4月に毎年恒例のツアー仕事があり、その際に支給された何枚もの新幹線回数券の内、東京ー名古屋間の物が1枚余っていました。冬から春に掛けては非常に忙しかったものの、5月に入ってからは比較的余裕があっていつでも旅行に出られたのですが、条件が緩いと気分も緩まってしまい、旅程も固まらないまま7月に入ってしまいました。

そうこうしている内に回数券の使用期限である7月17日がどんどん迫って来ていて、しかも7月8日〜13日に福岡で仕事、15日に外せない打ち合せが入り、段々と出掛けられる日が限られてきました。更に福岡滞在中に17日〜19日に再度福岡へ行く事になり、結局半ば無理矢理に近い形で16日に出掛ける事にしました。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
西船橋
06:39発
600B
総武本線
船橋
06:41着
06:53発
4053M
あずさ3号
御茶ノ水
通過
中央本線
代々木
通過
山手線
新宿
07:28着
07:30発
中央本線
岡谷
10:05着
10:24発
1430M
辰野
10:34着
10:39発
飯田線
飯田
12:51着
13:34発
22M
ワイドビュー伊那路2号
豊橋
16:10着
16:26発
2121F
東海道本線
刈谷
16:56着
16:59発
187F
大府
17:04着
17:09発
1552D
武豊線
武豊
17:39着
17:55発
1557D
大府
18:26着
18:30発
東海道本線
名古屋
18:47着
21:05発
66A
のぞみ66号
東海道新幹線
東京
22:46着

当所考えていたプランの中には、初日はこの旅程で名古屋に出て泊まり、翌日は関西本線で奈良へ抜けて東大寺で鹿と遊び、弁天町の交通科学博物館を見学してから大阪泊、最終日に福知山線と小浜線に乗り回って名古屋から新幹線で帰るという物もありましたが、結局時間の制約が強くなってしまい、当初のプランの初日分のみを消化して帰るという形になりました。

地下鉄で西船橋に出て、総武線の電車に1駅だけ乗って船橋に出ます。西船橋ではパスネットで改札を出てSuicaで入り、船橋ではSuicaで出て前日に御徒町で買った切符で入るという面倒な手順が必要でした。来年だか再来年にはパスネットとSuicaが統合されるそうなので、それが実現されると少しは手間が省けるようになるのでしょう。

船橋からは6時53分発の4053M「あずさ3号」に乗ります。都内から甲府方面へは30往復程度の「スーパーあずさ / あずさ」系統と「かいじ」系統が運転されていますが、この「あずさ3号」はその中で唯一千葉始発の列車です。行先も大糸線の南小谷と最も遠くまで走り、所要時間も5時間0分と最長となっています。

前日に切符を買った時には自由席でもいいかな、と思っていたのですが、結構混んでいるようなので一応念のために指定券を買っておきました。それでも取れた席は通路側のB席で、窓際は埋まっているとの事でした。もしかしたら窓際が空いているかもと自由席も覗きに行きましたが、通勤にも使われているようで、立っている人がいる程の混雑振りでした。仕方がないので自分の席に戻りましたが、隣の窓際席に人がいなかったのでそちらに座り、錦糸町、新宿と停車する度に自分の席に戻る反復横飛びを繰り返していました。

「あずさ3号」は秋葉原、御茶ノ水、新宿と見慣れた場所をゆっくりとした速度で通って行きます。多分、高密度で運転されている通勤電車の合間に入っている関係であまりスピードを上げられないのでしょう。そして荻窪から吉祥寺に掛けての僕の地元に差し掛かり、最もよく利用していた西荻窪を7時41分に通過。子供の頃、このホームで電車を待っている間に時折やって来る183系の「あずさ」や荷物車を連結した165系の急行「アルプス」が通過して行くのを見ては羨ましく思っていたものです。

特急車両に乗っているせいもあるのでしょうが、久々に乗った中央線は様々な表情を見せてくれる楽しい路線でした。三鷹を過ぎると建物が一段低くなり、立川からは緑が増えて郊外の雰囲気が色濃くなって行きます。そして高尾の先は完全な山岳路線となって幾つものトンネルを抜けつつ勾配を登り続けます。

8時58分発の山梨市でEF64の重連が牽く貨物列車を追い抜きました。後にはタンク車が連なっています。ファインダを見ずにおおよその方向にカメラを向け、連続撮影モードで撮ったのですが、あまり良い絵はありませんでした。

9時36着の小淵沢にて。小海線のディーゼルカーが停まっています。

八王子を出た辺りで、さすがにもう乗って来ないだろうと自分の席と窓側の席との反復横飛びを止めて窓側に腰を据えていたのですが、福岡にいた間ずっと寝不足だったのと、この日に出掛ける為に色々と仕事を片付けた関係で殆ど寝ていなかったのが相まって、この辺りから今度は夢と現の間での反復横飛びが始まってしまいました。

うつらうつらとしつつ10時5分、岡谷に到着。ここでは少し乗り継ぎの時間があります。

今年の夏は久々に夏らしい夏で、この日も快晴。船橋駅のホームはうだるような暑さでしたが、さすがに標高の高いここはとても涼しく、体感で少なくとも5度は気温が低く感じられました。駅前には去年乗った松本電鉄と同じカラーリングのバスやタクシーが多数行き交っていて、これもこの地方に来たと感じさせてくれます。奥に見えるのは「あずさ3号」の車窓からもあちこちで見え隠れしていた中央高速道です。

乗り継ぎの時間を利用して駅の立ち食いそばを食べます。頼んだのは冷やしそばの山菜乗せ。ブツ撮り、特に食べ物を撮るのがとても下手な僕にしては普通に写りました。ここのおばさんは面白い人で、客1人につき1回は冗談を飛ばしているようでした。

次の列車は10時24分発の天竜峡行き1430M。2両編成の車両は119系と言うそうですが、全く知らない形式です。

意外に乗車率の良い車内はクロスシート+ドア脇に短いロングシートという近郊型の構成で、地元のおじいさんおばあさんや山登りの乗客が大半でした。僕の向かいに座ったサマージャケット姿の白髪のおじさんは座るなりMP3プレーヤのRioを取り出し、楽譜とにらめっこしていました。

写真は10時34分着の辰野にて。宇部線で乗ったのと同じクモハ123が停まっています。ここまでが中央本線で、ここから飯田線に入って行きます。この列車はワンマン運転なのですが、岡谷からここまでは車掌さんが乗っていました。しかし、降りたと思ったら今度は違う制服の車掌さんが伊那松島まで乗ると言っています。何故制服が違うのかと思っていたら、ここがJR東日本とJR東海の境界であるのが理由のようでした。

山が近くなったり遠くなったりという変化はあるものの、少しの平地に人里があり、時折右窓に天竜川を見下ろすという形がひたすら続く風景の中を列車は頻繁に駅に停まりつつ進みます。僕は相変わらず夢と現の間の反復横飛びを続けています。しかし、駒ヶ根で登山客を中心としたかなりの乗客を降ろしてから少し行った伊那福岡と田切の間で線路脇に寄り添うように立ったほぼ同じ背格好の2本の巨木が見え、その巨木を見回すように線路が約180度のカーブを描き、山間に入って行くという非常に印象深い光景に出会いました。

その光景の先の田切は空中にあるような駅で、篠栗線の九郎原を思い出させる雰囲気でした。

2時間以上も睡魔との格闘を続け、12時51分、飯田に到着。列車は天竜峡まで行きますが、僕は特急に乗り換えるのでここで降ります。

飯田の駅は短いホームに対して妙に駅舎が大きい不思議な造りでした。左に見える跨線橋が豊橋側のホーム端で、赤い屋根の駅舎の右端の辺りでホームも終っています。

ここでも少し時間があるので、昼食を摂る店を探しつつ散歩します。去年教えていた中に飯田出身の子がいたので、あいつはここから出て来たのかと思いつつ歩いていると、ぽつぽつと雨粒が落ち始めて来ます。目ぼしい店がなかったのと雨足が段々と強くなりつつあったのとで、とりあえず駅に戻ります。

駅舎に入っている喫茶店で食事にしようかとも思いましたが、残り時間があまりなかったのでまたも立ち食いそば屋へ。カウンターではおっさんが2人、五平餅をつまみにビールを煽っていて、その内の1人はどこから持って来たのか、椅子に座っています。いつもの事なのか、カウンターの中のおばさん2人も普通に相手をしていて、なんだか場末のバーかスナックに迷い込んだような気分になりました。

麺が最近増えたコシのある冷凍麺である以外は特徴のないうどんをすすっていると、雨がバケツをひっくり返したような勢いになりました。

なんとなく情けない気分でホームに出ると雨はすっかり止んでいて、車体を思いっ切り洗われた13時34分発の22M「ワイドビュー伊那路2号」が3両編成で乗客を待っていました。

さっきの雨が幻だったかのように晴れ渡った空の下、列車は走ります。飯田までの間、主に右窓に姿を現していた天竜川は、この辺りでは左右に目まぐるしく位置を変えて現れます。それなのに僕はまたも反復横飛びを続けています。

14時59分着の中部天竜の駅に併設された佐久間レールパーク。真中に写っているのは流電と呼ばれて京阪間で活躍し、最後は飯田線で働いていたクモハ52で、他にもキハ181や10系客車等が保存されています。豊橋からここまではトロッコ列車も走っているそうなので、その内来たい場所です。

湯谷温泉の手前で車掌さんの観光案内があり、それによるとこの辺りの川床は一枚岩になっているそうで、名前は忘れましたが景勝地となっているそうです。

ここまではガラガラだった「ワイドビュー伊那路2号」ですが、湯谷温泉からは老人の一団が20人以上乗って来ました。ホームにいるのを見て、妙に身振り手振りの大きな人達だな、と思っていたら、どうも全員耳が聞こえないらしく、手話で話していました。車内はほぼ満席となり、みんな一生懸命お喋りをしています。人によって手話と同時に微かな声が漏れる人もいますが、基本的に無言のまま話しています。目をそらせば誰も話していないように思えるのに、目を向ければ音もなく情報が行き交っているのが見えて、変な例えですが、初めて無線LANを使った時に似た不思議な感じを受けました。

豊橋には16時10分着。JRと名鉄が一体化した駅でした。

ここから先は武豊線に乗ってから名古屋に行くという事は決めていましたが、どの列車に乗るかは決めていません。案内表示を見ると、次に来る特別快速は武豊線の分岐駅である大府には停まらないものの、その2つ手前の刈谷には停まるようです。その先はどういう接続になるか判りませんが、何かしらの列車があるだとうという事で16時26分発の2121F特別快速に乗る事にしました。

30分ほど乗って刈谷に到着。読み通り、接続する各駅停車の187Fが同じホームに停まっていたので乗り換えます。

刈谷からたったの5分で大府に到着。近くにEF66とDE10がいましたが、よく見るとDE10の横腹には衣浦臨海鉄道と書かれ、形式名もKE65となっています。どうもここから貨物専用鉄道が出ているようでした。この辺りは意外と貨物列車が多く走っていて、以前東海道本線の普通列車に乗っていたらDD51が牽くコンテナ列車と追いかけっこになった事もありました。

武豊線は元々、港で荷揚げした東海道本線敷設用の資材を名古屋まで運ぶ為に敷かれた路線で、東海道本線の大府から名古屋の間は武豊線として造られたのを後に東海道本線に召し上げられた形になっています。大府を境界とするその後の両者は、かたや国の根幹を支える大幹線の役割を担って複線電化の特甲線として整備され、もう一方は今に至るも単線非電化、と明暗がこれ以上なくくっきりとしています。

武豊線沿線は宅地化が進んでいるものの、少し離れて並走する名鉄に乗客を取られているらしく、そこそこの混み具合でした。1552Dは大府からきっちり30分間走って17時39分に武豊着。丁度ドアが開く所で同い年のクライアントから電話があり、ひとしきり仕事の話をした後に、ところで今名古屋の少し手前の武豊という所にいるのだけどと言うと、なんだそりゃと言われました。

改札で大府ー武豊間の往復切符を買い、一旦外へと出ます。しかし時間内に回れる範囲には何があるという場所でもなさそうで、すぐに引き返して乗って来た列車にまた乗りました。

またもうつらうつらとしつつ大府に到着。この列車は名古屋まで行くので、そのまま座っています。さっきは1両だった衣浦臨海鉄道のKE65が2両になっていました。

東海道本線に入り、区間快速となった1557Dは突如豹変しました。電車並の加速度で発進し、100Km/h以上は軽く出ているであろうスピードで疾走します。ディーゼルカーには何度も乗っていますが、JR北海道の特急を除けばこんなに本気で走っている列車は初めてです。駅の手前でスピードを落としているとは言え、名古屋の近くではとうとう425A「こだま425号」らしき300系新幹線を追い抜きました。

名古屋では21時5分発の66A「のぞみ66号」まで時間があります。本当はもっと遅い列車にしたかったのですが、指定を取れた中で一番遅かったのがこの列車でした。出来たら乗車変更したいとも思っていましたが、3連休前夜のこの日の名古屋駅はみどりの窓口はおろか、どこの自動券売機も人でごった返していたので大人しく「のぞみ66号」に乗る事にしました。

そして、名古屋に来た以上はここに行かない訳には行きません。地下鉄に乗っても駅から歩くので、駅前でタクシーを拾い、まっしぐらに栄を目指します。これから名古屋で手羽先を食べ、今晩は東京の家で寝て明日の午前中には福岡にいると思うと不思議な気分です。あまり時間もないので、手羽先4人前とつまみを何品か食べて店を出て、近くにある仕事先に顔を出して担当を驚かせます。手羽先喰って来たよ、と言うと、なんだよ、言ってくれれば一緒に行ったのにと言いつつも忙しく動き続けるその手が止まる気配はありませんでした。

栄からまたタクシーで駅に戻ります。道すがら、運転手さんに駅が混んでいたけど今日は何かあるのですかと訊くと、やはりただ単に3連休の手前だからでしょうとの事。駅では福岡に持って行く土産として大きいサイズの赤福を2つ買いましたが、結構な重さでした。

写真は今回使った切符。やはり船橋ー名古屋市内という切符を持っているのに離れた場所にいると戸惑う車掌さんもいて、中にはあれ?、という顔をした後に経由地を指先でなぞっていた人もいました。

東京着22時46分。名古屋も暑かったですが、こちらも暑いです。やはり夏は高原が涼しくて良いです。家に帰ると、捌かなければいけないメールが山程届いていたりで作業をしている内に朝になり、結局寝られないまま朝8時の便で福岡へ飛ぶハメになってしまいました。やはりこれは出掛けられる時に出掛けなかった罰なのでしょう。ちなみに翌日の羽田空港は朝7時そこそこなのに手荷物検査に長蛇の列が出来上がっていたり、空港行きのバスに積み残しが出て臨時便が急遽設定されたりと、こちらも大混雑をしていました。

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