仕事帰りに乗った2003年3月1日大阪発の102レ寝台急行「銀河」にて。

なんとなく撮った一枚でしたが、考えてみると今や死に絶えつつある急行(しかも夜行)で電光表示板が埋まっています。これをあと何年見ていられるやら。

通勤客でギッチギチ(とは言え、関西のラッシュなんて東京に比べたら無人に等しいですが)のあちらのホームとほぼ無人のこちらのホーム。

編成後端、電源車のトレインマーク。よく見ると少し弛んでいます。

ここの表示も割れたまま。もうJRは極一部の豪華車両以外の客車に金を掛ける気などないのでしょう。それ以前に客車という車種そのものが絶滅の危機に瀕していますが。

先頭側車端部からEF65 1000番台後期型(通称PF)を望む。数ある機関車の中で一番好きな形式。最近は新型の機関車という物もJR貨物以外では全く作られていないようで寂しい限りです。

左側が今夜の宿。開放型B寝台なのでこの幅70cmのベッド一つのみが占有空間。肩幅でほぼ埋まってしまいます。父親が秋田の能代出身なので、幼少の頃よく20系「あけぼの(幅52cmでしかも3段式)」に乗っていましたが、あの頃は小さかったのだなあとこのベッドで実感。しかし3段式寝台の中段は自分の空間の上から下まで全部窓で車窓を眺めるには最高でした。

前回、2002年2月末に下りに乗った時はお向かいにもう10年も「銀河」に乗って大阪の本社で開かれる会議に通っている木材塗料メーカーのおじさんがいて、オイルショックの頃は儲かって仕方がなかったとか色々とお話を伺いつつしばらく一緒に呑んで楽しい時を過ごしたのですが、今回のお向かいは.....

オカマさんでした( つД`)

この後に小田原駅の写真があったので、多分熱海とか真鶴とかその辺りかと思います。

あっと言う間に東京到着。お疲れ様のPF。この後編成から切り離されて前方に進み、逆側に待機しているもう1台のPFが編成を回送します。確かにこんな手間も掛かるし、乗り心地も悪い(機関士さんの腕次第でもありますが)けれども客車列車の味というか旅情という物は他にはないので、なんとか今後も存続してくれるよう望みます。

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