長かったツアーもようやく終わり、遂にお楽しみの金沢行きの日になりました。北陸方面に行くのは初めてで、非常に楽しみにしていました。しかし当日の朝に起きて天気予報を見ると金沢は雨。でも中止にする気もなく、7時過ぎにはホテルを出ました。霧が濃いという予報も出ていて、それもそれで楽しみです。で、この日の旅程は簡単なのですが、一応リストにしておきます。

駅 名
時 刻
列 車
線区名
名古屋
07:51発
1M
しらさぎ1号
東海道本線
米原
08:50着
08:58発
北陸本線
金沢
10:45着
北鉄金沢
13:08発
 
北陸鉄道
浅野川線
内灘
13:25着
13:34発
 
北鉄金沢
13:51着
金沢
14:20発
1013M
はくたか13号
北陸本線
直江津
16:03着
16:05発
信越本線
犀潟
通過
北越急行
ほくほく線
六日町
通過
上越線
越後湯沢
16:58着
18:08発
332C
Maxとき332号
上越新幹線
大宮
19:02発
東北新幹線
東京
19:28着

名古屋でツアーが終るという事で、紀伊半島一周しちゃおうかとか飯田線はどうだとか色々考えたのですが、結局金沢行きに決定。金沢の先も糸魚川ー長野の大糸線ルートとどちらにするか迷いましたが、結局こういう非常に簡単なルートにしてしまいました。北陸鉄道は全然考えてなかったのですが、現物を見たら我慢出来なくなって乗ってしまいました。

まずはホームのきしめんで腹ごしらえ。食べている間に妙なタイミングで発車のベルが鳴ったりしてなかなかやきもきさせてくれました。

この日の出発は結構遅くて、7時51分発の1M「しらさぎ1号」富山行きが最初の列車。この683系2000番台とか言う車両は3月のダイヤ改正で投入されたばかりらしいのですが、なんか全然いいと思えません。形自体も気に入りませんが、何よりトレインマークがないのが致命的。やっぱ「しらさぎ」はボンネット型の485系じゃなきゃ、と思うのは20年のブランクのせいでしょう、きっと。

列車には珍しく読書灯が付いていました。これが必要になるほど車内が暗い訳ではありませんでしたが。

今回の切符達。特急ばかりです。反省。

8時23分着の大垣にて。元国鉄樽見線、現樽見鉄道の8時29分発樽見行き9(列車番号が単なる数字なのです)に遭遇。普段は8時28分に発車する列車なのですが、この日まで「桜ダイヤ」なる期間限定ダイヤで運行されていたようです。

この樽見鉄道というのは、国鉄時代は途中の美濃神海(現神海)までしか開通せず、第3セクターに移管してから樽見まで開通した路線だそうです。

8時50分、米原着。さすがにここ半月旅ばかりしていた疲れが出たのか、前の席にいたおばさんに叩き起こされて目が覚めました。なんで起こされたんだろうと思っていたら、ここから進行方向が逆になってシートの向きを変えるためでした。

この車両は向かいに止まっていた詳細不明の普通電車。多分特急用寝台電車の583系からの改造車だと思います。ああ、こんな姿にされちまって、と嘆かずにはいられません。このタイプの改造車はこの先でも数回見掛けました。

方向転換をしてくれたお陰で琵琶湖と日本海側を見易い左側の席になりました。早速琵琶湖が見えてきました。凄い霧です。

何度も眠ってしまいつつも10時45分、金沢着。途中、武生という駅を出た直後に物凄い旧式の車両が集まった車両区がありました。僕が使っている交通案内社の時刻表(小さいのに会社線や船もあらかた載ってるので重宝してます)には記載されていなくて不思議でしたが、東京に戻ってから調べてみたらどうも福井鉄道という私鉄だったようです。しかも普通の20m級の列車が街中を車に混じって走っているとか。いつか必ず見に行きたいと思います。

降りた向かいのホームには往年の急行型列車が止まっていました。47....5系、かなあ。大目玉の急行型を見るのは久し振りです。昔これに似た車両に乗って上野から石岡まで行った覚えがあります。あの頃は急行という物が普通に走ってました。

とりあえずいつも通りコインロッカーに大きい方の鞄とPowerBook G4を入れて駅前に出てみました。逆側の口では激しく工事が行われていました。名古屋ではなんとかなっていた空模様ですが、こちらでは小雨が降っています。

駅前の謎のモニュメント。なんというか、人を不安にさせる形です。身近に金沢出身の人間がいるので、駅前を歩きつつ電話を掛けて情報収集しました。

情報収集の結果、近江市場という所で昼食を摂る事にしたのでバスで移動。しかし降りるバス停を勘違いしていて、本来なら武蔵ヶ辻という所で降りなければならないのにその先の香林坊(写真のバス停)で降りてしまいました。この頃になると雨も本降りになっていました。

実際はバスに乗る前に北陸鉄道の駅を見に行っていたのですが、それは後に紹介します。

バス停を間違えた事に気付かず、片町あたりをうろうろしていて見付けた桜。まだ結構咲いています。雨に濡れて枝垂れ桜になっていて、なかなかいい風情でした。

香林坊から再びバスに乗って武蔵ヶ辻へ。今度はあっさりと近江市場が見付かりました。アーケードがあるのに何故か屋根が全開になっていて雨が降り込みまくっています。日曜の昼という事で殆どの店が閉まっていたのが残念でした。

例の金沢出身の人間の父上はここの市場で働いているらしく、その推薦で昼食はこの写真に写っている回転寿司屋で摂りました。ネタの良さは勿論、マグロの赤身に大葉を挟んであったりで一工夫が嬉しい店でした。あと、蛤の味噌汁が絶品でした。

昼食の後慌ただしくバスで金沢駅に取って返し、北鉄金沢駅へ。ホームに何か見慣れた車両が.....。

浅野川線の時刻表。バスに乗る前にメモ代わりに撮った一枚。意外に本数があります。

井の頭線の車両と久々の再会。僕は西荻窪、吉祥寺、上石神井を結ぶ三角地帯の出身なので渋谷に行く時は必ずこの列車に乗ってました。立派なスノープラウが付いていたり、どの車両もマスクの部分がオレンジ色ともピンクとも言えない微妙な色に塗られていたり(井の頭線時代は5〜6色のバリエーションがありました)、ワンマン化改造を受けていたりと色々いじってはありますが、確かにあの井の頭線の車両です。

逆側のホームにももう1編成。こちらは更に懐かしい片開きの扉が付いていて、予備機のようでした。

13時8分、北鉄金沢を出発。短いトンネルを抜けると住宅地の中をくねくねと曲がりながら走って行きます。単線ではありますが、この辺の雰囲気も井の頭線みたいです。次の駅は三鷹台だよな、と反射的に考えてしまいました。

元々はこの車両、運転席のすぐ後までシートがあって座ったままかぶりつきが出来たのですが、ワンマン化改造の結果、出来なくなっていました。

浅野川線のダイヤは単純明快で、北鉄金沢と内灘の両方の駅を列車が同時に発車し、ちょうど真ん中あたりの三ツ屋という駅で列車交換をするという物でした。でもこうやって見ると下北沢あたりのようです。これで急と書かれた丸いヘッドマークを付けてると良かったのですが。

17分で内灘に到着。予備機らしき車両が1両止まっていました。

不思議な絵が撮れたので載せておきます。ワンマン化のために付けられたと思われるミラー。

内灘駅を外から。歩いてすぐ日本海に出れるようです。が、時間がなくて行けませんでした。

すぐ戻るために改札を出て即、戻りの切符を買ったのですが、もう一人2歳位の男の子を連れた若いお父さんが同じ事をしていました。乗り鉄人気もなかなかのようです。

帰りの列車も行きと同じ車両に乗ります。奥にはもう1編成(1両かも)予備機がいました。もしかしたら真ん中の車庫にもいるのかも知れません。

駅員さんに訊いた所、この車両の導入は'96年に行われ、8903という車番の1両のみ'97年に来たそうです。所属両数は訊き忘れてしまいましたが、確認した限りでは8両でした。

今回のダイヤ改正で新型車両を投入して大喜びの図。このはしゃぎっぷりがいいです。

ホームに登ったらちょうど14時10分発米原行き35M「加越5号」と思しき列車が出て行く所でした。国鉄カラーの485系という物もこの辺ではそろそろ見られなくなってしまいそうです。これでこめかみにJNRマークがあれば完璧。

そしてこの金沢から乗るのがこの1013M「はくたか13号」です。やっぱこの顔は好きになれません。左奥には国鉄カラーの485系「雷鳥」が見えます。

金沢を出るとすぐに新幹線の高架線が見えてきます。どうもフル規格にするかスーパー特急方式にするか、未だ揉めたまま工事だけは着々と進んでいるという状況のようです。

現在の金沢は昼行特急だけでも「雷鳥」「サンダーバード」「しらさぎ」「はくたか」「加越」「北越」とさながら在来線特急天国の様相を呈していますが、新幹線が開通してしまうとそれらはどうなるんでしょう。その時はきっと寝台特急の「北陸」と夜行急行の「能登」も無事では済まないのでしょう。

14時44分着の高岡にて。隣に貨物列車がいたのですが、ちょうど僕の窓の所にこんなコンテナが。さすがに膨大な数のコンテナ全てを再塗装するのは無理なのでしょうが、あまりにぞんざいな気がします。

同じく高岡にて。筑豊地区では白地に青帯、中国地方では黄色だったキハ40系がここではワインレッドに塗られています。国鉄カラーのままでいいのに。

レ、レッドアロー!? 14時55分着の富山にてまたも衝撃の再会。これも高校時代によく乗った車両です。どうも富山地方鉄道所属の車両のようです。調べてみると、確かに電鉄富山ー宇奈月温泉間が約1時間半、電鉄富山ー立山間が約1時間となかなかの長距離を走るようですが、それにしてもこんな特急型の車両を買い込んでどうしようと言うのでしょう。地方私鉄恐るべし。

15時12分発の魚津を過ぎた辺りで。もう霧なんだか雲なんだか判りません。

糸魚川の手前で日本海が見えます。前回の出雲市行きの時に乗った「スーパーおき」と同じく山側の席に座っていた僕は、臍を噛む思いでこんな写真を撮る事しか出来ませんでした。

この車両も「しらさぎ」と同じ系統で少し前の型の681系なのですが、御覧の通り読書灯はありません。

直江津の2駅先の犀潟から北越急行ほくほく線に入って越後湯沢へ。16時58分着。

ほくほく線は乗り入れた瞬間に乗り心地が全く変わり、揺れも騒音も突然収まります。しかもスピードはそれまでより全然速い。さすが160Km/h走行を実現する高規格路線(確か山形/秋田新幹線は130Km/h走行だったと思います)だと感じました。なのですが、やはり疲れ果てている僕は途中のかなりの部分を寝て過ごしてしまいました。

写真はそのほくほく線の普通列車。

同じくほくほく線の普通列車。車両毎にカラーリングが違います。車両自体も新造車のようですし、路線規格も車両も第3セクター路線としてはかなり恵まれている印象を受けました。

1時間しか時間がないので荷物を全部背負ったまま表に出てみました。こちらは裏口のようで、駅前にいきなり民家がありました。

上の写真の地点からちょっとだけ坂を登るとこんなです。桜もまだ咲いていて、雪も残っています。日本というのは同時に色んな季節が各地に存在する国だとつくづく感じます。

駅の逆側の出口上から。霧がこんな所まで押し寄せています。

地上に降りて振り向くとこんなです。昔、日本中が霧に覆われてどんどん通信や交通が途絶していく小松左京か誰かの小説を読んだ事を思い出しました。

時間もなかったので、駅の案内板で見付けたこの写真の右奥にあるそば屋でそばとうどんの合わせ盛りざる+天麩羅の食事をしました。結構旨かったです。

越後湯沢の新幹線ホーム。Boseの101(かな? PA系の機材は全然判りません)が使われていました。

本日の最後の列車、18時8分発東京行き332C「Maxとき332号」がやって来ました。ダブルデッカーなせいもあって車内は非常に窮屈で辛かったです。もう暗くなるので車窓にも期待していなかったから寝てしまいましたが、これもあまり好きになれない車両ではあります。

前回の出雲市行きと今回の金沢行きを通して、今後の旅程を立てる方針が見えた気がします。まずは地方私鉄にもっと重点を置く事。そして時間が掛かっても不便でも条件が許す限りローカル線の鈍行列車に乗る事です。今回いまいち面白味に欠けると思った最大の原因は特急ばかり乗っていたという事ではないかと思います。これらの反省点を踏まえて次はもっと楽しめる徘徊旅行をしたいと思います。

戻る