最近TVを全く観なくなったせいもあり、今年の年越しは気が付かないまま過ぎて行きました。例年なら12月〜1月はとても暇なのですが、今年は5日に色々な国籍の白人モデル20人が出る下着のファッションショー付きで矯正下着メーカーの新年式という仕事が大阪であり、その準備に追われていたのも原因でした。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
大阪
09:33発
1D
はまかぜ1号
東海道本線
神戸
09:56発
山陽本線
姫路
10:40着
10:45発
播但線
和田山
11:51着
11:52発
山陰本線
浜坂
13:12着
15:12発
178D
餘部
15:26着
16:08発
180D
城崎
16:49着
17:03発
3028M
北近畿18号
福知山
18:04着
18:06発
福知山線
尼崎
19:39着
19:40発
東海道本線
新大阪
19:53着
20:20発
288A
ひかり288号
東海道新幹線
東京
23:13着

仕込みが徹夜の上、東武鉄道やらシドニー五輪選手団やらのユニフォームを作ったらしいとんでもなく我儘なおっさん(僕は本人に会うまでその存在すら知りませんでしたし、二度と関わりたくもありませんが)と夜中に3時間程2人っきりで選曲をする破目になったりで結構辛かった現場が終わり、打ち上げでテルミンやメロトロンやレズリーの回転スピーカーネタで死ぬ程笑った翌日、余部鉄橋へと向かいました。

この日のスタートは大阪駅のすぐ近くのビジネスホテル。線路脇なので部屋からの眺めがとても楽しく、前夜には「富士」が西へ向かうのが見え、この朝も新快速や関西空港行きの特急「はるか」等、東京では見られない列車を色々と眺められました。

9時過ぎにホテルを出てみどりの窓口へ。最初に乗る大阪始発の1D「はまかぜ1号」は禁煙指定、禁煙グリーン、禁煙自由、喫煙自由が各1両の4両編成なので必然的に自由席にしようと思っていましたが、禁煙指定が満席で、喫煙指定に空きがありますよと言われたので、そんな車両あったっけと思いつつ指定を取りました。

ホームへ上がり、売店で朝食を買って少し待つと「はまかぜ1号」が入って来ました。年末年始は乗客が多いのか、6両編成でした。車両はキハ181系で、僕とは因縁浅からぬ「いそかぜ」と同じ形式ではありつつも「いそかぜ」は国鉄カラー、「はまかぜ」はリニューアルされた色に塗られています。

その「いそかぜ」ですが、遂に春のダイヤ改正で廃止が決定になり、キハ181系で定期運用される列車はこの「はまかぜ」のみになります。始めてから2年に満たないこのサイトですが、既に過去帳入りした物がかなり増えてしまいました。

9時33分、「はまかぜ1号」は勇ましいエンジン音と共に大阪を出発、すぐに淀川を渡る鉄橋に差し掛かります。乗客は疎らで、この喫煙指定の車両には僕とおじさんが1人だけ、他の車両もかなり閑散としていました。

東京近辺と違って大阪には貨物専用線が少ないので、頻繁に貨物列車と擦れ違います。しかし、毎回気付いた時にはもう機関車は通り過ぎていて、コンテナの列が窓の外を流れて行くのを眺めるのみでした。

大阪駅ホームで買ったおむすび。あまり美味しくはありませんでした。

列車は三ノ宮、神戸と停車しながら段々と乗客を増やしていきます。

神戸を出て少し行くと、左側に明石海峡大橋が見え始めます。なかなか近付いて来ないな、と少々焦れながら見ていると、舞子という駅を跨いだ形で架かっていました。

'03年にここを「なは」で通った時は橋全体がライトアップされていてとても綺麗だったので、通るなら夜の方が楽しいかも知れない、と思う一方で、加古川駅の近くにあった煉瓦造りの工場が印象深かったので、やはり昼の方が良いと思います。

10時40分、姫路着。ここで家族連れを中心とした乗客が一気に増え、空席は数える程になります。姫路からは播但線に入るので列車は進行方向を変え、今通って来た線路を右側に見つつ、北へと向かいます。進行方向には山々が見え、いかにもこれから陰陽を越えるぞといった雰囲気が伝わって来ます。

11時17分発の寺前にて。播但線が電化されているのは姫路からここまでで、普通列車はここを境に運転系統が完全に二分されています。よって、ここでは南側を走る103系と北側を走るキハ40系が顔を合わせます。

山間に入るにつれ、段々と雪深くなっていきます。ピークはこの生野辺りで、また段々と雪が減り、山陰本線に合流する和田山からは殆ど見られなくなりました。

間に数年ブランクがあったものの、コンパニオン時代も含めるともう随分と長い間一緒に仕事をしているMC(レースクイーンもやったりしていたようです)がいるのですが、彼女の出身地が昨夏の洪水で大きな被害を被った豊岡なので、実家は無事だったものの市内は半分水浸しになり、濁流の中に取り残されたバスの屋根で一晩立ち通した人達の中に彼女の叔父さんがいた等の話を聞いていました。

それを踏まえた上で豊岡の町を見ていましたが、気付いた限りでは水田の一部に泥流の後があり、その上に土嚢が積まれていたのが唯一それらしい物でした。多分、歩いて回れば未だあちこちに傷跡が残っているのでしょう。

豊岡で結構な数の乗客が降りましたが、見たところ観光客風の人は少なく、その先の城崎、竹野、佐津、そしてホームに大きなカニの置物がある香住で続々と家族連れが降りて行きます。みんなJR西日本の企画商品「かにカニ日帰りエクスプレス(往復の運賃、指定席特急券、カニ尽くしの昼食がセットになった格安プラン)」で来ているようで、高まるカニへの期待からか、ホームを歩く各々の顔からは綻んだ表情が見て取れます。

この香住には「途中下車の味」の作中、宮脇氏が元気のいいおばさんにどやしつけられつつも朝8時半から松葉ガニを食べた民宿「ひさや」があります(おばさんも元気だそうです)。食にはかなりうるさかったと見える宮脇氏が絶賛していた所なのでいつか行きたいと思ってはいますが、タイミングが良くないと1人客は取らないようで、僕がおばさんにどやしつけてもらうには運も必要なようです。

香住を出るといくつかのトンネルを抜け、絶景を眺められる駅として有名な鎧を通過し、またトンネルに入ります。いよいよ余部鉄橋です。前方が明るくなり、視界が開けると、正に空中に放り出されたような車窓が広がります。その瞬間、総身の毛が逆立つと言うか、なんとも形容のし難い感覚が僕の身体を駆け抜けて行きました。それなりにあちこちで列車に乗って回っているつもりではありますが、こんな車窓は初めてです。

13時12分、浜坂に到着。当初目論んでいたかなり無理のあるプランでは、13時17分発の豊岡行き174Dに飛び乗って餘部へ向かうというのもありましたが、「はまかぜ1号」が到着してからあまり間を置かずに線路を跨いだホームから発車して行ったので止めておいて良かったです。

色々と車窓が楽しかった「はまかぜ」ですが、もし乗るのでしたら太平洋と日本海の両方を眺められるD席を強くお勧めします。

駅の外に出ると、小雨がパラついていました。浜坂ではきっかり2時間の空きがあります。ちょうど昼時だし、冬にこの辺りに来たのなら当然カニを食べたいと思います。しかし観光案内所は無人で、駅前の商店街にはそれらしい店は見当たりません。仕方がないので地図を見てそれらしき物がありそうな方向へと歩きます。

線路を左に見ながら歩き、踏切がある辺りで右に曲がり、まっすぐな道を海があると思しき方向へ進みます。行き止まりがT字路になっていてどちらに進むか少し考えましたが、大した根拠もなく左に向かうと少し行った所にそれらしき建物が見えて来ました。

とりあえず食事は摂れそうなので、すぐ近くの浜辺へ行ってみます。ここで左を向くと浜坂漁港があります。この辺りは本州の中でもかなり幅が狭い所だとは言え、さっき太平洋を見ていたはずなのに今は日本海の浜辺に立っているのは不思議な気分です。

浜辺から取って返して2軒ある水産物屋の浜寄りの方に入り、日本海カニづくしというのを頼みます。内容は茹でガニが丸1杯、雑炊にもなるカニ鍋、カニの陶板焼き、甘エビの刺身が5匹。カニが相手なので少なくとも¥5,000程度は払うつもりでいましたが、メニューのどれを見てもそんな値段の物はなく、この日本海カニづくしもかなり高額な部類に入るのに¥1,800。ビール代を入れても¥2,200です。無論嬉しいのですが、なんとも肩透かしを喰らったような気分です。

それほど待たずに料理が出て来て、まずは茹でガニと格闘します。全部剥いてから一気に食べるのが好きなのでとにかく剥き続けますが、意外に手間取っている内に段々と時間がなくなってしまい、結局かなり急いで食べなくてはなりませんでした。

なんとか時間内に全部平らげてミカンをポケットに入れて席を立ち、レジで支払いをしながらタクシーの営業所に電話を掛けて迎えに来てもらいます。駅までは大した距離ではないので贅沢だとも思いますが、金で買える時間は買うのが結局一番安上がりな場合も多いので気にしません。

車中、運転手さんにこの辺りでは他にカニを食べさせる所があるのですかと訊いてみると、他はみんな旅館や民宿で、飛び込みで食べられるのはあの2軒だけだね、との事でした。

コインロッカーから荷物を出し、窓口で新大阪までの切符を買います。城崎から「北近畿」の何号に乗るか思い出せなかったので乗車券だけ、と頼みましたが、自由席に乗るなら特急券も発券しますよ、と言われてそれも買いました。妙に気を回してくれるな、とも思いましたが、浜坂駅で切符を買えばそれがどこの列車の切符であっても浜坂駅の売上になるので当然の事でした。

無人の改札を通り、地下道をくぐって次の列車、178Dがいるホームへ行くと、首都圏色と呼ばれる国鉄カラーのキハ40系が入って来ました。鳥取始発で浜坂行きの532Dだと思われます。何かで読んだ話によると、この辺りの国鉄カラーのキハ40系は最近流行のリバイバル塗装ではなく、国鉄時代から変わる事なくそのままなのだそうです。

僕がこれから乗る178Dは532Dと同じキハ40系ですが、残念ながら国鉄カラーではありませんでした。車内はそこそこの混み具合で、クロスシートはほぼ全てのボックスに人がいました。

約15分間揺られて餘部に到着。降りたのは僕だけでしたが、鉄橋見物に来たらしい人達が3〜4人乗りました。

餘部駅は余部鉄橋と隣接していて、ホームの端がもう鉄橋になっています。駅は「餘部」、自治体や鉄橋は「余部」となっているのは何故だろうと調べてみました。

すると、姫新線の姫路から2駅目に「余部(よべ)」という駅があり、そちらの開業は1930年、一方の餘部には1912年から線路はあったものの、餘部駅が開業したのは1959年。先に開業していた余部との重複を避けた、という事のようです。

餘部駅が開業するまでの約半世紀の間、余部の人達は鉄橋を歩いて隣の鎧まで行ってから列車に乗っていたそうで、陳情が通って駅が建設される際には小学生まで石運びを手伝ったそうです。

鉄橋側から浜坂方面を見ると線路が山の形に沿って左に曲がって行くのが判ります。駅舎はなく、待合室があるのみです。

ホームで案内の看板を見ていると、待合室の軒先に下がっているスピーカーからチャイムが流れ、列車が来ると自動放送が流れます。程なく鳥取行きの177Dが入って来ました。用を足したくなったので、待合室の脇にあるトイレに入って出ると、ちょうど発車する所でした。加速を始めた列車をゆったりと眺めている僕を列車の中から不思議そうな表情で見ている女の人がいました。

ここのトイレは汲み取り式なのですが、こんな急斜面の上にある所までどうやってバキュームカーが入って来るのかな、とふと後から思いました。

177Dは鉄橋見物のおばさん4人組を運んで来ました。ここには撮影用のお立ち台があり、4人は早速そちらへと登って行きました。あまり広い所ではなさそうなのでまた看板を眺めて待ち、4人と入れ替わりで僕も登ります。

今日の小雨の影響か、それとも雪でも溶けたのか、土に木材を打ち込んだだけの階段は盛大に泥濘んでいました。それでも登りは下りよりずっと楽だと後で思い知る事になります。

お立ち台は10畳程度の広場と、そこから右に向かった斜面の2ヶ所になっていて、広場にはここを通る列車の通過時刻も含めた時刻表看板があります。しかし、僕が撮ろうと思っている3D「はまかぜ3号」の部分が白いテープか何かで覆われていて、少し不安を感じつつも斜面の一番上で「はまかぜ3号」を待ちます。

泥濘みで足を滑らせないよう気を使いながら待ちますが、列車はなかなかやって来ません。看板の通過時刻を過ぎても来ないので諦めかけた頃、ホームからチャイムが聞こえて来ました。

カメラを連写モードにして待っていると、「はまかぜ3号」がトンネルから姿を現しました。来る時に乗った1号と同じく、やはり2両増結した6両編成です。3両編成の「いそかぜ」と違って、この位の長さになるとキハ181系特有の屋根上のラジエータの連なりが良い感じです。余部鉄橋を走る列車の写真と言うと必ずこのアングルになりますが、僕も誰が撮っても同じになる写真を撮った1人になった事になります。

後で時刻表を調べて解りましたが、この「はまかぜ3号」は香住までは毎日運転されているものの、浜坂までは季節運転になるようで、今季は2月28日までの運転との事。列車番号も香住から先は8003Dとなっています。

ジーンズの裾を泥で汚しつつも、両手まで動員してなんとかお立ち台から降り、集落へと向かいます。

駅からは途中で2回方向転換する結構な急坂になっていて、その道に入ってすぐに20代の1人旅の男性、1回曲がった鉄橋の真下を通る所で30代の2人連れの男性と擦れ違います。その内の1人は僕が写真を撮っているのを見て、撮れる内に撮っておこうと言いながらカメラを起動させていました。

脚立を並べたような構造の余部鉄橋はトレッスル式と呼ばれる様式で、延長310.59m、高さ41.45m、橋脚11基とこの種の鉄橋としては国内最大規模なのだそうです。ただし、高さは仙山線の陸前白沢ー熊ケ根間に架かる第二広瀬川橋梁が51mと10mも上回っています。仙山線は一昨年の8月に乗ったので通っているはずなのですが、ちょうどその辺りでは寝てしまっていた記憶があります。いずれにせよ、起きていたとしても車内からは橋の形は判りません。

駅の方を見るとこういう眺めです。よく見ると駅への急坂が写っています。

1912年の開通以来ずっと山陰本線の一部を担い続け、専門家の調査でまだ80年程度の寿命があると診断されたこの橋ですが、既に架け替えが決定しています。現在はその方法の協議が行われていますが、コンクリート製の物になるのはほぼ確定のようです。その準備工事が始まると周りの風景も一変してしまうので、今の姿を留めている内にまた来たいと思います。

'86年の12月28日、ここで転落事故がありました。福知山からの団体客を香住で降ろしたDD51牽引の14系改造客車「みやび」7両編成が浜坂への回送中、ここに差し掛かった際に突風で煽られてDD51と「みやび」の台車3組以外の全編成が橋梁下に転落、直下の缶詰工場を直撃して車掌1人と工場の従業員5人が亡くなり、日本食堂の車内販売員1人と工場の従業員5人が重傷を負うという大惨事となりました。

当時の規定では風速が25m/sを超えたら運行停止となっていたそうですが、警報が出ているにも関わらず列車を走らせた人災という説もあるようです。通った列車が乗客のいない客車列車だったというのも原因だったのでしょう(客車は電車やディーゼルカーよりはるかに軽いのです。重いDD51は橋の上に留まりました)。

その後、この事故の教訓から余部鉄橋では風速20m/sで運行停止と規定が改められたそうですが、それによって元々多かったこの区間の運休本数が'92年から'02年の平均で年間96本にも上る事となり、それもまた架け替え論に拍車を掛けたそうです。

新しく架ける予定のコンクリート橋は風速30m/sでも運行可能で、構造材の交換や再塗装が必要な鉄橋と違って保守に掛かる手間も金も相当少なくなるそうです。

橋のトンネル側には転落事故の慰霊碑の菩薩像が立っています。今回は時間がなくてその前まで行けませんでしたが、次はもっと時間を作って来たいと思います。

列車の時間が迫って来たので急坂を登っていると、民家の裏手に駅名標らしき物が見えました。欲しがる人は多そうですが、こうやって駅のすぐ近くで別の用途に使われている方が似合っているように思えました。

予想してはいましたが、スーツ他が入った荷物を抱えて登る急坂は運動不足の身体には非常に辛かったです。ホームには先に登っていた3人がいて、あまりゼイゼイ言っているのも恥ずかしかったので持っていたポカリスエットをガブ飲みしてなんとか息を整えましたが、僕は僕の身体に関してもう少し何か考えなくてはならないようです。

少し待つと城崎まで乗る180Dがやって来ました。中学生か高校生か、制服姿の女の子が2人降りて急坂を下って行きました。

今度は鉄橋の山側の席に座りました。余部が三方を山に囲まれた集落なのがよく解ります。

16時49分、城崎で180Dを降ります。向こう側に物凄く妙な顔の電車がいます。

この妙な顔のはクモハ113の3800番台と言うのだそうで、元は中間車だったのを先頭車改造した物ですが、普通こういう改造をする場合には廃車になった先頭車の運転台を切り繋いだり、運転台だけ新しく作ります。が、この車両はとにかく手間も金も掛けずに作ったそうで、中間車の妻面をそのまま使い、貫通扉を埋め込んで無理矢理運転台にしたのだそうです。

その結果がこの顔で、よく見ると雨どいもそのままです。更に中に入ると、運転台と客室の仕切りは天井部分が抜けていて、ただ単にパーティションを置いただけという雰囲気だそうです。行先表示器はプラスティック板の手差し式だそうで、徹底したコストカット(ここまで来るとダウンではなくカットです)振りが凄いです。

ここからは18時4分発の3028M「北近畿18号」で福知山線を経由して一気に新大阪まで抜けます。車両は485/489系から交流電源用機器を取り外して183系に編入された700番台です。窓下に細い線が入っているのが目印ですが、JR西日本は色々と変な車両を作るものだと感心します。目の錯覚かも知れませんが、トレインマーク表示器が他のこの顔の車両より少し大きいような気がします。

城崎のホームで煙草を買ったら、古いパッケージの物が出て来ました。手前のミカンは浜坂で食べ切れなかった物。車窓を眺めながら食べたら何となく昔に帰ったような気分になりました。やはり列車の旅にとても良く似合う果物です。

「北近畿18号」の自由席は空いていました。城崎を出て豊岡、和田山と進むにつれて段々暗くなっていき、初めて乗る福知山線に入った頃にはもう何も見えなくなっていました。

今回使った切符。キハ40系の整理券に駅名が入っていたのが新鮮でした。「のぞみ」の乗車変更をし忘れたので指定がふいになり、帰りは自由席になりますが、始発の列車に乗れば済むので問題にはなりませんでした。

山陰本線を走っている間は5分程遅れていた「北近畿18号」ですが、福知山線の複線区間に入った途端にぐいぐいと遅れを取り戻し、新大阪には定時の19時40分に着きました。前側の先頭車は非貫通型でしたが、後側には貫通型の先頭車が付いていました。

本当は呑み友達のその2でも呼び出して新大阪で軽く呑んでから帰ろうかとも思っていましたが、意外に時間がないので諦めて新幹線に乗ります。狙うは新大阪始発の「ひかり」。みどりの窓口の時刻表で調べると、20時20分発の288A「ひかり288号」が良さそうなのでホームへ上がります。

ホームで食料を調達します。ここの所ずっと振り回されていた仕事が終わり、その独り打ち上げも兼ねているので、柿の葉すし以外に缶ビールや普段は高くて手を出せない少し高級なつまみも色々と買い込んだら簡単に¥2,500位になってしまいました。浜坂のあのカニ料理が¥1,800だった事を考えると、お金の価値って何だろうなとも思います。

かなりの数の乗客を乗せて向かいのホームから出た「のぞみ」とは好対照に、「ひかり288号」は空いていました。途中、名古屋から浜松の間だけ混んだのは意外でしたが、その時でも東海道新幹線にしては空いている部類に入りました。最近の改正で「のぞみ」だらけになってしまってかなり数を減らしている「ひかり」ですが、空いている事も多く、所要時間もあまり変わらないので狙い目だと思います。

独り打ち上げで程良く酔い、iPodから流れる音楽を聴きながらうたた寝を繰り返している内に東京に到着。眠りこけているスーツ姿の若い男性を起こしてからホームへと降り立ちました。

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