11月の上旬に今年頭に洞爺での仕事をくれた会社(この会社にとって僕は対外国人要員と思われているらしく、'02年には香港に連れて行ってもらいました)から来年6月にハワイでの現場があるのでロケハンに行きませんかと電話がありました。無論二つ返事で引き受け、11月24日から3泊5日で行って来たのでその模様を紹介します。

という事でこのサイト初の海外編になりますが、ハワイ諸島には観光鉄道が2路線あるものの、営業路線はないので必然的に鉄道は一切登場しません(鉄道もどきは出ますが)。興味がある方、お暇な方のみお付き合い下さい。

このロケハンが決まった直後に毎年やっている仕事が入り、ハワイから帰る日が本番なので映像素材だけ作ってから出発という事で結構ギリギリまで作業をしていました。夕方前になんとか終わらせましたが、それから服を買いに行ったり髪を切ったり荷造りをしたりでかなり慌ただしい旅立ちになりました。

総武本線から成田線直通の快速で成田空港へと向かいます。行きの飛行機は11月24日のノースウエスト022便。21時頃出発の夜行便です。機体は垂直尾翼の根元にエンジンが埋まったDC-10でした。

9.11以降、異常に警備が厳しくなったアメリカ行きの便なので荷物検査は非常に厳しく、手荷物に入れていたPowerBook G4も起動して下さいと言われました。スリープにしていないので時間掛かりますよと言うと、ならいいですと係のお姉さんがあっさり引き下がったので、とりあえずキーボードを外して内部を見せると妙に感心していました。お姉さん曰く、アメリカ行きの中でもノースウエストが特にうるさい(実際に「うるさい」という言葉を使っていました)との事で、色々と不満があるように見えました。

機内はそれなりに混んでいましたが、離陸してシートベルト着用サインが消えると同時に隣の女の人が別の席に移ったお陰で窓際の2席を占有出来るようになり、かなり楽になりました。それと同時にまずドリンクが配られ、すかさず夕食も配られます。この日はチキンカレーと白身魚の中華麺添えだったので、チキンカレーを選びました。全く期待はしていなかったのですが、意外と食べられる味でした。また、アルコール類が無料でしたが、以前は太平洋路線では有料だった記憶があります。なので、ヨーロッパ路線に乗ると大喜びで酒ばかり呑んでいました。

国内で夜の便に乗る事があっても、機内の照明を落としてくれないので外を見ていて面白くないのですが、国際線だと真っ暗にしてくれるのでiPodで音楽を聴きつつ少し寝ては外を眺め、また少し寝てを繰り返します。

移動中はただ退屈だった昔と違い、車窓の楽しさを覚えた眼で見る夜のフライトは驚きの連続でした。最初は翼端灯の瞬きしか見えなかったのが、機内の照明が落とされると同時に今まで見た事がない数の星がびっしりと満天に敷き詰められ、彗星が斜めに通り過ぎるのすらも見えます。海と空との境界線は全く定かではなく、ただ単に星があるかないかでしか判りません。この日は気流がとても安定していて、ほとんど揺れなかったので船に乗っているような気分にもなります。この星空がなんとか写真にならないかと色々と設定を変えて何枚も撮ってみましたが、真っ黒な画像にしかなりませんでした。

東に向かって飛ぶという事は、太陽を迎えに行く形になるので時間を早回ししたように夜が明けます。前方の水平線が白み始めるとすぐに星が姿を消し、太陽が雲海を赤く染め始めます。この頃はまだ後の方には星空が残っていますが、それもすぐに見えなくなり、あっという間に朝になります。24日の夜に東京を発って24日の朝にハワイに着き、同じ日付をもう一度やり直す事になります。丸い惑星に住んでいる以上当然の事ではありますが、やはり違和感は拭えません。

僕が座った25Aの席は主翼の真上で、あまり地上を眺めるのには適さない席でした。その代わりフラップその他が動くのは見えるので、それはそれで楽しかったです。

朝食。前日の夕食が意外に良かったので少し期待していましたが、ペストリー1つにブルガリアヨーグルトと極端に簡素でした。やはり機内食に過度の期待は禁物のようです。

この後、機は一晩留まり続けた11,300mの高度から降下を始め、窓下にカウアイ島、オアフ島と眺めつつホノルルに到着しました。

機外に出た瞬間、思わず笑いそうになりました。暖かいのではなく暑いのです。いくら常夏の島と言っても冬はあるのだろうと思っていましたが、見事に裏切られました。考えてみると、ハワイに来るのは'79年の7月、'89年の4月に続いて3回目ですが、冬に来るのは初めてです。

ボーディングブリッジを歩いていると3両編成の列車のような物がゆっくり走っているのが見えます。香港の空港でターミナル間の移動専用の地下鉄に乗った覚えがあるので、もしかして鉄道かもと色めき立ちましたが、トレーラーを牽いたバスでした。

その列車風バスに乗り込むと、成田から乗って来たDC-10がようやく見えました。あんな所にエンジンがあって垂直尾翼の強度は大丈夫なのかと心配になる形です。

入国審査は簡単でしたが、いかにも安物という風情の小型のUSBカメラで顔写真を撮られ、指紋も採られました。「こんなの見た事ないよ」と言うと、黒人の審査官は「10月に入ったばかりだからね」と成田のお姉さんと共通する、そしてより明確な、さも仕事が増えて面倒臭いといった表情で答えました。あれだけの事があったので当然ではありますが、この国は被害妄想に支配されているように見えます。しかも向こう4年間、更に酷くなるのでしょう。

今回のロケハンは仕事をくれている会社の人2人、クライアント1人、僕の4人で来ていて、ここで一旦二手に別れます。2人がレンタカーを借りに行き、僕ともう1人は全員分の荷物を持ってホテルへ直行、チェックインを済ませます。その移動に使ったのがこのリムジン。リムジンと言っても値段は普通のタクシーと変わりません。

'93年3月にハリウッドから東京に戻って以来アメリカには行っていなくて、ホノルルからワイキキまでの車窓は久々にアメリカを見た思いで非常に興奮しました。確かに本土ではありませんが、フリーウェイを走っている分には変わりはありません。

今回の宿はワイキキのParc Hotelという所で、僕1人にダブルの部屋が割り当てられていました。1人にはかなり広い部屋で、しかも窓からは海が見えます。とても有難かったのと同時にちゃんと働かないとな、とも思います。

これがベランダからの眺め。左に見えるのはシェラトンです。

小休止の後、早速ロケハンに出掛けます。最初の目的地はクアロア牧場という場所で、ワイキキからは約1時間、オアフ島の細くなっている所を北に向かって横切った先の少し突き出た場所にあります。

運転していた人の趣味(結構な回数ハワイに来ている人なので、知っていた可能性はあります)か、はたまた偶然か、車内で掛かっていた93.1MHzのラジオ局は'80年代のポップス/ロックを中心とした選曲で、DeBargeの「Rhythm of the Night」が掛かったりでとても楽しめました。

クアロア牧場で応対してくれたのは30歳過ぎの日本人男性で、元々は日本で普通に働いていたのが一念発起してハワイ大学に留学、この土地を気に入ってしまってそのまま居着いたと話していました。

ここは観光牧場と普通の牧場が合わさったような施設で、乗馬や4輪バギー、カヌー等色々なアクティビティが用意されています。

ここでは以前日本のアイドル歌手がコンサートを行った事もあるそうで、こちらも似たような事をやろうとしているので(出演者の候補はクリストファー・クロスやアート・ガーファンクル、オリビア・ニュートン・ジョン辺りなので日本人ではなくて済みそうですが)会場に使えそうな場所を見て回ります。すると、何十羽もの白鷺を引き連れてトラクターで芝刈りをしているおじさんがいました。どうも白鷺達は芝刈り機で掘り返されて土から出て来た虫を狙っているようでした。

アクティビティの中には牧場の各所を見て回るツアーが2種類あり、1つはスクールバスを使うのですが、もう1つはこの陸軍からの払い下げ品のジープで回るそうです。中は通勤用の電車のようにロングシートになっていて、元々は兵員輸送車だったとの事です。

ちょっと見て回りますか、と言われて小型バスに乗り、まずは射撃場へと向かいます。普通のハンドガンとライフルが1丁づつ各ブースに鎖で繋がれたままになっていました。'89年にワイキキで入った射撃場も全く同じ作りで、弾も同じ22口径でした。やはり安全の為にはこれが一番なのでしょう。

ロスアンゼルスのダウンタウンの射撃場は全く違って、カウンターで借りたい銃を言うと工具箱のような物に銃と弾を入れてポンと渡され、その気になればいくらでも周りの人間を射殺出来るという杜撰と言うか大らかな形でした。しかもそこではハンドガンだけでなくサブマシンガンやライフル、ショットガンも貸しているのです。あれで事件が起きたりしないのでしょうか。

射撃場から海の方を見ると、またトラクターの芝刈りおじさんがいました。さっきより白鷺の数が増えたような気がします。あちこちに生えている大きくて立派な木は「この木なんの木」の木だそうです。

突端には二次大戦時に岩山をくりぬいて作られた7フロアもある大きな防空壕があり、その中の一部を見られるようになっていました。ここは映画の撮影にも色々と使われていて、展示されているのはその写真が主でした。7フロアもあるものの入れるのはほんの一部で、大半は牧場の人も何があるか知らないそうです。

写真はその防空壕の前から眺め。もしかしたら天国ってこんな場所なのかも知れない、と思わせられる景色でした。

突端を回り込むと三方を山に囲まれた谷に入ります。これらの山まで牧場の敷地なのだそうです。現オーナーの先祖が1850年にカメハメハIII世からこの土地を譲り受けたのがそもそもの始まりで、最初はサトウキビの生産を主な産業とし、後に牧場に切り替えたそうです。この谷は戦士の訓練場としても使われていて、神聖な場所だったとの事です。

腐食が進んでだいぶ細くなってしまっていますが、この木は最初の「ジュラシック・パーク」で恐竜の大群から主人公達が身を隠した木です。場所もここだったそうです。奥にはハリウッド版「ゴジラ」(誰も誉めなかったあれです)の足跡があったり、この谷を「パールハーバー」の飛行機が通り抜けたりと色々な映画のロケが行われたそうです。

牧場内の要所要所にレールを並べた場所があります。この窓もドアもないバスは元々かなり揺れるのですが、ここに差し掛かると更に輪を掛けて激しく飛び跳ねます。訊くと、こうしておくと牛が通れなくなるので、ゲートを設置する必要がなくなるとの事。本当はこのレールがどこから来たのかも知りたかったのですが、さすがにそこまでは訊けませんでした。

クアロア牧場からワイキキに戻り、夕食までの間、約2時間程の空きが出来ました。これを利用して早速出掛けます。目的地はアラモアナ・ショッピングセンター。路線バスで約15分程の場所です。天井の非常用脱出口や手で開けるドア、そして何より窓の所に渡っている降車ブザー用の引き紐がいかにもアメリカの路線バスという感じで良いです。

案内所で訊いた所、目的の店は2階にあるのでエスカレータに乗ると、すぐ横のステージで上演されていたクリスマス物のミュージカルがちょうどフィナーレを迎える所でした。

ここが目的の店、The Apple Store, Ala Moana。考えてみると、銀座や心斎橋のApple Storeには行った事がないので、これが初Apple Storeです。

買う物はiTunes Music Storeのプリペイドカード。既に欧米の各国でオープンしているiTMSですが、日本ではJASRAC等の利権団体や一部企業の妨害によっていつになったら始まるか判りません。現状で日本からiTMSを利用するには、サービスが始まっている国の住所のクレジットカードが必要になるのですが、ここで売っているプリペイドカードを使えばそれだけで曲を購入可能になります。なので、今回のロケハンが決まったと同時にいつもお世話になっているAppleの部長さんに相談して教えてもらったのがこの店です。

iPodのお陰でしょうが、店内は結構な混みようで、僕の前でレジに並んでいた黒人家族も娘のiPodを買いに来たようでした。待っている間に店員に曲はどうやってiPodに転送されるの?とか訊いていましたが、iPodがこれだけのポピュラリティを獲得した以上、こういうリテラシーの低い人達もちゃんとフォローしなければならない(Appleが得意とする事ですが)のは大変だよな、と他人事ながら思いました。

僕の順番になり、とても愛想の良い真っ黒な髪の毛のインド系っぽい女の子から$25のカードを5枚、$15のカードを2枚買います。クレジットカードの決済の時に「IDある?」と言われたので「とっくに失効してるけどこれでいい?」とカリフォルニア州の運転免許証を渡すと全然問題ないとの事。「プレゼント用の袋に入れる?」と訊かれたので自分の、と答えてうちの国じゃ全然始まらないから、と言うと「ああ、そういうお客さん多いのよね。日本から来たの? カナダとかからも来るわよ」と言っていました。でもカナダではこの直後の11月30日からサービスインしたので、これで本当に日本だけが取り残された形になりました。

とりあえずこれで今回の裏目的は達成したので、安心してベンチに座って小休止していると、突然きかんしゃトーマスの出来損ないのような列車がやって来ました。列車と言っても実際は自動車ですが、2〜3両の客車を牽いていました。何故か今回はこの手の列車もどきに縁があります。

帰りもバスに乗ろうとバス停に行きましたが、満員になってしまって乗れませんでした。詰めればまだ乗れそうでしたが、運転手が「満員なので次のにして下さい。ドアに御注意」と言うのと同時にドアを閉めたので、乗りかけていた日本人らしい女の子は思いっ切りドアに挟まれていました。酷い事ではありますが、これこそアメリカだ、と僕は嬉しくてたまりませんでした。

それは良いのですが、次のバスを待っていると夕食の集合時間に間に合うか判らないので、すぐ横に停まっていた中国系か韓国系の運転手さんのタクシーに乗ります。走り始めてすぐに「朝からずっと働いてて疲れちゃったよ」と言うので「僕も今朝東京から着いて、そのまま働いてたよ」と返します。すると「日本から来たのか。うちの娘は日本の.....どこだっけ、フク、そう、福岡で英語教えてるんだよ」と話が繋がります。

娘さんは28歳で、福岡の都市部から外れた所の学校で教えているそうで、家賃その他は政府持ち、月給は$2,500。その内いくらかを仕送りしてくれているそうです(為替レートが悪い時はタイミングをずらしたりするそうです)。今年3年目で毎年契約更改があるそうですが、とても福岡を気に入っているので次も契約更新するだろうねと言っていました。片言も含めると4〜5カ国語を操るそうで、英語以外は全く解らない僕からすると雲の上の人、という感じです。

無事集合時間に間に合い、食事に出ます。連れて行かれたのは何故かお好み焼き屋。こんな遠くまで来て何故、とも思いましたが、アメリカってどこ行っても結局あの味じゃない、と言われて、そうか、確かにそうかもと妙に納得しました。お好み焼きそのものも美味しかったですが、マグロのポキ(ハワイ風刺身)とキャベツのじゃこ炒めが特に良かったです。

写真はiTMSのカード。緑色の部分がカードで、台紙から剥がして裏のスクラッチ部分を削ると出て来るPin#をiTMSで入力すると自分のアカウントに額面分の金額が補充されます。Pin#さえあれば良いので、メールに書き写して人にプレゼントも出来ます。とりあえず誕生日が近い父親に$25、Appleの部長さんと友人3人に$15づつプレゼントしました。

お好み焼き屋でもらった日刊サン。ハリウッドにいた時に友人2人とお金を出し合って購読していた新聞です。見付けた時にわー、日刊サンだー、と騒いでいたら無料ですからお持ち下さいとくれました。毎週水曜日に連載していた(今でもしているのかも)「お茶の子さいさい」というコラムが面白くて好きでした。他の細かい物はABCストアで買いました。

25日、サンクス・ギビング・デイのこの日はハワイ・コンベンション・センターでのロケハンです。7月4日の独立記念日と並ぶ祝日なので、ワイキキの観光地エリアを少し離れただけで店が軒並みシャッターを降ろしています。当然ここも休みで、小屋付きの人が出て来るまでの間、入口で待っているとやたらとマッチョなセキュリティが近付いて来ます。同じタイミングで中から小屋付きの日系人の女性が出て来て、中へ招き入れてくれました。実はマッチョなセキュリティはミスター・ハワイに選ばれたのだそうです。

屋上から1階のコンベンション・ホールの方を見るとなかなか開放的な作りでした。柱はハワイらしく椰子の木をモチーフにして作られています。

祝日なので地下の荷捌きにも誰もいません。搬入エレベータの横にはポリネシアの神様「ティキ」がいました。何かのイベントで使った物が一時的に置いてあるそうで、発泡スチロールを削って作った物のようでした。

外に出て気付きましたが、目の前にはPan AMのロゴを掲げたビルがあります。とっくに潰れたと思っていましたが、調べるとまだ存続しているようです。

昼食前に買物に行こうという事でK-martへ。ここは祝日なのが逆に書き入れ時なのか、開いていました。ハリウッドにいた頃はいつもRalph'sというスーパーで食料を調達していましたが、ここもRalph'sと同じくいかにもアメリカのスーパーマーケットという感じで、大はしゃぎしながらあちこちの棚を見て回ります。そうこうしている内に一緒に来た人が大きなバスタオルを買い、僕もそれに煽られて2枚買いました。

別件でハワイ入りしていたまた別のクライアントの人とアラモアナ・ショッピングセンターで待ち合わせ。アラモアナ・ショッピングセンターは駐車場に面した数軒を除いて完全に閉まっていました。

昼食はアロハ・タワー横のモールにて。すぐ横の岸壁には物凄く大きな客船が停泊していました。調べてみると、Celebrityという会社のInfinityというリベリア船籍の船で、1,950人乗り、全長965フィート(約294m)、全幅105フィート(約32m)、排水量はなんと91,000トン。ガスタービン式のポッド型推進システムを搭載しているそうです。Celebrityは巨大豪華客船を11隻も保有していて、それで商売が成り立つ世界もあるのだなあと感心するばかりです。

左に見えるのは三重県立水産高等学校の実習船、しろちどり499トン。その後にはもう1隻、神奈川県立三崎水産高等学校の4代目湘南丸646トンもいました。確かにそれらしい男の子達がアロハ・タワー近辺にいました。それにしても、こんな小さな船でよく太平洋を渡れるものです。しかも湘南丸はここまで来る途中の11月20日に機関室倉庫で洗濯物が燃えるというボヤ騒ぎもあったそうです。

モールの通路に立っていた像。いい風情だな、とカメラに収めましたが、見回すとあちこちにいました。

今日の仕事は終ってしまったので、ホテルに戻って夕食まで各自別行動。僕は'79年に来た時に泊まったホテル(キッチンがあったので、実際はコンドミニアムのような部屋でした)を探しに外へ出ました。その時の8ミリフィルム(ビデオではなくて、音も記録出来ない家庭用の物。無論再生は映写機)を数十回観たので小学校低学年の頃の記憶としてはかなり鮮明です。

確かホテルとビーチの間には道があるだけで隣が波状の屋根の建物だったはず、と記憶を辿りつつ歩くと、それらしい場所に出ます。これがその波状屋根だとすると、奥のホテルかも知れません。しかし、波状屋根からビルは生えていなかったはずし、部屋から見て左側にあったように思えます。ただ、ベランダの形は記憶と一致します。

よく判らないので父親に写真を数点送った所、更に奥の所ではないかと言われました。名前はPacific Beach Hotelだと言うので調べると、その名前のホテル自体は今でもあって、場所もこの通り沿い。ただ、それがどの建物なのかは判りません。6月に本番でまた来るので、その時に時間があれば確かめようと思います。

1ヶ所だけ堤防に囲まれたプールのような場所があります。その当時、僕は既に泳げたはずですが、親に厳しく言われてここからは出ませんでした。それでも子供には充分に広く、別に不満も感じなかったと思います。

堤防に立っているのは「注意 深穴」の看板。サメに注意じゃなかったっけかな、とも思いますが、これも懐かしい看板です。

この日は月がとても明るくて、水平線や雲がはっきりと見えました。

部屋のTVでVH-1を観ていたら、ハリウッドにいた頃に観ていた「FullHouse(NHKでも放映されたメアリー・ケート&アシュレー・オルセン姉妹のデビュー作)」にジョーイ・グラッドストーン役で出ていたデイヴ・クーリエが内容がよく解らないドラマ仕立てのコーナーに出ていました。

26日、本当は朝からシェラトンのロケハンに入れるはずでしたが、ホテル側の都合で遅くなり、連絡するので14時に部屋にいて下さいとの事なので9時頃に出掛けます。道端ではヤシの実落としの作業中が行われていました。

向かった先はまたもアラモアナ・ショッピングセンター。一昨日ミュージカルをやっていたステージではレンタカーの中で掛かっていた僕好みのFM局が公開放送をやっていました。

2度目のApple Store。色々考えていたらiTMSのカードが足りなそうだったので$15を6枚、$90分買い足しました。ちょうど真中に30インチのCinema Displayが見えますが、ここで初めて現物を見ました。普段23インチのCinema Displayを使っていますが、それとは比較にならない程の巨大さでした。

時間がなくてタクシーで帰った前回と違い、今回は路線バスで帰ります。物理的にフリップフラップするマトリクスを使った行先表示器がこれまたいかにもアメリカのバス、という感じで嬉しいです。

バス停から部屋に帰る途中、ウクレレ教室の横を通り掛かりました。生徒は主に日本人ですが、色々な人種の人が一緒になって一心不乱にウクレレを弾く様はなかなか面白かったです。

部屋に戻って少し休憩。部屋ではこのCDラジオで93.1MHzを聴いて、欲しくなった曲を後でiTMSで買う為にメモしていました。

昼食を買いに外に出ます。実は今回のハワイではずっと不満に思っていた事がありました。日本語の看板がどれもちゃんとしているのです。しかも日本語として間違っていないだけでなく、中には新ゴシックを使っている言語道断な物もあります。日本人が多い観光地での最大の楽しみはあのインチキそのものの日本語看板なので、幻滅させられっぱなしでした。

そんな不満を抱えたまま歩いていると、ようやく見付けました。一歩間違えると「^7TPy朝食」です。ちょっと大人し過ぎる嫌いはあるものの、やはりこうでなくてはいけません。

シェラトンでロケハン。ここの担当の人も日系人で、京都での留学中に知り合った女性と結婚したとの事で日本語はかなり上手でした。打ち合せが進み、やはり日系のホールの技術担当が呼ばれて来て、この人が日本語を喋れなかったのでようやく僕の仕事が出来たような感じでした。

写真は最上階のラウンジから見たワイキキビーチ。凄い眺めです。

担当の人が下を見ながら何か笑っています。見ると、子供が何かに取り憑かれたように巨大な穴を掘っています。これを見ながら担当の人は「ほんま、子供っておもろいわー」とか言っています。この人、最初は普通に喋っていましたが、翌日の朝にまた行ったら関西弁丸出しになるわ一人称代名詞は「俺」になるわ丁寧語は止めるわで面白い人でした。

27日、今日で今回のロケハンも終了です。朝シェラトンへ行って前日に見られなかった部分を見て、空港へと向かいます。途中でまずK-martに寄り道。僕はChips Ahoy!の大きいのを2つ買いました。次はまたまたアラモアナ・ショッピングセンター。ここの電気屋でHewlett-Packard版のiPodを初めて見ました。

4日目で3回目のApple Store。なんとなくまたiTMSのカードを$30分買いました。結局$25を5枚、$15を10枚の計$275分も買ってしまいました。

この日もステージでは何かが行われていましたが、何だったのかはよく解りませんでした。

空港に到着。来た時に見たのとは違うタイプの鉄道もどきバスが走っていました。

カウンターでチェックインすると、何も言わないのに行きと同じ席が出て来ました。他の人達も同じだったので、そういうシステムだったようです。出て行く飛行機には興味がないのか、手荷物検査はかなり簡単で、X線検査でPowerBookが見えているにも関わらず鞄を開けろとも言われませんでした。燃料をいっぱい積んでいる分、行ける範囲が広くなるのでこちらの方が危険だと思いますが、何が基準になっているのか解りません。

帰りの機体は行きと同じDC-10。それどころか機体番号も同じなようなので、全く同じ機体の全く同じ席に座って帰る事になります。

離陸の時には窓から大きな虹が見えました。

機内は結構混んでいて、今回隣だった女の人はどこにも行きませんでした。

夕食はいかにも機内食なビーフのグレービーソース煮とマッシュポテトでしたが、シュリンプカクテルは嬉しかったです。朝食はマスタードソースのチキンサンドで、これも意外に良かったです。

あっという間に夜が駆け抜けた行きとは逆に、帰りは延々と夕方が続きます。

行きに得した1日を精算して成田に着いたのは28日の夜。本数が少なくて行きには使えませんでしたが、うちのすぐ近くまで直行するバスがあるのでそれで帰ります。

久し振りのハワイは色々と新しい発見があって楽しかった、と言うよりも、いかに過去の自分が何も見ていなかったかを知った思いです。きっとこの先も同じ事を延々と繰り返すのでしょう。

戻る