛失してしまって正確な金額が判らないのですが、アメリカドルでは$1該り2〜3円程度の手数料が何故か10円近くと異常に高く、滞在中は$1=100円で換算していました。

お金の写真を撮り忘れてしまいましたが、オーストラリアの紙幣はプラスティック製で一部が透明になっています。その昔英会話の学校に行っていた頃、もう何年も国に帰っていなかったジェリーというオーストラリア人の教師がオーストラリア旅行から帰った生徒にその紙幣を見せられて、こんなの初めて見たと驚いていたのをよく覚えています。硬貨は全体的に大振りで、特に12角形の50セント硬貨は物凄く大きく分厚くて扱いに困りました。

地下区間を抜けてシドニー・セントラルに到着。パンタグラフを載せている部分だけ屋根が切り欠かれているのは583系と同じだな、とか思いながら列車を眺めていると連結部に眼が行きました。連結器の上に渡り板があり、貫通幌はなし。代わりに左右に板が付いています。こんな面白い構造になっているのなら通りたかったのにと悔しがっても後の祭り。この列車はここが終着駅ではないので、さっさと出て行ってしまいました。

僕が出た出口はこの駅の正面ではありませんでした。それでも、ここもなかなか良い感じです。

駅の外周をぐるっと回り込んで別のホームへ。シドニー・セントラル駅には両方向への出入りが可能な通勤電車が使うホームと、長距離列車が使う頭端式ホームの両方があります。

コンコースは天井が高くて広々としていて、構内のファーストフード店のテーブルも出ていて賑やかです。古い建物の雰囲気はここに限らずヨーロッパ風で、やはり宗主国であったイギリスの影響が強いのでしょう。街を歩いていると道が妙に細く、なんでこんなに土地が余っている国でとも思いましたが、もしかしたらそんな所もイギリスに似てしまったのかも知れません。

天井から下がっているバナーはスウェーデンの家具チェーン、Ikeaの物。ロスアンゼルスに住み始めた時、アパートの契約の次に連れて行かれたのがIkeaでした。元々は「イケア」と読むらしいのですが、アメリカでは「アイケア」と呼ばれていて、僕もそれで覚えてしまいました。

駅舎の正面にはシドニー唯一の路面電車、メトロライトレールが来ています。この路線は複線ですが、ここでは単線のループ線になっています。

駅舎の端には時計塔もあります。この写真で判る通り駅舎は上げ底になっていて、メトロライトレールの線路の下を道が通っています。

駅から10分程歩いてホテルへ。Hotel Stellarというこのホテルは、ホテルと言うよりもコンドミニアムで、食器や調理器具まで揃ったキッチン付きです。バスルームにはバスタブがなく、シャワーのみでした。

部屋に入ったのは15時頃でまだまだ出歩ける時間がありましたが、シドニーにはまだしばらくいるし、なんとなく疲れてしまったので、溜まったメールを捌いたり全くルールが解らないクリケットの試合をTVで観たりして過ごしました。

17時頃に一度外に出て、こちらではボトルショップと呼ばれる酒屋へ。このホテルには3泊するので大きめの水や、翌日の街歩き用にコンビニで買うと$3もするペットボトルのジュースも買います。こちらのペットボトルは日本のそれよりも一回り大きく、600ml入りです。メントスの隣にある袋はピーナッツのキャンディがけ。ロックスの露店で試食したら美味しかったので小さいのを買いました。

街を歩きながら食事を摂る所も探していましたが、やはり1人で入れるような店はファーストフードがほとんどで、まあいいやという事で今日の夕食はこれだけ。欠食生活の始まりです。

第6-8日 / 1月22-24日へ(制作中)

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