今年もこの季節がやって来ました。毎年恒例のツアー仕事です。例年なら4月に東京、名古屋、大阪、福岡の4都市を回り、3月は東京と大阪だけなのですが、今年は3月も4都市を回る事になってしまいました。間に半月以上の空きがあるので本来なら別建てにするべきかも知れませんが、同じ流れの仕事なのでまとめました。この期間の移動は以下の通りです。

 2月29日:東京から大阪へ移動
 3月2日:福岡へ移動
 3月4日:東京へ移動、そのまま別件の打ち合せ
 3月6日:名古屋へ移動
 3月8日:名古屋本番、東京へ移動
 3月9日:東京本番、福岡へ移動
 3月10日:福岡本番、大阪へ移動
 3月12日:大阪本番、東京へ移動、少し空き、自宅作業
 3月17日:東京本番
 3月18日:福岡へ移動
 3月21日:東京へ移動、暫く空き、自宅作業

 4月10日:名古屋日帰り、自宅作業
 4月13日:東京本番、名古屋へ移動
 4月15日:名古屋本番、福岡へ移動
 4月18日:大阪へ移動
 4月20日:大阪本番、福岡へ移動
 4月21日:福岡本番
 4月22日:東京へ移動

毎年キツい思いをするこの仕事ですが、4月の方は作業量を減らす裏工作が功を奏してそれほどでもなかったのと引き換えに、今回初めて4都市を回った3月の方が非常に辛かったです。特に7日から10日までは丸4日の間、移動時に数十分間意識を失う以外はずっと起きて仕事をしていて、今までに数回あった60時間連続労働の記録を一気に30時間以上も塗り替えてしまいました。もう若くはないので少し考えないといけないとも思いますし、周りからも人を雇えとよく言われますが、取り分の問題もありますし、複数の特殊な技能も必要なのでなかなか難しい所ではあります。

2月29日、新大阪へ向かう47A「のぞみ47号」の車内で食べた駅弁。チキン弁当を探したのですが、鳥インフルエンザの影響で販売を取り止めていました。でもチキン弁当以上に鷄だらけのこれは普通に売っていました。

正午過ぎに新大阪到着。東海道新幹線では後継の100系すらも既に退役していますが、山陽新幹線では今でも0系が現役で走っています。

いつも行く鰻谷の寿司屋へ数少ない異性の呑み友達その1と行きましたが、満員で外にも待っている人がいたので別の店へ。その道すがら通り掛かった恐ろしくレトロな写真屋。心斎橋筋の数ブロック東側だったと思います。

奥に見えるのはえべす橋。道頓堀もちょっと外れると随分と地味になります。この日の夕食は結局、焼肉で決着を見ました。

3月1日。支給された数多の新幹線回数券。

3月2日、「ひかりレールスター347号」で博多へと向かいます。やはりレールスターは何度乗っても良いです。

3月4日、福岡は雪でした。宮脇氏も数度に渡って作中で触れていますが、やはりここの気候は山陰の延長線上にあるようです。昼過ぎに飛行機に乗った頃には晴れていましたが、東京は雨でした。羽田からは家には戻らず、別件の打ち合せで御茶ノ水へと向かいました。

3月6日、名古屋までなら所要時間に大した差はないし、去年の改正で「のぞみ」が安くなって乗客がそちらに流れたので空いているだろう、という読みで「のぞみ」には乗らず、敢えて311A「ひかり311号」を選びました。これが大当たりで、この列車はガラガラでとても快適でした。

その車内で食べた駅弁。自分でも不思議になる位、鷄の弁当ばかりを選んでいます。

そして名古屋に行くならやはりここ。聖地巡礼は欠かせません。この日は1人で行ったのですが、会計が1万円近くなってしまい、さすがに反省しました。考えてみれば、これも鷄です。

3月7日の昼食。どうせならきしめんでも、と思って栄を少し歩いて見付けた店です。きしめんは普通でしたが、店の雰囲気がかなり懐かしい感じで良かったです。

3月8日、午前4時34分の金山総合駅。現場はこの近くのホテルです。やはり名鉄の赤一色というカラーリングは目を引きます。この時点では、まさか100時間近く寝られなくなるとは思っていませんでした。

本番が終って金山から名古屋へと移動します。名鉄のパノラマカーらしき列車が入って来ました。名鉄や近鉄、都内の大手私鉄等にはどうも食指が動かなくて、詳細は全然判りません。

新幹線に乗る前にホームできしめんを。一緒にいた舞台監督さんに「旅先での食事は出来るだけ写真を撮っているんです」と言うと「やっぱりそういうゆとりが大切だよね」と言われました。

次の現場は舞浜のホテルなので、果てしなく歩いて京葉線のホームへ。そこでは18時30分発の3017M「ホームタウンさざなみ17号」君津行きが乗客を待っていました。トレインマーク表示器はLED化されていますが、原色のままの183系です。今だ健在なのは喜ばしいのですが、これも今年から来年辺りで置き換えられてしまうそうなので、早目に乗っておかないとと思います。

舞浜からはディズニーランド行きの循環モノレールで移動。浮かれた雰囲気に気が滅入ってしまうので仕事で乗る物ではありません。駅からホテルまでは無料送迎バスに乗りましたが、装飾に凝り過ぎていて車内が狭く、快適ではありませんでした。現場に着いた時には既にリハーサルは終っていて、結局僕はぶっつけで本番をやる事になってしまいました。

3月9日、本番が終って羽田空港へ。搭乗口が足りないらしく、バスで機体の横まで行ってタラップを登る事に。無機質なボーディングブリッジを歩くより全然楽しくて良いです。

この時の移動は師匠と一緒で、疲れているだろうから、とスーパーシートを奢って貰いました。事実、この時点で丸2日半程起きっ放しで、離陸した辺りで意識を失いました。初めてのスーパーシートはなかなか快適でしたが、離着陸時には背もたれを倒せないし、倒すにしても前後方向にあまり余裕がないので後の人に気兼ねしてしまいます。その辺りを考えると、やはりレールスターに軍配が上がります。

途中でふと目を覚ますと、すかさずスチュワーデスさんがやって来て飲物をくれます。スーパーシートなのでお菓子の詰め合わせをくれるのですが、僕は飲物を受け取って一気に飲み干し、そしてすぐにまた寝てしまったらしく、スチュワーデスさんがギャレーに行ってお菓子を取って戻って来るまでのほんの10秒の間も起きていられなかったようです。

福岡での現場は百道のシーホーク。部屋からは福岡ドームがこれでもかと大きく見えます。

これが件のスーパーシートのお菓子詰め合わせ。色々と入っていて楽しかったです。横はようやく全国発売されたFriskのライムミント味。

3月10日、起きっ放しも4日目に入り、手足の指先に変な痺れが出始めています。それでもなんとか本番を終らせて博多駅行きのバスに乗ります。恐ろしい事に福岡の路線バスは普通に高速道路を通ります。混んでいると立ったまま高速を走る事になるのですが、一体どういう法解釈をして可能になったのでしょうか。

博多から新大阪までの移動はこれ以外に考えられない、のレールスターです。この374A「ひかりレールスター374号」は空いていたにも関わらず、何故か僕の隣の席にはおじさんが座って来ました。

3月11日、ようやく眠れた翌日、数少ない異性の呑み友達その2と共に福島の駅前で呑み。その時に撮ったのがこれ。左に見える大きな建物は今回の現場のグランキューブです。大阪では新しくて大きい方の部類に入る会場なのだそうですが、導線の造りやトイレの配置、ホワイエの大きさ等、使い勝手を全く考慮されていない最悪の小屋です。なんでも有名な建築家に設計を依頼したとかですが、得てしてそういう人は使う側の眼で物を造れないのだと感じさせられます。

3月12日、本番を終らせてバスで大阪駅へ。途中で見掛けたJR貨物の各種コンテナ。中に1つ国鉄時代の物が混じっています。

大阪駅構内のラーメン屋で食事。ラーメン自体も結構美味しかったのですが、メンマの食べ放題が嬉しかったです。

新大阪まで移動。写真のタイムスタンプによると、乗ったのは加古川発野洲行きの774Tのようです。

東京までは318A「ひかり318号」で移動。最近ではあまり車内で呑まなくなっているのですが、この時はさすがに呑みたくなりました。銀河鉄道ビールと鯛のちくわで独り打ち上げです。

東京駅に降り立つと、山梨リニア実験線のイベントをやっているというポスターを見付けたので見に行ってみます。実際に同じ原理で動いている模型が展示されていて、本当に浮いていました。試乗会の応募も受け付けていたので出しましたが、やはりまたハズレでした。1年程前から毎回応募しているのですが、当たる気がしません。

ここからは地下鉄です。入口に掲げられた営団地下鉄のマークはもうすぐ見納めです。

3月20日、福岡にて。17日に同じ系統で少し違う所の本番があったので多分飛行機だと思いますが、正直な話、18日からのこの福岡行きは何に乗って行ったのか全く記憶にありません。 ちなみにこの時も3日程起きっ放しになりました。写真は歩いていて見付けた家。一体何がどうしたらこうなるのか良く理解出来ませんが、7月に行った時に見たら綺麗になっていました。

帰りにどこかに寄って遊ぼうと思っていましたが、結局全然考えがまとまらずに大人しく20A「のぞみ20号」で帰京。さすがに5時間も乗っていると疲れます。次からは新大阪でレールスターと乗り継ぐとか考えたいと思います。

これで3月分は終了。暫く空きが出来ます。

4月10日の名古屋日帰りは写真が1枚も残っていないので13日から始まります。東京国際フォーラムでの本番を終らせてから新幹線で名古屋に入り、金山に行こうとして逆方向の列車に乗ってしまい、枇杷島という駅まで流されてしまいました。周囲は真っ暗で、とても名古屋の隣の駅だとは思えません。ホームに呆然と立ち尽くしていると、向こうのホームにレールバスが入って来ました。調べてみると、東海交通事業城北線と言うのだそうですが、こんな所に非電化で、しかも単行で走っている路線があるとは思いませんでした。呆けて見ていると、3レ「さくら・はやぶさ」が轟と音を立てて通過して行きました。

4月15日、名古屋市民会館での本番終りで師匠と一緒に小牧空港へ移動。この日の福岡・板付空港行きの飛行機は結構小さめでした。ここは軍民共用なので、クウェートまで飛んだ機体だと思われる水色の迷彩を施されたC-130も見掛けました。

夕暮れに向かって進むと、長く細く雲を引いて向こうから1機やって来ました。何度乗っても飛行機は苦手ですが、窓の外を見るのはやはり楽しいです。

4月18日、8時35分発の350A「ひかりレールスター350号」の車内から見た博多駅在来線ホーム。いかにもJR九州らしい車両が並んでいます。これを見て初めて九州にいるのだな、と思った自分の病理の深さを感じます。

19日の深夜1時37分と朝9時42分のホテルの部屋からの眺め。大阪城や大阪城ホールが見えます。前夜は森ノ宮の駅前まで1人で呑みに行ったような気がしますが、違うかも知れません。

仕込みとリハーサルが終わり、退館時に撮った大阪城ホール。ロスコの煙で真っ白です。本番は翌日20日でした。

大阪の本番終りで福岡に移動。確かレールスターに乗ったのだと思いますが、記憶が定かではありません。この写真は翌日、4月21日の福岡サンパレスでの本番終了後、撤収も大体終った辺りで撮った物。サンパレスは大きさが足りず、2回回しとなってしまいました。

本番中に打ち上げ告知の回覧が回り、ツアースタッフと地元チームで長浜の寿司屋へと繰り出しました。その後の2次会では近くの屋台へと雪崩れ込み、ホテルの門限ギリギリまで呑んでいました。今時門限があるホテルなど珍しいですが、これがなければ朝まで呑んでいた事でしょう。翌日、4月22日に帰京しましたが、これも何に乗ったか今一つ記憶が曖昧です。翌週に2つ現場を抱えていたので、多分飛行機に乗ったのでしょう。

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