仕事で博多に行く事になり、落ちたら全員死ぬ飛行機(落ちなくても飛ばなかったり戻って来たりは日常茶飯事)や速過ぎてロクに車窓も楽しめない新幹線ではなく、ブルートレインで行こうと思い、更にどうせなら子供の頃の憧れだったA個室寝台に乗ってみようという事で3レ「はやぶさ」に乗る事にしました。2日前に決まった話ではあったけれども切符は買えました。もっとも、僕が買った時点で残りは2部屋だったそうです。

昔は16時頃からひっきりなしにブルートレインが発車していましたが、今は客車列車が急行の「銀河」を含め5本、電車化された「サンライズ瀬戸・出雲」が1本と寂しい限り。それでも東北本線経由の「はくつる」すらも廃止されてしまった上野口より格段に恵まれているとは言えます。番線も昔は12番線とかだったような気が。思い違いかも知れませんが、隣の東北新幹線のホームの辺りだったのではないかと思います。

そしてこの「さくら・はやぶさ」、行先は長崎と熊本ですが、今は亡き「みずほ」と全く同じ。それなら「みずほ」にすれば、とも思いますが、「鳥海」が廃止されて同じルートを「あけぼの」が走っているのと同じ事なのでしょうか。

カニ24の「ニ」の部分。客車での荷物輸送は廃止されたとどこかのサイトで読んだので意外でした。

憧れのオロネ25の入り口。各車両の状態も「銀河」で使っている物よりかなり良いようです。とは言え、「あさかぜ」に付いている車両の方が同じ値段で広くて格段にいい設備なのです。

そして隣にはロビーカー。中は簡素ながらもソファやジュースや酒類の自動販売機があり、狭いB寝台を脱出して来る人達で埋まります。食堂車は既に編成から外され、現時点では「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「カシオペア」といったある種特別な列車にしかなく、しかも予約制のフルコース料理というから、もう存在しないも同じになってしまいました。

内部の廊下、進行方向(博多方面)に向かって。左側に個室の扉が14枚並びます。車体長20mの車両をたったの14人で使うのだから贅沢なものです。

個室。チケットを取ったのが遅かったので車端部の1番個室です。要するに独房です。このソファの肘掛けを起こすと背当ても直立し、座面下のレバー操作で座面が少し出て来てベッドになります。左奥は小机兼洗面器。運悪く進行方向と逆の個室になってしまい、車窓を楽しむのが非常に辛かったです。結局、壁に枕を押し当てて小机に座り、膝に毛布を掛けていました。

逆側の壁。鏡、ハンガー、洗面用具置き、コップ掛け、灰皿、コンセント等。このコンセントは翌朝早くにDimage Xiのバッテリが終った時に活躍する事になります。

上はA個室に泊まると付いてくるヘッドマーク入りタオル。可愛いです(繰り返しますが、「あさかぜ」の方は色々入ったアメニティセットだとか)。でも作ったのが古いのか、「さくら」と「はやぶさ」が個別になってます。下は今回の切符達。左上2枚が「はやぶさ」用、他は帰り用の物。経由が入り切らなくて手書きでも書き込まれています。でも実際はこれより更に遠回りをしました。

小机をぐあばと開けるとこのように洗面台が。古い割には非常に綺麗にしてありました。

通路側を振り返ると扉の上に荷物置きが。狭い部屋なのでこういう配慮が非常に役立ちます。

冷暖房のコントロール(ビジネスホテルによくある季節でどちらかに固定タイプではないのが素晴らしいです)、電灯のスイッチ、警報スイッチ、寒暖計、読書灯。冷暖房のノブは軽く動くプラ製の物を想像してましたが、実際はガゴガゴと動く重い金属製の物でした。

隣のロビーカーヘの接続部。その辺にあった紙切れに手で書いてセロテープで貼ってあります。

日付が変わって1時6分、大阪着。向こうのホームでは翌朝の始発電車が夜明けを待っています。

飛び去る家並。6時22分着の柳井を過ぎた辺りで目が覚めました。

朝焼け、瀬戸内の島々、そして漁船。この辺りの瀬戸内海を見るのは多分17年ぶりです。こういう風景を観られるというだけで夜が明けてから比較的長時間走るこの列車を選んで良かったと思います。

6時53分発の徳山にて。向かいのホームで岩徳線のキハ40系が客を待っていました。徳山発7時5分の2番列車、2226Dかと思われます。

朝のロビーカー。前夜は中程に若い男女が陣取ってボードゲームに興じていましたが、彼らは寝ているのか夜が明けると一転、個人客がゆったりと座っていました。

前夜に撮り忘れたドアロック。施錠と解錠時に同じ番号を使ってさえいれば毎回違った番号でも問題ありません。

徳山で車内販売が乗り、飢餓列車「はやぶさ」の乗客もようやく食料補給を出来るようになります(実際、飛ぶように売れていました)。僕も7時を過ぎたばかりだというのにあなご飯などという重い物を。どこでも喰えるサンドウィッチや、まず旨かった試しのない幕の内弁当を避けると他に選択肢もありませんでした。とは言え、まだほのかに暖かいこの弁当はアナゴも柔らかく、非常に旨かったです。

宇部で貨物列車を牽くPFを発見。昔は九州方面へ向かうブルートレインと言えば必ずこの機関車が先頭に立っていました。

8時33分、下関に到着。門司の構内から交流電化区間になるのでここで5分停車し、機関車を付け替えます。東京から牽いて来た鮫のような顔のEF66は直流電気機関車なのでここでお役御免。ここに来て初めて顔を見ましたが、ハイブリッド化されたヘッドマークが哀しいです。

元は高速貨物用だったこの機関車がスピードアップを目的として「出雲」「銀河」以外の東京口のブルートレインを牽くようになってから結構経ちますが、やはりブルートレインはEF65 500番台か1000番台が牽くという刷り込みが強くて未だに違和感を覚えます。JRが今後旅客列車用の機関車を開発するとは思えない(どころか、どんどん廃車にされています。現にこの日も下関の1駅手前の幡生駅構内でEF65 123番機の解体作業が行われていました)ので、今後客車列車が存続するとしたらJR貨物の新世代機関車が牽く事になるのでしょうか。

同じホームの向かい側に「回送」の表示を出した285系サンライズ編成が。この車両は東京から岡山経由で出雲市と高松を往復しているので、ここ下関では見掛ける事はないはず。不思議でしたが、季節臨時の「サンライズゆめ」が下りは広島まで、上りは下関始発だという事で回送されてここに来ていたようでした。この後この編成は駅と関門トンネルの間の車両区に入って行きました。

これもここで初めて見た電源車車端部のトレインマーク。煤けてしまっています。

直流&交流50Hz&60Hzの3電源対応交直流両用電気機関車、EF81がやって来ました。その気になればこれ1両で全区間走り抜けられますが、スピードの関係もあって律義に付け替えます。九州内はそのまま走っても問題ないはずですが、このEF81は門司で交代します。

以前はこの区間専用にEF30という防蝕対策の為にステンレス製のボディを持つ機関車がいましたが、今はいないようです。同じくステンレスボディを持つEF81 300番台は現役ですが、この時には見当たりませんでした。

8時46分、門司着。ここで上記のEF81は外され、真っ赤なED76が何故か編成側にヘッドマークを掲げてやって来ます。両方にヘッドマークを付けておいて進行方向によって付け替える手間を省いているのでしょうか。機関車の色には意味があって、青が直流、赤が交流、薄赤(ローズレッド)が交直両用となっています。

そして門司にはこのキハ181系の3両編成で構成された小倉発益田行き30D「いそかぜ」がいました。小倉への回送待ちのようでした。

小倉では先に門司を出た「いそかぜ」が9時4分の発車を待っていました。今までキハ181系は見た事がなかったので眼福でした(しかし「いそかぜ」との因縁はこれで終った訳ではありませんでした)。小倉には8時53分着です。

博多の手前の車両区、というより側線という雰囲気の場所で787系「つばめ」編成を見付けました。BMWみたいな顔をしています。この辺のJR化後の車両は全く解りません。

9時53分、博多着。過ぎ去る列車を流し撮りしようとして見事に失敗しました。この24系と14系の混合編成というのも以前では考えられない物でした。

ともあれ、15時間50分の汽車旅は非常に楽しかったです。この長さだと日が昇ってからの時間も結構あるので車窓も楽しめるし、A個室を取っても元が取れたと思います。

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