ローカル私鉄が好きで以前からあちこちで乗っていますが、首都圏近傍の日帰り圏内にも小湊鉄道や銚子電鉄等、いくつものローカルな私鉄があります。中でも茨城県は宝庫と呼べる程に色々な線があり、いつか乗り回ってやろうと旅程を立ててありました。

しかしその旅程の中の1路線、日立電鉄の廃線が決まってしまいました。最終営業日は'05年3月31日。この線は水郡線の常陸太田支線を乗るのにも重要な線でもあります。早く行かねばと思いつつもなかなか足が向かず、そうこうしている内に年が明け、3月。毎年恒例のツアー仕事の合間に行く事となりました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
西船橋
06:26発
512B
総武本線
船橋
06:29着
06:36発
443F
エアポート成田
佐倉
07:08着
07:12発
成田線
成田
07:25着
07:28発
427M
佐原
08:01着
08:15発
527M
香取
08:19着
08:20発
鹿島線
鹿島神宮
08:37着
08:46発
132D
鹿島サッカースタジアム
通過
鹿島臨海鉄道
大洗鹿島線
水戸
10:09着
10:32発
2737M
常磐線
勝田
10:39着
10:42発
 
茨城交通
湊線
阿字ヶ浦
11:08着
13:15発
 
勝田
13:42着
14:14発
371M
常磐線
常陸多賀
14:33着
常陸多賀ー鮎川間徒歩移動
鮎川
15:50発
 
日立電鉄
常北太田
16:27着
常北太田ー常陸太田間徒歩移動
常陸太田
17:25発
538D
水郡線
上菅谷
17:40着
17:44発
846D
水戸
18:00着
20:49発
1060M
フレッシュひたち60号
常磐線
日暮里
通過
東北本線
上野
22:04着
22:15発
2171G
東京
22:22着

こうやって期限ぎりぎりに出掛ける度にもう少し余裕を持って行動しないとと思いますが、同じ事を繰り返しているところからすると、全く反省はしていないようです。

地下鉄で西船橋に出て、6時26分発の512Bで船橋へ。ここで乗り換えをする度に不思議に思いますが、西船橋は総武本線、武蔵野線、地下鉄東西線、東葉高速鉄道が一堂に会する一大ジャンクション駅なのにホームを増築して総武線快速を停めないのは謎です。

船橋から成田までは443F快速「エアポート成田」に乗ります。単なる通勤電車ですが、千葉を過ぎると一気に風景が変わり、旅行気分になって来ます。成田での接続は良くて、3分間の乗り継ぎ。次の427Mはスカ色と呼ばれるクリームと紺のツートンカラーの113系でした。

佐原には8時1分着。ちょうど同じタイミングで向こうのホームに入り、通勤客を大量に降ろしているのが次の列車ですが、発車まで10分少々時間があるので駅舎に入っている立ち食いそば屋に入りました。

立ち食いそば屋の店内には仕切りがあり、ホームからも外からも入れるようになっています。仕切りの位置はかなりホーム寄りで、外からの利用客の方が多いようでした。

天玉うどんを食べ終え、8時15分発の527M鹿島神宮行きに乗ります。またスカ色の113系で、昔は横須賀線もこの形式でした。来た時に通勤客をいっぱい乗せていたのとは対照的に、車内は空いていました。

香取から鹿島線に入り、利根川を渡った先の潮来で183系の列車と行き合います。調べてみると、鹿島神宮から佐原までは普通列車として走っている東京行き「あやめ4号」でした。今乗っている113系もこの183系も国鉄型なだけでなく、塗装も当時のままで房総半島には未だ国鉄の匂いが強く残っていますが、車両のみならず国鉄千葉動力車労働組合、通称動労千葉も活動を続けていて、たまにストを起こしたりもしています。

この列車の終着駅、鹿島神宮の手前では長い長い鉄橋を渡ります。北浦を渡るこの北浦橋梁は長さ1,236m。河川を渡る鉄橋は前後に河川敷等があって水がある部分は比較的短い場合が多いのですが、ここはほぼ最初から最後まで眼下になみなみとした水量の北浦が広がり、とても気持ちの良い車窓が楽しめます。

8時37分、鹿島神宮着。ここからは左に見える2両編成のディーゼルカーで鹿島臨海鉄道へと入って行きますが、ここは路線と列車の扱いが他と違うちょっと特殊な形になっています。

8時46分に鹿島神宮を発車した鹿島臨海鉄道の132Dは北へと向かい、まず鹿島サッカースタジアムという駅を通過します。この駅は昔、北鹿島という名前の貨物駅でしたが、現在は駅に隣接する鹿島アントラーズの本拠地、カシマサッカースタジアムで試合がある日のみ旅客営業をしていて、鹿島線はここまでがその区間となっています。しかし、鹿島神宮ー鹿島サッカースタジアム間はJR東日本の路線であるにも拘わらずJRの列車が入る事はなく、全て鹿島臨海鉄道の列車が走っています。

鹿島臨海鉄道はその名の通り、貨物輸送を主眼として'70年11月に北鹿島ー奥野谷浜間で運行を開始した会社ですが、パイプライン落成前に成田空港への航空燃料輸送をしていた関係で、地元への見返り事業として'78年7月から'83年11月までは旅客輸送もしていました(と言っても単行のディーゼルカーが日に3往復するだけだったそうです)。区間は鹿島神宮から北鹿島を経由して奥野谷浜の手前の鹿島港南までで、北鹿島で進行方向を変えて南へと向かっていました。国鉄の列車はこの当時から鹿島神宮以北には入らず、鹿島臨海鉄道の列車のみが走っていました。

航空燃料輸送の終了と共に旅客輸送も終り、本業の貨物輸送のみに戻った鹿島臨海鉄道でしたが、その後また旅客輸送を始める事になります。鹿島線は本来水戸まで繋がるはずの路線で、'70年に北鹿島まで開業した後も北に向けて工事は続きましたが、かなりの部分が出来上がった'83年、工事中の国鉄路線を極力私鉄や第三セクターに譲渡せよとの勧告があり、その受け皿となった鹿島臨海鉄道が鹿島神宮ー北鹿島ー水戸間に旅客列車を走らせ始めたのは'85年3月の事でした。

この水戸への路線は大洗鹿島線と名付けられ、貨物専用線の鹿島臨港線と共に旅客/貨物二本立ての営業が今日まで続いています。

この日は本当によく晴れた日でした。雲は出ていますが、完全な快晴よりも白い雲が適度に浮かんでいる方が晴れを実感します。

大洗鹿島線は単線非電化ではありますが、設計が新しいので直線主体の高架橋とトンネルを数多く擁する新幹線のような路線です。踏切は水戸駅構内にあるだけだそうで、その気になれば相当な高速列車を走らせられそうです。

10時9分、水戸着。構内に入ると、横腹に白い2本線を引かれて訓練車と書かれたボンネット型485系が留められていました。

ホームからは機関車が溜まっているのも見えます。右側4両は上野でも見られるEF81、左の2両は交流機なので取手以北でしか見られないED75です。以前は東北地方の客車列車と言えばかなりの割合でこのED75が牽いていましたが、普通客車列車がなくなり、ブルートレインも牽かなくなってしまった最近ではめっきり接する機会がなくなってしまいました。

今日は茨城県のローカル私鉄3路線に乗りますが、次に乗る茨城交通は水戸の隣の勝田から出ているので、水戸発10時32分の2737Mに乗ります。

勝田着10時39分。次の列車までは3分間しかないので、JRの改札内にある茨城交通のホームへと急ぎます。ホームの手前には小さな改札と券売所があり、財布を取り出しながら奥を見ると、随分と懐かしい形のディーゼルカーが1両でぶるんぶるんと身体を震わせていました。

後で調べたところ、横腹にキハ2005と書かれたこのディーゼルカーは'66年製で新製当初は北海道の留萌鉄道を走り、留萌鉄道が'69年に休止された後の'70年にこの茨城交通に移ってきました(留萌鉄道は'71年に廃止)。車体の設計は国鉄キハ20系の寒冷地型キハ22を基にしていて、排気管が車体の中央にあり、その部分だけ網棚が途切れて背当ても分厚くなっています。

車内はワンマン運転の為に料金箱が設置されている以外は昔のままのようで、床は板張り。なんとなく'70年代にタイムスリップしたような気分になります。

茨城交通では他にも羽幌炭礦鉄道からやって来たキハ22、国鉄から鹿島臨海鉄道や水島臨海鉄道を経由してやって来たキハ20が新型のレールバスに混じって現役で走っていて、旧型ディーゼルカーの宝庫となっています。

更に、つい最近まで走っていたキハ11(登場時はキハ48000)という車両は国内初の液体変速式ディーゼルカーで、廃車になった後、茨城交通のサイトで貰い手を募集していました。どうなるかなと見守っていましたが、'07年秋に大宮で開館予定の鉄道博物館に展示するためにJR東日本が引き取って行きました。JR東海も茨城交通からキハ11を譲り受け、現在は飯田線の中部天竜駅構内の佐久間レールパークに保存されています。

路線のちょうど真中辺りにある那珂湊という駅が中核駅らしく、列車交換施設や車両庫があり、国鉄色に塗られたディーゼルカーや茶色いディーゼル機関車が留まっていました。

車窓は家並みがあり、田畑がありと至って普通でしたが、終点の阿字ヶ浦の直前で突如平野に出て、なんとなく北海道を思わせる風景が広がりました。

阿字ヶ浦着は11時8分。ホームから線路に降りて駅舎へ向かうという、いかにもローカル駅らしい造りでした。

ホームは5〜6両程度なら停まれる長さがあり、脇には機関車付け替えに使う機回し線もあります。その昔、海水浴客を満載した臨時列車が上野からここまで直通していた時代もあり、これはその名残だと思われます。

奥にいるディーゼルカーは海水浴客用の無料更衣室として使われているとも聞きますが、実質は放置に近いようで塗装が剥げて錆が浮き、床下のエンジンも降ろされていました。

駅舎は木造で、なんとも良い風情が出ています。ここでは海まで出て昼食を摂るつもりなので、駅前の案内看板でおおよその方向を掴みます。

いかにも海水浴場へ向かう道、という感じの下り坂を歩き、途中で民宿にしか行けない私道に迷い込んだりもしつつも15分程で海へ出ます。海水浴シーズン前だからなのか、海岸近くはほとんど人影もなく、がらんとしていました。

昼食は海沿いのこの店。海の親子丼というのを頼みました。海の幸が売りの店ですが、いつも来ているのか、カレーを食べているサラリーマンがいる一方で真っ昼間からアンコウ鍋をつついているおばさん2人組もいました。

食後の腹ごなしも兼ねて海岸を散歩します。いい歳をした男が独りで波と戯れている光景はあまり見れた物ではありませんが、とりあえず周りには誰もいないので気にせず遊びます。

久々の波打ち際を堪能して駅に戻ります。その途中、小さなおにぎりとマグロの刺身が4切れ、材木の上に置いてあるのを見付けました。何かのお供えなのか、それとも鳥か何かの餌なのか判りませんが、いずれにしても豪華だと思います。

勝田へ戻る列車は特に決めておらず、時間をちゃんと調べていなかったのが徒となって、駅が見えたと同時に来る時に乗ったキハ2005が出て行ってしまいました。今逃した列車は12時43分発で、次は13時15分。まずは駅前の神社を表からちょっと覗きます。

続いて駅を改めて見て回ります。この角度で見て初めて気付きましたが、改札の奥に見えるコンクリート製の四角い塔はもしかしたら蒸気機関車用の給水塔かも知れません。ホーム手前側のレールには錆が浮いていて、奥側しか使っていないようでした。

駅の周りをうろついたりベンチに座って呆けたりしていると、踏切の警報音が鳴ってレールバスが家並の間から姿を見せました。普段都内で移動する時には5分も電車が来ないとうんざりする癖に、こういう場所では30分待たされてもあっと言う間に感じてしまいます。

勝田着は13時42分。次に乗る常磐線の371Mまで少し時間があるので、その間は構内の喫茶店で過ごしました。

次は今日のメイン、日立電鉄です。常磐線とは勝田から3駅目の大甕(おおみか)で接続していますが、線路はその先の常陸多賀と日立の間まで伸びているので常陸多賀で降ります。

常陸多賀から日立電鉄の始発駅、鮎川までは直線距離で約2Km。事前に調べた道筋に沿って歩きます。相変わらず天気が良く、汗がじっとりと額に浮かびます。歩いていると、踏切注意の道路標識を見付けました。これもあと1週間で外されてしまうのでしょう。

踏切を越えて左に曲がると桜川駅。この辺りはさすがに日立のお膝元だけあって、どこを見ても日立関連の施設ばかりです。桜川の駅も例外ではなく、駅舎の逆側は工場の敷地に直接繋がっていました。

線路は国道245号線に沿って走っているので、僕も線路と国道の間を歩きます。暫く行った頃、鮎川へ向かう赤い列車が轟と音を立てて走って行きました。

随分と歩いて鮎川駅に着きました。画像のタイムスタンプを見ると、40分程掛かったようです。

着いた直後に常北太田行きの列車が出て行きました。今日はよく目の前で列車が出て行く日です。

駅舎の中には廃線を報せる張り紙が何枚かありました。券売機は大甕乗り換えのJR東日本連絡の切符も買えるタイプですが、子供料金のボタンが板で隠されているのは懐かしい感じがします。

事務室にあった今月の目標。

ホームには気取った雰囲気の女の人がいて場違いな感じを受けましたが、何かの収録でした。この次の列車に乗るのかと思ったら、撮り終わったらさっさと車でどこかに行ってしまいました。

日立電鉄は営団地下鉄銀座線から譲り受けた車両を使っています。銀座線はレールの横にもう1本電源供給用のレールを敷いた第三軌条方式という集電方法ですが、日立電鉄は普通の架線なのでパンタグラフが付けられています。銚子から出ている銚子電鉄も同じく銀座線の車両を使っていますが、そちらも同様にパンタグラフを付けています。

鮎川駅は常磐線沿いにあるので、横を頻繁に列車が通ります。電車が多いですが、たまにEF81牽引の貨物列車も通ります。

先頭には特製のトレインマークが掲げられています。アートトレインとある通り、車内には幼稚園児が描いた日立電鉄の絵が沢山貼られていました。

逆側の先頭にも同じマークがありました。あと1週間で廃線、最後の金曜日を迎えた路線ですが、写真を撮ったりしている人は僕以外に数人いるだけで至って平穏です。

車内もがらんとしています。扇風機には営団地下鉄のSマークがそのまま付いていました。

グッズ販売の車内吊り広告。左のクリームとオレンジの塗り分けが旧塗装なのだそうで、この色に塗られた車両もいるそうです。

懐かしい車内灯はそのままでした。銀座線でこの車両が走っていた頃、走行中に車内が暗くなる事があり、その時にこの車内灯が点灯していたはずです。はずですと曖昧な言い方になっていますが、母方の祖母が以前表参道で喫茶店をやっていたので中学高校の休み期間にその店でアルバイトをしていて、銀座線での行き帰りに車内が暗くなった覚えがないのです。車内が暗くなるのは集電用レールの途切れる場所なのですが、銀座線と同じく第三軌条方式の丸ノ内線(荻窪から出掛ける時によく乗っていました)の車内が各駅の手前で暗くなるのはよく覚えています。

網棚の上の広告スペースには地元の幼稚園児の絵が貼られています。ざっと見た限りではみんな一様に横から見た絵ばかりで、正面からの絵がないのは不思議でした。

春休みなのか、小学生らしい子供がカップルで来ていました。2人であちこち見て回っていて何をしているのかと眺めていたら、スケッチブック持参で写生に来ていたようでした。

後ろ側の運転台からの眺め。この時はEF81が何も牽かずに走っているように見えましたが、後でよくよく見てみるとこちら側に空荷のコンテナ貨車を繋いでいました。

鮎川から常北太田の切符は¥700。

日立電鉄の廃止の理由は利用者減や赤字経営もありますが、施設や車両の老朽化に対して投資するお金がないというのもあったようです。当然廃止反対運動もあり、岡山で路面電車を走らせている岡山電気軌道(なんと無借金経営なのだそうです)が経営支援に名乗りを挙げたりもしましたが、結局条件が合わずに話が流れてしまいました。

岡山電気軌道は他にも廃止にされそうな路線の支援に積極的で、名古屋鉄道のローカル4線区は折り合いが付かずに廃止になってしまったものの、南海電鉄の貴志川線は'06年4月から岡山電気軌道が新しく設立した和歌山電鐵に経営が引き継がれる事になりました。

常磐線との接続駅、大甕にて。左にちょっとだけ顔を見せているのが旧塗装の車両です。

日立電鉄がの乗客が増えるのはこの大甕から先のようで、地元の学生やおばさんが結構頻繁に乗り降りします。他のローカル私鉄と同じく無人駅では前の車両のドアが2枚だけ開くのですが、意外な程多くの駅で全部のドアが開きました。

16時27分、常北太田着。車両基地を兼ねているので2両編成の車両が何本も留まっていましたが、休車になっている編成も多いようで、長い間動いていなそうな汚れ方をしていました。

常北太田の駅舎の中は自動販売機が何台も置かれている以外は昔のままという感じで、駅員のおばさんが切符を集めていました。壁には廃止のお知らせや昔の写真が貼られていますが、線路内立入禁止やフラッシュ撮影禁止といった内容の真新しい物も目立ちました。

常北太田から常陸太田までは100mあるかないかの距離で、その間には大きな歩道橋が架かっています。

上の写真と同じ歩道橋からは常陸太田の駅も見え、本当に目と鼻の先という感じです。

歩道橋は水郡線を越えた先まで続いています。何本もの線路に車両がいっぱい留まっていて賑やかな常北太田とは対照的に、常陸太田は1組のみのレールがホームの端でふっつり途切れていました。

こうやって地図で見ると、何故線路を繋げなかったのか不思議になります。

次の列車まで1時間ほど空くので、駅前の古本屋で古い時刻表を買ったりしつつ時間を潰します。

常陸太田からは17時25分発の538Dで移動します。キハ110系と言う最近のディーゼルカーが来ました。

夕日が家や橋や丘をスクリーンにしてディーゼルカーの影を映しています。一瞬の事なのでこの写真しか撮れませんでしたが、線路脇の建物に影が落ちた時には屋根上のアンテナや台車の形まで鮮明に映し出されていました。

常陸太田からの列車の終着は本線への接続駅、上菅谷で、ここでまた同じ形式のディーゼルカーの846D水戸行きに乗り継ぎます。この列車でもディーゼルカーの影を楽しめましたが、間もなく夕日が没すると代わって真ん丸な満月が主役の座に座り、川の水面にその姿を映した時には思わず声を上げそうになりました。

18時ちょうど、水戸着。後は東京へ帰るだけで、まだ時間があるので呑み屋を探します。

駅前のやたらと広いペデストリアンデッキに出ると、まだ残っていた夕焼けが西の空を赤く染めていました。

跨線橋から線路を見下ろすと、昼間見掛けたボンネット型485系が留まっています。

良さそうな店を探してあちこち歩き回ります。その時に通ったこの商店街は、途中に鳥居があって水戸東照宮と直結していました。

これという店が見付からないまま1時間近く徘徊した後に入ったのは、駅前から伸びる目抜き通り沿いのてんまさという名の店。決め手になったのは納豆コース料理。納豆天ぷら、納豆山かけ、梅納豆、納豆オムレツ、納豆汁、ライスのセットで、納豆が大好物の僕には非常に引きが強いメニューでした。

僕が座ったのは4人掛けテーブルで、もう1つのテーブルと合わせてボックス席のようになっていました。他方のテーブルには3人組のおっさん達が焼酎のボトルを囲んで呑んでいて、その会話を聞くともなしに聞いていると、どうもJRの人のようでした。

昇格試験を受けてみようかと思ってる、組合が、社民党が、といった内容の会話を聞きつつ納豆料理を平らげていると、あれは労働闘争であって今度の選挙は政治闘争だから絶対に勝たなきゃいかん、という少し時代掛かったような言葉が耳に入りました。国鉄からJRになって良くも悪くも色々と変わりましたが、年格好からして国鉄時代に入職したと思われるこの世代の人達はあまり変わっていないのかも知れません。

考えてみると、自分も自分の周りの人達も基本的な行動論理は金に基づいています。でもそれとは少し違うこういう人達の生き方も興味深いな、もっとここで話を聞いていたいな、と思いながら生ビールを流し込んでいましたが、おっさん達は焼酎のボトルを空にするとさっさと店を出て行きました。

水戸からは20時49分発の1060M「フレッシュひたち60号」で上野まで帰ります。車内はスーツ姿のビジネス客で結構混んでいました。

山手線で東京へ向かい、丸の内口を出ると満月がその輝きをますます増していました。絵に描いたような青い空と白い雲、ディーゼルカーの影を綺麗に映し出していた夕日、そしてこの満月と、本当に天候に恵まれた一日でした。

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